0001樽悶 ★
2020/04/20(月) 22:40:17.11ID:kk8gBNrz9https://amd.c.yimg.jp/amd/20200420-00037250-bunshun-000-1-view.jpg
政府による緊急事態宣言発令の行方に関心が高まっていた4月2日、日本維新の会の谷畑孝衆院議員(73)がひっそりと国政から姿を消した。
「4月1日に辞職願を提出したのですが、維新側はその理由を『体調不良』とだけ説明。谷畑氏は1年以上登院しておらず、重病説も飛び交いましたが、側近らは『少し物忘れがある程度で心配ない』とその度に打ち消していました。ただ、大阪で入院生活を送っていることは確かで、闘病のせいか、かなり痩せてはいるそうです」(維新関係者)
谷畑氏は1989年の参院選で旧社会党公認として大阪府選挙区から出馬し、トップ当選。96年に自民党に移り、衆院議員に鞍替えして8回の当選を果たしたベテランだが、彼の政治活動の歩みは、部落解放同盟の“ドン”と言われた上田卓三元衆院議員の存在を抜きには語れない。
「谷畑氏は上田氏の元秘書で、部落解放同盟の推薦を受けて政界入り。そして彼の支持母体となったのは上田氏が73年に設立した『大阪府中小企業連合会』(中企連、現・ティグレ)という中小零細企業や個人事業主を対象とした商工団体でした」(永田町関係者)
ティグレは全国約3万の会員の節税対策などを請け負い、その収益で与野党問わず政治家を支援。組織内候補の谷畑氏は政治団体「ティグレフォーラム」の顧問代表を務めてきた。
「ティグレの“看板”は日本政策金融公庫などの制度融資の申請にも影響力があると言われており、東京や大阪で定期的に開かれるティグレのパーティーには国会議員や地方議員などを含め、多い時で約2000人が出席。ここで乾杯の音頭をとるのが谷畑氏でした」(同前)
■“昭和”を知る政治家がまた一人……
04年には補助金の不正受給事件で摘発された食肉業者、ハンナンの関係会社から過去にパーティー券を購入して貰っていたと国会で指摘を受けたこともある。
「本人は上田氏の後継と目されながら、上田氏の永田町TBRビルの事務所を受け継ぐこともしませんでした。選挙も盤石ではなく、たびたび選挙区で負けて比例で復活。自民党では清和会に属し、厚労副大臣などを歴任しましたが、当選5回で大臣に手が届く寸前のところで自民党が下野し、その機会を逃した」(同前)
その後は政界引退も検討していたが、12年10月に日本維新の会に突如移籍し、“政界渡り鳥”として新天地に生き残りを賭けた。
「最後まで主流になり得なかった異色の政治家。次期後継候補には松井一郎大阪市長の元秘書の名前などが取り沙汰されている」(前出・維新関係者)
“昭和”を知る政治家がまた一人、去った。
4/20(月) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200420-00037250-bunshun-pol