志村けんさんの訃報を受けて中国を非難するコメントが多い中、厚労省の「悪いのは人でなくウイルス」発言が引用されている。それは正しいのか?中国の庶民は悪くないにせよ、習近平の罪を見逃すことはできない。

広がった中国へのバッシング
3月30日、長きにわたって日本国民に幅広く愛されてきた志村けんさんの訃報が伝えられると、多くの日本人は衝撃と共に悲しみに包まれた。
その悲しみは怒りへと変わり、ネット上では「悪いのは中国」とか「志村けんを殺したのは中国だ」といった種類のツイートが溢れ出た。

たしかにこの「中国」を「中国人」と書いているコメントも多く見られ、これを「ヘイトスピーチ」と非難する声もまた同時に上がっている。

そのような中、厚生労働省がかつて(2月1日に)言った「決して人が悪いわけではなく、ウイルスが悪い」という言葉を以て、中国へのバッシングを抑制させようとする言動もある。
たとえば3月30日付けの<志村けんさん死去で広がる「中国ヘイト」殺害を呼びかける悪質ツイートも>では、最後に<日本の厚生労働省も「人が悪いわけでなくウイルスが悪い」と会見で呼びかけている。>と結んでいる。

良識的と言えばそうかもしれないが、うっかりすると、この言葉にはとてつもなく危うい視点が潜んでいることにも、私たちは目を向けなければならない。

中国のネットユーザーも「言論弾圧が人を殺す」と中国当局を非難
2月13日付のコラム<言論弾圧と忖度は人を殺す──習近平3回目のテレビ姿>で書いたように、武漢の李文亮医師は12月30日に「原因不明の肺炎はSARSのコロナウイルスに似ている」とウィチャットで警鐘を鳴らしたが、
武漢公安に「デマを流して社会秩序を乱した」として1月1日に摘発された。二度とこのようなデマは流しませんという誓約書にも署名捺印させられた。
その李文亮が2月7日未明にまさに新型コロナウイルス肺炎で亡くなったのを受けて、中国のネットでは怒りが爆発し、多くのネットユーザーが悲しみを表した。
と同時に李文亮に対する当局の「言論封殺」を激しく非難した。

その時にネットに書き込まれた言葉に「言論弾圧は人を殺す」というのがある。

中国のネットユーザーが、中国当局への怒りを表した言葉だ。

李文亮の死を受け止め切れず、悲しみのどん底に追いやられた中国の庶民が、「中国当局が李文亮を殺した」と怒りを爆発させたのだ。

言論を封殺したのは武漢市長や書記などの幹部だったが、しかし幹部がそうしなければならないのは習近平の顔色を窺っているからであり、一党支配体制が強制する言論弾圧により思考力も判断力も麻痺しているからだ。
中国の至るところに武漢と同じ幹部がいる。これは一党支配体制と言論弾圧が招いた結果なのである。

李文亮医師の警鐘に耳を傾けていれば、新型コロナウイルスは絶対にここまで広がってはいない。

責任は誰にあるのか、明確だろう。

WHOに緊急事態宣言を出させないようにした習近平
1月31日付けコラム<習近平とWHO事務局長の「仲」が人類に危機をもたらす>や1月27日付けコラム<「空白の8時間」は何を意味するのか?──習近平の保身が招くパンデミック>でも述べたように、
習近平はWHOが1月23日に出そうとしていた緊急事態宣言を出させないように必死で画策した。

もし1月23日にWHOのテドロス事務局長が緊急事態宣言を出していたら、あるいはせめて、1月30日に緊急事態宣言を出す際に
「但し、中国への渡航と貿易を禁止しない」などという条件を付けて緊急事態宣言を骨抜きにするようなことをしていなければ、いま人類はここまでの危機に追い込まれて苦しむこともなかっただろう。

人類を滅亡の危機にまで追い込んでいるのは習近平の保身であり、WHOのテドロス事務局長の習近平への忖度だ。

コロナ禍は「人災」なのである。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/04/post-92952_2.php
2020年4月1日(水)11時20分