新型コロナウイルスの感染拡大の防止のため、各地の大型イベントの中止が相次ぐ中、人気の格闘技イベント「K-1」が開催された。このイベントに参加した人々からは「感染は自己責任で参加した」という声が挙がっていたが、この意見には賛否両論があるようだ。それは当然で、ある意味では正しいが、別の視点で見れば正しくないからだ。医師(日本内科学会総合内科専門医)であり、かつビジネススクールで医療経営を教えているという立場の筆者が、あえて社会保障や国民皆保険下の医療制度という視点から考察してみた。(中央大学大学院戦略経営研究科教授、医師 真野俊樹)

● 海外から見ても驚愕だった「K-1」開催 「自己責任」なら参加しても構わないのか

 3月22日、格闘技イベント「K-1」が埼玉アリーナで6000人以上の観客を集めて実施された。

 折しも3月上旬には、同じようにタイで人気格闘技のムエタイの大規模なイベントがあり、「それが原因となってタイで新型コロナウイルスの感染が拡大した」という情報があるにもかかわらず、開催された。

 これは、諸外国から見れば、相当に驚愕であったようで、あちらこちらで批判の声が上がっているようだ。

 そもそも筆者は、過度な自粛を好まない立場であり、むしろ、自粛によって日本経済が立ちゆかなくなることを非常に恐れてはいる。

 ただむしろ、筆者が気になったのは、イベントへの参加者から上がった「感染は自己責任」「自己責任だから参加してもいいではないか」という言葉、またそういった意識だ。それはどこから生まれてきたのだろうか?

 感染の問題は、本当に「自己責任の問題」なのだろうか。

 筆者の立場から総合的に見れば、答えはNOである。しかし、NOだから「今回の行動はけしからん」では、思考停止になってしまう。

 なぜ、今回のように、「感染したって自分の責任だから何やってもいい」「自分はたくましいのだからコロナより強い」と考える人が多く出てしまうのだろうか。

 賛否両論はあるだろうが、社会保障制度や医療制度、国民皆保険制度のあり方や意義を考える材料として、読んでほしい。

● 「病気は自己責任」という 考えはどうして生まれるのか

 まず、筆者は医師でもあるので、医師としての立場で解釈してみよう。

 実は「疾病において自己責任」というのは、医師にも比較的受け入れられた考え方である。遺伝的な場合を除けば、生活習慣病のように「自分の生活がよくないのが大きな原因」だから、「病気は自己責任である」という考え方である。

 この考え方には、患者さんの多くも同意するだろうし、確かに医学的にはそうかもしれない。

 そして、平時の医療においては、先進国である日本やヨーロッパ、アメリカでは、医療の大半がこの生活習慣病対策に当てられているといっても言い過ぎではない。

癌(がん)を単なる“生活習慣病”とみなすかどうかは難しいが、厚生労働省などの統計では癌が生活習慣病の中に入れられていることも多い。

 つまり、先進国の医療の大半は生活習慣病対策なのである。だから、生活者の多くが「病気は自己責任」と考えるのも無理はない。

 実際に、医療費の推計でも感染症対策費は非常に少ない。

 平成28年度の国民医療費の概況によれば、ウイルス性肝炎を除けば8000億円強で、全体の約2.7パーセントしか使われていない。つまり“生活者の意識”としても、国民皆保険制度下で医師を受診する場合、本当は非常に深い意味があることなのだが、「病気≒生活習慣病」「生活習慣病≒自己責任」と考えてしまう人が多いのだ。

 従って今回も、「感染して病気になることは自己責任」という構図ができてしまっているのではないかと思われる。

 難しいのは、今回の新型コロナウイルスによる肺炎が、先進国ではほぼ顧みられなくなった病気(感染症)だということである。もちろん、顧みられないというのは、厚労省とか政策担当者のことを言っているのではない。

 ここで言っているのは「国民の意識」のことである。

全文はソース元で
3/25(水) 6:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200325-00232704-diamond-soci
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