【三国志】「蜀王太子の金印」発見 江口に沈んだ伝説の財宝一万点 中国・四川省 [ジェット★]
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中国・四川省眉山市彭山区江口鎮の「彭山江口明末古戦場遺跡」発掘説明会
今回の発掘で、重要文化財となる2,000店の宝物を含む、10,000点以上の文物を発掘しました。
最も重要な発見は蜀の世継ぎである者が用いた「蜀世子宝」の金印で、その重さは約8kg、金含有量は95%でした。
今回の考古学発掘調査は、正式には2020年1月10日に開始され、4月28日に終了したとされており、対象となる地上面積は5,000平方メートル、地中を含む延べ探査面積は10,000平方メートルとなっています。
出土した遺物は、主に金銀貨、金銀地金、金銀食器、金銀装身具、金銀装身具、金銀装身具でした。
これまでの当地の発掘調査では、「虎紐永昌大元帥金印」、「西王賞功金貨」等の宝物も発見されていました。
以下ソース
CNS
https://m.chinanews.com/wap/detail/sp/sp/shipin/cns/2020/04-29/news9171970.shtml
写真
蜀王太子金印(蜀世子宝)
http://i2.chinanews.com/simg/ypt/2020/200429/117120970_zsite.jpg
金錠
http://i2.chinanews.com/simg/ypt/2020/200429/117120960_zsite.jpg
発掘現場
http://i2.chinanews.com/simg/ypt/2020/200429/117120950_zsite.jpg
http://i2.chinanews.com/simg/ypt/2020/200429/117120940_zsite.jpg
刘忠俊 撮影 中国発のニュースってどれが本当なのかさっぱりわからんわ 五毛党、いいから日本にマスク、防御服とっとと輸出しろや
あと損害賠償な
話はそれからだ 日本国内・三国志
新宿 台湾閥
大久保 朝鮮系
渋谷・池袋 大陸系・中国 たった3ケ月で完了?
ブルドーザーで引っ掻き回したのか? 劉備って清貧イメージだったわ
吉川英治の小説は全巻読んだが
横山光輝の漫画は一巻しか読んでないからかもw
なんだよ、庶民から税金巻き上げて大きな金印作っていたんかよ >>12
皇帝僭称したやつが王太子の地位にあったわけないだろ
蜀王太子って清の時代じゃないのか >>1
>>13
不勉強で申し訳ありません
明朝とのことです
次スレがあれば訂正して反映させます 川の流れを変えて発掘作業か。
こんな川辺に沈んでたのか。
砦のあとでもあったのか。
なぜここだと分かったんだ。 本物はこのサイズ感
漢委奴国王の金印は偽物だな
サイズを度外視したとしても印面のデザインが全く違う
普通に日本の会社で使われてる角印みたい
江戸時代に酔狂な奴が作ったんだろ
霧島の天の逆鉾みたいなもんだ このくらい財力があれば孔明にも違った選択肢があったであろうか >>27
明の戦争をそのまま書くと首が飛ぶから三国志に仮託した いや…彭山江口明末古戦場遺跡って…それ明末の名の通り明代末期の古戦場で、財宝もほとんど明時代のじゃないの?
張献忠って明の蜀王を自決に追い込んだ反乱軍の大将が、明の将軍と戦って大損害出したとこじゃん…。 >>3
三国時代ではなく多分明の皇太子。
イギリスの現皇太子チャールズがプリンスオブウェールズを名乗るのと同様、皇太子はその王朝の重要な土地の王となることが多い。 蜀って歴史上結構多いってレスしようとしたが
既に解決済み。( ´・ω・`) ちょっと前は夏侯惇の墓壊しちゃったり勿体無い事してたけど考古学重視するようになって来たんかな >>1
>2020年1月10日に開始され、4月28日に終了した(→109日間)
>延べ探査面積は10,000平方メートル
一日当たりの探査面積=10,000÷109=92平方m
つまり約10m四方の面積を僅か1日で掘ったことになる。
遺跡の発掘方法とは、
手作業で「竹べら」で少しずつ掘る。
遺物が出土したら→乗っている土を「筆」でゆっくりと払う。
だから10m四方でも、まともに発掘するのには1ケ月くらい掛かると思う。
それを1日でやってしまうとは・・・この場所は本当に「遺跡」なのか?
何かの「セット」では? 3日くらいしたら3000円くらいで大量に売ってそうだなww 金印かぁ〜→8kg→二度見
判子じゃなくて宝物扱いなんだろな >>4
戦後に中国各地やベトナムで似たようなのが出土してて江戸時代に偽造するのは不可能 >>45
朱肉から浮かして置くだけなんだから8kgでも使えるだろ >古戦場遺跡」発掘
>出土した遺物は、主に金銀貨、金銀地金、金銀食器、金銀装身具、金銀装身具、金銀装身具でした。
古戦場=戦い=当然、勝者が居る訳だ。
俺が勝者ならば、
上記の金銀製品を→戦利品として持ち帰って→溶かして地金として再利用する。
ところが、実際は持ち帰らずに現場に廃棄した。
つまり、全部が「偽金属」なのさ。 >>24
漢委奴国王の金印は108.729g
蜀王太子金印は8000g?!
80倍!!!
超デカイ >>4
出土のエピソードから何からわからないことばかりなんだよね。
そもそも百姓が見つけたという話自体伝聞で、現状の偽造説を否定する論拠は
金印は一寸四方であるが、この長さは後漢の一寸と一致する。
印鑑の付け根のデザインが日本江戸時代までに伝来していた本には明示されていないと考えられる。
といった、
江戸時代に偽造したとしたらその知識はなかったと思われるという事でしかない。
もう少し積極的に本物という何かが欲しいね。
金印の構成成分が他の国に贈られた金印と同じとか。
何故か金印の金の成分確認はされていないんだよね。 >>56
>もう少し積極的に本物という何かが欲しいね。
>金印の構成成分が他の国に贈られた金印と同じとか
これ蛍光X線分析で同じ時代に同じ窯で作られた金と一致したって報告無かったっけ? 蜀王って燕王とか越王とかと同じで
地域に封された皇帝の子弟なんだろ >>58
漢委奴国王の金印の材質は金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他
同時代の印と一致しているね。 陳舜臣先生の三国志こそ至高。次点は吉川英治。他はゴミカス。 >>58
大昔にね。
でもその時に一緒につけられた蛇の魚々子文様が同一工具で作られたとの分析はその後の正確な計測で否定されている。
つまり、当時の分析の精度はその程度ということ。
Spring8を使った超高精度の分析が見てみたいね。 >>63
普通一致を見るのに使うのは銀や銅の分量ではなく、その他の部分が重要。
でも当時はそのレベルの分析はできていないのではないかな? 蜀王の太子ってことで劉禅を思い描いたのは俺だけではないはず >>67
偽造するのに主成分比率を一致させることは可能なの? 治殷 治殷 主!主!主!・・・ (ちんちんしゅっしゅっしゅっ)
(1) 殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、
周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。
紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、
自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、
かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら
「治殷 治殷 主!主!主!
(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。
その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で
「治殷 治殷 主!主!主!」とヨダレを垂らしながら、
柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、
血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。
なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」
という文言と共にヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、
根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。
民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋 昔から税金ジャブジャブ使ってこんなもん作ってたのかよ・・・ >>68
そもそも蜀という国が3つぐらいなかったっけ… >>70
古い金細工を中国から輸入してい潰せばだいたいそんな感じの成分になるよ。
そもそも、当時の金の精製手法は似ているからね。
日本の方が江戸時代初期まで金の精製手法が劣っていて、精度が出せなかったが、これは国産技術で克服している。
でも、そこまでの精度でない金も流通していた。
95%金で、残りは銀と銅。 金八キロか、、金の比重は19程だから 400cc余り
ペットボトルサイズな塊を潰して加工したと考えたら、、ゴツいな
日本の国璽は3.5kgだってさ 明らかにショベルカーで潰れてしまっているので
ほぼ本物でしょう、24Kでなければw >>59
そうみたいだね
明太祖(朱元璋)十世孫って人みたい >>77
江戸時代に成分の分析は出来ない
偽物を作るのに主成分比率を一致させる必要性もない
古い中国製の高価な金製品を鋳つぶしてわざわざ偽物を作る? 粘土で作って金色に塗ったようにしか見えない割れ方だな 最後の漢民族王朝時代の金印とか凄いな
600年前だもんな、奇跡だよ >>84
江戸時代だって贋作を作るときには本物に似せようと
現地のものを使うくらいの知恵はあったろうに。 >>83
孔明と密約した呉が蜀を奇襲し劉備と張飛は戦死
難を逃れた関羽は曹操軍に合流、第二次赤壁の戦いで呉を撃破し蜀に攻めこむ
だが、魔王に憑依された孔明の罠が待ち受けているとは知るよしも無かった…! 桃園の儀は作り話
劉備 関羽 張飛は村のゴロツキ
一旗あげようと結託しただけ
劉備は人を見て操るのがうまかった
三顧の礼も孔明のプライドの高さをみてやったこと
関羽はプライドの高く部下には優しく上の者には逆らってた
張飛は拷問大好きの変態
孔明は軍事無能内政有能
人を見る目がなかった 重機で引っ掻き回して
金印はそれで割れたんじゃねーのか
明朝だから漢民族じゃないからって
歴史を大事にしない酷い国だ 昔の中国人て劉備玄徳とか諸葛亮孔明みたいにカッコよかったのに、今は習近平とか激しく劣化してるよね。 三国志の蜀ではないだろうに、劉備がどうとか本気で書いてるわけではないよね? 苦労人の劉備じゃなく贅沢三昧の生活をしてたボンボン劉禅が使ったんだと思う
あいつほど無能な暗君は中国史でもトップクラスだし
今になって考えると趙雲が蜀を滅ぼしたと言っていい 三国志ではないな
あそこは漢の皇帝だもの
スレタイが不適当 >>100
そうかな。
無能な君主は史上で数えきれないと思うけど…
例えば宋の後廃帝の劉cとかはひどすぎる皇帝の一人だと思う。劉禅なんてかわいいものだ。
劉宋に限らず、南北朝時代はひどいやつだらけだけどね。(基本、初代だけ偉大。) 中国では漢王朝以降で、皇帝の一族などが王に封じられた。(一族以外もいた。)
三国志が好きな人なら、例えば献帝は兄の少帝の時代には陳留王だったことを知ってそうだがそういうことだ。あとは劉備は中山靖王の末裔だのなんだの。
こういう王のうち、地方の王は世襲王家だったりする。
明代の蜀王も朱一族だったはずで、明末くらいに滅んだ。このニュースもそれ。 >>100
これは明の時代の金印
それはともかく、劉禅は在位40年
実際にはそれほど暗愚ではなかったと思う 劉禅は政治に興味なかっただけで圧政を行ったわけじゃないしな
少なくとも民衆から恨まれるようなことはなかった 劉禅の治世は40年に及ぶ
諸葛亮孔明が没した時の国力は蜀の2倍が呉で魏は蜀の4倍以上だった
それを考えても劉禅は無能じゃない
三国志演義では無能と描かれているがが史実だと
自ら命じて蜀の地を細かく治めていたと記述があり 降伏した後は蜀の臣下達が反信を抱いていると思われない様に演じていたとか >>105
それは三国志演義ね
史実は政治をあまりに細かく自らするから臣下から逆に私がやりますからとたしなめられてる
あと劉備と糜竺の妹の間の子だから頭悪いわけないらしい 劉備が遺言で諸葛亮に帝位を譲ると言ってるからな
世継ぎがいないならわかるが皇帝の位を皇太子を差し置いて臣下に継がせようとか
親の贔屓目から見ても劉禅がスーパー無能なの証明してる
諸葛亮も暗愚の相を丸出しで見てとれる阿斗を支える心労で早死にしたようなものだし
姜維を信頼して北伐に大軍を与えてればむしろ押し込んで魏が滅ぶまでは持ちこたえれた >>105
姜維は懲りもせず北伐ごっこで
なけなしの国力を消耗するし
黄皓は国家私物化やりたい放題
この二人がいなきゃ蜀ももう少し
長く栄えたと思うけどね
二人をコントロールできなかった
劉禅が悪いっちゃ悪いんだが >>109
姜維は懲りもせず北伐を仕掛けたのは
こっちから先に攻めるから戦場の選定や時期や規模など主導権を常に蜀側に置けるということだよ >>71
ようこんな歴史的知識を(いい意味で)無駄遣いできるなあw 敗退した姜維を罪に落とし北伐による牽制をやらなくなったから
逆に魏の主導な二方面作戦を許す事になった 中国の歴史といったらみんな三国志だな。スレ立て主も明や清の歴史も勉強しとけよ 横山三国志でも金印転がりすぎだろって思ったけどマジなんだな 創価系列のコミックトムが連載引き受けて
横山三国志が成り立ったからその点では漫画文化への貢献は大きい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています