統一まで849秒

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 逃げるように去るというのはまさにこのことか。韓国最大の国際空港である仁川空港から関西国際空港へ向かうアシアナ航空116便の出発まではあと10時間。とにかくスーツケースに荷物を放り込んで、下宿先を引き払い、使っていた携帯電話も返却しないといけない。【外信部記者・坂口裕彦】

 韓国・ソウルで昨年10月から続いていた「40代半ばでの海外プチ単身赴任」の終わりは、3月6日朝に突然、やってきた。当初の帰国予定は1週間先。前倒しの理由は、もちろん、世界を揺るがす新型コロナウイルスの感染拡大だ。

 日本政府は5日夜、韓国から日本への入国者全員に9日から「2週間の指定場所での待機」と「国内で公共交通機関を使用しないこと」を求めると決めた。あまりにも唐突な発表だったし、具体的に何がどうなるかも判然としなかった。予定通りに帰国したら、どんなことになるのだろうかと大いに戸惑った。会社の上司は「韓国政府が対抗措置を取ると言っているが、何になるのか予想できない。展開を見通せない以上、なるべく早く帰国した方がいい」。ということで、急転直下、帰国することになったのだった。

 猫の目のように状況が変わる中で、正しい情報を把握し、100%正しく行動するのはとても難しい。何をすれば良いのかがわからないと、怖くなって、さらに混乱しそうになる――。これがどたばたの中で実感したことだ。

 たとえば、5日夜の時点では「指定場所での待機」は「隔離」という言葉で伝わっていた。この言い回しの違いに、下宿を共にする日本人は大いに動揺した。「ホテルで一日中、過ごすというイメージですかね。でも、誰が施設を用意するのでしょう。同じ場所で過ごし、もし誰かが感染したら、クルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号で起きたような集団感染になりますよ。空港から家まで帰るのも、家が遠いから、歩いて帰るなんてできません」。4月に帰国するという30代の会社員女性の言葉をよく覚えている。こちらも同じことを考えて、どきどきしていたからだ。

 ◇日本と韓国で見た「同じ風景」

 ともあれたどり着いた仁川空港は、人影もまばらで、店という店は閑古鳥が鳴いていた。これには驚かない。というのは、直前に訪れていた19世紀末にソウルの玄関口として開港した仁川の旧市街や、世界遺産の城郭「華城」で知られる水原、韓国の民主化を主導した金大中(キム・デジュン)元大統領の足跡をたどるべく訪れた南西部の光州や木浦でも、同じような風景が広がっていたからだ。

 高速鉄道KTXはがらがらだったし、イベントは中止、博物館や美術館も軒並み閉鎖。「朝食あり」で予約していた光州のホテルでは「申し訳ないが、コロナ対策のため、食事の提供もできなくなった」と言われてしまった。

 首都ソウルも、状況はまた同じ。陽気な下宿先の女主人も、中国や日本からやってきた住人が、日を追うごとに少なくなっていくのに「コロナばかりは、自分ではどうしようもない」と、さすがにお手上げだった。

 出発ロビーでは数十メートルごとに机が設置され、検査員がサーモグラフィーを使って歩行者の体温をチェックしていた。熱感知カメラを額に当てた体温測定は、入国審査と、飛行機に乗り込む前の2回。意外にも半分も席が埋まっていない機内では、日本の厚生労働省からの「質問票」と「お知らせ」が配られた。

 ざっくり言うと、2週間以内に中国の浙江省や湖北省、韓国の大邱(テグ)などに滞在していたか▽滞在していたなら、必ず検疫官に申し出てほしい▽健康状況や感染した患者と接触した可能性を確認してほしい――という内容だった。

 到着した関西国際空港は、こちらの予想を裏切り、のんびりしていた。「1カ月以上前になるけど、大邱を訪れていた」と、少し緊張しながら告げたのだが、検疫官はあっさり通してくれて、拍子抜けしてしまった。むしろ驚いたのは、スマートフォンのニュースアプリが、搭乗したアシアナ航空が9日から3月中の日本路線をすべて運休すると伝えていたことだ。1990年にソウルと東京間で就航してから初めてだという。

 その後は、兵庫県の自宅で1週間あまり、ほとんど外に出ることなく待機した。発熱もなく、健康に問題がないのを確認してから、空席が目立つ新幹線「のぞみ」に乗って、勤務先のある東京へ。日本でも、韓国で見てきたのとほぼ同じ風景が広がっていた。

(略)