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https://president.jp/articles/-/34608

危機対応を売りにしてきた安倍政権だったが、新型コロナという戦後最大級の危機にあって、リーダーシップを発揮できていない。
4月7日には新型コロナに関連する3度目の演説・記者会見で、戦後初の緊急事態宣言を行った。
この時の安倍晋三総理の姿を、「お疲れのようだが大丈夫か」と同情的に見た人は多いと思うが、闘う姿勢を感じたという人は少なかっただろう。

(中略)
■「反朝日新聞」だけになってしまった
例えば慰安婦問題や憲法議論において反朝日新聞的態度をとってきたのが安倍総理で、
愛国的議員として保守派から支持を受けるようになったのはこういうわけである。
つまり、ここでいう「愛国」とは、反戦後民主主義であり、反革新であり、なんなら反朝日新聞だったのだ。
もちろんこれ自体に意味はあったのだが、これ「だけ」になってしまったところに問題がある。

安倍総理は自らを「開かれた保守主義者」とし、その政治思想の成り立ちについても『新しい国へ』に綴っている。
ここでまさに「祖父が推進した日米安保に反対する人たちをうさん臭く思った」と自身の保守主義が反革新的感情から醸成されたことを自ら明らかにしているのだ。

(中略)
■親米こそが保守=愛国者といういびつな図式

しかしここで問題が生じる。リアクションとしての反革新に終始していると、
「普通に見れば愛国的、ナショナリズム的感情の発露であるはずなのに、
革新の専売特許になったことで保守が手を出さなくなったカテゴリー」が生まれることになった。アメリカとの関係である。

沖縄の反基地運動を保守派は「反日勢力の仕業」「中国や北朝鮮に対する利敵行為」というが、
普通に考えてナショナリストは自国に他国の軍隊の基地があることをよくは思わない。
だが、反米・反基地は革新派の専売特許となり、さらには安全保障の現実という建前が加わって親米こそが保守=愛国者という図式ができあがった。

自立心のない安全保障観は、アメリカと組んでさえいれば大丈夫という誤った信念を生む。
つまり北朝鮮のミサイル対応や尖閣沖の中国船に強く出られるのも、「いざとなったらアメリカがやってくれる」と思うからで、
その状態を保つこと、アメリカの要請に応えられる状態を保つことが日本における危機管理の柱になってしまったのである。

(中略)
4月7日の会見で、安倍総理は「最も恐れるべきは、恐怖それ自体です」と述べた。
聞いたときにも妙に詩的だと違和感を持ったが、のちの情報によればこれはフランクリン・ローズヴェルトの大統領就任演説の一節だという。
「戦後最大の危機」を迎えるこうしたときに、全国民に語り掛けるここ一番の演説で、借り物の言葉、それも他所の国の歴史から拝借した言葉に“乗っかる”とは。