■ゴルバチョフ氏、領土解決を模索 88年時点、中曽根氏との会談で―外交文書公開

外務省は25日、1980年代後半までの外交文書ファイル15冊を公開した。それによると、冷戦時代の88年7月に前首相だった中曽根康弘氏がソ連との関係融和を図ろうとモスクワを訪問した際、会談したゴルバチョフ共産党書記長が北方領土問題に関し「何とか何かを考え出さねばならない」と、問題解決を模索する考えを示していたことが分かった。(国名、肩書は当時)

中曽根氏は会談で領土問題について「直ちに返ってくるとは思っていないが、国際的な条約合意文書により関係を回復した以上、このことを基礎にすべきだ」と提起。平和条約締結後の歯舞群島と色丹島の日本への引き渡しを明記した56年の「日ソ共同宣言」を原点に協議すべきだと主張した。

これに対し、ゴルバチョフ氏は「(ソ連は共同宣言で)日本との関係正常化のために歩み寄り、二つの島を返そうという立場を取った。これは一つのチャンスだった。善意を示したが日本は受け入れなかった。日本は四つの島を返せと言っている」と反論した。

ただ、この発言に続けて「何とか何かを考え出さねばならない。お互いにどうすればよいのか、もう一度考えてみなければいけない」とも指摘。当時のソ連は領土問題について「存在しない」との立場を堅持していたが、ゴルバチョフ氏は日ソ間で問題解決の方策を再考する必要性を示した。

2019年12月25日10時08分
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019122500239&;g=pol
https://www.jiji.com/news2/kiji_photos/201912/20191224at60S_p.jpg
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■ソ連側から北方領土解決模索も…外交文書きょう公開

外務省が25日に公開した外交文書で、1988年に中曽根元総理大臣が当時のソビエトのゴルバチョフ書記長との会談でソビエト側から北方領土問題の解決を模索する姿勢が示されていたことが分かりました。

外務省は作成から30年以上が経過した外交文書の一部を25日に公開しました。そのなかで、1988年の2時間40分にも及ぶ中曽根氏とゴルバチョフ氏の会談内容が明らかにされ、当時、北方領土の問題は存在しないとしていたソビエト側に中曽根氏は「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡す」と明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎にすべきだと主張しました。それに対してゴルバチョフ氏は「ソビエトは歩み寄り、2島を返そうとの立場を取った」「しかし、日本は4島の返還を要求した」と述べて日本側の対応を批判しました。ただ、そのうえで「何とか、何かを考え出さねばならない」とも述べて領土問題解決の必要性を示していました。

2019/12/25 10:34 テレ朝ニュース
https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000172456.html