経営破綻してから10年がたった日本航空。3500億円もの公的資金の投入など、国の手厚い支援を受けての経営再建は、当時、その必要性について大きな議論を呼んだ。無理やり延命しても、再び破綻するのではないかと懸念する声もあったが、会社は、再建から次のステージを目指し始めた。日本航空は、この10年でどう変わったのか。そして、どこに向かおうとしているのか。(経済部記者 加藤ニール)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200121/K10012253551_2001211847_2001212007_01_02.jpg

■ “親方日の丸”からの脱却は?

「親方日の丸の体質、当事者意識や責任感の欠如、もう1つは採算性の欠如が、経営陣のみならず、社員にもあった。当時と比べると、いまは、より現場の意見が聞けるような体制になっている」(赤坂社長)

日本航空の赤坂祐二社長は、この10年をこう振り返る。会社更生法の適用を申請して経営破綻したのは2010年1月19日。負債総額は、2兆3200億円と事業会社としては過去最大規模だった。

公的資金の投入など手厚い支援を受けて、自力ではできなかった赤字路線からの撤退や全従業員の3分の1に当たる1万6000人のリストラを断行した。

希望退職のほか整理解雇も行う痛みも伴った。2度目の破綻は許されない---事業規模の縮小とともに、もう1つ進めたのが、企業体質の改革だ。

かつての日本航空は、経営陣と現場の距離が大きく離れ、社員にとって経営は遠い存在だった。また、パイロットや客室乗務員、整備士など、部門が異なれば、別会社だというくらい縦割り意識が強かったという。こうした企業体質を根本から変えないと再生はできないと、京セラ創業者の稲盛和夫氏を会長として招き、体質改善を進めた。

その柱は、社員を小さなグループに分けて、採算性を明確にする「アメーバ経営」と、社員一人一人に当事者意識やチームとしての一体感を持たせる「意識改革」だ。破綻当時を知る客室乗務員は、改革によってコスト意識が浸透したと語る。

「機内に持ち込む荷物は、シャンプーや化粧品の重さまで意識して、少しでも機体を軽くして燃料費を安くするように荷物を減らした。機内で使う紙コップも1ついくらするのかを書き出し、自分たちが使うものには名前を書いてむだづかいをやめた」(高原さん)

こうした取り組みの結果、業績はV字回復。経営破綻から2年8か月というスピードで、東京証券取引所に再上場を果たし、公的資金も返済した。意識改革のための研修は、いまも続けられている。ただ、その一方で、取材をしていると、取引先などからは、「親方日の丸の体質はまだまだ抜けきっていない」という声も聞かれる。

■ 再び拡大路線!?

日本航空は破綻後、50を超える不採算路線から撤退。事業規模は、国際線で4割、国内線で3割縮小した。実は、破綻から10年を経た今も、路線の数は、破綻前の水準に戻っていない。

その背景には、日本航空が、規模よりも利益を重視した経営を行ってきたこともあるが、国の手厚い支援で再建を進めたため、新しい路線の開設などは、一時、事実上の制限がかけられていたことがある。

この10年、航空業界を取り巻く状況は大きく変わった。LCC=格安航空会社が台頭。外国人旅行者が急増し、去年は3188万人と、10年でおよそ5倍に膨らんだ。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200121/K10012253551_2001211939_2001212007_01_05.jpg

こうした中、ライバルの全日空は、着実に路線を拡大。国内線を運航する会社としてスタートした全日空が、今では国際線の数で日本航空に大きく差をつけている。

日本航空はこのまま「縮小均衡」を続けていくのか。赤坂社長は、破綻から10年に合わせて開いた会見で、「緩やかな路線の拡大」を目指すと語った。かつて不採算路線が経営破綻の要因の1つとなったことから、着実に採算がとれる路線を見極めつつ、緩やかに路線を拡大し、増え続ける外国人旅行者の需要を取り込む戦略だ。

※続きはソースで
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200121/k10012253551000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_008