【戦国武将】前半生が謎…明智光秀出生地に新説、岐阜でなく滋賀?新たな古文書発見
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前半生が謎とされる戦国武将明智光秀の出生地について、滋賀県多賀町中央部の「佐目」と明記した1672(寛文12)年編さんの古文書「江侍聞伝録(ごうじもんでんろく)(禄)」が、県立図書館(大津市)で確認された。同様の記述は、同一著者とみられる貞享年間(1684〜88年)の「淡海温故録(おうみおんころく)」にもあるが、江侍聞伝録はそれより古く、調査をした県教育委員会の専門家は「成立年代がはっきり分かり、光秀の出生地を記した最も古い史料」と指摘している。
著者は木村重要(生没年不詳)で、佐目から十数キロ南西部に位置する近江国神崎郡(現在の滋賀県彦根、東近江市辺り)の人物とみられるという。江侍聞伝録は全2冊で、中世の近江国の土豪・地頭の家系を地域ごとに記している。
自筆とみられ、1冊目に、明智十左衛門という侍が濃州(美濃国)から佐目の里に逃れて来て2、3代が住み、出生年は不明ながら「光秀」が生まれたと書かれている。信仰すれば千人を従える大将になれるという大黒天を、千人では物足りないと捨てた野心家の一面をうかがわせるエピソードもある。その後に完成した温故録のベースになったとみられ、織田信長を討った本能寺の変(1582年)後、豊臣秀吉と戦った山崎の戦いで多くの近江の人々の加勢を得られた理由については、「江州生国」(近江で生まれた)とする。
光秀の出生地を巡っては、佐目の東に位置する美濃国(岐阜県)説がある。根拠とされ、安土桃山時代に活躍した立入宗継による覚書には、1579(天正7)年6月10日の出来事の一節に「美濃国住人ときの随分衆也 明智十兵衛尉」と記されている。光秀は当時、近江や丹波を拠点としており、「住人」は出身地を意味すると解釈されてきた。
しかし、県教委文化財保護課の井上優さんによると、当時の武将は生まれた土地だけでなく、先祖の所領地も出自と位置づけており、近しい人物でない限り、出生地までは知り得なかったという。その上で、「『住人』は、光秀の生まれた地域、光秀の先祖の所領地、土岐氏の所領地のどれを指すのか判然としない」と話す。
また、江侍聞伝録には、光秀の先祖の名は十左衛門という通称名のみ記されている。井上さんによると、当時は地位の高い人物でないと、諱(いみな)(元服時の正式な名前)が記録に残らない場合が多かったといい、「編さん時、通称名程度の情報しか伝わっていなかったのはかえってリアリティーがある。美濃出生説を見直す史料として意味がある」と注目している。
1/15(水) 11:09
京都新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00223555-kyt-l25
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200115-00223555-kyt-000-view.jpg あれどこやったかなぁどこの県やったかなぁ。思い出されへんわぁ。
これといった特徴がないねんなぁ
滋賀やないか!! <丶`∀´>オリンピック後に光秀朝鮮人説が出てくるニダよ。 済州島出身
明 光秀だってよw
(ミョン グァンチェ) 笑 織田信長が伊賀を攻めて
それから本能寺の変
伊賀衆との関係がいろいろ
言われている 滋賀だと三成明智の2大嫌われ武将の聖地で地元も困惑しねぇかな 義経がチンギス・ハーンになって光秀になって天海になって今は安倍なんだろ? 光秀が死んで100年もたってから書かれた書物じゃねーか。
信憑性は薄い。 >>1
1672(寛文12)年編さんの古文書「江侍聞伝録(ごうじもんでんろく)
光秀の死の90年後の古文書か。 NHKのニュースでは、光秀は医者だったという説もでてきて
早速大河の時代考証がおかしいことになってる 日本の歴史って曖昧だな
中国なんて三国志の時代から事細かに書物に記されてるのに >>18 滋賀はともかく、岐阜の歴史が全国的な注目を受けるのは、
ほとんど戦国オンリーになっちゃうけどな。
ただ、戦国人気が高いから、注目度が高くなってしまう。 光秀はおそらくAB型
その目線でみればいくつかの謎が解ける ソースがとにかく日本を滅茶苦茶にしたい京都新聞だからなあ >>15
出生がどうあれ
明智光秀の本拠地が坂本=滋賀大津市なのは既知の事実だから
困惑はしないよ >>21
それは取り入れてるから医者のマチャアキが出てるんだろ 麒麟が来るに期待してたんだが
主役から漂うモブ感が何ともwww >>31 こういう時期じゃないと、調査費用が出ないからじゃね? >>4
こういう時じゃないと調べる予算が出ないんでない? 天皇が天照大神の直系であるという主張より遥かに信ぴょう性はある
いい加減こんな嘘は止めてほしいと思わない? >>23
今だって安倍が公文書改竄して偽りの歴史教えてるだろ 光秀が信長を討ったのは私怨ではない。政治的見解のちがい。
信長は強力な中央集権を目論んだが、光秀は天皇と征夷大将軍が
統括する地方分権を望んだ。
勝者がスキャンダルで敗者を貶めるのは、歴史の常套。 >>32
それは信長が近江に安土城を築いたことで
重臣たちにも近江に城を築かせたからな
安土城の北には羽柴秀吉の長浜城もある ソロモン→ハンニバル→キリスト→義経→チンギス·ハン→光秀→ラス·プーチン→安倍総理 >>9
>>12
お前らこんな感じのまま死んでいくのか?
地方住み高卒ネトウヨ高齢者さんよ 俺もニートしてたから履歴書の前半分が謎ということになってんだよなぁ こんな有名人なのに謎に満ちた一族なんだな。子孫に名探偵もいるし。 女は三位以上しか叙位に関かれないから、諱は殆ど知られない。男は官位があれば残る。諱を隠すのは呪禁道の名残りなんだな。 海 湖は
古代の高速道路
滋賀 = 朝鮮
同じです ちょっと前の大河で、直虎に預けられたのが光秀の落胤っぽかったナ。 >>48
順番は坂本城→安土城だよ
坂本城建築の時に穴太衆をつかって成功したことから以後の建築に穴太衆を使うのが定番になったといわれる
織田家臣団は尾張美濃に複雑な縄張り関係を持ってるから
手柄を立てた有力家臣にまとまった土地を与えようとなるとこの時期は近江しかなく
結果的に有力家臣で近江を分割統治するみたいな形態になった 海 + 湖は
古代の高速道路
江戸中期まで 琵琶湖は日本海に接続していた
従って裕福な朝鮮人は 大津から上陸(入国)していたのである 岐阜県は濃姫の川口春菜を聖火ランナーにせず、
みやぞんを聖火ランナーした無能県 裕福な朝鮮人は 大津から上陸(入国)していたのである 洪水にあったり交通の拠点というか政情ごちゃごちゃするから
滋賀の東西敦賀間交通の筋以外は本当に田舎でなんにも無いから安定してたので静かに暮らせたので
竹中半兵衛みたいに隠居後はそっちで暮らしたいって流行あった >>1
>信仰すれば千人を従える大将になれるという
>大黒天を、千人では物足りないと捨てた野心家の
>一面をうかがわせるエピソードもある。
こういう罰当たりな事したから
あんな最期になる訳か おれぐらいになると卒論が本能寺だからね
真犯人もだいたい分析済み
光秀ではない
とだけここでは言っておこう >>15
三成嫌われてないし地元では愛されてる
こないだやってた好きな武将10位だし
古いのでは? それでも100年近くたっての資料じゃねえかよ
やっぱり信ぴょう性がねえわなぁ >>1
そんなことは、どうでもいい。
重要なのは、濃姫と一線を越えたかどうか。 生年がわかる人わからん人
月日までわかる人わからん人
で生家の格がわかる時代 直虎男説のときも100年近く後のよく分からない奴のメモ書きが根拠だったな 明智光秀のイケメン主人公化が成功したら、次は小早川秀秋で挑戦してほしい >>64
ああ、比叡山焼き討ちをしたときに実行部隊だった明智光秀に
焼き討ちした延暦寺の門前町・坂本を与えたからな
穴太衆は坂本土着で延暦寺の寺院建築に関わっていた石工集団
比叡山焼き討ちの頃にはまだ浅井が滅んでなかったので信長は岐阜にいた
浅井が滅んだ3年後には信長は安土城を着工、琵琶湖岸に重臣たちに城を築かせる
すでに構想はあったと思うがな 多賀と甲賀は遠くはない
甲賀忍者なんじゃないか、明智一族 この手の文書は自治体や大学の図書館に寄託されたままで整理されていない。それを偶然学芸員や研究者が資料探してる途中で見つけると「新発見」になる。 >>92
柳生は伊賀や甲賀と関係あったみたい。
時代劇で柳生の忍びなんて出るのはあながち
間違ってない。 学説では、 生まれは美濃国可児(かに) 郡明智荘 (岐阜県可児市) 中国みたいに御先祖様の生まれた土地を出身地と名乗ってたんじゃね?
曹操は洛陽産まれだけど予州出身とされていたしな。 >>1
/⌒ヽ
( ^ω^) 明智光秀は千利休として生き延びた?
/ >>23
日本の朝廷は、平安中期頃には国史編纂のやる気を喪っていた
平安末期には統治機関としての力も喪って、以降700年形骸状態 >>23
中国の清史を信じよと・・・? 政府公認の前政権記述を正しいとでも?
日本は外史など民間伝承記述が残り各種比較できるからマシな方だと思うよ。 >>99
大本教の出口王仁三郎がそんなこと言ってたみたいだけど、
千利休も後に豊臣秀吉に切腹させられたし、どうなんだろ 信長が全国制覇して仏教を滅ぼした異世界から、仏難を阻止するために転生した風磨小次郎だよ。 >>110
そもそも光秀の父親すら誰か分からんのだよ >>21
ただこの頃の医者って今と違って血に触れるから賤業扱いじゃない? 本能寺の変の数ヶ月前に信長に仕えて自分は幸せだという書状も見つかってるから長年の恨み説は否定されてるんだよな。
本能寺の変の直前に何があったのかが謎。 >>111
よくそんな奴を織田軍団の筆頭軍団長にしたよなwww
信長はサイコパスwwwww 重臣なのにどこの出身かもわからないなんて、適当だなあ >>1
滋賀は長浜城だ安土城だで大河ドラマに映るんだから
邪馬台国の旗色が悪い佐賀に譲ってやれ >>113
まあ、証拠に残る手紙ではそう書くだろうなとwww
魔が差したのかな?
下剋上の世の中で、天下人の信長とその跡継ぎが同時に手の届く距離にほとんど護衛も付けずに滞在していると。
「今しかない!」ってとっさに思っちゃったのかもね。 >>114
信長軍団は実力主義
木下藤吉郎こと豊臣秀吉も足軽階級からのしあがった まあ仕方ない
おれの研究のほんの序盤だけ教えようか
信長殺しは柴田勝家だよ
当時の信長配下の軍の動きを分析すると
柴田勝家しかあり得ない
また本能寺の何日か前に信長は茶会を開いているんだけど
茶会で茶釜をひっくり返して
信長の頭に熱湯をかけてるからね柴田勝家は
他にも森蘭丸を口説こうとしたり
草履を股間で温めたり
茶柱を立てた茶をぐい飲みしたり
柿を食べて腹を壊したり
めちゃくちゃだから柴田勝家は 大黒天てあれか川に流れてた大黒天を拾って捨てたやつか >>111
そうなのか。だが、織田家に仕えたのは濃の取り成しがあったとか >>120
マジレスすると、本能寺の数日前の柴田勝家は北陸で上杉軍と対陣中 父親の名も確定できない奴が、
名ばかり実権がない存在とはいえ足利将軍のそば近くに仕えていたというのも
変な話だよな。
土岐氏のそこそこ直系に近い血が流れてないとありえない話だとは思うのだけど。 江戸時代に書かれたファンタジー小説が歴史の証拠にされてるのけっこうありそう 光秀は浪人時代というか転々としてた関係でよく分からん時期が多いのは確か
史上稀に見るうっかりさん >>15
滋賀県民じゃないけどどっちも全然嫌いじゃないぞ
信長や秀吉が嫌い
だからって尾張が嫌いってこともない この人は八咫烏で元々は裏の家系だろう
大体戦国時代で半分出生不明はそれ 信長の野望海外版だと Viper of Mino とか Princess Noとかの表記で
面白いらしいw
キンカンはCitrusheadで出てくるのか?w >>128
京から逃げてきて一息ついたけど手下がぜんぜんいなくて誰でもいいからって募集したときの掘り出し物が光秀 光秀は在日、山崎の合戦は替え玉で、
本物はヌルハチになった。 菊丸が誰か
秀光説が濃厚だな
秀吉なら良かったのに
ずっとやりたがってたし
カピバラタカシに勝つには猿タカシだろ 戦国時代の事なんて大筋以外は想像の域を出ないからな
定期的に文献が発見されるけど真贋なんて永遠に分からない物が多い
明智光秀なんてフィクションの題材には最適だよね
よく分からんし 光秀の実績なんぞ信長に仕えてからと
信長殺した事だけなんだからどうでも良くね? 近江でも美濃でも、本貫は美濃で土岐の支流って大筋は変わらないのな。
これならどっちを採用してもあまり影響がなさそう。 >>146
明智って細川藤孝の中間だったて資料が残ってるらしいけどな。 >>149
細川も明智も足利と織田から給料もらってただろうな これだいぶ前に朝日新聞に載ってた記事と同じやん
麒麟がくるの開始に合わせてきたか まとめると >>1は
要するに、
もともとは明智の一族は美濃国に
住んでいたが、美濃国での内戦で
敗北側になり、2、3代前の明智の
オジイが滋賀の犬上山地山奥の
佐目(サメ)に落ち延びて、
そこに隠れ住むこと2、3代後に、
光秀が生まれた
と言いたいらしい >>128
土岐支流明智と木田流明智があるらしい
おそらく木田流明智くさい >>128
>名ばかり実権がない存在とはいえ足利将軍
になる前の話だから
兄将軍が暗殺されて自分も殺されるのは嫌じゃーと越前に逃亡した将軍家の血筋という立ち位置の頃
しかもそのころ側に仕えていたというのは大げさで、配下のリストの最下層の中に名前がギリギリあるレベル 土岐一族は幕府の近習として仕えてる連中多かったから明智光秀では珍しくないだろ。、 >>4
その方がマスコミが取り上げやすい
普段だと地方紙の隅っこで終わる 織田家の中では筆頭家老の佐久間信盛が
武田家を滅亡に追いやる、
智将の中の智将だった訳だが、
それが追放されて、
その役割が光秀に回って来たのは間違いない。
その中で、家康暗殺という謀略を任されて、
その役目を果たせず、
信長の暗殺でケリを付けたのが
本能寺の真相だろう。 不明だった光秀の前半生もようやく色々繋がってきたね
わかってるだけでも
・祖父の代に美濃から流れてきた近江出身者
・足利将軍家に足軽として仕官していた
・近江田中城籠城戦に医師として参加していた 光秀は列記とした明智家の跡継ぎである。
そうでなければ、足利の旧臣は明智に従って戦わない。
本能寺の変に従った家臣は名門ばかりだからな。 >>165
ほとんどがあくまで後世にそう書かれた史料もある程度であって判明したとは到底言い難いぞ 明智家が斎藤義龍に滅ぼされて流浪した際に、
近江で生き残るために近江出身だと言っていたのだろう。
そりゃ、美濃州に攻められた直後に、
落ち延びた明智光秀ですとは言えんからな。
基本的に、明智城が斎藤義龍に攻め滅ぼされたのは事実であり、
それが斎藤道三を攻め滅ぼした事に絡んでいる訳だから、
明智家が斎藤家の後ろ盾だったことは間違いない訳で、
明智家の娘が小見の方で、その斎藤道三との娘が帰蝶であり、
その縁者として信長に誘われている光秀が、
明智光綱の子供であることは間違いないことだろう。 佐久間信盛は謀略の達人であり、
おそらくは武田家の後は、
家康暗殺をターゲットにしたと考えられる。
信盛追放は、おそらくは家康をおびき寄せるための
罠ではなかったかと推測できる。
武田家を滅亡に追いやる程の智将が都でピンピンしてたら、
そら家康も警戒するからな。
それが、不意に死んでしまったので、
その謀略が、信長縁者の光秀に回ってきたのではないか。
そして、そこまでの知略を働かせることができず、
義を通すなら信長暗殺、
その後は足利幕府再興という流れになったのだろう。 昔のことなんて証拠も何も残ってないんだから大河なんて90%はフィクションだよ。
記録も写真も映像も何もかも残っていて実話90%の「いだてん」が例外なだけで。 山崎の合戦で、羽柴秀吉に討たれ死んだのは、光秀の影武者荒木山城守行信である。
光秀は荒木山城守の忠誠に深く感じての(深)で自分を荒深小五郎と名乗り西洞の寺の林間に
隠宅を建て、乙寿丸と共に住んでいた。
岐阜県山県市の荒深さんは明智の子孫。俺の婆ちゃんも荒深の人。
つまり、俺は明智光秀の直系の高貴な血筋。マジ誇らしい。 武儀川に「行徳岩」と名付けられた岩石があります。その昔、明智光秀の母が懐妊していた時
この岩に立って行水し、「もし男であったら、三日でも良いから天下を取るような立派な男の子を
もし女であったら、天下一の美女をお授け下さい」と祈ったと言う。
生まれたのも実は山県市。三日天下のエピソードもあるから本物。 >>4
ちうか大河やらんでもどういう訳か恒常的にぽろぽろ出てくる
物持ちがいいからなのか その貴重さをわからず保管されたままの資料は山のようにあるらしいよ。
専門家じゃなきゃ何が書いてあるかわからんからね。
ま、物持ち良いってのが正解でしょうw 150年前に産まれた人間について書かれた書籍なんて信憑性ゼロだろ >>128
元々細川藤孝家に仕えた居た中間だと言われているからな光秀は。
明智家は数代前に美濃から流れ着いて来た家だとも言われている。
三好と松永に義輝を攻め殺されて領地を失った藤孝が義昭を担ぎ出し信長に助力を求める使者として赴いて家臣になったってのが始まりらしい。
藤孝が光秀に味方しなかった訳だわ、光秀って野心家で間違いないわ。 本能寺前日
信長「おい、金柑頭!お前、経歴詐称してただろ!」 >>76
領民にとっては、大変いい殿様だったようだな。
これは明智光秀もそうだったようだが。 >>23
中国は前の王朝の歴史を次代の王朝が編纂したからな
それが正しいかどうかは別としてw
日本は万世一系の王朝が自称続いているのだから
中国パターンにはならないし
幕府は要はヤクザの統治機構なのだから
歴史なんか関心ない
せいぜい水戸光圀くらいだろw >>23
日本は細かいのが残りすぎてて
まとめられたものが無いんだよ
調査できてない資料がありすぎる というか比べてるものが違い過ぎるような
日本の天皇や将軍家クラスだとちゃんとした書物が残ってる
戦乱期に成り上がったやつの出自なんて中国もわかってないことの方が多い
劉備の出自なんて自称、関羽と張飛なんて出身地くらいしかわからん
演技の主人公クラスですらこれ 岐阜県土岐市って土岐氏と関係ある?
明智鉄道沿線あたりって明智光秀と関係あるの?
岐阜県庁とか大河専門の部署作って
明智グッズ制作して(菓子とか湯飲み)鼻息荒いんだけど
観光客増えるのか?
半分青いの時は恵那に観光客増えて五平がかなり売れたらしいけど・・ >>184
土岐に住んだ源氏の一派が土岐氏
その支流で明智に住んだ一族の末裔が光秀 まあ地域振興の一環として必死なんだろ(笑)
前半生不明の人物なんだから
逆に言えば、そこに関わりがあったと絡めるのに好都合な人物になるからな
なんだかチョンに似てきた(笑) なんで不明なんだろうな
豊臣政権にかき消されたなら徳川で見直されてると思うんだが >>159
明智小五郎の名前は明智光秀と桂小五郎からとられている
頭よさそうなイメージがあるから 山崎の戦いで明智に味方したのって阿閉以外に誰がいたっけ? >>188
普通に出世する前は雑魚だったからでしょ
秀吉も滝川一益もよくわかってない
戸籍とかがない戦国時代で成り上がったやつの成り上がる前の記録とか
要求すんのは無茶よ 「オカンが言うには、新幹線の駅が意味のない場所にあって・・・」
「岐阜やないか」
「インスタ映えスポットに若い女の子が殺到してるねん」
「岐阜と違うやないか」 >>114
そんなやつでも出世できるから、身分は低くても有能な人が信長のもとに集まった >>188
明智一族の中でも嫡流というわけでもないとかかな? >>197
怪しげなやつを取り立ててたから結果的に寝首をかかれた
一般にも名前が知られているような主要な戦国大名で家臣に殺された者は他にほとんどいない 著名な人でも前半生は不明とかあるからな
どうせあやふやなら振りきって花の慶次でもやれよと思うわ
どうせフィクションなんだしw 前半生が不明って親世代の親戚が誰も居なかったんだろ
明智光秀になってからも誰も頼って来ないなら出自は担保されず自称 本能寺の変はうつ病で判断力が鈍ってた説が一番現実的
真相は案外しょうもない
歴史上の人物だって現実の人間だからな >>201
多分、明智家とは何の関係もないと思うわ
しかし、出自不明の場合は
道三や秀吉のように苗字をコロコロ変えるのが当たり前の時代だったにもかかわらず
始終、明智姓を通したのがよく分からん。 >>205
朝廷より惟任(これとう)の姓を賜ったので惟任光秀ともいう
秀吉が書かせたやっつけてやったぜ回顧録も「惟任退治記」 光秀は敗残者でなく勝利者
目的の優先順位として
信長暗殺が第一位
あとの天下取りやらなんらやは
その下に目標設定した >>180
つか自分の安泰を考えたら、領民から憎まれるように持ってくような武将が無能だよなw
兵力動員数にも関係してくるし、攻められたときすぐ敵の味方しちゃうし。自分のためにも良くするのが普通だよな
そうじゃないとすぐ一揆おきるw >>195
岐阜にもインスタ映えするスポットくらいあるだろ
飛騨の合掌造りとか >>27
岐阜は名古屋寄り、滋賀は京都か大阪寄りだからね。 >>17
大正時代に亡くなった人物の事を今の時代の人間が書くようなものか >>15
石田三成や明智光秀は何でこうも好かれないのかね
パワハラ大名織田信長
織田家乗っ取り豊臣秀吉
豊臣家を虐め抜いた徳川家康
三英傑は人間性アレでも人気があるのに 明智光秀の前半生が不明なのは当たり前だ
俺が来年タイムスリップして明智光秀になるのだから >>201
前半生が不明、身分が低かったはずという割に、
光秀の娘、珠は名門細川家に正妻として嫁入りしているわけで。
>>178の言うように、光秀が本当に細川藤孝に仕えた中間扱いだったのなら、
古今伝授の継承者で文化人としても著名な細川藤孝(幽斎)の嫡男忠興との縁組なんて、家格的に
信長の斡旋があってもありえない。
側室ならわかるけど。
たしかに細川藤孝は細川氏の傍流の出だけれど、
傍流だからこそ嫡男に公家の名門の娘か、武家なら信長の娘あたりを
正室にもらうのが妥当なはず。
それを光秀の娘で良しとしたということは、明智氏が釣り合いが取れる家だったということになる。 >>224
家格を無視しまくった信長に対してそういうことを言い出すのは的外れ
単に信長の評価で光秀>藤孝がハッキリしてて
藤孝を光秀の与力につけてたから
元々は細川の方が名門だから〜とか言い出さんように誰に目にも見える形でマウントさせたんだろ >>140
影武者を使って卑怯者だったというのを
何か歴史系の文庫本で読んだことある >>220
勧善懲悪度は昔の方がひどいよw 今はけっこう多面的な見方や解説があるから三成や光秀好きも
いると思うな。忠臣蔵なんかもだいぶ見る角度が変わって来たしな。もはや吉良はそこまでヒールじゃないし >>224
信長の命で親戚になってる訳で昔の主が使用人に命令されてるのだから藤孝にしてみれば心中穏やかじゃないのを縁戚にすることで抑え込もうとしただけだろ。
信長にしてみれば光秀>>>藤孝って扱いなんだし。
豊臣秀吉と蜂須賀小六の関係に似てるんだろう、蜂須賀家も秀吉死後は家康に付いたしな。 >>224
光秀の娘の1人は、信長の甥の正妻だしな。
この事実をどう考えるかだが。 >>172>>173
↑これ地元民マジで信じてるからヤバい >>195
おっと、筑後船小屋駅の悪口はそこまでだ 叡山焼き討ちの首謀者は光秀らしいね
仏罰を恐れて躊躇する信長を恫喝するように描いたら面白いね
国盗り物語は大嘘 >>183
明の太祖は極貧農民の乞食坊主だったことはわかっているw
ほぼ同時代に農民出の秀吉が天下様になっているw >>235
そのレベルなら光秀も細川藤孝の中間やってたことがわかってる
光秀の前半生の謎っていうのは秀吉で言うと信長に仕えるまでや幼少期の記録がないっていうレベルの話
生まれた時から偉い人は生まれた時点からの記録がガッツリある >>236
秀吉は農民出といっても豪農出だろうて話だけどな
今の太閤記は徳川時代に作られたから
ことさら貧農扱いしているけどなw
ただ明の太祖の乞食坊主は本当よ
こいつが皇帝になったあと役人が
坊主を意味する言葉を書いただけで処刑されているからな 千代とか春日局とか至る所に出生地の記念碑見かけて混乱する。 >>220
関ヶ原で見れば西軍の方が人気あるだろう。 >>193
ああ適当なこと書くな
柴田家は織田家の妾腹の出だわ
まあ母親の身分が低いから織田をなれないだけで
要は織田一族w >>126
土岐源氏の子孫というのは
司馬遼太郎の創作というわけでもないんだな 当時は情報の流通が制限されていたんだから
出身ならともかく出生地なんて有名人以外わからないだろ 細川藤方は足利将軍の隠れ子説がある
その威光は藤方が攻められた時に天皇から勅使が飛び、戦を止めさせた位である
藤方が亡くなったら、誰が和歌を伝えるのか?
教養や血統だけでも別格だったのが細川だ >>245
ねえねえ、「ふじ『かた』」じゃなくて「ふじ『たか』」だよ 藤孝は細川の庶流
光秀は土岐の庶流
なんのおかしくもない >>34
あれはある意味当たり役。
世間じゃ「あの人があんなことをするなんて!」って効果を狙ってるよ。
今まで脇役でキラリと光る役者や絶対こいつやるわ、ってばかりの展開だから今回はモブ感マックスで行って欲しいw >>190
江戸川乱歩が光秀を哀れみそこから明智小五郎が誕生したのは結構有名。 光秀の末裔が著した本。謀反の動機は明智家を守るためだと。
信長が徳川家を滅ぼすのに動いてるのをみて、いずれは明智家も…と危惧したためだと。
これが一番説得力がある。 >>246
足利家、織田家と2重に給料を貰ってたのが明智と細川家だな >>252
堺での接待で何を話したかだな
光秀&秀吉&家康は何かが起きそうな不穏を感じてたし、知ってただろう。皇室もな。
いつ、起こるか?やるか?
が問題だった。 >>23
他国が石を削って書いていた時代から紙に文字を書いていたわけだし
アドバンテージがあった。その点は古代中国の凄いところ >>15
光秀は嫌われてるが、石田三成は人気ある
長浜や彦根について調べてみたら分かる 信長成敗したんだから圧倒的英雄なのにな。秀吉が優秀すぎたなw >>257
そのレベルなら光秀も亀岡とか丹波篠山とかで人気あるよ >>259
遠江、駿河、三河の三国を領有する
外様大名の存在を許しくおくわけがないよ >>262
信長は東国を重要視していない
(東国 関東は家康が江戸入りして天下様になったから
経済的地位があがったようなもの)
経済的にもあの当時だと後進国状態
単に武力で逆らってこない程度に押さえつけておけばよし程度
それには家康が手頃な駒w
信長は中国九州で次に海外に目を向けていただろうよw >>260
丹波笹山は滋賀じゃないから関係無いな
滋賀で人気の武将は誰かという話題だからな 滋賀で光秀ゆかりのゆかりの地というと坂本だけど、出来の良くない像があるだけで人気という感じはなかったな
他の武将ゆかりの地だとのぼりとかでアピールしてるもんだが 資料が見つかっても「大河でやるまでとっておけ」って。 あのさあ、この2ちょんの主成分である今日びネトウヨ板こと+板に蝟集している
自称愛国者のネトウヨってアラフォー以上のしょぼくれのおっさんじゃないっすかw
そのおっさんが人生の範とすべき乱世の奸物が明智惟任日向守じゃないんすか?www
なんつったって40になるまで何をしてたかわからないw
急に歴史に出てきたと思ったら足利幕府の要人になってて
それどころか幕臣兼織田家客分みたいな「それってどうなの?」な
おいしすぎる位置にいるわけでねw
そんで旧主君たる足利王朝滅亡に一役買い、
さらに織田家惣領信長公、嫡男信忠公をもホロンぼして
日本史に永久の美名(or悪名)を残しているわけでね。
これこそチミら40以前の足跡不明な
しょぼくれのおっさんの亀鑑であろうw 違うんけ?www >>263
>信長は東国を重要視していない
そおれはどおかなあwww
だってさ、さっきウリは信長公の嫡男、つまりはプリンスの信忠公の話したけど
この信忠公、なんてよばれてました? そう、秋田城介でしょ?www
秋田城介に補任したのが1575年、そして信長ってその翌年1576年に隠居してるんでね。
この秋田城介くんが織田家当主なんだよねwww
これが何を意味しているかとゆーのは浅学非才のウリにはわからんからw
スレの諸賢の意見を待ちたいが、少なくとも東国軽視はしてなかったと思うよ 光秀って公家出身じゃねえの?
そうじゃないと説明出来ない事が多すぎる 幽斎が本能寺の変の後光秀に味方しなかったのは「もともとうちの家来だった者にこれ以上ついていられるかってーの」という感情があったと思うの。 信長の安土城跡か秀吉の長浜城跡か光秀の坂本城跡どこに行こうかな >>264
光秀も湖西では人気があるんじゃないか?
滋賀じゃ湖西と湖東じゃ長野県北部と南部くらい文化的に離れているからな >>273
安土城跡はおすすめだけど
城下町なら長浜がダントツでオススメ 安土城跡は天守閣がないのが致命的だな
あれば年間の入場者数は軽く100万は行くのに >>278
内藤説の天主が残ってたらドル箱観光施設だよ
大吹き抜けだよ、大吹き抜け!
あと信長は天主に住んでたから現存天守の様な倉庫じゃなく高層御殿
たまりませんわ 安土城跡、何年か前の3月だったかまさかの雪の中登ったわ >>271
家系図不明な公家がいるわけないw
光秀は父親の名前すら一次史料で不明 >>279
天主以外の残った施設も解体されちゃってるんで
のぶおが天主燃やしてなくても安土天主が後世に残った可能性はかなり低い 関ケ原と米原の間でええやん
今でも大した集落ないしドラマなんて曖昧の方がフィクションで作り放題 >>265
光秀ゆかりの地は大概行ったけど坂本はがっかりだね。琵琶湖や比叡山の近くでとかわかるくらい。
亀山城は変なお祓いされて面白かった。 >>205
家康も変えてるよな
信長だけが最後まで織田
織田氏なんてたいした家柄でもないのに 三重県に安土城ホテルあるやん
泊まるとめっちゃ高いらしい >>287
織田の場合は名字は変えてないにしても、
藤原氏を称していたのに平氏を称するようになったってのはあるな。 長山城を追われて流浪の身になり、
近江で逃亡生活をおくる為、
近江出身と言うことにした。
コレが結論だな。 >>17
「成立年代がはっきり分かり、光秀の出生地を記した最も古い史料」と指摘している。
こう言ってるからな。
2時資料みたいなもんだったら古い資料もあったと思うけどな >>293
なんで100年も経ってたからそんなもん分かるの?
引用した史料を明記してないかぎり
妄想でしかないんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています