【京都】91歳の銭湯店主「胸に刺さる」閉店あいさつが話題 張り紙につづられた人生にファン惜別
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呉竹湯の閉店を知らせる張り紙。店主の上谷さん自身の来歴も交えたあいさつ文に哀感が漂う(京都市伏見区)
昭和から平成を経て京都・伏見の下町で長く愛されてきた銭湯が、令和元年の暮れを最後にその歴史に幕を下ろす。91歳の名物店主が64年にわたり経営してきたが、体の衰えや設備の老朽化もあり、店じまいを決めた。店先に張られた「閉店のお知らせ」には、利用者への感謝とともに、銭湯経営に至るまでの店主の人生もつづられており、ファンがツイッターで「心意気がにじみ出ている」「胸に刺さる」と名残惜しさを募らせている。
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京阪電鉄の丹波橋駅と伏見桃山駅のほぼ中間にある「呉竹湯」(京都市伏見区)。タイル張りの浴槽やオレンジ色を帯びた照明などが、昭和レトロの雰囲気を醸している。何より目を引くのは、男女の浴場を仕切る壁に描かれた風景画。緑が生い茂る渓谷の間を大河がとうとうと流れるダイナミックな構図だ。
「私が下絵を描いたんや。サウナを出たら視界がさーっと開けるようにした」。店主の上谷昭さん(91)が胸を張った。
上谷さんが以前の所有者から呉竹湯を買い取り、経営するようになったのは戦後間もない1955年。そこに至るまでにさまざまな転機や苦労があったからだろう。手塩にかけた店について語る言葉から誇らしい気持ちが伝わってくる。
上谷さんは1928年、石川県加賀市の農家の次男に生まれた。尋常高等小学校を卒業した時期は太平洋戦争まっただ中。まず軍需工場で働いたが、愛国心に駆られて15歳で海軍に志願した。終戦前は特攻兵器の潜航艇「海龍」の操縦訓練に明け暮れていたという。
「もし戦争が続いていたら、特攻していたやろうな」
終戦後は北海道の知床に渡り、サケやマスの漁に従事した。その後、先に京都の銭湯で働いていた親戚に声を掛けられ、伏見区の別の銭湯に住み込んで風呂たきの仕事に従事するようになった。
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呉竹湯の外観(京都市伏見区)
「当時の石川県民には、京都や大阪に出て風呂屋を営む人が多かったんや。人手を集めるために親戚を呼ぶこともあった」
7年後に結婚。ほどなくして呉竹湯を引き継いで独立開業し、妻と二人三脚で店を切り盛りする日々が始まった。高度成長期まっただ中の67年には、敷地内にあった借家を改修し、念願の店舗拡張を果たした。
毎日夜遅くまで働く傍ら、新聞で気になる言葉を見つけては大学ノートに書き写すことを習慣にし、時には利用者に人生訓として授けた。書もたしなみ、万葉仮名の作品を展覧会に出品するほどの腕前に上達した。
還暦や古希を過ぎ、80代に入っても、大きな病気をすることもなく元気に働き続けてきた上谷さん。「100歳までやると思っていた」。しかし、90歳を過ぎて以降、腰痛に悩まされるなど、急激に体の衰えを感じるようになった。長年連れ添った妻も昨春亡くなった。ボイラーなどの設備や建物の経年劣化が進んでいることもあり、今年11月、仕事を手伝う長女に閉店の決意を伝えた。
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さっそく張り紙で告知することにしたが、ただ単に閉店を知らせるだけでは味気ない。惜別の念を込めた筆致で「ホットする反面淋しい気持ちでいっぱいです(原文ママ)」とつづり、「私の歩いてきた道」と題して生まれ育ちや職歴も書き添えた。
今なおかくしゃくとしている上谷さん。長く働き続けてこられた秘けつを聞くと「気は長く、心はまるく、腹立てず」「感謝の気持ちを忘れないこと」とモットーを語り、こう付け加えた。「簡単なようでいて、それが難しい」
2019.12.25(Wed) まいどなニュース
https://maidonanews.jp/article/12987465 近所の銭湯に釜ジイそっくりのお爺さんがいたんだが、もう亡くなっちゃったかなあ。ちょっと行って来ようか 公的な役割を果たした軍歴を誇りにしてるのは分かる
百姓からすれば軍のシゴキよりも実家が辛い場合も多いし スパ銭があれば町の銭湯は要らん
サウナ→水風呂→サウナ→水風呂を繰り返した後、
宴会場でキンキンに冷えたビールをしこたま呑んで
仮眠室で爆睡するのが至福の時
たまにホモに襲われるリスクはあるが、快適な空間だ おまいらも誰かの胸に刺さる
人生を送れるといいな。 読めないと言ってる人がいるのでくずし字かと思ってみたら、まったくふつうの書体だった。 引き継ぐ人はいなかったのかね
よくあるのが突然マンション開発業者に買われるパターンだな
大金が入ってくるんだからそりゃ魂を売るよな 丹波橋にあるのか
藤森には軍人湯という銭湯があったなぁ >>21
そら子沢山農家の長男以外はよそで生活せな
今と違って冬場の仕事もねえしな 町の銭湯は風情は感じるけど行きたいとは思わないんだよな >>9
何も知らずにハッテン場に指定されてる銭湯に行ってしまったことがあって、やばかった。 >>53
機器と建物が老朽化しててどの道引き継いだところで大金かかるし
それなら最初から自分で好きな土地買ってやるだろ
まぁここが馬鹿みたいに儲けてるってんならまた話は別だけど
近所の住人相手にほそぼそとやってるようなところを引き継ぐような猿はいねえわ >>53
おっと猿の為に追記しておくとこの爺さんが猿って話じゃないからな
猿はそれすら理解出来ないからほんと面倒だな
こうやって書かないと理解出来ないもんな かなり重労働だからな。番台で座ってるのは仮の姿だ。 >>1
>>22
> 閉店のお知らせ!!
> 本年12月引日を以って閉店致します
> 長い間の御愛浴(64年2か月)誠に有難く
> 厚く御礼申し上げます
> ・経営者の老化、91才
> ・機器類の傷み、ボイラー等
> ・建物の老朽化
> ・ホットする反面淋しい気持ちでいっぱいです
>
> 私の歩いて来た道
> ・石川県加賀市農家の二男 ・小学校卒業後、軍需工場へ
> ・海軍生活 ・北海道知床半島ウトロで漁業(鮭等)ランプ生活
> ・フロヤの修業七年、現在の地で64年2か月
> 呉竹湯
> 御客様 >>25
今より需要があるのはもちろん、運営に人手がいるしな
廃材を燃やしやすいようカットしたりなんだの >>53
継ぎたくて継ぐ人がいればいいが大変だぜ
深夜0時までやるとして、そこから掃除だのなんだのやったら寝るのは二時とか
食事だって夫婦でもバラバラに食ったり
子供がリーマンになりたいっていうなら止められんわ。まあ、子供いるか知らんけど >>30
稼業じゃなくて修行かな
あとは合ってると思う
ランプ生活ってのがよく分からんけど ランプ生活という言葉はたぶん昔からあるが、電気が来てないからランプで暮らすってことよ。 せめて11月26日にやめるべきだろ?仕方ないからあと1年だな >>75
今は逆にランプの宿なんてのがウリ文句になったりするもんな
軍や工場で当時の最新設備に触れてたから、北海道の僻地でのランプ生活は印象深くてこういう文章になったんだろうな 客商売してきたんだから字を崩さす読みやすいようにする努力ぐらいしろよ >>77
そうかもしらんな。そしてランプ生活なら、風呂もドラム缶風呂かもしれん。
入るときは蓋を沈めてその上に乗るらしいが、それがけっこう不安定らしいんだ。
お湯も何人か入れば濁ってヌルヌル。いまじゃとても許容されないだろう。 こういう風に有終の美が飾れるのは立派だね。
近所の銭湯が潰れる時は最後経営者の精神がやられていたのか
客がいるうちに消灯していた、一度それに遭遇してビックリした。
そのあとすぐ更地になっていたから、色々失って無敵の人状態だったのかも。 こういう爺さんは仕事辞めるとポックリ逝く人が多いんよな...
なんか趣味でも見つけて悠々暮らして欲しいわ >>60
軍人湯懐かしいな
学生時代にお世話になったわ 銭湯で転んで胸にブラシか何かが突き刺さったのかと思ったので、頭を冷やすために散歩してくる >>6
そんな奴らばかりになるんだから惨めもでもなんでもない >>26
あったぞ
うちの近所の銭湯でもロケしてた >>50
この書いてある歳で特攻隊に駆り出されたのは予科練に行った人だけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています