1700年前 
日本の文化歴史が始まる。文字の伝来、神話の完成、国の成り立ち、ヤマト王朝が栄える

1350年前
百済滅亡で朝鮮人が多数、難民遺民や戦利俘囚として来る。(奈良を中心とする関西圏では人口比1割越えの可能性大なので大きな影響)

150年前
日本源流民としてのD1bの保持者である琉球民やアイヌ民を日本として、琉球民やアイヌを同化政策(欧米近現代の物質主義の導入)。

この中で急激な歴史イベントは2000年前前後の中国南部系稲作人の渡来。

初回の人数は少ないものの、社会性と生産性を持ち合わせていたので、増え方が縄文人の3倍。
100人の縄文集落は100年後に120人になるかぐらいだが、
中国南部から渡来水稲弥生人の100人の集落は100年後には300人を超え。(遺跡の調査で判明済)
西日本各地で鵜飼いが盛隆し『記紀』にも記録される。
その流れの中で大和朝廷が成立の頃には、日本に住む列島民の半数以上がD1bベースのO1b2・O-47zの稲作の民となった。

※なおこの人々は朝鮮半島経由で来た者xO-47zもいるので文化に一部共有部分がある。