【地域】江戸時代から境界争いを続けてきた、未確定の市境がようやく確定。広島県
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https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-512880/
江戸時代からはっきりしていなかった広島県三次市三和町と安芸高田市甲田町の境界が、確定する見通しとなった。
両市議会での手続きが終わり、来年3月頃にも決まる。これで県内すべての市町の境界が確定するが、
「令和の時代になっても、自治体の境界があいまいなままだったなんて」と驚く声も出ている。
三次市などによると、市境が確定していなかったのは、両市にまたがる大土(おおづち)山(標高約800メートル)の北側
約3キロにわたる地域。一帯は日本庭園に適した石材の産地として知られ、両町の住民が土地の所有をそれぞれ主張していた。
1990年に旧三和町が旧甲田町の地権者でつくる上小原共有地を相手取り、採石などの中止を求める仮処分申請を
広島地裁に申し立て、上小原共有地側が採石しないことで和解した。
その後、県が境界のあっせんに入ったが、旧甲田町側が受け入れず、旧三和町が境界の確定などを求めて提訴。
2001年に広島高裁が旧三和町側の主張を支持する判決を出した。
今年10月、三次市と上小原共有地の住民が、判決で確定した境界で合意。ようやく決着にいたった。
旧三和町と旧甲田町は元々、備後と安芸に分かれ、江戸時代中期頃から、土地の境界を巡ってたびたび争いが起き、
代官に訴えるなどしてきた歴史があるという。
旧甲田町の上小原共有地の総代長を務める佐々木隆昭さん(82)は「先祖代々の山林を守ってきたが、
今の時代なら境界をはっきりさせるのは、当然だろう」と話し、三次市財産管理課も「長年の懸案が解決に進み、
ほっとしている」としている。
あいまいだった市境が確定する地域
https://news.nifty.com/cms_image/news/domestic/12213-512880/thumb-12213-512880-domestic.jpg 自分で金出して購入した土地じゃないのに何だコイツら ねえねえ、ものすごく根本的なことを聞きたいんだけど、
自治体の境界って、どうやって定義してるの? >>1
おれは江戸時代から地元に住んでるけど
そんな話聞いたことないぞ。 山林を守り育てるか、山林を切り崩して採石して手っ取り早くカネにするか、という争いか >>7
そろそろ死んだ事に気付いて成仏した方がいいぞ。 そんな争いをやってる場合か?
その前に限界集落の心配をしろよ >>5
基本となる地方自治法では「従来の区域による」となっていて
今までの歴史的経緯で決まった区域ということになっている。
だから、法律で新しく区域を画定したり、変更することはない。 安芸高田は、長州は毛利領やったからアベが悪いで解決かな? だからいずれにしろ醸す?醸されてる気色悪さは関連ついたら突き出してもいいレベルだけどな >>16
いや、そうじゃなくて、あの曲線とかになってる奴の根拠になるらは何によるのかと
アメリカの州境とかで
経度線とか緯度線になってる奴は、 「緯度経度いくついくつからいくついくつの線」って定義できるけど、
曲線の境界線とかなんて、何が根拠になるのかと >>18
ほんとだ、飯豊山辺りの県境の奇妙さは珍しいね。 >>18
あれは明治中期に東蒲原郡を福島県から新潟県に移管する際、福島県が「飯豊山は飯豊山神社の
境内地で福島県の山だ」と主張してそれが認められたことによる
飯豊山山頂まで通じる幅約1メートルの登山道が山頂共々福島県に帰属した
>>21
だから昔からの慣習
昔からそうだったからというのが理由 >>21
川や山などの自然地形
市街地が連続しているようなところは、近世以前の境界による。
今は市街地が連続しているように場所については、今はそう見えてもかつては集落がはっきりわかれていた
それぞれの集落が江戸時代からどこの領主に属するエリアかで境界線が決まった
無論、江戸時代でも境界線を巡る争いはあった >>21
日本に限らず古い地域の境界は川とかの自然境界だよ >>22
あそこは飯豊山絡みだけど、他にもあるよな
全村飛び地の北山村とか
あれは、紀伊国を分割した際、熊野川より東、北山川より南の土地を三重県、とたけ決めたのが理由
どうやら明治政府の役人が、あの辺りの大和国と紀伊国の国境は北山川に沿ってると思い込んでいたらしく、
実際には違ったので、三重県に属さない紀伊国の区域ができてしまった
元々の大和国はあそこまで広くはなかったぽいのだが、十津川郷士支配地域は税金がかからなかったとかで
江戸時代に支配地を広げてて、いつの間にか十津川郷士支配地域が一部北山川に接していたらしい
で、この地域を和歌山県にしたので、飛び地が完成した、と >>24
税金の入り方が変わる
明治になって境界争いが勃発した十和田湖が有名
なぜ明治かと言うと、元々は全域盛岡藩領だったのが、明治になって青森県と秋田県に分割されたから
(鹿角郡は秋田県に編入)
境界か決まらなかったので、面積基準で算定される地方交付税の配分が境界未定地域分配分されなかった >>16
もともとは、当事者が自由に自然的事物の山や川を基準に、木、建物
の位置、縄で囲むなどして決めたものを後で公的機関が認証したもの
だが認証するときには絵図を提出させたり境界杭を打ったりしたが
基本的には当事者任せ。江戸時代までは人の移動は制限されていた
ので入会地などの村同士の問題はあったが個人間はほとんどなかった。
川が流れを変えるなどすれば問題が生じていた。 >>21
全て直線で座標が取ってあるよ
曲線に見えるのも字図を拡大すれば短い直線だから
知りたいのはそういうことだよね? >>4
こういう場合何らかの事業が始まる際
工事許可を出す自治体側にある程度利益がある
要は、工事許可は出す
その際の道路の選定などにも口を出す
しかるに駐車場はどこそこでとか
事業者が使う労働者の数だけ金を落とす人がその地域に増える
零細自治体の場合これが死活問題になるから
なかなかどうして一度係争になったら妥結できない >>5
田園地帯なら田んぼの持ち主の居住地で決まる
だから田んぼの真ん中に隣の集落や町の人が持ってる田んぼがポツンとあるとそこだけ飛び地になる https://backnumber.daily portalz.jp/2015/08/26/a/img/pc/02.jpg
アホな事をするために命懸けで剣が峰を通るアホw
https://backnumber.daily portalz.jp/2015/08/26/a/img/pc/16.jpg >>35
地権者の話してるんだろ
お前のオナニー解説聞いてるんじゃねえよww >>35
こんな風に、早口で自分の語りたいことを、しかも間違って解説するのって、普段、誰も話を聞いてくれないんだろうなw >>36
伊丹空港とかな。兵庫県伊丹市と大阪府豊中市、大阪府池田市が入り組んでるな。 >>43
大阪伊丹空港だっけ?
伊丹っていつから大阪になったのかとw >>39
そもそも地権者がいたとして
地権者に境を決める権利もないのではないか >>21
アメリカの州の境目ができたのは
緯度や経度が定義されてからだけど
日本なんて律令制度ができたころから
国、郡、村の境界を決め始めてるんだから
「昔からの習慣・慣習」ということ。 >>6
八合目から上は浅間神社の所有地だから、静岡県ですぞ。 >>44
大阪国際空港 通称:伊丹空港な。
あのへんは県境・村境ってのもあって昔から「飛び地」が多かったんだよ。
昔は必要に応じて、一人の人が山の中と平地と川の近くにそれぞれ土地をバラバラに持ってるなんてことが当たり前だったから「飛び地」が各地に無数にあった。 >>47
八合目から上は浅間神社の所有地だから決まってません。 >>43-44
大阪空港は兵庫県伊丹市、大阪府豊中市、池田市にあって
滑走路の大半は伊丹市側にあるが
空港ターミナルビルは豊中市側(一部伊丹市と池田市も含む)
にあるので大阪空港の所在地は大阪府豊中市蛍池西町になってる
そのため大阪空港の最寄り駅も豊中市側にある 備後って岡山の領地だろ
これは広島と岡山で一度話し合う必要があるな 昔は広島弁で互いに出入りやってたんかいのう
下手なヤクザの抗争より怖かったんじゃ 県境じゃないけど、
お呼びじゃないけど(´・ω・`)
関空も三市町の区画だよね。 富士山山頂県境問題
山梨県は現在の県境を延長して半分づつにしましょうと提案しているが
静岡県の言い分は
そもそも富士山は山頂はおろか
全部静岡のものである
山頂を半分寄越せとか有り得ないし
これが静岡思想 >>50
いやそんな単純じゃなくぐちゃぐちゃになってるだろあそこの市境線 >>47
神社が持ってると静岡県になる理屈がわからない。 >>48
まああそこは元々どちらも同じ摂津国だったから特にな >>59
富士宮の浅間神社が静岡県だろ、富士山頂のはそこの奥宮。
宗教法人の管理が都道府県単位になっていて、境界線上にあると両方に属するなんて出来なくてきっちり分割してそれぞれにとかあるのよ。 >>54
陸上の市町境をそのまま延長して3つに分かれました、ってバカみたいな話ね。
カネ目にはねるのはわかるけど、直接行けないやつらは欲張ってないで自重しろと申し上げたい。 >>52
備後は広島県だw
福山藩が昔、備中にもまたがってたし、岡山と思い込んでも不思議ではないかもだが >>55
飯豊山山頂はその理屈で福島県になったわけで
必ずしも荒唐無稽な主張ではない 県境と言えば
山形県福島県新潟県の県境
すごいなんてもんじゃないよ
想像の4個くらい上 >>45
奈良時代以前に決められた国境や郡境はそうだが、村境はどうでも
なった。たとえば、水田が主のA村があって、山の地域に日常の生活
に必要な薪炭、日常道具の作製、果物補給のため入会地を持っていた。
新田開発でその一部がA新田村として独立するとき、村民墓地や
村の有力一族の神社がその区域内だと自由に参拝できないので
当然、参拝道とその施設はA村飛地として残ることは常だった。 >>65
日本一番の山と無名の山を一緒にしますか? >>62
ねえよ。法人の主たる事務所が静岡県にあって境内建物の一部が山梨県にある、って話になったら、
所轄庁が静岡県から文部科学省(文化庁)に移るって行政手続き上の問題だけで、宗教法人を県ごとに分割する必要もなにもない。 >>28
だから、
川の流れの真ん中を境界にしたとことかもあるけど、一度そこと決めたら、川の流れが変わっても変わらないじゃん
(町田と相模原のとこの境川とか、現在の川の流れに再度境界を変更するとことかはあるけど)
それがどこに書いてある何でその線が定義されるのかってこと。
自分ちの土地なんかは、境界票の現物とそれを結ぶ線が境界だけど、
地図に書いてある
あのもっともらしい境界線は何によるのかと。 とりあえず峠の一番高いとこだったけど
木を切ってそのときの作業でやら大雨で崩れたので変わった
今度は石切り出したのでまた同じように頂点が動いちゃった
ってとこだっけ >>27
「みんな」は決して「誰でも」ではない
メンバーでなければ利用権はない
だからこそ里山を維持することができたのだ 入会(いりあい)権は入会権でまたそれはそれだよね。 >>52
吉備国があまりにも強大なので手前から、備前、備中、備後と
分割し、備前は都に近くてまだ問題と思い、奈良時代になり
分割し、美作国をおいた。明治になり、備前、備中、美作が
岡山県、備後は広島県になった。 >>21
あんまり緯度経度でぴったりやると「ポイントロバーツ」みたいな事になる。 >>21
緯度経度にしたって地べたに目盛り切ってあるわけじゃないから、本質は一緒じゃないのかね。 これって採石業が退潮してるから目くじら立てて争う必要性がなくなってということ? 広島藩と三次藩の戦いなのか
三次藩なき後の広島藩と新田藩 平成の大合併で合併しなかったんだ、どちらの自治体も金持ちなのか >>82
合併したから三和町が三次市になって、甲田町が安芸高田市になったのよ >>71
地方自治法の従来の区域というのはその法律ができたときの区域
です。この区域というの明治期の町村制が基準になっていて、たと
えば、境川が改修される以前の境川の流れが法律の区域です。
そのままだと、不都合が生じるので住民の意見を聞いて境界を
現実に合わせるべく審議会などで画定しています。
不便だけど、住所を変えてほしくないという住民がいれば事実上
できません。時々、今でも境川関連の境界変更は官報に載っています。
境川に限らず、ニュウタウン開発にともなう境界変更はよくあります。 昔の西ベルリンって東ドイツにあったけど、流通とかどうしてたんだろう
空輸じゃ限界あるよね >>87
ソ連にベルリン封鎖されたから西ベルリンには空輸で物資を届けてたんだな >>40
これは面白いね。
茨城の下の方に利根川の向こうにある土地があるけどあれは川の流れが後から変わっちゃったんだろうな。郵便屋が混乱しそうだ。 >>1
お膝元の東京湾だって決まっていないのではないのか?
あれは真南腺か斜め線かで千葉ともめているのではないのか?
ちなみに神奈川県もこの論争に参戦しているのではないのか? >>21
昔は道か水路だな
変な境界線は区画整理される前は道だったとか、
住宅地の道路に面してない裏側に協会が続いてたりすると、実は暗渠だったとか >>5
昔の村境だよ。
第一が、明治の町村合併のときの区域。
第二が、昭和の合併のときの区域。
明治は、その時の「村」ごとに小学校を作ったからね。
その前は、江戸時代の「村」今の「大字」。
なんで線引きが必要で重要かというと、ムラごとに共有の山を持っていたから。
今でも「財産区」とかで共有してる。
植林をしたり、茅場だったり、まさにムラの共有財産であり、水利もからんでとても重要だった。
西日本だけかもしれんけど。古くからそうだね。
だから、西日本には、お殿様の森はあんまりないし、国有林も少ない。 >>21
ムラの境界は主には川と山だね。
山は、分水嶺が境目で、川は当時の川。
大規模な河川工事をやったりすると、反対側に取り残される部分とか出てくる。
家がなきゃ、たぶんそのままが多いだろう。
ムラごと取り残されたりすると、町村合併の時とかにくっついた側に入ることもあったらしい。
旧律令国とか郡が変わるのは好まれなかったみたいだな。
特に歴史のある地域は。
そういう意味で、大きな川ほど取り残されが多い。
白川郷なんか、水系も普段のつながりも富山なんだから、富山県でも良かったはずなんだよな。
奈良県と三重の境に、飛び地として和歌山の北山村があるが、川が交通路で新宮との交流が深かった
からそれを望んだらしい。三重じゃだめだったのか >>1
日本が大陸にあって異民族と接していたら、古来より戦争や抗争の
連続で、今のようなお花畑の国民にはなっていなかったってことじゃね? 奈良盆地の地図は面白い。
多分、相当昔に「ムラ」が出来てたはず。
わりと四角が多いんだが、たまにぐちゃぐちゃのところがある。
どうやら、奈良時代以降に川や田んぼや水路まで動くような大きな地震で土地の境目が
まっすぐじゃなくなったっぽい。
恐るべし地震! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています