1月21日に開かれた世界経済フォーラム(WEF)年次総会(ダボス会議)の演説で、企業幹部らを痛烈に批判したスウェーデン人の環境保護活動家のグレタ・トゥーンベリさん(17歳)。まるで彼女の予言が的中したかのように、オーストラリアの森林火災が拡大し続けている。
そして多くのメディアが今回の大規模森林火災について、「世界の終わり」の予兆を見いだしたかのような論評をしている。曰(いわ)く「地球の恐ろしい未来を予言している」「まるで世界の終わりだ」「温暖化が進む地球の未来である」etc――。彼女の言動をめぐって日々世界中の人々が擁護派と否定派に分かれてののしり合っているが、その周辺で広がりつつある動きでとりわけ気になるのは、まさにこのような「世界の終わり」という言葉に象徴される終末論的なムードが息を吹き返してきていることだ。これは地球温暖化対策をめぐる議論とは別個に考える必要がある。

■ 「気候危機が続くなら子どもは産まない」

わかりやすい例を挙げれば、「気候危機が続くなら子どもは産まない」と宣言する女性たちが1990年代後半から2000年生まれの「Z世代」を中心に現れていることだ。カナダの女子大学生が始めたキャンペーン「#NoFutureNoChildren(未来がなければ子どもは持たない)」は、およそ1カ月の間に5000人以上が賛同した。これは図らずも人口減少社会を正当化するだけでなく、「産まないほうが地球環境にとって倫理的だ」といった、いわゆる従来の価値基準を反転させるものである。「出産は倫理に背き、多産は悪」というかつての反出生主義のリバイバルといえる。
データとエビデンスから人類の進歩をひもとくことで知られる認知科学者のスティーブン・ピンカーは、近著で「環境悲観論者」についてこう述べている。

これまでも終末論ムーブメントというのは幾度となくあったが、「地球温暖化の危機」ではやたらとアクティブな反応が多いのが特徴だ。その背景には、気候変動の問題が心理的なストレスとなり、抑うつなどの症状として現れる「環境不安」「エコ不安症」があるとされている。
確かに「地球温暖化の危機」は、「巨大隕石の衝突」や「核戦争」などの非日常的な次元にある破局と異なり、巨大台風や洪水、熱波や干ばつなどの身近な出来事の延長線上にある破局といえる。しかも、多くの科学者が支持する国際的な枠組みが警鐘を鳴らしていることが、最悪の事態としての「世界の終わり」に信憑性を与えている。かく言うグレタさんも自身がうつ状態になった一因として気候変動の問題を挙げている。
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の一連の報告書によると、早ければ2040年(わずか20年後!)に“大惨事”が起こると警告。産業革命以前に比べて地球の気温が1.5℃上昇した場合、世界は大規模な食糧危機や山火事に見舞われ、大量のサンゴ礁が消滅すると記している。このような破滅的なシナリオに頻出する「不可逆的な変化」「臨界点」という文言が「終末的な状況」を想起させて余りあるのだ。

■ 現実味のある「世界の終わり」は「温暖化の危機」に

グレタさんが「気候危機って、未来を修復できない全面核戦争みたいなもの」(マレーナ・エルンマン、グレタ・トゥーンベリ『グレタ??たったひとりのストライキ』(羽根由訳、海と月社))と断言したとおり、今や最も現実味のある「世界の終わり」は「地球温暖化の危機」となっているのである。
グレタさんは、環境保護活動家として華々しいデビューを飾り、国際的な舞台でオーソライズされることによって、自らの「不安」を克服することができた面があるが、普通に生活している人々にはなかなか同じまねはできない。
前掲書には、発達障害を持つ2人の娘の子育てに悩む「壊れかけた家族」が「地球温暖化の危機」を共有し、ともに闘争することによって「再生」するプロセスが切々たる筆致でつづられている。例えば以下のくだり。

わが子が何年も他人と話をせず、しかも食事に制限があり、数カ所の決まった場所で、限られたものしか食べられない。
その状態が何年も続いたあと、すべてのごちゃごちゃが突然消失したとしたら、親はまるでおとぎ話か魔法のように思うだろう。
その喜びはどれほど大きいことか。

これはグレタさんが「気候のための学校ストライキ」を開始した後に両親が抱いた率直な感想だ。
学校ストライキが一躍世間の注目を集めるのをきっかけに、「躁転」(抑うつ状態から躁状態になること)したように元気になったからである。

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https://toyokeizai.net/articles/-/326179
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