0001玄米茶 ★
2020/04/10(金) 08:52:31.63ID:rQR8Te6F9ユニークなシンボルマーク
市町村章の制定が始まったのは明治期のこと。地域の歴史や漢字やひらがなを組み合わせたり、数字に読み替えたりしてロゴ化したものが多く、大正期には市町村章を紹介する新聞連載があったこともあり、市民の間で認知度が高まった。
現在、居住地の市町村章をすぐに思い出せる人は多くはないかもしれない。ただ、インターネットなどで話題になるものもある。
例えば、大阪府柏原(かしわら)市の市章(昭和33年制定)はデザインする過程で「かしわら」の「わ」を「ハ」に置き換えた趣向で、市内の大和川と石川との合流点に位置することも表現している。その形状がネット上で、スリーポインテッド・スターと円形月桂冠とを併せてデザインされた高級外車、メルセデス・ベンツのエンブレムに似ていると話題になっている。
同市広報課の職員は「市章が入った名刺交換をする際に、似てますねと話題になることがありました。市のアピールにつながるといいんですけどね」と話す。
岡山県笠岡市は高級ブランド、シャネルに、さいたま市は陸上自衛隊のシンボルマークにそれぞれ似ているとの指摘があるなど「似ている」ケースが散見される。
「大合併」で急加速?
「市の誕生が、地域を象徴する市章が制定されるきっかけになった」
市町村章の歴史に詳しいNPO法人職員の柳橋達郎さん(41)=滋賀県守山市=が指摘する通り、自治体章の制定は、市町村の誕生の影響が大きい。
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地方自治制度の近代化が進められた明治21年(1888年)に市制町村制が公布され、7万超あった町村が、翌22年には39の市と1万5820の町村に再編された。これは「明治の大合併」と呼ばれ、同年には東京都の前身の東京市、大阪・田尻町が地域のシンボルマークとして市章を制定。大阪市が27年、堺市が28年に続いた。
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このうち堺市は明治の大合併の影響が色濃く残る。誕生したばかりの「市」を3つ合わせた特徴的なデザインで、堺の名前の由来でもある摂津、和泉、河内の3つの国境で発展してきたとの由来を基にする。柳橋さんは「時期、全国でも市制をとっていたのはわずか。市の文字を使用しているのは当時の自負心だろう」と分析する。
自治体名を数字に読み替え、複数の文字を使ったデザインもはやった。福岡県久留米市(明治44年制定)は、中央の「米」を9つの「ル」で囲んだ意匠で、「く(9)る(ル)め(米)」を表現した。同様に広島県呉市(同36年制定)は中央の「市」を9つの「レ」で囲んでいる。昭和26年制定だが、大阪・熊取町は9つの「マ」と10の「リ」で花を形作り、「く(9)ま(マ)とり(リ)」とした。
その後、大正期から戦前の約30年で市は200を超え、「工夫を凝らしたオリジナリティーのある市章が多くなった」(柳橋さん)。当時の内務省は「市町村の歴史や特徴を発揮し、市町村に思いをはせるような紋章を制定」する意向を示したといい、柳橋さんは「住民の心のよりどころとなるようなものとして期待していたのでは」と説明する。
増える同型…地域の特徴示しづらくなった?
戦後、昭和30年代にかけての「昭和の大合併」で自治体が生まれ、新たな市章も次々と誕生。ひらがな使用が目立つほか、翼や鳥に飛躍、発展への思いを込め、平和の象徴としてハトを採用した例も多いのも特徴。ツル、ツバメなども使われている。
柳橋さんは「市章は時代を反映している。日本国憲法がひらがなを使用したことなどが影響したと考えられる。また、ひらがなの柔らかなイメージや平和への思いが込められたのかもしれません」と話す。
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※続きはソースで
https://www.sankei.com/west/news/200409/wst2004090006-n1.html