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【江戸幕府】なぜ、あの時代に「鎖国」をしたのか? 本当にキリシタン対策だったのか?★5
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0001豆次郎 ★
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2019/11/24(日) 21:43:52.53ID:c0hWDQgZ9
ダイヤモンド・オンライン
11/23(土) 6:01配信
なぜ、あの時代に「鎖国」ができたのか?

● なぜ、「鎖国」ができたのか?

 次に、なぜ江戸時代の日本が「鎖国」をしたかという話をしましょう。

 みなさんが、昔、習ったのは、島原の乱(1637‐1638)を経験した徳川幕府が、
「キリシタンを放っておくと怖いよなあと思って、鎖国をした」
 ということだったと思います。

 でも、僕が考える鎖国の理由は、

 「徳川幕府を永続させようと考えたら
 鎖国が一番合理的だったから」

 です。

 当時は石高で国を仕切り、統一していたのですが、最も石高が大きいのが、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした加賀藩の「100万石」。
 一方、徳川幕府は450万石ぐらいでした。

 徳川幕府は、大名同士の結婚や同盟を厳しく管理していました。

 江戸時代は、お城をつくったり、修理したりしただけでも改易(大名・旗本などの武士から身分を剥奪し、その所領や居城・陣屋・屋敷などを没収)されていました。

 豊臣秀吉が改易を考えつき、徳川家康が踏襲したのですが、鎖国をして貿易をしなければ、徳川幕府に勝つ大名はいない。

 ところが、各地の大名が海外と貿易を始めてしまったら、あっというまに彼らが金持ちになってしまう。たとえば、仙台の伊達氏や福岡の黒田氏は、海外との交易に興味津々でした。

 徳川幕府としてはその焦りがあったと僕は思います。

 次回は鎖国の時代に活躍した名学者・平賀源内の興味深いエピソードを紹介しようと思います。

 過去の僕の『哲学と宗教全史』全連載は「連載バックナンバー」にありますので、ぜひご覧いただき、楽しんでいただけたらと思います。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191123-00217612-diamond-soci
https://amd.c.yimg.jp/amd/20191123-00217612-diamond-000-1-view.jpg

※前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1574514540/
0319名無しさん@1周年
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2019/11/25(月) 23:34:08.88ID:XWUZpIKV0
日本が中国王朝の交替時期に革命に乗じて侵略をしていたならあるいはと思う。
0320名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 00:42:21.46ID:kcKDJcYO0
>>318
いい加減ファンタジーはやめよ
商業主義とか、尾張の田舎者にそんな才覚があるかよ
しかも徳川は農業とか

三河人は、商売をやらせても一流なのは、証明されているだろうが




平成25年度経済成長日本1位は三河県

三河県の一人あたりの総生産は日本2位


【平成25年度県民経済計算】
都道府県別県内総生産(名目 単位:円)
順位 都道府県  GDP  成長率 シェア
━━━━━━━━━━━━━━━━━
*1位 東京都 93兆1280億+1.0% 18.3%
*2位 大阪府 37兆3150億+1.2% *7.3%
*3位 神奈川 30兆2190億+1.1% *5.9%
*4位 尾張パゴヤ共和国(笑) 22兆2078億+0.7% ←下は茨城だけw
*5位 埼玉県 20兆6780億+2.0% *4.1%
*6位 千葉県 19兆8110億+4.0% *3.9%
*7位 兵庫県 19兆2330億+2.6% *3.8%
*8位 北海道 18兆2690億+1.5% *3.6%
*9位 福岡県 18兆1900億+1.8% *3.6%
10位 静岡県 15兆8760億+2.4% *3.1%
12位 三河県 13兆2683億+4.4%
13位 茨城県 11兆5110億▲0.1% *2.3%
0321名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 01:04:43.97ID:kcKDJcYO0
三河武士の軍事力の経済的下支えは、尾張の荘園
尾張の田吾作をこき使って、自らはは政治闘争ばかりしていたわけだな
三河に農業文化などなく、農作業に従事していたのは尾張の田舎者だ
このシステムが完成させたのは、三河の足利将軍家


室町幕府 三河国の日本支配構造

【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数

・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏

三河国の奉公衆一覧(全52家)

【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和
0322名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 01:53:26.65ID:MBVwoIJq0
>>159
> そりゃ天竺が支配されたと聞いたら警戒するだろ

それは後世のあと知恵で、幕府が鎖国政策を形成していった17世紀前半の時期には、
イギリスのパワーはムガール帝国に勝てるほどではなかっただろう。

1685年に英東印会社のジョシア・チャイルド卿が、ムガール帝国を軍事的に屈服させて
貿易の拠点を確固たるのものにする目的で、ジェームズ2世から10数隻のイギリス艦隊
を得てベンガル湾で船を拿捕して町を砲撃したときには、ムガール帝国はスラトのイギ
リス人を人質にとってイギリスに謝罪と賠償をさせた。

イギリス東インド会社が増長するのはアウラングゼーブ帝の死(1707年)のあとである。
0323名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 02:00:57.79ID:MBVwoIJq0
ちなみにイギリス人は香辛料が買いたくてインドに来ていたが、スペインと違ってどこかの大陸に
銀山などもってないので、17世紀はインドで綿織物を製造して香辛料の対価としていた。
なのでそうした現地の綿織物の工房にイギリス人が居留していたようだ。
0324訂正
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2019/11/26(火) 03:41:02.81ID:MBVwoIJq0
>>323
> 17世紀はインドで綿織物を製造して香辛料の対価としていた。
> なのでそうした現地の綿織物の工房にイギリス人が居留していたようだ。

イギリス東インド会社は拠点のことを「ファクトリー」と呼んでいたそうで、それを工場だと誤解してしまった。

正しくは、
香辛料の対価にしようとして、イギリスのブロード織物などをインドで売ろうとしたが
あまりうまくいかなかったようだ。スラトなどの英東インド会社の拠点には商業に従事する
駐在員がいた。織物の製造は行っていない。
0325名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 08:13:21.67ID:zaRlYKhe0
 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。
大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。
 たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出して
イギリスを相手に多額の黒字を計上していた。
ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。
 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。
イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。
インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、
そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。
お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。
そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。
 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドも
イギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。
こうしてイギリスはどんどん発展した。
 一方植民地はどうなったか。
たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、
国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。
 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。
ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。
こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。
そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。
 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。
経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。
0326名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:08:33.34ID:9vs7xFd7O
ローマ教皇 帰国
0327名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:16:02.56ID:UDMOx9L90
>>26
禿だけでなく教会なんて今も昔も犯罪者の巣窟
大人の売買が難しくなるにつれて小児性愛者の比率が高まって今に至る
政財界のニーズにも合致しているので隠ぺい能力も高く世界有数の犯罪者組織
0328名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:19:06.31ID:CW8izJc/0
チョソ対策
0329名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:20:29.00ID:Iihfev7t0
個人の感想であり 真実・事実を示すのもではありません。
0330名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:21:50.79ID:B2zFVjl90
肥溜めの匂いとか馬とか牛の糞がそこらじゅうにボトボト落ちてた時代。
0331名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:23:52.13ID:xQuvIl/l0
赤面疱瘡を隠すためだろ
0332名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:24:34.12ID:9gbhW+Rz0
鶏泥棒とは常に鎖国するべきだった
0333名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 12:28:11.64ID:invPVPop0
333
0336名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 14:03:17.75ID:7+f3CAY90
『日本人は世界をいかにみてきたか』
著者: 河合敦

また、白石が「オーストラリアの場所を教えよ」とシドッチに求めたとき、彼はこれを拒否した。
その理由を問うとシドッチは、「比人を見まいらするに、比国におみての事は存せず、我方におはしまさむには、
大きにする事なくしておはすべき人にあらず(白石を見ると、日本でどうかは知らないが、私から見ると、
大事を為す人に見える)」(『西洋紀聞』)、「だからその場所を教えてしまったら、オーストラリアは白石によって
占領されてしまうから答えたくない」と言って答えなかった。


https://ja.wikisource.org/wiki/Page:Arai_hakuseki_zenshu_4.djvu/787
0338名無しさん@1周年
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2019/11/26(火) 22:36:57.62ID:rf0lBKsS0
日本にはぜったいキリスト教を広めてはいけない理由があるんだよ
それは聖書の預言だよ
終りの日に火の昇る方から神の印をもってエルサレムの宮殿に神器をすえに行かなきゃならない。
それまで石や金属で作った異教の神を拝んでなきゃいけないんだよ。
それで最後の審判でその罪により宮殿の門番にされる必要がる。
そこまで聖書で預言されている。
つまり預言を成就するためには日本では仏教を拝んでないといけないんだよ。
0339名無しさん@1周年
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2019/11/27(水) 01:08:18.91ID:ZHSTGZ290
>>337
あれは無礼なイギリス人が悪いんだよな。
あの直前にアメリカ人も往き遭っていたけどちゃんと脇に控えたから無事。
0340名無しさん@1周年
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2019/11/27(水) 01:12:34.57ID:3x/3cl8G0
女性用の着物あるだろ。生理の為に中に着る赤色のやつな。
あの赤色を出すのが日本人が上手で中国に売れまくった歴史がある。その女性用着物を独占販売したのが琉球王朝なんだよ。沖縄は当時、島民全員が金持ちだったんだよな。
0341名無しさん@1周年
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2019/11/27(水) 01:57:31.11ID:KFpVOMni0
>>339
馬が鳴いただけで婦人もろとも斬られる方もたまったものではないし
瀕死で逃げたのを追いかけていって落馬して倒れてるところをトドメさすってのもいかがなものか
0343名無しさん@1周年
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2019/11/27(水) 11:06:34.96ID:AqxsPlhF0
>>341
違うよ?
先に出会ったアメリカ人と同じく、礼儀を守って下馬して道を譲っていれば良いものを、馬に乗ったままでいた=襲撃する悪意がある敵対者と同じことをやったから反撃されただけだよ。
徒歩の者に斬られたということは、当然、目の前まで馬に乗ったままで来ていたということだからね。
遥か彼方にいて逃げようとしてるのに「徒歩の者が馬より速く突っ走って追いついて斬った」とかなら別だが、そういう変な状況を妄想してる?
日本人を馬鹿にして礼儀など無視して、選りに選って攘夷の最先鋒に突っかかったということで自業自得。
繰り返すが、礼儀を守っていた者は無事でいる。
0345名無しさん@1周年
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2019/11/28(木) 06:24:51.43ID:3HE+sQcX0
>>343
すれ違おうとして行列の中ほどまで来て斬りつけられて
引き返して逃げようとしたら先ほどすれ違った人間が立ちふさがってまた斬りつけ
オンナは服を斬られたがかろうじて無事だった

通り抜けるのを許さないのなら最初から追い返すなり注意しろよ
それが礼儀だろ野蛮人かよ
0346名無しさん@1周年
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2019/11/28(木) 18:34:54.81ID:1jXpGucH0
この三百年の鎖国が外国語習得が苦手な日本人をつくったといっても過言ではない
0347名無しさん@1周年
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2019/11/28(木) 19:18:00.21ID:JE1mXsb/0
日本人を捕まえて海外へ売り飛ばしてる人たちがいたんだって?
0349名無しさん@1周年
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2019/11/28(木) 20:53:28.23ID:7loBzS3j0
「鎖国」という言葉が間違った概念を植えつけてるよな 明治以降の教育で

正確にいうと「高度に統制抑制された貿易外交」 清・オランダ・朝鮮とは交易あった
南蛮(東南アジア)は家康の代に積極的だったが、うさんくさい匂いを感じとった家光の代で止めた

薩摩藩は勝手に琉球国と交易、その後制圧して事実上領土にした
0350名無しさん@1周年
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2019/11/28(木) 21:00:33.24ID:7loBzS3j0
当時、西・葡・英・蘭が何をしてたか 仏も遅ればせながら侵略国家の一員に
これらの国がアフリカ南米東南アジアで何をしてその後どうなったか

欧州の中ではましな国として蘭をエランダセンスはなかなか秀逸である
東ティモールカワイソスだけどな
0351名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/28(木) 22:46:25.69ID:7loBzS3j0
「鎖国」などない

歴史を学んだ人間ならスラスラ出てくるだろうが
関が原の合戦が1600年

イギリスの東インド会社設立が同じ1600年 その数十年前にフランスと覇権を争っていた
オランダの東インド会社(インドネシア)設立が1602年 平戸に商館を建てたのがその約10数年後
0353名無しさん@1周年
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2019/11/29(金) 04:02:23.32ID:5VCI1nc60
>>352
よう無学
0354名無しさん@1周年
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2019/11/29(金) 04:15:19.07ID:OvKBvKfd0
天草四郎時貞とか あの時代にキリシタン大名がいたこと事態 不思議でならない。
0355名無しさん@1周年
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2019/11/29(金) 04:16:13.04ID:T06RvZWP0
呼んだ?

最近フランスのテレビが日本の隠れキリシタンを取材してたので貼っとく
ttps://www.francetvinfo.fr/monde/japon/japon-les-chretiens-caches-de-l-archipel_3718501.html
隠れキリシタンの方々の和服の着こなしが古風でいい
0356名無しさん@1周年
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2019/11/29(金) 04:24:22.38ID:d5OdFL3G0
徳川幕府バカにしてるヤツいるけど、徳川家は子供を全国の有力者と結婚させてるから、400年経った現在はほとんどの日本人は徳川家の子孫かその親戚だと思うぞ

1世代が25年とすると400年は16世代前、親が2人、祖父母が4人、祖々父母が8人・・・といった具合で2を乗ていくと16世代前の直系の先祖は65536人いる

どこかで徳川家の子孫と交差してるのは確実
0357名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 05:24:49.76ID:lhS8pQej0
 鎖国している間に、西洋はフランス革命、ナポレオン革命、ナポレオン戦争、そして、
石炭による水蒸気機関の発明と、石炭採掘のためのニュートン力学の発達、産業
革命が起こっていった。
 日本では鎖国によって、植民地支配の趨勢を出島で傍観しながら、対策を練る
ことができず、外様の長州藩とジャージー・マセソン極東支部(東インド会社の極東
の出先機関)との謀議によるクデター計画が見事に成功した。
0358名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 05:50:42.12ID:SvwroP9B0
>4
開国しても産業革命
を起こせるわけじゃないだろ
0359名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 06:03:15.86ID:9PwKPb/J0
>>39
どこが?

戦国時代の1582年の段階で豊後(大分県)の臼杵の町では大友宗麟が
キリスト教の祭りで市民と一緒に西洋式の打ち上げ花火を鑑賞している

他方で東京中心主義のマスコミが「日本初の花火」だと強弁する
徳川家康が駿府城内で1613年に鑑賞した花火は旧式の手筒花火であり
これは室町時代の1447年に万里小路時房が京で鑑賞したのと同じ中国式花火

江戸時代は鎖国のせいか欧州の先進的な打ち上げ花火文化の導入が遅れた
0360名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 06:10:44.87ID:T06RvZWP0
イギリスの蒸気機関の発明って、炭坑にたまる水を排水する必要から生まれたんだっけ。
日本にも別子銅山とか石見銀山とかあったが、水がたまると繰樋という方法で人力で排水
してたようだな。この違いだな。
0361名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 06:34:03.01ID:o+ZTMSPU0
家康がプロテスタントの三浦安針を信頼してイエズス会に胡散臭いものを感じてたからじゃないの
0362名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 06:49:13.05ID:kAAuU3P20
>>358
工業化とグローバリズムだから繊維業に参入した日本はそれに乗ったんじゃないの
0363名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 07:45:04.46ID:VbNcG10i0
徳川幕府は鎖国をしていない
長崎、対馬、松前、琉球で外国との門戸を開いていて
貿易も行っていたし、文化交流もあった

鎖国というのは明治政府が作った造語
0364名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 07:47:15.08ID:kAAuU3P20
どんな名前でもいいが実態は対外交流の制限と大型船の建造禁止
0365名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 07:56:34.43ID:VbNcG10i0
>>357
日本が鎖国している間に欧米諸国がやっていたのは
アフリカから1千万人の人を奴隷として中南米諸国に送り
植民地を作り、綿花、砂糖、コーヒーなどで儲けた金を使って
産業革命を実現させたのだ

他国の人民の血と汗で富を築いたことをよく覚えておくように
0366名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 09:09:46.93ID:KS97FsrC0
秀吉のバテレン追放令、ちゃんと見ると印象がずいぶん違う

・キリスト教徒がそのまま信仰を続けることは自由
・キリシタン大名が、自分の領民をその気もないのに無理やりキリスト教徒にすることはけしからん
・知行3000貫以上の大名がキリスト教徒になるには、秀吉の許可が必要
・それ以下の者がキリスト教徒になるのは自由
・大唐、南蛮、高麗に日本人を売ることはけしからんので禁止
・牛や馬を殺して食べることも禁止
0367名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 12:50:14.55ID:9LM7zIsC0
・牛や馬を殺して食べることも禁止

何で思うが当時は牧場や養牛なんてないからな。
宗教的価値観以上に貴重な労力、移動手段だし。
0368名無しさん@1周年
垢版 |
2019/11/29(金) 14:22:15.79ID:+Ty8CqIb0
大友宗麟ちょうどのタイミングでやってたな
まあ合わせたんだろうけど
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