0001みなみ ★
2020/01/10(金) 21:12:58.62ID:pWPg8ZU89https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200110-00218004-lettucec-life
「あの悲劇の女性」の生涯とは
数多くの武将が登場し、一般的にも気の高い戦国時代。この時代、悲劇的な最期を遂げたキリシタン女性として有名なのが細川ガラシャです。
世間的には「かわいそうな女性」というイメージで通っているかと思いますが、詳しい生涯を知っている人は少ないでしょう。
短い生涯の間に幾度も逆境に見舞われながら、誇りを守り抜いた女性・細川ガラシャについて紹介しましょう。
細川ガラシャは、織田信長の重臣・明智光秀の娘として生まれました。ガラシャは洗礼名(キリスト教徒としての名前)で、本名は「玉子」といいます。
1578年、玉子は信長の家臣である細川藤孝(ふじたか)の長男・忠興(ただおき)と結婚しました。明智光秀の若い頃は不明なことが多く、実力でのし上がった成り上がり者です。
一方、細川藤孝は由緒ある名門武家の一員。対照的な両家ですが、途中から信長の家臣になった「中途採用組」なのが共通点でした。「家臣同士の結束を強めよう」と考えた信長が、忠興と玉子の結婚を世話したのです。この時、二人はともに数えで15歳でした。
玉子は絶世の美女で、琴や笛の演奏が上手だったそうです。文化人でもあった忠興は、玉子をとても大切にしました。
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