【ゴーン逃亡】日本の協力者の存在を示唆「協力者なしに脱出できると考えるのは幻想」 仏週刊誌に述べる
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ゴーン被告、日本の協力者の存在を示唆…仏週刊誌に
2020/01/16 23:28
https://www.yomiuri.co.jp/national/20200116-OYT1T50345
ゴーン被告逃亡
【パリ=作田総輝】中東レバノンに逃亡した日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告は、16日発売の仏週刊誌「パリマッチ」のインタビューで、「日本の協力者なしに脱出できると考えるのは幻想だ」と述べ、日本に逃亡を手助けした人物がいたことを示唆した。
逃亡の詳細は「私を助けた勇気ある人々を危険にさらすことになるので、語れない」と明かさなかったが、準備期間については「数か月間準備したという報道を耳にしたが、それは誤りだ。私は行動を起こすまで、ぐずぐず考えるタイプではない」と語った。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【トランプ大統領と弾劾裁判】
▪トランプ大統領の弾劾裁判中に
イラン・イラク、北朝鮮、他地域へ
日米で積極的、軍事行動が起こせなかった
▪下院が、フジテレビ&IT企業七社が敷く
黙示録=人類全滅構想を防いだ感がある
上院で否決後
各地で紛争を起こしつつ、第三次世界大戦を起こし
人類を絶滅させて行くと思われる
==
▪現在、日米が中国と仲良くしてるのは
積極的な先制攻撃が出来ないからである bv
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1217967144748478465
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
企業はゴーイングコンサーンを目指すのが宿命なので、
あくまで企業利益は、
製品サービス力やアフターケアも含めた営業力で叩き出すべき。
ところがゴーンがやったことといえば、
製品開発費や営業経費 ( 人件費も含む ) 、購買費を削って、
BSやPLといった机上の数値を修正しただけ。
結果、企業力そのものが損なわれてしまい、
ゴーン就任時はトヨタ並にあった日産売上高は、
今やホンダに抜かれるまでに凋落する始末( 苦笑 )
そんな逆境の中でも日産は、
電気自動車技術や自動運転システムを世界トップクラスに押し上げた。
すると今度はゴーンは、それらをルノーに譲渡しろと、と ( 怒り )
しかも!
ルノー ・ サムスンを通じて日産の先端技術が姦酷へ流出する恐れもあった! 怒り怒り怒り
( 尚、フランス政府の持ち株比率を15%から19・7%に上げた時、
ゴーンが猛反対したのは、
政府介入が強まると自分の悪事がバレるからだった )
86
(゚Д゚)ゴルァ ! 反日ヘイトしまくりのゴーン夫妻とバカサヨチョン ( 怒り )
実はフランスの刑事訴訟法は日本よか厳しくて、
事案が予審判事に渡ったら被疑者は3〜5年拘束されるだろ!
.
しかも、 ↓にあるように、
欧米では容疑者を起訴するのは検察の 「 義務 」 であり取り調べが厳しいのに対し、
日本は検察の 「 裁量まかせ 」 と甘い。
検挙後の有罪確定率にしたって、
日本はフランスと同等で9割程度。
逮捕に対する有罪率でみると日本は36%程と、
欧米と比べても至って普通!
心証はクロでも物証に欠け公判を維持できないなら 「 疑わしきは起訴せず 」 と、
至って公平公正明大だからた。
そーいう事実を知ってるくせに日本を差別国家だの人権蹂躙だのと反日ヘイトしまくる
ゴーン夫妻とバカサヨチョンは死ねよ! ( 怒り )
「 有罪率99% 」 という誤解 抜粋
http://agora-web.jp/archives/2043549.html
> ゴーンが日本の司法制度を 「 推定有罪だ 」 と批判しているが、
> 保釈条件を破って国外逃亡した犯罪者が司法を批判するのはお門違いである。
> こういうときよく引き合いに出される「 日本は有罪率99% 」 も誤解がある。
> 2018年に日本の地方裁判所で無罪になったのは105件。
> 刑事訴訟の総数 ( 併合を除く ) 49811件の中では、有罪率は99.8% ( 司法統計年報)。
.
> だがこれは 「 逮捕されたらすべて有罪になる 」 という意味ではない。 ← ★★★
.
> 警察が逮捕して送検した被疑者を検察が起訴する率は63%で、
> 有罪件数を逮捕件数で割ると国際的な平均に近い ( ジョンソン 『 アメリカ人のみた日本の検察制度 』 ) 。
> 多くの国では容疑者を起訴することは検察官の義務とされているが、
> 日本では起訴するかどうかは検察官の裁量にゆだねられているため、
> 確実に有罪になる者しか起訴しないからだ。
86 ヒロナカは協力者ではなく最初から使い捨て予定の駒だったのでは(´・ω・`)? 暴力団にしゃぶり尽くされる馬鹿と同じ末路を辿りそうだなww >実際に弁護士が見張りの探偵を刑事告訴で見張り中止させて
その日のうちに逃亡して、見事に連係プレーしてるよ
見張りが居なくなったとゴーンに伝えたのは間違いなく弘中 >>321 それは関空に行く直前のホテルで元グリーンベレーがやったって確定してなかったっけ 大手読売に日本人の協力者と書かれて、あわてふためいた極左弘中支持者たちが
安倍がやったと、とんでもないことを言い出してるのが大笑い。
安倍が関与してるような発言をしたなんて言ってるのも大ウソ。
普通考えつくのは、逃亡に関与した日本人は、弘中、高野弁護士だろう。
状況証拠がいくつかあるからね。 ゴーンてとことん自己中だな
「協力者を見つけるためには検察は八方手を尽くし、電話を調べ、私と仕事をした全員を聴取しなければならない」
こんな発言したらなんの関係もない知り合いまで巻き込まれて
下手すりゃ自分以上の冤罪身柄拘束受ける恐れだってあるのになァ >>1
逃亡したゴーン被告が乗車した新幹線を撮影の際は、下記の決まりを遵守願います。 インスタ映えすること請け合いです。
■◇◎◇■◇□◎撮り鉄の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・お天気の良い日に、背後に太陽のある角度で、連写せずに一発撮り、つまりバリバリ順光でサクッと「バリサク」で撮りましょう。
決まりその2・列車の側面を7・前面を3の比率で撮れるよう、つまり「シチサン」で列車が収まるように、立ち位置をしっかり決めましょう。
決まりその3・大好きな列車です。列車が構図いっぱい「カツカツ」になるようにズームしまくりましょう。
決まりその4・主題はあくまでも鉄道車両です。画面の真ん中に、つまり「日の丸」のように堂々と入れましょう。
決まりその5・撮影地での撮影前には、下記の撮り鉄のお題目を復唱し、正統的な鉄道写真が撮れるようにしっかり復習しましょう。
バリサク・シチサン・カツカツ・日の丸
バリサク、シチサン、カツカツ、日の丸
バリサク・シチサン・力ツ力ツ・日の丸
バリサク、シチサン、力ツ力ツ、日の丸
バリサク。シチサン。力ツ力ツ。日の丸。
バリサク,シチサン,力ツ力ツ,日の丸
バリサク.シチサン.力ツ力ツ.日の丸
バリサク*シチサン*力ツ力ツ*日の丸
■◇◎◇■◇□◎三脚の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・三脚を使って撮影する撮り鉄は、手持ち撮影に慣れてない「初心者」ですから、あたたかく見守ってあげましょう。
決まりその2・撮影地ではベストポジションで撮影したいものです。事前に「置きゲバ」して自分の場所を確保しましょう。
決まりその3・置きゲバした三脚が自分のものだとわかるように、“熊出没注意”とか“弱冷房車”といったシールを「ベタベタ」貼って、しっかり目立たせましょう。
決まりその4・置きゲバに使う三脚は、他の撮り鉄に盗まれたり壊されたりしてもいいように、「安物」を使いましょう。
初心者・置きゲバ・ベタベタ・安物
初心者、置きゲバ、ベタベタ、安物
初心者。置きゲバ。ベタベタ。安物
■◇◎◇◇◇□◎火車拍照的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・在美好的一天,讓我們在幕後以一定的角度拍攝一張照片而不進行連續拍攝,也就是説,讓我們快速拍攝直射陽光“上低音薩克斯風”。
規則第2部分・讓我們決定站立位置,以便列車可以在“7:3”處進行,以便列車的一側可以在7處,前部以3比率進行。
規則第3部分・這是我最喜歡的火車。讓我們放大火車,使它“幾乎”充滿了構圖。
規則第4部分・該主題是一輛鐵路車到最後。讓我們把它放在屏幕的中間,就像“日本國旗”。
規則第5部分・在拍攝地點拍攝之前,讓我們回顧下面拍攝的拍攝對象並仔細檢査,以便拍攝合法的鐵路照片。
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風,7:3,炸肉排炸肉排,日本国旗
■◇◎◇◇◇□◎三脚架的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・用三脚架拍攝拍攝鐵是一個不習慣手持拍攝的“初學者”,所以讓我們熱情地觀看。
規則第2部分・我想在拍攝地點拍攝最佳位置。讓我們提前“提前”確保“你的位置”。
規則第3部分・正如可以看出哥巴三脚架的地方是他們自己的事情,密封件,如“熊出沒注意”或“弱空調車”“黏黏”,讓我們堅定地站在。
規則第4部分・讓我們使用“便宜的東西”,以便用於你的位置的三脚架可以被其他射撃鐵器盗走或摧毀。
初學者,你的位置,粘粘,便宜的東西
初學者、你的位置,粘粘,便宜的東西
初學者。你的位置。粘粘。便宜的東西 >>1
逃亡したゴーン被告が乗車した新幹線を撮影の際は、下記の決まりを遵守願います。 インスタ映えすること請け合いです。
■◇◎◇■◇□◎撮り鉄の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・お天気の良い日に、背後に太陽のある角度で、連写せずに一発撮り、つまりバリバリ順光でサクッと「バリサク」で撮りましょう。
決まりその2・列車の側面を7・前面を3の比率で撮れるよう、つまり「シチサン」で列車が収まるように、立ち位置をしっかり決めましょう。
決まりその3・大好きな列車です。列車が構図いっぱい「カツカツ」になるようにズームしまくりましょう。
決まりその4・主題はあくまでも鉄道車両です。画面の真ん中に、つまり「日の丸」のように堂々と入れましょう。
決まりその5・撮影地での撮影前には、下記の撮り鉄のお題目を復唱し、正統的な鉄道写真が撮れるようにしっかり復習しましょう。
バリサク・シチサン・カツカツ・日の丸
バリサク、シチサン、カツカツ、日の丸
バリサク・シチサン・力ツ力ツ・日の丸
バリサク、シチサン、力ツ力ツ、日の丸
バリサク。シチサン。力ツ力ツ。日の丸。
バリサク,シチサン,力ツ力ツ,日の丸
バリサク.シチサン.力ツ力ツ.日の丸
バリサク*シチサン*力ツ力ツ*日の丸
■◇◎◇■◇□◎三脚の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・三脚を使って撮影する撮り鉄は、手持ち撮影に慣れてない「初心者」ですから、あたたかく見守ってあげましょう。
決まりその2・撮影地ではベストポジションで撮影したいものです。事前に「置きゲバ」して自分の場所を確保しましょう。
決まりその3・置きゲバした三脚が自分のものだとわかるように、“熊出没注意”とか“弱冷房車”といったシールを「ベタベタ」貼って、しっかり目立たせましょう。
決まりその4・置きゲバに使う三脚は、他の撮り鉄に盗まれたり壊されたりしてもいいように、「安物」を使いましょう。
初心者・置きゲバ・ベタベタ・安物
初心者、置きゲバ、ベタベタ、安物
初心者。置きゲバ。ベタベタ。安物
■◇◎◇◇◇□◎火車拍照的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・在美好的一天,讓我們在幕後以一定的角度拍攝一張照片而不進行連續拍攝,也就是説,讓我們快速拍攝直射陽光“上低音薩克斯風”。
規則第2部分・讓我們決定站立位置,以便列車可以在“7:3”處進行,以便列車的一側可以在7處,前部以3比率進行。
規則第3部分・這是我最喜歡的火車。讓我們放大火車,使它“幾乎”充滿了構圖。
規則第4部分・該主題是一輛鐵路車到最後。讓我們把它放在屏幕的中間,就像“日本國旗”。
規則第5部分・在拍攝地點拍攝之前,讓我們回顧下面拍攝的拍攝對象並仔細檢査,以便拍攝合法的鐵路照片。
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風,7:3,炸肉排炸肉排,日本国旗
■◇◎◇◇◇□◎三脚架的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・用三脚架拍攝拍攝鐵是一個不習慣手持拍攝的“初學者”,所以讓我們熱情地觀看。
規則第2部分・我想在拍攝地點拍攝最佳位置。讓我們提前“提前”確保“你的位置”。
規則第3部分・正如可以看出哥巴三脚架的地方是他們自己的事情,密封件,如“熊出沒注意”或“弱空調車”“黏黏”,讓我們堅定地站在。
規則第4部分・讓我們使用“便宜的東西”,以便用於你的位置的三脚架可以被其他射撃鐵器盗走或摧毀。
初學者,你的位置,粘粘,便宜的東西
初學者,你的位置、粘粘,便宜的東西
初學者。你的位置。粘粘。便宜的東西 今後の展開しだいだけど
レバノンで殺されるのが望ましいと考えた関係者も居そうだよね 弁護士事務所や日産の盗聴をやっていた可能性はないのか?
その場合日本の専門用語に通暁した協力者がいる 退職金がっぽりもろたからな、後はリゾート地で余生送るつもりやろ しかし大間抜けとされ
世界中から失笑を買ったのは日本
億のカネに目がくらんで国を売ったのがそいつ ゴーンに誰よりも会っていたのは弘中しかいないじゃん。それまで日産の監視が厳しかったから他の人はリスクがあって無理だろ! ゴーンがレバノン入りする前にトルコのイスタンブールを経由してるのだが
その際二人の協力者がメディアによって撮影された映像が報道されてる
あの元グリーンベレーともう一人が。何でか知らんがトルコにはバレてた >>358
日産が監視してた件ってマスコミはタブーなの?
監視理由と経費って株主総会で質問する人いそうだね ゴーンへの報酬分、技術部や工場にまわしてくれたら
日産どれだけ自殺者が減ってたかと思うと >>363
その辺はゴーン一人の責任じゃなくて日産全体の責任だろ? >>21
これ。
ヤフコメとかで日本人って前提に書き込んでる馬鹿がいるけど、発言を見る限り、日本人とは書いてないな。 ゴーンが誰と会っていたのか
弁護士は知っているはず
保釈条件だからね >>363
それはゴーンだけじゃなくて他の役員も一緒だろ。 これは自分の立場をよく見せるためのブラフかも知れんじゃないか。つまり
「あの野蛮な日本にも同情してくれる人間はいた。その位オへレの扱いは
非道だった」と言いたいんだろう。ゴーンのことを嘘つき、悪党呼ばわりしているウヨ
が、ここの部分は無条件で信じて「それは弘中だ」と喚く矛盾、笑うべし。 >>1
●アメリカがでっちあげた南京事件
『マスメディアの罪と罰』
南京事件はアメリカが作った話だと考えてまず間違いない。
南京裁判で証言した歴史学者のマイナー・シール・ベイツや
東京裁判で証言した宣教師のジョン・マギー
同じく宣教師で口述書を残したジョージ・アシュモア・フィッチなど、関わっているのはすべてアメリカ人。
南京事件が2015年に世界記憶遺産に認可されたとき
登録された記録映像通称マギーフィルムはこのマギーが撮影したもの
ニューヨーク・タイムズの特派員ティルマン・ダーディンは、
最も早く南京事件を報道したジャーナリストのひとり、日記のかたちで当時の様子を残したという
女性宣教師ミニー・ヴォートリンは南京・金陵女子大学の教師だった。
米大手新聞のシカゴ・トリビューンとニューヨーク・タイムズは1937年の時点ですでに最初のストーリーを作っている。 >>370
この時期、アメリカは国務長官と陸海軍長官とジャーナリスト代表で
アメリカ広報委員会(CPI)を作り、中国に親米反日の機運を盛り上げていた。
アメリカの特派員もその一翼を担っていた。
そのひとりがニューヨーク・ヘラルドの特派員ウィリアム・ドナルドだった。
宋美齢とデキていたと言われている。
蒋介石が拉致監禁された1936年の西安事件のときに、西安へ宋美齢を連れて飛んだのがこのウィリアム・ドナルドだった。
事件の首謀者である張学良と楊虎城に「お前らは引っ込んでいろ」と言って蒋介石を解放させる。
アメリカは蒋介石にカネも軍備も飛行機も与えてきた。
それで日本をやれ、日本を戦争に引きずり込めと指導してきたが、つまらぬ内輪喧嘩を始めた。
真面目にやらないともう援助しないぞと脅しをかけたのだと言われる。
蒋介石はそれで北伐をやめて対日挑発に取り掛かる。 >>371
翌1937年に入ると様々な対日テロが始まる。
7月7日に盧溝橋事件があり、7月末に通州事件があり250人の日本人居住者が殺される。
8月13日に上海攻撃が始まる。
米陸軍航空隊将校のクレア・リー・シェンノートも宋美齢と一緒に中国軍隊空軍の指揮かなんかをやっている。
ずっと繋がっているわけ、ウィリアム・ドナルドなどというのは紛れもなくニューヨーク・ヘラルドの人間だ。
一介の特派員がそんなに仕切れるわけがない。
背後にいたのが先に触れたアメリカ広報委員会(CPI)で
支那にいた米国特派員はすべてこのCPIの指図で動いていたとみて差し支えない。 『南京安全区国際委員会ジョン・ラーベ代表』(正統史観
安全区国際委員長だったラーベは虐殺を1件も目撃しませんでした。
ラーべの日記や手紙の中では
ラーべ本人が殺人現場を見た記述は一つもありません。
ラーベは、1937年12月17日に、日本軍による破壊や犯罪が極めて少数で
秩序が回復した旨の『第6号文書』を日本大使館宛に送っていました。
ところが、東京裁判で検察側書証として提出された
「1938年1月14日付のドイツ上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」
(ジーメンス社社長マイアー宛の手紙)には、
「約2万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民を殺害」と書いていました。
さらに、『ヒトラーへの上申書』には、
「中国側の申し立てによりますと、10万の民間人が殺されたとのことですが、
これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。
我々外国人はおよそ五万から六万と見ています」と報告しました。
ラーベの報告は、数千だったり5〜6万だったり滅茶苦茶です。
もしも、本当に日本軍が市民大虐殺をしていたのなら、
日本軍憲兵隊に通報したり日本大使館に抗議するのが
安全区国際委員長の責務であるのに、それをせず、
南京の外(上海やドイツなど)に向けてのみ、
日本軍の犯罪を発信していたのは、
彼が嘘の宣伝工作をしていたとしか考えられません。 このラーベの嘘宣伝は、安全区国際委員会全体が
嘘の宣伝工作委員会と化していたのが大きな理由ですが、ラーベ独自の事情もありました。
ラーベは、安全区の自宅に、現金を一杯に詰めたトランクを
幾つも持っていた支那軍将校の龍大佐と周大佐を潜伏させていました。
これは、中立と、安全区の保護を責務とする安全区国際委員長としては、
言語道断であり、この行為自体が支那軍のための工作活動です。
また、当時ジョン・ラーべは、支那の蒋介石政権に重電機・通信機などを
売って莫大な利益を得ていた「軍需産業ジーメンス」の南京支社長でした。
支那事変が始まってから
日本は再三ドイツに支那への軍需品輸出をやめるように要請していました。
ヒトラーはソ連を牽制するためにも、
日本と手を組む事を選び、支那への軍需品輸出を控えました。
ラーベにしてみれば、
自分が30年間も支那で培ってきた商売が水の泡になるので、
「日本はこんなひどい事をしている。こんな国との同盟は止めてくれ!」
と言いたかったのでしょう。 しかし、ラーベの荒唐無稽な「数千人」とか「5〜6万人」とかの虐殺の話は
あまりにも不自然過ぎて、同胞のドイツ人にも信じて貰えませんでした。
1938年1月9日に南京に戻ったドイツ大使館のシャルフェンベルク事務長は、
2月10日、自分の目で実情を確かめた上で漢口のドイツ大使館に、
ラーベが語る日本軍の暴行事件について、
「暴行事件と言っても全て支那人から一方的に聞いているだけ」
と書き送っています。
結局ラーべの策略は実らず、ドイツに呼び戻され、
二度と支那の土を踏むことはありませんでした。 『第6号文書』安全区国際委員会
「1938年1月14日付のドイツ上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」
(ジーメンス社社長マイアー宛の手紙)
『ヒトラーへの上申書』『ラーベの日記』
1937年、支那事変の発端である第二次上海事変の前、
蒋介石は1932年の第一次上海事変の上海休戦協定を無視し、
呉淞と真茹を結ぶ線の北側の非武装地帯に
クリークや2万個以上のトーチカを作るなどして軍事要塞線(ゼークト・ライン)を築いていた。
【支那にいたドイツ軍事顧問団の最高責任者アレクザンダー・フォン・ファルケンハウゼン】が
保存していた内部文書。(ドイツ、フライブルク連邦軍事資料館所蔵)
ファルケンハウゼンは【ドイツが国民党軍に武器を供給する際、その取引可否を決裁する権限を持っていた】
この人物と家族ぐるみで親しかったのが
南京安全区国際委員長でナチ党員のジョン・ラーベで、
【ラーベはシーメンス社の武器部門責任者】だった。 1938年2月28日に南京からの退去を日本軍に命ぜられ、ドイツに帰国したラーベは
母国ドイツが日本・イタリアとの三国同盟を予定していることを知り、これに反対する政治活動を開始する。
ベルリンその他で日本軍の残虐行為を喧伝するフィルムの上映・写真の展示を行うとともに、
ヒトラーに上申書を提出し、日本軍による非人道的行為を止めさせるよう働きかけることを提言した。
しかし、【政府からはまったく相手にされない】どころか、直後に【ゲシュタポによって逮捕勾留】される。
【 シーメンス社の介入によってすぐに釈放された 】が、写真の類を没収されるとともに、以後公での発言を禁止された。
【シーメンス社はその後も彼を雇用し続け】、【ラーベの身の安全を確保するためアフガニスタンに一時的に転勤させた 】後、
終戦までベルリン本社で海外出張する社員の世話をする庶務係として勤務させた。wiki ↓分かり易いよなぁw
2009年に、ラーベを主人公としたドイツ・中華人民共和国・フランスの合作映画 『ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー〜』
(20世紀フォックス配給、原題 John Rabe、英国タイトル City of War - the Story of John Rabe)
が製作され、同年4月2日にドイツで、続いて同28日には中国でも公開された。
同年11月にはベルギー、フランス、イタリア、スペインでも公開されている。
第59回ドイツ映画賞にて、主演男優賞(ウルリッヒ・トゥクル)・作品賞(ベンヤミン・ヘルマン、ミシャ・ホフマン、ヤン・モイト)・
美術賞(屠居華)・衣装賞(リジー・クリストゥル)の4部門で受賞した。 ↓ちなみにこっちも馬鹿ばかしさ満点の分かり易さだw
『南京』(英:NANKING)は、アメリカ合衆国製作で2007年に公開された南京事件に関するドキュメンタリー映画。wiki
1937年末に旧日本軍が南京を占領した様子が、西洋人の視点から描かれている。
映像では生存者の証言を集めたほか、
当時ジーメンス社の南京支社長として赴任していたジョン・ラーベや米国人女性教師ミニー・ヴォートリンなどが、
南京に南京安全区を設立して住民20万人以上を虐殺から保護した行いを、
ヨーロッパにおいてユダヤ人をホロコーストから救ったドイツ人実業家のオスカー・シンドラーになぞらえ「中国のシンドラー」と位置づけている。
また文豪アーネスト・ヘミングウェイの孫娘のマリエル・ヘミングウェイ、ウディ・ハレルソン、ユルゲン・プロホノフ、
スティーヴン・ドーフ、ミシェル・クルージら米国の著名人や俳優を起用し、欧米人の残した日記も読み上げている。
中国共産党中央委員会の機関紙人民日報によると、この映画は大量の写真や史料をもとに制作され、
米国会図書館から当時に関する記録や多くの貴重なフィルムを発見している、としている。
また監督の2人は、中国および日本において80人におよぶこの事件の生存者を探し回り、そのうちかなりの人数がこの映画に実際に出演している。
米紙ワシントン・ポストによると、この映画のプロデューサーで当時アメリカ・オンライン(AOL)の
副会長であったテッド・レオンシス(2007年末現在、名誉副会長)が、
『ザ・レイプ・オブ・南京』を著した中国系アメリカ人女性作家アイリス・チャンの自殺をめぐる古新聞の記事を目にしたのが、製作のきっかけだったと同紙に説明している。
監督のビル・グッテンタグは、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を2度受賞している人物。 >>1
英マンチェスター・ガーディアン紙・中国特派員、H・ティンパーリー(正統史観
『曾虚白自伝』 曾虚白・元国際宣伝処処長
我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、
我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を探して
我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。
ティンバーリーは理想的人選であった。
かくして我々は手始めに、金を使ってティンバーリー本人と
ティンバーリー経由でスマイスに依頼して、
日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した。
ティンパレーの『What war means: The Japanese terror in China』
の内容は、エドガー・スノー「アジアの戦争」にも派生、
様々な著作・メディアに引用され、東京裁判でも大いに重宝され
「日本軍による南京大虐殺」なるものの本家本元・元祖家元となっている。
国民党国際宣伝処の処長・曾虚白は自伝のなかで次のように書いている。
「ティンパレーは都合のよいことに、
我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の
『抗戦委員会』に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった・・・ >>380
当時、極めてタイムリーに出版された日本断罪の書、
『戦争とは何か』と『南京地区における戦争被害』(「スマイス報告」)が、
実は、中立的立場の第三者の人物によって書かれたものではなく、
国民党の戦時宣伝戦略のために資金援助を受けて執筆されたものであることが判明したのである。
ティンパレーは序文の中で、見聞したという日本軍の暴行記事を
ガーディアン紙に打電しようとしたが上海の日本側電報検閲員に発電を差し止められたので、
本を書くことで世界に知らせようとした、と記している。
しかし、根拠のない30万という数の記事など、非常識として差し止めるのは当然であり、
むしろ彼は承知のうえで「差し止め」させる状況をわざと作り、
「差し止め」られるとその事実を誇大に宣伝することで
自分の捏造記述に信憑性を持たせたのだった。
そして、理不尽な日本の弾圧をくぐりぬけ、
良心的ジャーナリストとして真相を発表・告発したのだと、自分と自著を持ち上げた。
昭和13年1月17日、ティンパレーのこの
「南京その他で30万を下らない民間中国人が殺戮された」
という記事を広田弘毅外相名でワシントンの日本大使館に送信、それがアメリカ側に傍受され解読されていた。
これをもって、当時の日本の軍中央や政府の指導者が
南京大虐殺を知っていた証拠だと嬉々として述べる人がいる。
しかしこれは「こんな与太記事を流す記者がいる」と伝達しただけのもので、
南京の暴虐を事実としたものではない。 あの弁護士だろ。
日産が手配した警備会社の監視を刑事告訴して辞めさせただろ。
その次の日の脱走や。
小学生でもわかるはなしやろ。
金さえあれば弁護士もどうとでもなるんや。
世の中、金。札束や。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています