第二次世界大戦の始まり(要因は)が満州事変(1931年)であると日本国は国民に教育している。
しかし、よく考えて頂きたい。
敗戦後の軍事裁判で満州事変に言及はあったが、『満州事変に始まる第二次世界大戦だ』と国際社会からは言われていないのである。

 あくまでも、『第二次世界大戦で堪忍袋の緒が切れた』というニュアンスでしかないのだ。
しかし現在の日本は、「世界中が満州事変によって始まったと断言している」という和訳をおこない国民に教育しているのだ。

では、なぜ日本は「満州事変に始まる」としたいのか?

 実は第二次世界大戦の構想は、明治元年の時点で既に構築されていた。
これを裏付ける資料(公文書)として存在しているのが、
『仁和寺宮蝦夷開拓ニ付申立并職務任免ノ御達 簿冊標題:公文録・明治元年・第四十五巻・丁卯十二月〜戊辰十二月・皇族伺 』に記されている。

 この資料は、明治時代の軍人皇族である仁和寺宮が北海道開拓の指揮を行う際に作成した物なのであるが、
北海道を欧州圏への侵攻及び領土拡大の拠点とする軍略構想の一部分が明確に現われている公文書となっている。

 すなわち、『北海道を軍略の中心地点として、サハリン(樺太)と満州を日本が入手し、そこからロシア等の欧州圏へ侵攻し覇権を拡大させる軍略構想』が記されていると言えるのだ。

 地図を見ての通り、日本は大陸とは繋がっていない。
よって、大陸側へ侵攻し、覇権を拡大する為には、中心となる大陸の地点を作成しなければならない。
そこで浮上したのが北海道を中心地点とし、サハリン(樺太)と満州を占領する軍略であるのだ。

 この軍略が、『明治時代の軍人皇族である仁和寺宮の公文書で明らかとなる』という事である。

 結果論であるが、日本は実際に満州を占領し、サハリン(樺太)も占領している。
そのうえで、南満州鉄道を施設し、軍事輸送を可能とした。
この構想が、ロシアの鉄道と連結する事を求める日本の軍策に繋がってくるのだ。

 すなわち、先に述べた『北海道を軍略の中心地点として、サハリン(樺太)と満州を日本が入手し、そこからロシア等の欧州圏へ侵攻し覇権を拡大させる軍略構想』に行き着くのである。

 さらに、これらの事柄を裏付ける結果論として提示できるのが『北進論』である。
北進論とは、大陸側南側ではなく大陸の北側へ先に侵攻してゆく軍事論であるが、北進論を進めるにあたっては、軍人皇族の仁和寺宮の軍略が絶対的となるのである。

 そのような状態から、日本は張作霖爆殺事件や満州事変へと突き進み、「国際社会は堪忍袋の緒が切れた」のである。
よって、皇族が関連している第二次世界大戦とする事は、歴史修正主義が蔓延している日本にとっては不都合な事実となるのだ。
したがって、日本政府は、『満州事変に始まる第二次世界大戦だ』と国民に教育しているという訳である。

 このような事実がある以上、『関東軍の暴走で満州事変があり、“満州事変によって第二次世界大戦が始まった”』とは断言できないのである。
ちなみに、北海道の軍略を引き継いだ皇族は、軍人皇族の秩父宮という皇族である。

 秩父宮は、豪雪地帯の北海道に軍事目的でスキーを導入するに至った第一人者でもあり、満州へ視察などにも行っている皇族である。
秩父宮の痕跡を知るうえで有名なのは、北海道札幌市で開催されている『宮様スキー大会』などを挙げる事ができる。

 仁和寺宮と北進論と秩父宮。これらを繋ぐ明確な事実は《軍人“皇族”と“第二次世界大戦”》である。
正確な歴史を知る事で、現在の日本を知る事にも繋がる事だろうと筆者は思う。
〔文=鬼畜の和洸★〕

※詳細は、参考記事をご覧下さい。

【参考元:皇室問題分析室】参考記事の更新日時:令和二年1月31日18時33分
http://www.tedawakou.com/manchurian-incident-WW2