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 一方、政府は一貫して慎重だ。菅義偉官房長官は記者会見で「道路が物流など重要な機能を果たしていることにも配慮する必要がある」と指摘し、内閣官房幹部も「他国で行われた都市封鎖を研究した結果、パニックが起きて逆に感染リスクが高まりかねないとの結論に至った」と話す。

 だが、他国に比べて「国民の自由・権利」を尊重する傾向が強い現行の憲法が、政府の慎重姿勢の背景にあるとの見方もある。官邸幹部は「本当に移動を制限すれば『私権制限だ』と騒がれるだろう」と話す。西村康稔経済再生担当相も国会で、人権制限につながる措置について「国民の総意であれば検討を行うこともやぶさかではないが、その際には憲法上の議論も必要になる」と述べた。自治体の要望があるとはいえ、緊急時に憲法を巡り世論が割れないよう注視した。

 防衛大学校の山中倫太郎教授(憲法学)は「戦後の日本では『人権の制限は抑制的であるべきだ』という考え方が強い影響力を持ってきた。平時を超える人権制限が不可欠な緊急事態もそれほど発生せず、緊急事態に何をどの程度やっていいのかという議論、学説、判例が蓄積されてこなかった」と指摘。「そうした状態で今回の事態に直面し、法律も抑制的で、政府としても思い切って動けない部分もあるのではないか」と分析する。

自民「本音」は封印 改憲議論停滞続く
 4月7日に安倍晋三首相が緊急事態宣言の発令を国会に説明した際、日本維新の会の遠藤敬国対委員長が「緊急事態に陥った際、国が国民の生活を規制する強制力を担保するため、憲法改正による緊急事態条項の創設が不可欠だ」と訴えた。これに対し首相は「国民の安全を守るため、国家や国民がどのような役割を果たすか、憲法にどう位置づけるかは、極めて重く大切な課題」と前向きに応じた。自治体の先行する動きと呼応し、自民党内には「憲法に緊急事態条項があれば、強制力を持った法律が作れる」(伊吹文明元衆院議長)との意見が根強くある。

 憲法9条への自衛隊の存在明記を目指してきた自民党は、新型コロナを機に緊急事態の議論を優先する方針に転換している。ただし「本音」の内閣の権限強化や国民の私権制限は封印し、テーマは「緊急時の国会の在り方」だ。それでも国民の困難に乗じて議論を急げば「火事場泥棒」との批判も浴びかねず、慎重なかじ取りを余儀なくされる。
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 非常事態が起きた際に内閣の権限を一時的に強め、国民の権利を制限する仕組みは現在の法律で既に整備されている。
(中略)
 内閣だけの判断で国民の権利を制限できる仕組みは、武力攻撃から国民を守るための「国民保護法」や2009年の新型インフルエンザ流行を契機につくられた「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にも含まれる。いずれも内閣が実施できる措置の概要は法律で決められているうえ、直ちに国会の承認などを得る必要があり、政府は「基本的人権の尊重」や「国会が国の唯一の立法機関」という憲法の原則は保たれているという立場だ。

 こうした仕組みが既にある以上、あえて憲法に緊急事態条項を明記する必要はないと主張する政党は少なくない。公明党の北側一雄副代表は17年3月の衆院憲法審査会で「わが国の危機管理法制は相当程度、整備されている」としたうえで、「憲法に緊急事態条項を設けても抽象的な規定としかなり得ず、かえって恣意(しい)的に発動され、国民の権利が不当に制約される恐れがある」と主張した。

 通常の法律で対応した方が、首相や内閣による独裁や人権侵害を防ぎつつ、法改正によって事態に応じた柔軟な対応が可能になるとの声もある。立憲民主党の閣僚経験者は「国の最高法規である憲法に緊急事態条項を盛り込めば、為政者の思いのままになりかねない。期限や地域などを限定できる法律で対応する方が妥当だ」と指摘する。今回の新型コロナへの対応でロックダウン実施の法改正を主張した国民民主党の玉木雄一郎代表も、記者会見で「多くの人が思っている『緊急事態条項的なこと』が法改正でできるなら、憲法改正は要らないことが明確になる」と強調した

毎日新聞2020年5月3日 05時00分(最終更新 5月3日 05時00分)
https://mainichi.jp/articles/20200502/k00/00m/010/203000c