第201回国会が開幕しました。公職選挙法違反の疑いで現職大臣が2名辞任、河井あんり参議院議員のカネの問題、カジノをめぐる贈収賄事件で7現職国会議員が17年ぶりに逮捕、さくらを見る会にみられる公文書管理のずさんな運用など政権与党のおごりたかぶりには枚挙のいとまがありません。
大きなかたまりをつくって与党に対峙すべき野党は昨年の臨時国会から共同会派を組んで、共闘してきましたが、さらなるステップには移行できず、足踏みをしています。
これも客観的にみればコップの中の嵐のようなもので、小さな政治に国民は辟易としています。

安倍政権を倒せばよいというような次元の政治では国民の支持は得られません。
腐敗した安倍政権よりもましな政治が期待できないから、国民は消極的に支持しているのです。

アベノミクスは、バブル崩壊後に「成長路線」から「分配路線」に舵を切らず、金融緩和と財政のバラマキで成長を追い求めたこれまでの自民党政治の延長でしかなく、それを大規模に野放図に行っただけです。
その意味では、当時の野党も「成長路線」を選んだという意味では同罪です。

そして、第3の矢に当たる経済構造改革は、企業経営のコストカットのための派遣労働の規制改革でした。
その結果、非正規の働き方が増え、生涯未婚率が上がり、今の少子化の原因の一つとなりました。

人口が減少し、経済が成熟した以上、いたずらに成長を追い求めることは百害あって一利なしです。
危機的な気候変動問題に対応するためにも、成長路線からの決別が求められています。

しかし、高度成長の成功体験から逃れられない私たちは、アベノミクスの「成長の夢よもう一度」に期待してしまいます。
「成長依存症」のようなものです。しかも、企業収益にはプラスになるものの、国民の購買力を奪う「円安依存症」にもかかっています。
否定すべきは安倍政治ではなくて、私たち自身の生きざまや思い込みかもしれません。

人口が減れば、個人消費が減り内需が落ちます。
それに応じて生産活動も縮小します。

一方インフラの老朽化によるコストアップと高齢化による社会的課題の増加が加わります。
不動産を中心に国内資産価値が低下し、税収も減っていきます。
それに環境と資源の制約が前提になりますから、これまでと同じ経済政策では対応できません。

大企業や金持ちがもうかれば、いずれ国民各層に利益が回るというトリクルダウンは起きませんでした。
成長よりも分配に政策の舵を切るべきです。

まずは、公務員や教職員の現場から正規の雇用を増やし、民間企業にも波及していきます。
保育や介護関係の職員の給与を引き上げていきます。
所得の格差が学力や体力の差につながらないように子どもへの政策に資源を配分します。

さらには、GDPにはカウントできない、子ども食堂などのボランティア活動や協同組合的な経済活動の推進など多様性を核とした社会のイノベーションを起こしていかなければなりません。
成長を前提としたゆるい土地施策や住宅政策を止め、政府がコンパクトシテイを推進するための規制強化も検討すべきでしょう。

そして、多様性を重んじる寛容な社会をつくっていかなければなりません。
LGBTの基本的人権を保障し、選択的な夫婦別姓なども直ちに実施すべきです。

SNSなどによる人権侵害は目を覆うばかりです。
人権侵害救済法を策定し人権委員会を早期に立ち上げることも、私たちが安心して豊かな気持ちで暮らせるためには必須です。

このような政策の議論をこそ国会ですべきであって、朝から晩までスキャンダル追及をしている野党では国民の支持は得られません。
私たち国民民主党は、大きな政治の議論をしていきます。

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