地道に努力をすれば、せめて自分の親と同じくらいには落ち着いた生活を送れる大人になれると思っていたのに、気付けば色々なことがうまくいっていない。そんなわだかまりを抱えさせられた30〜40代の就職氷河期世代に対し、まだやり直せるという期待をこめて「しくじり世代」と名付けたのは、近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏。日野氏が今回、取り上げるのは、地元の図書館で非正規の司書として働く43歳男性だ。大学卒業後、本に関わる仕事をしたいと様々な職を経ながら、一貫して学歴にこだわる43歳の本音をレポートする。
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「僕は大学受験の勝者だったはずです。いまの時代に生まれてたら大企業も公務員も思うがままのはずだったのに、生まれた時代だけでこんな目に遭うのってあんまりじゃないですか?」
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 君野直也さん(仮名・43歳)は酔いが回ってきたのか、いい感じに愚痴りだした。新宿の筆者が贔屓にする飲み屋、君野さんとは彼がある編集プロダクションに勤めていた時代に何度か来ている。
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「とにかく本が好きなんです。本に関わる仕事がしたかった」
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 君野さんは編プロに務める前は書店員をしていた。編プロは1年で退職、現在は某市立図書館で長年、1年更新の非正規司書をしている。
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「大学卒業時は就職氷河期真っ只中でした。私のように国公立(大学)を出ている人でも就職浪人や非正規職、あまりに理想とかけ離れた会社などに就職せざるを得ない状況でした。悪夢の始まりです」
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 北関東の名門公立高校に入学した君野さんは人一倍勉強家だ。何時間勉強しても苦にならなかったし、勉強が楽しかったと言う。その意味ではがんばり屋さんである。
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「小中と学年で上位でした。うちは母子家庭で裕福ではなかったから、私立なんて行けない。高校受験は滑り止めの私立も受けましたが学費のいらない特待生としてでした。でもそこは地元でも評判の悪い私立高校で、近所で自転車が盗まれればまず疑われて校内の自転車置き場を捜索されるような学校です。絶対行きたくなかった。意地でも公立高校に合格しようと努力しました。母親も金が無いなりに応援してくれました」


内申点も良かったのだろう。努力の甲斐あって見事に名門公立高校に合格する。しかしそこで待ち受けたのは県内から選りすぐられた秀才たちだ。
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「1年の中間テストで早くも打ちのめされました。努力でやっとの私と、努力でもっと上に余裕で行ける連中、さらに努力せずともトップを競う連中との差です。思い知らされましたね」
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 それでも君野さんはめげること無くコツコツと勉強を続けて挽回、学年で中位を維持し続けた。
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「家が狭い団地だったので、勉強は図書館でした。広くてエアコンもある。うちはエアコンありませんでしたから、夏は快適でした」
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 そこで出会ったのが読書の楽しみだった。勉強も兼ねて一石二鳥だった。
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「小説をたくさん読みました。とくに好きだったのは歴史小説。司馬遼太郎とか吉川英治とか、当時流行ってた津本陽や城山三郎なんかも読んでました。それから漠然と本に携わる仕事がしたいと思い始めました」
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 君野さんの大学受験は1993年度、ピークは過ぎたとはいえ今とは比べ物にならない倍率の激戦時代だ。
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「本当は文系3教科ならもっと上の私大に行けたと思いますが、うちはとにかく金が無かった。奨学金も考えましたが勉強を優先したいので、地元の国公立大学を受験し、現役で合格しました」
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 学歴を語るときは“国公立”と“現役”を常に強調する君野さんだが、進学したのは地元の公立大学である。嘘は言ってないしそれでもたいしたものだが引っかかる。確かに大学名を言っても地元の人か大学に詳しい人でないと知らないマイナー公立大だ。
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「お金さえあれば早稲田の社学(社会学部)や人科(人間科学部)、二文(第二文学部、現在は廃止)なら受かったでしょうね。MARCH(※マーチ、明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の頭文字から)も学部を選ばなければ余裕でしょう。でもお金がなかったし、国公立のほうが地元では評価が高いですから」
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 大学受験と縁のなかった筆者にすれば拝聴するしかないが、40歳も過ぎてこういう話を聞かされるのは違和感だ。取材関係なく、彼は以前も大学受験やランキングの話をした。

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12/30(月) 16:00配信  全文はソース元で
NEWSポストセブン
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