「大喪の礼」7年前に極秘準備 昭和天皇逝去、弔問外交を想定―外務省記録

 1989年2月24日に行われた昭和天皇の「大喪の礼」をめぐり、外務省がその7年前の82年、天皇逝去に向けた準備を始め、宮内庁と極秘に協議していたことが分かった。ケネディ米大統領(国葬63年11月)、チトー・ユーゴスラビア大統領(同80年5月)らのケースを参考とすることにし、これらの葬儀を調査。「弔問外交」の展開を想定していた。外務省外交史料館がこのほど秘密指定を解除した「昭和天皇大喪の礼」に関する記録で明らかになった。
【解説】大喪の礼

 外務省儀典官室は83年2月15日の極秘文書で「陛下(昭和天皇)の崩御うんぬんは、事柄の性質上軽々に口にしたり、とり上げたりすべき問題ではないが、陛下は既に82歳に近いご年齢であるし、万一かかる事態が発生しても当省としてスムーズに対処できるように所要の準備を進めておくことは事務的には必要」と記した。

 同文書によると、西田誠哉儀典長の指示で、82年秋ごろからごく少数の間で作業を開始。外務省出身の安倍勲式部官長らとともに、同年12月初めに勝山亮宮内庁審議官と協議を行った。
 勝山氏はその際、「まだ具体的なことはほとんど決まっていない」とした上で、「前例を参考とした私見」と前置きし、陛下逝去の際には皇室典範の規定に基づき「大喪の礼」を行うとし、国葬になるとの見通しを示した。「大正天皇の時の例にならう」とも述べた。

 同年12月8日作成の外務省文書では「宮内庁の方針が決定しない限り、準備不可能なもの」として「外国人参列者を受け入れるか否か」を挙げ、早期の方針決定を求めた。その上で決定すれば「弔問外交(対皇族、総理、外相らとのアポイントメント)の調整」が予定されると記した。
 しかし、実際にはそれに先立つ82年6月、宮内庁は外務省に対し、在英、西ドイツ、フランス、ユーゴの各公館長宛てに、当該国元首の葬儀の内容について調査を依頼。外務省儀典官室では、英国のジョージ6世、スウェーデン国王、現職大統領で死去したケネディ、チトーの国葬を調査するとともに、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、大平正芳といった歴代首相の葬儀も参考にすることにした。
 「天皇陛下崩御の際の体制」と題した儀典官室作成(83年4月12日)の文書では、80年7月にカーター米大統領や華国鋒中国首相らが参列した大平氏の内閣・自民党合同葬儀を参考に、外国要人の送迎、宿舎、警備など受け入れ体制を具体的に定めた。
 実際の大喪の礼では、ブッシュ(父)米大統領ら164カ国の外国代表らが参列し、史上最大規模(当時)の葬儀となった。

古装束の皇宮護衛官に担がれる葱華輦(昭和天皇の霊きゅうのこし)=1989年2月24日、東京・新宿御苑
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2019年12月29日07時23分