【20世紀の虐殺・戦争犯罪】「チャーズ事件」中国共産党と国府軍による長春市民大虐殺

中国吉林省の長春市は日本の満州建国により首都「新京」と改称され近代都市として
大発展を遂げましたが日本の敗戦で満州国は消滅、日本軍が去った長春は
1948年までの3年間にソ連軍、国府軍、中共軍、国府軍、中共軍と支配者が頻繁に変わりました。

現在でも中国は日本軍が行ったとされる「南京虐殺」については煩く蒸し返しますが、中共、国府軍の合作(共犯)行為として行った「長春市民大虐殺」については都合が悪いのか今でも頬かむりしています。
日本では比較的?日本人の死者が少ないこと、中国では現在も人権抑圧国家であるため1948年、長春の大虐殺はあまり知られておりません。
私は中国通を気取る左翼人士が南京大虐殺には触れても「長春大虐殺」に一切触れてない事実 
に「不都合な事実」には目を瞑る非人的な冷酷さを感じます。


国共内戦のなかで起こった大悲劇である「チャーズ事件」は、長春市を包囲する中共軍と防戦する国府軍の対峙が続いた4ヶ月間1948年5月から10月半ばまでの4ヶ月間に長春市民の多くが犠牲となりました。
10万人余りの国府軍(蒋介石軍)と50万人といわれる長春市民は共産軍により市内に閉じこめられたのです。
包囲した中共軍は力攻めをせず完全包囲した長春市を兵糧攻めにしました。
中共軍は飢餓から逃れるため市外に脱出しようとする市民達をチャーズ関門で追い返しました。
チャーズとは一度入るとほぼ死ぬまで出れないドイツのアウシュビッツ以下の鉄条網内の建物もろくにない収容地帯(ゾーン)でした。

中共側は市民を市から脱出させない事で国府軍の手持ち食料を早く食い潰す目的と、日帝時代に
満州国の首都市民としてこの世を謳歌していた長春(新京)市民を思想改造するよりも殺す(餓死させる)ほうが早いとも考えていた節があります。