【歴史】松尾芭蕉「奥の細道」、旅のお金はどうしていたの?
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[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2020年3月30日放送の「なぞの細道」のコーナーでは、松尾芭蕉が「奥の細道」を執筆した際の旅費について取り上げていました。
「人生も旅のようだ」と旅をしながら句を詠み続けた芭蕉。しかし、現実問題として、そのお金はどうやって工面したのでしょうか?
■熱心なファンがカンパ?
松尾芭蕉の代表作といえば、東北や北陸をめぐった旅行記「奥の細道」。
芭蕉は石川県加賀市の山中温泉にも滞在しています。8泊9日と予定よりも長く滞在し、よほど山中温泉が気に入ったのではないでしょうか。黒谷橋などを絶賛し「行脚の楽しみ ここにあり」と詠んでいます。
美味しいものを食べて、絶景を満喫した模様ですが、そのお金は門人(弟子)の曾良などが工面していました。
旅費のほかにも、句会の出座料、加点料、短冊や色紙に書いた際の報酬を手配していました。
中には金沢からはるばる追いかけて路銀(旅費)を渡したという熱心なファンもいたそうです。
それほど当時の芭蕉の句は前衛的で皆に認められていました。
そして、山中温泉に長く滞在した別の理由。実は芭蕉は痔の持病があり、山中温泉につかって痔を癒したのではないかと言われています。
有名な芭蕉も、病には勝てなかったのですね。(ライター:りえ160)
2020年4月12日 6時0分 Jタウンネット
https://news.livedoor.com/article/detail/18107857/
画像
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/8/9/89f2a_1460_71ac85892e7a4768c2aa397abe224a41.jpg 先生、こっちに来てくれ、こっちに寄っていってくれの状態だから
旅のお金なんて、あんまり必要なかったろ 有名な蓮舫さんでも、痔には勝てなかったのですね。(ライター:りえ160) 曾良が蒼井曾良って名前で春画のモデルになって稼いでた その辺の住人や浪人を山の奥の細道に追い込んで殺害して追い剥ぎしてたんだろ 芭蕉の本業は「間者」つまりスパイだろ
諸国俳諧漫遊を口実に、各藩の動静情報を集めていた
部下も何人か連れていたというしな 松尾芭蕉
「幕府は芸術家に補償しろ!」
「日本と違って南蛮でわー」 俳句を色紙に書いて店にプレゼントしてたんじゃないの 別に松尾芭蕉に限らず、昔の日本人は行く先で泊めてもらってただで旅行ができたらしいがな
まれびとなんかの話とも繋がってくるが >>1
この時代だと「奥の細道」の行路ってまさに「大冒険」だよなあ
今みたいに精巧な地図も便利な交通手段もなく、治安だって決して万全だった訳ではないだろう
もしかしたら疫病の危険だってあったかもしれない
それを高齢になってから「大冒険」に旅立ったのはほんと凄いと思う 松尾「ば、芭蕉は、か、か、母さんが死んだ後は、お前はお腹が空いたら親切な人におむすびをもらって食べなさいといって死にました・・・おわり」 実は江戸では家賃を滞納してて夜逃げ同然に家財を売り払って出発。
旅先でも饅頭屋の看板のデカい饅頭(陶器製)に食らいつく程の
メシもロクに食えない貧乏旅行だったのよ。 幕府が出してたんだろ
各地の藩の内定する重宝だったんだし その土地その土地に連歌が好きな旦那衆がいて
芭蕉はその道の第一人者だから
適当に滞在して連歌大会連歌教室開いて
旅費と滞在費を得てたって聞いたが 奥のほそみちを読んだことがあれば
田舎の俳句好きの金持ちの家を廻る
営業活動だって分かるだろうに 芭蕉と由良が出来てたんやっけ?そんな話を聞いた事ある 門人でもある酒田の豪商が招いたのでしょ?
そいつからたんまり貰ってるハズ 増田こうすけが面白おかしく描いてる通りだ
なんだかんだ天才だけに破綻してる部分も多いんだよ 表の顔は「俳人」
裏の顔は「幕府のスパイ」
だったんだろ
表では俳句を
裏では諸藩に関する幕府への報告書を書いてたんだと思う 45にもなって冬のキツすぎる東北に
行ってみようって徒歩で出かける高血圧痔持ちだからな >>34
幕府にそんなお金ないなw
天下の回り物で幕府も朝廷もすっからかんで庶民のがよほどお金の使い方は余裕があった
でなきゃ方々から句会に招かれて、なんてないし おまいらが紡いだ迷カキコも200年後教科書に載るかもしれない ノミシラミウマノショウベン枕元とか書いてるけど、本当は国境レンジャーの隊長の邸宅に泊まってたんだよね。 >>14
芭蕉の死因を考察したお医者さんの論文が興味深い。
松尾宗房(後の芭蕉)が仕えた主君もどうやら結核。
芭蕉は推定直腸結核。かわいがっていた甥は若死にするが
推定結核。
なぜ?当時の社会習慣から考え・・・・
まああとは論文を探してくれ。 各地で俳句教室開いて格付けチェックとかしてたんだろ >>50
1日50km以上移動した日もあるみたいだしな
行こうと思えば行けなくもない距離ではあるけど、馬とか使いたくならなかったのかね >>47
奥の細道の旅は、春の終わりに出発、梅雨の雨に苦労しながら旅をした。
秋の半ばで終了。 >>36
有名人だからこそ死ねば世間にすぐバレる
自分の領地で殺したらその藩は幕府から改易食らうし カツアゲに決まってんだろ、この時代にノホホンと旅してりゃ即殺されるわ 昔の人はなんでも徒歩で凄いな
実際あんな楽しそうじゃないと思うけど 奥の細道ってアナルファックの隠語なんだってね
芭蕉が実はゲイでいい男を求めて日本中を旅したのを記録したのが奥の細道らしいよ >>21
江戸時代は地方でも富豪や知識階級が多く、都会の最先端の学問、文化、芸術を吸収する意欲がものすごく高かった
年貢率は高いとはいえ、それでも文化を受け入れる余地は生まれてた
その結果なにがしかの才能があれば富豪や知識階級は旅人に宿を貸し、地方の横つながりで次に申し送りして、いくばくかの小遣いを持たせて旅立たせてた 移動が早い事から余程の健脚で忍者説があるのだよな。 >>65
明治生まれの爺ちゃんは、今で言う熊野古道を毎日2キロ往復して小学校に通ってたし、それが田舎では普通だった。
その当時で「健脚」と言われる人は相当な身体能力があったんじゃないかと思う。 そんなコロコロ国境越えられるなんて不思議だろ?
どう考えたって、幕府関係者だろ >>68
ふつうの旅(商人など)が30キロ+/日だよ。
熊谷〜大宮が1日(約34キロ)。
奥の細道の旅は夏なので、がんばれば50キロ弱歩ける。 夏草や…とか詠んじゃうだぜ、現代のポップスターみたいなもんだろ
行く先々でパトロンだらけよ
バンドマンを引き連れ全国ツアー、実際はそんな移動してないし
間宮の方が別次元に凄いし
松島なんてネームバリューが上がりすぎて、訪れたほとんどの人がガッカリしちゃう 紫式部「マンズリ夢小説すまんw」
藤原業平「京都人に道聞いたら嘘吐かれた死ね」
松尾芭蕉「なんもないなここ…奥の細道!w」
夏目漱石「東京出身の俺様に陰湿なイジメしやがった愛媛土人小説で晒したろw」
日本の文学ってこんなのばっかだぞ >>75
俳諧師は僧形。ようするに、形だけは出家して所属する寺の
身分証明書を持ち、修行名目で旅をする。 俳人にしては移動速度がやたら速い
ぶらぶらしてるように見えるときはなにか隠密行動やってたんだろう 幕府の隠密だからだろw
要するにスパイだよ。
表向きは俳諧人、裏の顔はスパイ。
日本の歴史教科書もデタラメが多い。
こういうことちゃんと教えないと。
坂本竜馬も同じこと。
本人が自覚してなくても、野心を利用されて駒として動かされる。 >>78
今で言うところのB'z
パク……何でもない >>50
40代位までは健康ならまだそれ程体力の落ち込みはないだろうな
50過ぎると日常でも影響出てくる そういや山中温泉に芭蕉さんがソラ君に怒られてる像があったな 日本三大有名になりすぎた奇説
・松尾芭蕉忍者説
・上杉謙信女性説
・明智光秀=天海説 松尾芭蕉が全国巡って俳句で悪代官こらしめるドラマつくったら視聴率取れるぞ! 隠密説があるが隠密と兼務していては、あの深い句は読めない
俳句など全く判らないが、なんとなく言ってみる。 >>70
いや普通に行商人や旅芸人、遊行人も対価なく泊めたらしい
明治時代とかにも続いていて、宮本常一とかは四国から大阪に遊びに行った乙女の話を書いてたり
そのうち勝手に居座って嫁になる、押しかけ女房みたいな話もあったりなw 東海道の駅伝があんだけ盛り上がるんだから
奥の細道も自転車ロードレースとかで便乗すりゃあ良かったのにな
現代なら三日くらいで走れそうだし >>11
問題はその送金方法
何ヶ月分もの旅の資金を現金で携えて江戸を出たのか?
ヨーロッパでは既にメディチ家の銀行がヨーロッパ各地に銀行を作って送金システムが確立されていた
ちなみに現在はクレジットカードの会社のアメリカン・エクスプレスは一般旅行者向けに旅先で使える小切手、トラベラーズチェックを発行したのがきっかけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています