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『オーストラリア』

オーストラリアにキャプテンクック(1728〜79)が到来したのは、1770年であった。

当時この大陸には【原住民としてアボリジニーが約30万人も平和に暮らしていた。
彼らは4万年も前に東南アジアからこの大陸に移住してきた者】である。
クックは上陸するや原住民を無視して一方的に英領を宣言した。
まず、おれのものと、ツバをつける白人のやり方である。

英国は1788年、11隻の船隊に流刑囚1473名を乗せて、シドニーに近いボタニー湾に現れた。
男囚778名、女囚192名、その他という構成だ。

本国の犯罪人を植民地に流刑したのはイギリスだけでなく、
ロシアのシベリア流刑は有名で、フランスもパリ・コミューンの政治犯を多数、ニューカレドニアへ送っている。

受け入れ側の先住民にとって、男女囚の比率が四対一のアンバランスなことは大変迷惑であった。