【訃報】戦艦大和の元乗組員、八杉康夫さん死去 92歳
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八杉康夫さん92歳(やすぎ・やすお=元戦艦大和乗組員)11日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去。葬儀は営んだ。
広島県福山市生まれ。旧海軍に志願したのち17歳で乗り込んだ戦艦大和が、米軍による1945年4月の攻撃で沈没。広島県呉市の特殊部隊に配属され、同8月の広島原爆投下直後は救護活動のため入市被爆した。戦後は福山市に戻り、楽器の調律事務所を営む傍ら「戦艦大和語り部ネットワーク」を設立。各地で講演した。
毎日新聞 2020年1月14日 22時42分
https://mainichi.jp/articles/20200114/k00/00m/060/315000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/01/14/20200114k0000m060316000p/9.jpg プラモデルで10個以上作ってる
全てプレゼントしたりして手元にはない この人はまがりなりにも実際の敵と対峙して戦闘したけれども
敵と出会う前に病死とか餓死の方々が大勢… もし戦争が無かったとしたら
建造された数年後に機密解除されて存在が明らかになり
長門と陸奥に替わって連合艦隊の顔になっていたのかな 17歳で大和、原爆か。
そして戦後70年生きたのか、
いろんな時代を見たんだな
お疲れ様でした 死んだ乗組員の魂を背負った半生だったと思う みなさんのお陰で日本は成長できました 感謝と共にご冥福を 大和特攻して沖縄も占領されても戦争継続してたんだよな
無能過ぎだわ 八杉康夫さんは色んな所で見るけど素晴らしい人格者だよ
ご冥福をお祈りします。
ただ砲弾よりモチ・・・ >>1 この人、NHKBSでやってた大和関連番組内で証言してたね。
語り方が、素人じゃなくて「元アナウンサー」って感じで、とても印象に残ってる。 こうして戦争を実際に知る世代がまた一人消えていく、お疲れ様でした >>1 広島県呉市の特殊部隊 どんな事する部隊だったのか 興味あるw
ご冥福をお祈りします この人達が勇敢だったから今5chが出来るワケだからな
勇敢じゃ無かったら内戦や恨みで永遠に虚栄心だけの中身のない国に成っていただろうな 波動エネルギーを武器に転用した日本人って最悪だよね 昭和2年生まれだったのですね 戦友と再会を果たしたかな お疲れさまでした 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。 太平洋戦争戦艦大和の乗組員だっていうだけで驚き感激です。
安らかにお眠りください。仲間のほとんどが戦死した中、
日本が平和に発展したことを見届けられただけでも良かったと思います。 >>34
今読むと、「いや、大和って聞く前に海軍だったって聞いた時点で
直立不動になれよ」って思うよな
名もろくに知られてないようなショボい艦の船乗りだって、
海軍の大先輩ってことには変わらないんだからさ
あァ世の中が不寛容になったって言われるわけだ、小理屈ばっかり覚えちまった 只のヤンキーの的でヤ的やで
戦争公狂事業の犠牲者、お疲れ様ですた 戦艦武蔵の乗組員が武蔵沈没後に受けた仕打ちを知って日本軍てマジでクソだったんだなって思った >>44
信濃なんか手抜きの欠陥品を知りすぎた工員ごと
わざわざ沖合いに出して沈めさせたからなw
超ド級のクズですわw >>19
起工 1937年
進水 1940年
開戦 1941年
もし戦争を回避できていたら、
という仮定は成り立つよ >>44
戦艦陸奥の生き残りも口封じで武蔵の生き残りと共にフィリピンで陸戦隊にされて最前線に送られて大半が戦死 本郷和人
太平洋戦争の失敗は、第一の兵力、第二の装備を支える国力で、圧倒的にアメリカにかなわないことがわかっているのに、
第二の装備を零戦や戦艦大和などの一点豪華主義で突破し、あとは奇襲などの戦術と、日本国民へのプロパガンダ=思想戦で乗り切ってしまおうと考えたことにあると思います。 >>51
だったらどうすればいいと本郷さんは言うんだろうな? >>28
撃沈された艦艇の生存乗組員は機密保持のために一箇所に集められる
呉だと横瀬島の補充分隊で待機
その後は陸戦隊じゃないかな
ソースは同伴駆逐艦磯風乗組員であった柴田芳三の手記だけど 映画やドキュメンタリー。。。映像媒体に引っ張りだこの晩年だった。。。
お疲れさまでした、 >>34
「何に乗っておられたのだ」
「雑役船です」
「ふーん」 超生々しい話される生き証人だったよな
ご冥福をお祈りいたします うちのじーちゃんは大正生まれで戦争のときは子供もいるからって陸に戻されたって言ってたな
南方への輸送船に乗ってたとか
ちゃんと聞けばよかった
父方のじーちゃんなんて陸軍だったけどとーちゃんが子供の頃に死んじゃってなんも聞けとらん
そんなじーちゃんが愛読していたのが朝日新聞だった(笑)戦前から読み続けてたのかな? >>47
誰がアーチャーフィッシュに連絡したんだ? 生まれ変わるのなら次は戦争の無い時代に
ありがとうございました 昔大和特集の番組で最後の瞬間を熱っぽく語っていた
英霊の語り部だよ
冥福をお祈り申し上げます >>42
俺もこのコピペ見るたびそう思うわ
漁船徴用の特設艦だったらどうだっていうのだ
フーンとかなるのか 艦長席(真上)と第三艦橋(真下) ふっふっふ 脆いものよのう 八杉君が亡くなったか
彼は2番高角砲の指揮担当だったかな?優秀な男だったよ彼は。
海底よりご冥福を祈る 御冥福をお祈りします。
あの大和の乗組員が今まで存命だったことに驚き。
俺が生まれるたった二十年前の事だったんだなあ…不思議な感覚 >>14
祖父が大和に乗っていたとかウソをつきまくるんだろうな、あいつら ん?
この文章からしたら挙手礼っぽいけど海自は帽子なくても挙手礼するの? >>34
ん?
この文章からしたら挙手礼っぽいけど海自は帽子なくても挙手礼するの? >>30
アメリカが規格を作り中国で製造したパソコンでアメリカ製のOSを動かして、
アメリカが主導して出来たネットワークにつないでお前らがやってる5ちゃんねると大和がどう関係があるんだ? うちの爺ちゃんは中国戦線で
同僚が手榴弾の安全ピン抜けてる事知らずに
ドカッと座って自爆事故死した、と言う話聞いたな。
下半身が無くなっててな、簡単に死が訪れる
戦場にいることを確信したと話してくれたよ。 >>34
「何に乗っておられたのだ」
「間宮です」
だとどうなる? >>22
> 何に乗っておられたのだ?
>>1のスレタイぐらい嫁www
コピペの振りにしてもだw そういえば、俺が子供の頃(四十年以上前)は
初詣に行くと足のない傷痍軍人さん?が物乞いしてるのを良く見た記憶が…
それほど昔の話じゃないんだよね… お疲れ様でございました。
あの世で戦友とゆっくりお話をして下さい。 >>87
平成初頭まではいた覚えがある
梅田のガード下とか そういえばオレのじいちゃん、海軍軍人で戦艦霧島に乗艦してたわ
昭和8年から12年頃がそうで、その後は駆逐艦涼風に乗ってる
大戦時、20年頃、最後は補給輸送船でマニラ辺りで戦死してる
100歳超えて今でも元気なばあちゃんに霧島のこと聞いたら
「死んだじいちゃんが乗ってたなぁ、霧島の事聞いたことがあるけど軍事機密だからってあんまり教えてくれんやったなぁ」
って言ってたわ 大和の一番てっぺんの戦闘箇所に配置されてた人でした。 >>66
俺も親父の昔話を真剣に聞けば良かったと思う 貴重な資料だよな
母親から目の前の海で軽空母の訓練が行われていたという話は聞いている >>16
一般の人は知らなかったらしいよ
新聞に載るわけでもないし
軍港周辺の人くらいでしょ >>97
上で書いたが訓練とかする地域の人は知っていただろうな 母は軽空母の名前をはっきり覚えていた >>66
そうなの?
うちのじいちゃんは子どもがいても掃海船に乗っていたけどね
あまり戦争の事を話さなかったから、父親とじいちゃんの話を付き合わしてもおぼろげな感じ
父親はじいちゃんが中国と日本を行き来していたのは知らなかったと言っていた(父親は戦後生まれの末っ子)
ばあちゃんは大阪大空襲を子ども三人連れてくぐり抜けた強者だけど >>98
大和型戦艦は軍機で国民に知られていないという話なんじゃないの
軍縮条約失効前に建造された軍艦はむしろ国民に広く知られていただろう
進水式には各界から広く来賓を招き絵葉書まで配ってたという その軽空母もその頃の艦なんじゃないか >>20
アメリカが原爆完成するまで終戦条件を吊り上げておたから仕方ない 特攻に行って生きて戻ったら銃殺じゃなかった?
戦争末期だから軍法裁判も行われなくなってたのか もしも沖縄まで来れたとして何処に座礁するつもりだったんだろう
那覇軍港かな? 沖縄特攻、3300人乗っていて、生存者が285人か
午後零時半から空襲が始まったが、何とかしのいで夜まで持てば
夜食は「汁粉」とお触れがあったようだ
夜食を食えるようなら空襲は乗り切ったのだから翌朝までには
沖縄近海に迫れる
作戦は成功だと思われた
だが、現実は熾烈な空襲の前に午後二時過ぎに横転大爆発轟沈 制空権がなくなるのわかってたんだし
最初から沖縄に座礁しとけばよかったのに たとえ撃沈されていなかったとしても
戦後米軍に接収されて様々な兵器の実験で
実弾撃ち込まれて沈んでいただろうな 俺も戦争の時代に生まれたかった
この方は幸せ者だったな
希望は戦争 実は軍人に向いているという人には気の毒だがしゃあない。 >>1
戦犯なのに処刑してないから日本は戦犯国家だと世界中から嫌われてるのに じいちゃんも呉で原爆見たって言ってたな。
4月の特攻の時に家族を支えないといけないものは降りろって命令で大和を降ろされて、一生、それを引きずってた。いつも酒を飲んで酔ってた記憶しかない。
大和に乗ってたから事実上呉で監禁だったのかな。
終戦も呉で迎えてるから。
婆ちゃんにも話さなかった、戦争や、大和の話を俺にだけしてくれて、すごく影響を受けて今がある。 この人インタビュー受けた時は元気そうだったのにな
語れる人がどんどん居なくなってしまう 一般には長門で大和は全然知られてなかったそうだね
というのも当時の小学生の女の子は男の子たちが長門の話はするけど大和の名を言ってるの聞いたことが
なかったから…だと
女の子って男子の話聞いてるんだなぁ >>122
大和が航行する時は窓閉めてカーテンもして絶対に海を見るなって軍から達しがあったって婆ちゃんが言ってたな
コッソリ見たら見た事もないデカい軍艦が通ってあれが大和だと思うって言ってたな >>68
帝国日本海軍
ってなんだ?
も少し色々な本を読んだ方がいいよ。 >>122
先日亡くなった大叔母(大正生まれ)がうちに遊びに来た時に
戦艦長門のプラモを見せたら一発で艦名を当ててたな うちの母親から日露戦争に行った人から聞いた話を聞かされたわ。そんな昔の話じゃないんだなと >>132
サザエさんの波平さんが日露戦争帰りだもんな >>133
原作だとマスオさんとノリスケがビルマ帰りの復員兵なんだっけか 近所の戦争がえりのじいさんに手のひらサイズのほうしょう見せたら
戦艦大和と間違えたぞ >>1
>ニュース速
>番号 タイトル
>130 【訃報】戦艦大和の元乗組員、死去92歳
>131 自宅で女児を4回強姦した海自隊員(44)を逮捕
順番ヒドス >>50
プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの生き残りも戦争が終結するまで母国に帰れな
かった。 >>79
大和は呉鎮守府所属なので同艦に乗り組んだ水兵は中国、関西、中部地方出身が占め
ている。 >>120
うちのじいちゃんも呉で終戦むかえてた、戦友の人かな?同じ海軍だし 大和で驚くのは戦艦大和が沈んだ後先代の大和が沈んでいるというのがなかなか珍しい 先代武蔵は武蔵ができる前に廃船でこっちが普通だろう >>47
ネタだろうけど信濃が沈むときには工員も退去させられてるぞ
艦長が「工員は先に退避させる」と決心して「工員は退去」と命令を出したら
それがいつの間にか伝言ゲームで「総員退去」に代わり
工員以外の乗員も飛行甲板へ退去を開始した
結果的にこれが信濃乗員の生存率を高めたとも言われている 死んだうちのひいじいさんが、戦艦はいいよなあと言ってたわ。
大和と一緒の駆逐艦にのってて、戦闘機の鉄砲だけで穴だらけに沈められそうになったと言ったわ。
雪風っていう駆逐艦。 >>143
雪風は沈められそうになったことすら無い筈だけどな
坊ノ岬のロケット弾は不発だったし >>124
作り話とは思えないリアルな生き証人の語りに思った。
なぜか当時のその風景が浮かんでちょっぴり感動した。 >>132
旦那の実家は代々軍人だったけど、戦死したら家族が路頭に迷うからと
現役軍人を退いてから結婚するような晩婚家庭なもので、
旦那のジッチャは、日露戦争の騎馬隊だった。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の秋山好古の部下だったと聞いて、椅子から落ちるほど驚いた。 小学校の時、「わしはヤマトに乗ってたんだ」と言い張る先生がいたんだけど、母さんが子供の頃もその先生そう言い張ってたって。
一つ違うのは、母さんの世代はその話信じてたって。 寝坊して大和に乗れなかった
というおじさんを小さい頃
父に紹介してもらったことがあったが
そんな話はありえるのだろうか?
もう父も鬼籍に入り確かめる術もない >>120
婆ちゃんは呉の軍事工場に駆り出されてたけど
何してたんやろ >>134
しかもマスオはPTSDで廃人同然なトコロを磯野家に拾われた 大和と武蔵が極秘だった頃は
戦艦の順番は五七調で決まっていた
陸奥長門 扶桑山城 伊勢日向
金剛榛名 比叡霧島
〇〇の二文字は むつ、いせ
〇〇〇〇の四文字は やましろ、こんごう、きりしま
残りは〇〇〇の三文字
〇〇+〇〇〇 五文字
〇〇〇〇+〇〇〇 七文字 >>155
それじゃ武蔵じゃダメじゃん
土佐とか上野とかにしないと語呂が悪い >>74
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>87
今は再開発できらびやかになったけど、渋谷の歩道橋でも良く見かけた。 あの状況から生還するなんて
ご冥福を御祈りします。 まあ大和元乗組員のステータスの高さやな
南方送られて飢餓と病気と敵に苦しみながら終戦迎えて今亡くなってもニュースになることはなかっただろう
敵の戦艦や空母一隻も沈没させてない戦艦なのにな 確かこの方だと思う、呉の大和ミュージアムで講演聴いた。
寂しいね。 お疲れ様でございました
某ニュースでお聞かせ頂いた数々のお話、、に刻みます 普段好戦的とか批判されるサイドが常識的な事を言い
人権だのいのちがどうたら言うサイドが、眉を顰めるレベルの罵詈雑言
ってのがこの手のスレですね しかし人の運命はわからんよな
同じ大和の乗り組みでも頭の上にいつ爆弾が落ちてくるかわからんところで戦ってた人たちが生き残り
機関科みたいな艦の奥深くにいた人たちがみんな死んじゃったんだもんな 船は沈む場合上甲板や構造物に居る人の方が逃げ出しやすいから
機関科や4分隊とかは逃げ遅れて一緒に沈んでまとめて戦死する >>143
戦中通して殆ど被弾もなく、戦死もかなり少なかった雪風が沈められそうになっただと? >>149
出撃する艦に乗り遅れると後発航期の罪に問われ軍法会議にかけられ銃殺刑に処せ
られます。 >>176
乗り遅れは意図に関わらず、戦時なら敵前逃亡と見なされて銃殺だろね >>177
ジェンキンス氏も解放された時にそれを一番恐れていたからね。 しかし、空を埋め尽くすようなアメリカの大戦闘機部隊が
近づいて来るのを見るとか、どんだけって話だわな
俺ならションベンちびって戦闘が始まる前にこっそり救命具点けて
海へ飛び込むわ
こんなことで死んでたまるか >>134
早稲田出のインパール参加者ってことは出身どこなんやろ >>179
上空に味方の戦闘機を一機も待機させずに丸裸で送り出した無能海軍 >>179
飛び込むのはいいけど、艦隊運動やら爆発やらの波に巻き込まれて確実に溺れ死ぬやろ >>180
所属した師団が判れば良いけど士官だとすると転勤があるからなあ。 >>181
直掩機をつけてどうにかなるとも思えんが菊水一号作戦と呼応しての突入なんだから直掩機ぐらい幾らでもつけられたと思うがなんで裸で出したのだろうね >>184
常時張り付ける機体を仮に30機としたら少なくとも100機の零戦が必要なので無理。
それでも大和が対空戦闘中を知った五航艦から零戦が向ったが現場に着いた時は
大和が沈没した後だった。
そこで戦果確認残っていた米軍機を撃墜したがその中には戦闘をムービー撮影
していた機体も含まれていた >>184
敵雷撃機なんかを撃墜まで深追いする必要はなく、適当に火箭を引いて敵照準を
妨害するだけでも、格段に命中率は低下するものなのだから、本気で大和を沖縄まで
行かせる気があったなら30機でも50機でも揃えて直掩をやればよかったと思うが
航空特攻の単なる囮、位にしか考えずに軽視したのかな
アメリカも沖縄沿岸にいた戦艦部隊はコロラド級以前の旧式ばかり
高速の新戦艦は全て機動部隊の護衛に付けていて、大和とやり合う水上戦力には
組み込まれなかった。それでもディーヨ少将の戦艦群は一時は大和との合戦への
指名に熱狂したという ニミッツもスプルーアンスも日本海軍最後の突撃には戦艦には戦艦を持って対処したい
という気持ちがあった。尊敬する東郷元帥へのせめてものはなむけと、敬意の表れであった。
そこでディーヨに対して、対大和の合戦を指示したのであった。
たが、航空戦力を預かるミッチャーは、何としても最後のビッグモンスターは航空戦力で
沈めるしかないと心に誓っていた。それまで、比叡、霧島、扶桑、山城は水上戦力で、
金剛は潜水艦で。レイテでも伊勢、日向を逃してしまい、あろうことか武蔵撃沈の功績も
潜水艦によるものという説が出る始末。確実に航空戦力だけで沈めた戦艦はなかったことに
ミッチャーは焦っていた。そこで有名な Will you take them or shall I ? という電文を
上官のスプルーアンスに送った。ちょうど佐世保回航を匂わす航路変更をしたところで
あったので、さしものスプルーアンスも You take them. という短い命令を出さざるを
得なくなった。 >>120
亡くなられた八杉さんは大和特攻の後、陸戦隊に編入されて本土決戦の準備に従事していたけど
装備も人員も話にならないレベルの質量だったそうだ >>155
七草みたいだな
せりなずな ごぎょうはこべら ほとけのざ
すずなすずしろ はるのななくさ >>111だけど
この人の家にはミニ映画館があって
よく近所の子供集めてはアニメの上映会してた
家の庭に1/2スケールのデカいゼロ戦のモデルも飾ってた
とにかく優しいおっちゃんだったわ >>160
ひゅうが、いせ、いずも、かが のエレベーター? >>165
長門が旗艦だけどほぼ同格だからな
乗組員も早く戦場に向かいたいとうずうずしていたらしいとか >>194
うちのじいちゃん五体満足だけど、恩給貰ってたよ
結構額は良かったみたいだけど なぜ船と運命を共にせず、これほど長く生き恥を晒すことができたのか… 縁あって生き残れたのだし、責めるなよ
語り部もいないとダメだと思う >>199
大和唯一の方位盤射手(引き金引き)だった村田氏は海に投げ出された後
近づいてきた味方駆逐艦を敵と間違えて自沈しようともがいているうちに
意思に反してロープをつかんでしまい捕虜の生き恥が脳裏を過ぎって必至に重油を飲み込んだそうだ
人間ままならないもんだよ
世話をしてくれた兵に重油臭い下痢便ぶちまけて恐縮しきりという落ちまでついちゃった 航海士補「艦長! 自分もお供します」
艦長 「ばかもの! 若い者は泳げ。艦と運命を共にするのは自分だけで良い」 >>199
水兵が船と沈む伝統など日本海軍はもとよりどの国の海軍にだって無いわ 日本は生き残った艦長に明日は無いからな(例:赤城艦長青木大佐)
しょうがないから一緒に沈もうか、となるけど
アメリカは大概不問。普通に次の艦を与えられているようだ
艦を沈めて軍法会議にかかったのは、重巡インディアナポリスの
チャールズ・マクベイ大佐ただ一人。(有罪判決で後に拳銃自殺)
この件はアメリカ海軍上層部のミスであってマクベイ大佐に責任は
ないと、今は定まっている。 大和も武蔵も設備がやたら豪華で実戦向きじゃなかった。
海洋に鎮座した乗組員のオアシスとしての存在・・。 >>42
おれもいつも思うけど、特攻して沈んだ船だからってのもあるんだろうと思うことにしている >>209
美化が過ぎるな米国だって状況次第で冷遇する
あまり目立たないのは被害甚大なときには戦死もするしそれでなくても人事のやりくりが難しかっただけだろ
インディアナポリスの件は勝利に水を注すような事件だから不幸だった >>122
まぁ戦歴が全く違うし、そもそも大和は極秘事項だったからね。 >>199
うちの爺さんは上官から「海へ飛び込め」と言われて飛び込んで生きて帰ってきたよ。
助けたのは米軍だけど。 >>210
大和魂かよ
兵員の環境を良くするのは合理的なことだから批判は当らない
大和型で批判があるのは長官室などの調度が不必要に華美だったのではないか?というのと
舷側窓が廃止されず防御上の弱点になっていたこと 誰も返事くれへん(´・ω・`)ショボーン
大和→呉市の特殊部隊→楽器の調律てことでソナー?
>>212 軍艦の楽しみと言えば食うことで
食事は万事良かったようだ
戦艦ともなると幹部の昼食は軍楽隊の演奏付きとかで
フルコースの洋食をいただいていたようだ
ニューギニアから打ち合わせで来艦し、ボロボロの姿で乗艦した辻正信は
大和の豪華な食事に腰を抜かしたという >>218
軍艦の食糧事情がよかったのは事実だけど
楽隊は戦況が良かった緒戦の山本長官向けのサービスだったし
辻の件も山本長官の指示によるご馳走
ちなみに黄金仮面は辻の不遜な態度に追い返せと怒り心頭だった >>217
しらんがな
陸上勤務だからソナーじゃないだろ
対空聴音とかか? >>219
山本五十六は、世評とは裏腹に、人を見る眼が無いよな。
あるいは、わかっていても人情社会の軍隊では冷徹にできなかったのか。
後者であってもやはりダメ。 >>218
戦時中も食事に困ってないのは、海軍だけでなく陸軍だって同じ。
戦争中も日本の食糧食材は最優先で軍にまわされてた。
陸軍の南方の最前線だけが、補給無能のため餓死続出。
あと、辻政信の言うことに何か信憑性があるように書くのは、愚か者に見えるのでやめたほうがいい。 >>34
コレが作り話だと知った時に恥ずかしかった 米海軍の提督たちも、戦艦の主砲どうしの砲戦に心情的には思い入れがあったわけで。
もしそうなっていたら、大和無敵の神話が今に残らなかったと思う。
実際アイオワ級とやったらコテンパンに負けてた。
大和は、アメリカ命中精度の悪い主砲の口径でかいだけ。アイオワ級より射程が長いといったって、相手の射程外となる40キロとかの遠距離で、大和の主砲が快速のアイオワ級戦艦に命中するわけもなくww
かたや米海軍はレーダー射撃可能。 >>222
上級士官だから批評の切り口はいろいろあるけど
山本に限らず売国的に知米あるいは国際派と自他ともに認める(東郷外相とか)連中は
その実外国の実情にまったく明るくなかったという日本の外交オンチを体現した無能であった >>225
当時の米側レーダー射撃の有効射程は20km程度に過ぎない
夜戦では恐るべき威力だけど40cm以上の大口径艦砲にとっては近すぎる昼戦なら光学照準のほうがマシだ
>快速のアイオワ級戦艦に命中するわけもなく
水上射撃を知らないで書いてるの丸分かり
アイオワ級も大和型も防御に設計上の欠点を抱えてるので砲数で圧倒的劣勢の大和が先制打撃をどの程度与えられるかだな >>227
だから米艦隊は日が暮れてから大和をコテンパンにするだけじゃないの? ミリオタの話は、夜は戦わない想定とか、そんな if ばかり。
仮定の条件をいくつでもつけていいなら、大和は無敵にもなるわww 宇宙戦艦ヤマトの最初のTV版だったか映画版だったか、
最後に「戦死者数○人」みたいに表示されてたと思うんだよね
沖田さんや古代・島・森みたいなメインキャラ以外にも多くの乗員がいて、
画面で見ている他にも顔も出てない多くの乗員が死んでるってそれでわかるんだけど、
この人も乗艦が大和でなけりゃ、有賀幸作以外の非メインキャラで終わったんだろうな >>231
米側に有利な状況で殴りあうって自分も勝手なifだろうに
米新型戦艦と大和が水上砲戦を交える可能性があったのは史実のサマール島沖海戦の前だけ
詳細は省くが昼戦になった可能性はある
if入れるならソロモン夜戦に大和が投入された可能性はあるが史実が示す通り近距離過ぎて米側圧倒的有利とはならない >>216
捷号作戦前に不沈対策として可燃物の撤去と舷窓閉塞は全艦が実施しているけど? >>225
大和迎撃に向ったのはデイヨ少将指揮の旧式戦艦10隻 >>198
じいちゃんが死んだのは30年前ぐらいかな?
母親がじいちゃんとばあちゃんを引き取って、じいちゃんの恩給が結構家計に助かったと言っていました。
私と兄がちょうど高校生と大学生の上、じいちゃんばあちゃんを引き取って介護して6人家族になっていたから
終戦時はじいちゃんが35歳で兵長していたと言っていました >>1
当時17歳ってことは志願兵だったんだろうな 16歳からだからな
16歳で戦争に行ったんだからな >>7
そういう戦病死の方々も含めて英霊。その人たちの国を護りたいという想いの上に生きていることに感謝しなければいけませんね >>219
陸軍の兵隊はどんなに死のうが飢えようが平気な宇垣たん >>189
いよいよになったら退艦命令出るから結構脱出はできる。だが艦の沈没に巻き込まれたり力尽きて沈んだりでかなりは死ぬ。その中からさらに友軍に救助されて助かる者は少ない。敵軍に助けられることはほぼない。日本は英軍助けあげてやったりしたがな。 >>237
うちの曾祖父さんの兄弟も志願で行ってたわ、南方で戦死したかと思ってたらヒョッコリ帰ってきてな。 >>199
バカが勘違いしてるけど日本海軍には「乗員(艦長)は艦と運命を共にしろ」なんて規則は無い
艦艇勤務員の規則にも「艦長は自艦が沈むときは重要物件の処理、御真影の移送、乗員の退避を指示・監督してから逃げろ」としか書いていない
しかし太平洋戦争中に艦は沈んだが艦長が生き残ったパターンで艦長が予備役送りにされた事例(赤城、比叡など)があり
それを見た他の艦長の間に「生き残っても冷や飯食いの海軍生活なら艦と一緒に死んだほうがマシ」って空気が生まれてしまった
(山本五十六は「経験豊富な艦長が死んでたらいつまで経っても戦争に勝てない」と言ってこの空気を牽制したと言われている)
ちなみに艦は沈んだが艦長も退艦して生還した例は結構ある 大和も総員退艦の命令は出たようだが、左舷への大傾斜を起こしていたこともあり
結局生き残ったのは航海要員や対空機銃要員など艦外に出やすい位置にいた人に
限られていたようだ。機関員等艦底からの脱出者は少ない。後に生存者の配置状況を
プロットしたところ、巨大な煙突付近が全くの空白となっていることが判明した。
巨大な空洞である煙突に吸い込まれた水流に飲み込まれたものと考えられている。
早めに海面に行きついた人は沈没30秒後に起きた大爆発での火炎で焼死したという。
ギリギリ生き残った人たちは、呼吸の続く限り海中にいて火炎を避け得た人たちだけと
いう偶然の重なりの末の生還だった。爆発の水圧もすごかったし、呼吸が続かねば
溺死しただろうし、本当に奇跡的に幸運な人たちだけが生き残れたという。 >>246
別の大和乗組員(坊ノ岬沖海戦から生還)の人の証言で
「大和が沈む時に煙突が海面に着いたらそこに吸い込まれる人間がたくさんいた。自分はその範囲からほんの数メートル離れてたので何とか助かった」ってのがあったな 当時は最新技術だったわけで今の日本は当時のものまねしかできないのか?
オナニーはいい加減にしろ >>246
逆に「海に引きずり込まれたが大和の爆発で海面に浮き上がれた」って生存者の証言もある
まさに人生紙一重や >>222
真珠湾の攻撃隊長だった淵田美津雄の自伝に逸話が残ってた気がするが
山本五十六の頭は抜群にキレてたみたいだぞ 艦長が艦と運命を共にするのは艦は天皇陛下からの預かり物であり
その責任も有ると思う >>205
航海士補なんて役職ないし、
海軍じゃ自分なんて言わせなかった
んだけどなあ。
あと10年もすると、とんでもない帝國海軍になっていそうだ。 >「戦艦大和語り部ネットワーク」+毎日新聞
なにかろくなこと話してないような気がする・・・ >>35
大和なんてほとんど役にたってないからなぁ
>>44
日本海軍って本当に糞だよ、
陸軍ばかり悪く言われてるけど。 大和は沈没する時点で完全に左舷を下に横倒し状態になったようだな
武蔵が四方八方から魚雷を受けて20本当たってもなかなか沈まなかったので
左舷に攻撃を集中したんだろう
軍板では、んなことはない。攻撃は普通に両舷に行われていて、命中が
左舷に偏ったのはたまたまの偶然だ、という結論だったようだが、疑わしい。
狙わんと左舷ばかりには当たらんだろう。右舷中央部に1本というのは
左傾を止められなかった大和側の苦肉の策でわざと当てたのではないか
という方が、余程信じられる
ただ、自由航行している敵艦への航空魚雷攻撃はどちらに舵を切っても命中が
期待できる、いわゆる挟み撃ち、両舷からの同時攻撃が鉄則であることも
事実ではあるのだが このおっさんこの前ヒストリーチャンネルの番組に出てた
1/10模型の大和の横を歩いてたわ >>265
山本五十六も井上成美も軍人と言うよりは教育者向きの人間だった気がする >>266
井上成美はともかく56は大蔵官僚の賀屋を殴って言うことを聞かせようとするカスだぞ。
即座に殴り返されてビビッたらしいがな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています