【歴史】明智光秀も…「討ち死に」ばかりじゃない 武士の残念な死にざま ★2 [首都圏の虎★]
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鎌倉時代から明治維新までの約700年間、時代の主役は「武士」だった。
武士は戦で戦うもの。けれど、武士たちが皆、戦場で討ち死にをしたわけではない。その死に方はさまざまで、「残念な死に方」をした武士たちも多くいたのだ。
『残念な死に方事典』(小和田哲男監修、ワニブックス刊)は、織田信長、明智光秀、坂本龍馬、沖田総司など、鎌倉時代から幕末までに登場する武士の死に方をイラストを交えながら紹介する。
大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)で話題の主人公・明智光秀。本能寺の変で織田信長を討った光秀の最期はどうだったのか。
本能寺で信長を討ち取って京を制圧し、天下人になるはずだったが、ここで誤算が起きる。本能寺の変を正当化するために毛利方に宛てて送った密書が毛利に届かず、備中高松城の戦いに挑んでいた羽柴秀吉の手に渡ってしまったのだ。さらに平定したはずの京では、反旗を翻した光秀こそが謀反人であるという主張も出て混乱。中国攻めの最中の秀吉は毛利と和睦を結び、光秀を討つために全ての軍を姫路へ引き返して来てしまう。
本能寺の変から11日後、天王山の麓である山崎で、光秀軍と秀吉軍の戦いが始まる。秀吉軍は4万近くに対し、光秀軍は1万余り。戦いが始まると、勝負がつくのは早かった。
光秀軍の主戦力である斎藤利三隊とその3千の兵が崩壊すると、秀吉軍が戦局を一気に掌握。光秀は敗走するしか術がなく、数名の家臣と共に坂本城へ向かう途中、農民による落武者狩りに遭い、山野で野垂れ死んでしまう。信長を討って天下人となって11日、あまりに短いその治世は「三日天下」と呼ばれる。
◇
本書では光秀のほかにも、多くの武士が登場する。戦国大名から乞食になり、浜に捨て去られた伊藤義祐。冷水を浴びて月にお祈りして勝利を願おうと、冷水を浴び続けて倒れた戦国時代の大大名・尼子晴久。信長に逆らい、日本で最初に爆死したという説がある戦国武将・松永久秀。石山本願寺攻略に手間取ったため追放の憂き目に遭い、体調を崩して湯治をする際、足を滑らせて転落死した信長の重臣・佐久間信盛などなど「残念な死に方」のオンパレードである。どうにもかっこう悪く、おおいにまぬけな死にざまの数々は、武士といえども私たちと同じ人間なのだという、当たり前の事実に気づかせてくれ、彼らへの親近感がわいてくる。
また、本書に登場する武士たちの思いもよらぬ最期を知ると、人生いつ何が起こるかわからないことを実感させられもする。武士たちの死生観を通じて、生死について改めて考えるきっかけとなるかもしれない。
(T.N/新刊JP編集部)
2020.05.02 15:00
https://biz-journal.jp/2020/05/post_154624.html
https://biz-journal.jp/wp-content/uploads/2020/04/200502bk.jpg
★1 2020/05/03(日) 18:31:16.10
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1588498276/ 上杉謙信は高血圧の中便所で力んであたって死亡
うんこまみれ 5ちゃんは歴史好きが多いな
結構ためになる書き込みもあるし 今の時代のニートから見ればクレイジーだが
その時代に生きていれば選択肢は無いに等しい
くらいに少ない
それしか生き抜く道はないから意外と腹が決められる
立派な道徳は自分にあきらめを諭す統治者の洗脳 武士道と死なら「葉隠/山本常朝」
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」
「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし」
第二次大戦で、この言葉を胸にして死んだ兵士も多い。罪作りな話だ。 名のある武将だったら、討ち死にしたほうが珍しいだろ。 戦国時代の武将たちって
夜ゆっくり寝られる日はあったのだろうか。 麒麟は来なかったけど、ヘチが来ちまったじゃねーかwww 明智って落ち武者狩りからの切腹で誰かに介錯させて首隠したんでなかったけ?
首見つかって京都でさらされたはずだな >>8
生き残らないと名のある武将にはなれないからなぁ 前スレをざっと見てみると本当に戦国武将の死に様っていっても色々あるんだな
まさに事実は小説より奇なり 建て前
武士は食わねど高楊枝
実践的
腹が減っては戦はできぬ 武田信玄は襲撃に備えて便所を広く設計したとか聞くけど襲撃された武将っていたの? 野垂れ死には普通。
だから合戦で死ぬのを名誉とする考え方が抵抗なく受け入れられた。
そもそも源頼朝からして暗殺説もあるものの、公式には落馬が元で死亡。
それこそ武士にはあるまじき死に様であった。 弁慶さんも立ったまま、色々と垂らしながら死んだんだよね。みっともないわ 芸州の酒を江戸に献上する船が八丈島の近くを通って時に
宇喜多秀家に呼び止められて酒を分けた話があるけど
その家臣が酒にに酔った福島正則に
「海を泳いで大阪城に味方した敵に酒を献上したら江戸に顔向けできん!」
と手討ちにされた話を知る者はいない・・・嘘だからw そもそも戦国武将とか美化しすぎなんだよな
大勢が刀や槍で戦ってたんだから戦場は凄惨だったろうに
討ち死に自体が臓物撒き散らしたりバラバラ死体だったり半分えぐられてたり残念すぎるだろ 年がら年中戦して畏れられた武将でも厠で逝っちゃう
そら運やろ。しょうがない >>7
罪づくりなのは
その話の解釈を捻じ曲げたことな
意味は失敗したときは死んで責任取るつもりでやれ
だぞ? 朝倉義景は?
親戚に裏切られ切腹に追い込まれた。
そのあと切腹に追い込んだ親戚連中も信長に
始末されたけど。 >>10
佐竹義重は暗殺されるのを恐れて
毎晩布団を敷く位置を変えてたらしいなw 戦国時代の城持ちの武士なら、もう軍人というよりは政治家だった。
今のヤクザだって組を持てば、もう経営者だ。 971 不要不急の名無しさん 2020/05/04(月) 13:08:57.38 ID:wlbwdgTL0
逆に死に様がカッコいい武将
高橋紹運、鳥居元忠、毛利勝永、長宗我部信親、佐久間盛政
平津為広、大谷吉継、相良義陽、足利義輝、松永久秀、島津豊久
鬼庭良直、清水宗治、吉川経家
こんな所?
981 不要不急の名無しさん 2020/05/04(月) 13:20:28.93 ID:HZAzxsCk0
>>971
明智秀満、山崎吉家、伊達輝宗、鳥居元忠 >>27
合戦での死亡は主に追撃戦
ついでに死因の大半は刀や槍の斬殺ではなく弓と鉄砲による射殺
美化しすぎなのは同意だ 同じ国の同じ民族同士で
シマ取り合うために大規模に殺し合いまくってるとか
冷静に考えて土人だよな 小和田さん、静岡の郷土史研究者に嫌われてるぞ。少しくらい敬意を払えよ。 一番カッコいいのは弁慶だろ
死んでも主君を守ったんだぞ
実際に存在したかは知らんが クイズ脳ベルショーの4択クイズで一番笑ったのが
青 千利休
赤 万利休
緑 伊藤園博文
黄 明智光秀
(正解は青
スタッフ絶対疲れてるだろていう 家康の死因は胃癌がしっくりくるのでは。自分の死期を薄々悟っていたので、大阪攻めを急いだと思っている。 >>40
世界中の国で過去は同じようなもの
国枠が情報と移動手段で大きくなる
だけの事 >>38
足利義輝は実戦で一番人を殺した剣豪かもね >>38
清水宗治さんはあともうちょっと粘れば死なずに済んだよ…。
ちょっと残念なお方。 織田信忠あたりかな?
もっと足掻いて逃げてほしかった >>40
だからこそ各大名は朝廷に献金して賊退治という名目で他国を攻める大義名分を得ようとしていたわけよ 源義朝、源頼家、太田道灌、佐久間信盛、ジャン=ポール・マラー
「お風呂怖い((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」 千早城攻めて煮えたぎったウンコかけられて
文字通りうんよく生き残りはしたけど身につけてる装備が全部死んだ
これではやっていけん 金ならもうこれを整えるために借りてる これ以上は借りれん
ってのでもう逃げるか死ぬしかってので自殺するか
真っ裸で万歳突撃して死ぬしかないってのも悲惨だったな 明智光秀は自業自得じゃね?
自分が裏切ったんだから
下のものにも裏切られる
神戸山口組みたいな感じ 内ヶ島氏理以上の武士として残念な死に方って存在するのか? 伊藤マンショって伊藤義祐の一族だよね?
乞食でパトロンって可能なのか? 信長と信忠もみじめな最期やん 信長はドラマで扱われるほど立派な最期じゃなかったのでは 後悔しただろうな お前ら史実かどうかも分からん無駄知識ひけらかして楽しいか? >>55
清水宗治は、自分の命と引き換えに城兵の命を救う城主という役を、毛利軍と秀吉軍3〜4万の眼前で実演した、最高のエンターテナーやで。 鳥居元忠はまじカッコいいよね。
家康は死んだときの血で染まった床を血天井として江戸城に飾って登城してくる部下に改めて忠誠を誓わしたとかさ。
元忠の功績で子孫がやらかしても殆んど許されたとか いくら今の世でいいように庇ってあげたとしても
所詮は裏切り者。
死に様を美化出来ない自業自得な奴やろ。 光秀は江戸時代の空想本が広まっただけだろ
密書が秀吉の陣に偶然迷い込んだとかププッ >>40
そんな事で土人と言っていると、先進国を含めたほとんどの国が当てはまるんだが… 京都郊外の小栗栖にある明智薮に先々月行ってきた
ここは光秀が非業の死を遂げた場所
ちょうど宅地造成の真っ最中だったけど、周りには今でも竹薮が残っていて何とはなく当時を偲ぶことはできた
この近くに小栗栖神社があって、戦国時代は地侍の砦があった
光秀の脇腹へ槍を当てた百姓の頭目が砦の主で、その末裔が今も近くに住んでいる
ついでに胴塚と首塚へも行ってきた 斎藤道三は寝取った女が托卵して産まれた息子に殺されたんだよな
本人も知った上だから自業自得だが男としては残念な死に方だ あった
全盛期の宇喜多秀家伝説
・3刻5里遊泳は当たり前、3刻8里遊泳も
・クロールを頻発
・秀家にとっての犬かきはバサロのしそこない
・背泳ぎも日常茶飯
・1615年徳川軍15万、重臣全員負傷の状況から1人で泳いで参った
・大阪湾も余裕で泳いだ
・一回のクロールで腕が三本に見える
・泳いで参っただけで明石全登が泣いて喜んだ、心臓発作を起こす大野治長も
・戦に勝っても納得いかなければ勝鬨上げないで泳いで帰ってきてた
・戦の無い平日でも2遊泳
・八丈島に流されてから泳いで帰る方が早かった
・豊臣秀頼の母のヤジに流暢な岡山弁で反論しながらクロール
・サッと泳いだだけ士気が5くらい上がった
・大坂夏の陣が始まったきっかけは秀家のバタ足
・潮の流れに乗って大坂まで行くというファンサービス
・秀家は舟に乗った事がない
・八丈島から遊泳できるのは秀家くらい
・秀家は、いつも自分の刀を物欲しそうに眺める小姓に水泳を教えてあげたことがある
・フルパワーで泳ぐと周囲に怪我人が発生するので力をセーブしてた
・秀家のクロールに徳川の間者が反応してしまうので遊泳中は警戒されていた
・宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より泳いで参った!!!という名言
・超重量の甲冑を着けながら泳いでいたため合戦後脱いだ鎧を机に投げたら机が真っ二つになった 日本の戦国時代は拷問器具みたいなのは使われていなかったのかね?
ああいう趣味のある領主とかいたら大変だっただろうな。
鬼平犯科帳で学んだところによると爪の間に釘うちこんで蝋燭のろうを垂らすと、我慢強い奴でも自白するみたいのがあったけど、そのレベルの拷問とかはあったのだろうか? 宇佐美貞満「ほっ、ワシの名前は出てなくて良かったわい」 >>71
荻生徂徠が「豆を噛んで古今の英雄を罵るを以て最も痛快とす」と書いた。
今も昔も変わらん。 明智光秀が本能寺に向かうとき
まわりの農民を口封じのために
殺しまくったのを聞いて
全く明智光秀に感情移入とか同情できなかったわ >>2
そもそも謙信は酒の飲み過ぎからくる糖尿病だった。脳梗塞でトイレで倒れて、数日後に死んだ。 >>23
総大将のくせに討ち死にしたバカ殿
雪斎がゴイスーなだけ >>82
徳川家臣の鳥居強右衛門が拷問食らってるべ >>36
俺の同級生がヤクザになってたけど
「ヤクザなんてコンビニのフランチャイズと一緒だ」って愚痴ってたよ。
組の看板使っていい代わりに毎月FC料金払わされるんだってさ。
しかもしっかり固定で。
プラスなにかもうけがあった時には追加で払わされる。
だからか知らないけど、そいつはコンビニのバイトの兄ちゃん、姉ちゃんには常に丁寧に対応するようにしてるんだって。 >>46
当ててください的なサービス問題だらけのなか
昭和歌謡の歌詞穴埋めだけ異様な難易度 >>24
それって福島正則は分け与えた武士を褒め称えて無かったけ、なんか大昔のクイズ番組でやっていた記憶があるんだが >>87
梅干しの食い過ぎによる塩分過多の高血圧で脳の血管がキレたんじゃなかったっけ謙信 伊達政宗とか相当なうつけものだわな
一族郎党女子供関係なく殺しまくったり
家臣斬りまくったり
英雄視すんなよ なんでこんな刃物で切り合う?ばっかじゃね?w って我に返る武将はいなかったのか? (´・ω・`)
>>14
三条で晒されて今も奥まったところに明智塚がある
改葬されたんで場所は当時と違うそうだけど ▼吉田定房(公卿、14世紀)
『赤ん坊級に弱い関西人が一騎当千の鎌倉武士に勝つなんて無理ゲー』
▼人国記(戦国時代の地誌、16世紀)
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』
▼武田信玄(戦国最強の将、16世紀)
『関西人は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯もする』
▼甲陽軍鑑(甲斐武田の軍学書、17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』
▼雑兵物語(江戸時代の兵法書、17世紀)
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』
▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼薩摩兵(西南戦争の頃、19世紀)
『またも負けたか八連隊(=大阪兵)、それでは勲章くれんたい(=京都兵)』
▼北九州久留米兵(ラングーンの兵站病院、20世紀)
『またも負けたか安兵団(=京都兵)』
▼湯川秀樹(京都大学名誉教授)
『日本では関西が弱くてね。東から北へ行くほど強いんです。わたしたちの住んでいるこのへんが一番弱いんですね(笑)』
▼古瀬正行さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼司馬遼太郎(大阪府出身・作家)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』
▼樋口清之(奈良県出身・考古学者)
『平安末期の関西人は、本当に男でも女のような体質ですね。肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』
▼清河八郎(山形県出身の幕末志士)
『京・大坂は人にへつらうばかりで意気が上がらず、東方男子の風と異なる』
▼杉浦明平(愛知県出身の作家)
『本当に京都は酷いですねえ。部落差別なんかでも、やっぱり今でもあそこは根拠地みたいなところがある』
▼井上満郎(京都産業大学教授)
『秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます』 >>93
輝宗の場合討ち死にって言うんか・・・むしろ味方に撃たれたって話だが
准有名どころだと足利義輝・上杉朝定・陶晴房・龍造寺隆信・長宗我部信親・高橋紹運・鬼庭左月斎あたりかな
意外と死なないよねさすがに大名クラスは >>51
風呂場では、管領の細川政元もだな
時代は違うが源義朝も 下総千葉氏29代当主の千葉邦胤の最期
元旦、新年の祝賀で家臣一同集まっていた
↓
食事の配膳係だった万五郎が大きな屁を2発かます
↓
邦胤は烈火のごとく怒る
↓
万五郎の言い訳に邦胤ガチギレ!万
五郎を蹴っ飛ばし斬り殺そうとする
↓
周りの重臣たちがたしなめその場は収まる。万五郎登城禁止
↓
その後登城を赦された万五郎は5月のある夜邦胤の寝所を襲撃。深々と2度刺された邦胤は絶命
元旦の恨みの他に、邦胤と万五郎は衆道関係で、他の男に手を出した邦胤に万五郎が怒ったという説もある
邦胤の死で千葉宗家(馬加氏系)は滅亡 >>105
風呂場で殺され過ぎだよな
まぁ丸腰は確実なんだろうけど、どんだけ警戒してんだよっていう >>73
「せめて御大将だけでもお食事を!」
「部下が飯を食えんのに俺だけ食えるか!(卓袱台返し」 >>69
伊東は日向の大名だが、大友宗麟に服従していた
(当時の宮崎県熊本県あたりの地方領主はみんな、大友と島津の間でコウモリ外交をしていて、伊東もそうだった)
伊東マンショのパトロンは大友宗麟。
マンショが帰国したとき、伊東家本家は滅亡して
従兄弟が島津に服属して存続していたが
マンショは従兄弟の元に戻らずに隠れ宣教師として生涯を送った。 いたずらしようとして身罷った天皇もいるでござるから(´・ω・`)きゃわ >>96
僕は謙信に会った事が無いんで受け売りだが、
BSP「偉人達の健康診断」という番組の
「謙信」の回で、謙信に関する文献・記録を調査した結果、お医者さん達が導き出した死因が>>87だった。 >>103
重臣クラスいれるなら甲斐武田にいっぱいいる
信玄時代も勝頼時代も 京都兵wwwww
『御堂関白記』
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。依りて的を打たしむと云々。射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如しwwwww」
『山槐記』
「宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走wwwww」
『吉記』
「於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了wwwww」
『吾妻鏡』
「所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒wwwww」
『愚管抄』
「宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌwwwww」
『吉田定房奏状』
「戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんやwwwww」 >>95
せやで
でも福島正則は酔っ払って部下を手討ちにしといて
酔いが醒めた後に猛烈に後悔するような人だから
ちょっと有りそうかなって >>65
金吾は再評価してやって欲しい。朝鮮出兵の時は17歳で関ヶ原の戦いの時は19歳だぜ。 そういや大内義隆と陶晴賢も衆道関係あったと言われてるよね
謀反時はあったかどうか知らんけど >>1
落ち武者狩りにあって農民に身ぐるみはがされ惨殺された >>101 『宵越しの金はもたない』ってのは有名な表現。これ東京人。つまりヤセ我慢の文化。
一方関西人は、良く言えば、合理主義。
戦場でスタコラサッサの西の兵を語る時、根源的な価値観の問題を考察してみる必要はある。 >>98
伊達政宗は、若い頃に母親から毒を盛られて殺され掛けたことがある。
理由は、母親が政宗の弟を当主に推してたから。
戦国の世の常とはいえ、トラウマになったと思うよ。 忠臣蔵で襲撃された吉良上野介は蔵に隠れていたところを発見されたが
天下分け目の合戦で敗北した管領の細川高国も土倉に隠れてるところ発見されてるよね >>119
二代目片倉小十郎を追っかけ回したのはちょっと… 神保相茂と内ヶ島氏理
というか悪趣味なタイトルだな。 農民の一部は盗賊もしてたから東海地方の
農家の蔵からモノホンの国宝級の宝が出てくるわけです。 鯛の天ぷら食って脱糞した挙げ句に真田幸村に銃撃されて死んだ徳川家康w みんな切腹とかしたくないからね
結構残念というか悲惨な死に方した奴は多い 高野長英の最期とかも嫌だな。家を捨て、武士の身分を捨て、婚約者を捨て、ひたすら蘭学
の道を歩んでいたのに蛮社の獄で投獄。脱獄に成功してやれ宇和島だ奥州だと逃げ回って、
最後は江戸に潜伏していたところを役人に察知され、ぼこぼこのふるぼっこ死。 最も可哀そうな最期をとげたのは木戸孝允(桂小五郎)だよ。
明治の元勲と担がれたのはほんの一時で、すぐに中央政界から排除され引きこもる。
元芸者の妻幾松は若い役者と浮気を繰り返し、精神的に追い詰め詰められた木戸は、
伊藤博文に対する恨みつらみを日記に記しつつ鬱病をこじらせ悶死。
池田屋で新選組に斬られてたら英雄になれたのにね。 天王山の戦いの後、光秀は比叡山に逃げて僧侶となり家康と合流、
のちに天海と名乗って初期の徳川幕府を支えましたとさ 汚い部分を忠実に再現すると戦ドラマなんて作れない
ある意味ゲームの方が忠実だ 武士
ぶし ×
たけし 〇
また皆さん一つ頭良くなったw >忠臣蔵で襲撃された吉良上野介は蔵に隠れていたところを発見された
武林により切り殺された吉良の死体を倉のなかにある状態で皆が発見した(ドラマや映画は捏造)
因みに堀部安兵衛は忠臣蔵で一人も殺していない
これは高田馬場がマグレだったのではなく
わざと遺恨のない相手を殺したくなかった
と日記に書いてある(討ち入り前の記述と討ち入り後の聞き取り) >>143
輝宗「吾輩は武将である。名前はまだない」 この間読んだ本で
道三や宇喜多みたいに謀略と暗殺で勢力きづいた人は残虐みたいに言われるけど
戦でぶん取るよりよっぽど人死に少ないとあってなるほどと思った 人望なさすぎて部下に敗死したこと気づかれなかった大浦政信。 >>123
その手の母親に疎んじられた伝説は弟を殺しの正当化のためにできたストーリーに思えなくもない >>83
長野県の野尻湖で船遊び中に長尾政景と一緒に溺死。
しかし実在した人物かどうかは、よく分かっていない。 >>136
「はっ!」
「それで帰蝶殿はなんと?」
「はっ!」 >>74
竹製(諸説あり)ノコギリで首をギーコギーコ
だもんね カッコいい最期
真田信繁
織田信長
カッコ悪い最期
豊臣秀吉
徳川家康
武士に生まれたからには、戦場で散ってこそ本望。 菊丸は遊女や町娘達の無限のフミ矢で抹殺されるんだろ? >>135
デマっつーか小田原への遅参の言い訳だな そういや悪運強すぎて中々死なない奴とかもたまにいるんだよなあ。例えば勝海舟の場合
犬に急所を噛まれても死なない、刺客に20十数回襲撃されても死なない、船が転覆しかかっても
結局生きのびる、博多がどこかで攘夷派に外国人と間違われて一斉射撃を受けても死なない。
江戸で20十万人死んだコレラに感染しても結局死なない。勝海舟ってのは本当は生身の人間じゃ
ないんだろw 松永の爆死が本当だとすると残念どころかカッコいい死に方でしかないよな
記者の中の基準では残念なのか? >>38
鬼庭良直が入ってて安心した
日本史上二番目にカッコいいジジイ武将の死にざま
トップは斎藤実盛な >>163
普通の病死ならカッコいいも悪いもないよね
宇喜多直家は同じ病死でもケツから血だしまくった上に死ぬ直前に、家臣に俺が死んだら殉死してくれるかと尋ねたら無下に断られて死んでるんでかなり残念
暗殺しまくってた報いなのか >>149
弟も死んだ事にして、
こっそり出家させ関東の寺に潜伏させたんだっけ。
7代末の勘当扱いになったのも、
秘密保持の可能性がある。 >>158
戦場で死ぬってことは負けたってことだからなぁ
戦場で死んだ勝者はなかなかいないだろう
カッコいい敗者もそんなにいない 可哀そうな死に方といえば徳川12代将軍とかの場合、ペリーの「次は一年後に来るから
その時までに返事用意しておけ、その返答如何によっては江戸が火の海になるからそのつもり
でいろ」という恫喝で悶絶。ペリーが去ってから数日とたたないうちに死亡。最後の言葉は
「青鬼が見える恐ろしいのう」とかだったかな? >>171
自分が討ち死にすることで関ケ原での徳川の勝利につなげた鳥居さん >>131
高野長英を取り上げるなら、渡辺崋山も是非
数年後鳥居耀蔵が失脚するとはねまでセットで そういや高野長英に関しては娘も悲惨なんだよな。罪人の娘ということでさんざん差別を
受け、親族によって吉原に売りとばされて、大地震がおきて土蔵かどこかに閉じ込められて
いたため逃げるすべなく圧死したらしい。 >>174
鳥居耀蔵は明治まで生き延びて、
恩赦で謹慎とけ家族に看取られ大往生という。 >>174
渡辺華山は別に残念な死に方でもあるまい。きっちり腹切ってるしな
隠れてやってりゃいいものを男気出して別に見つかってもいいやと幕政批判の文章書いての死だしなんら恥じるとこはない
高野長英も同じく
同時期のみっともない死ってことなら平賀源内一択 >>8
>>103
平国香
平将門
木曾義仲
畠山重忠
和田義盛
大内義弘
斎藤道三
尼子政久
斎藤龍興
島左近
板倉重昌
天草四郎
キュロス大王
レオニダス1世
スパルタカス
孺子嬰
華雄
顔良
文醜
孫堅
夏侯淵
諸葛誕
鍾会
テオドリック1世
王仙芝
ハロルド2世
リチャード1世獅子心王
陳友諒
リチャード3世
グスタフ2世アドルフ
フェルディナンド・マゼラン
ダルタニャン
ホレーショ・ネルソン
チャールズ・ゴードン >>130
源頼家とかな
しかも実の母の命令で、しかもチン〇ちょんぱ 板垣信方もアレな死に方してるよな
信玄が神格化されたおかげで助かってる なんのかんので征夷大将軍やってた源氏の頭領さんを忘れるなって感じだけどな >>171
ネルソン提督
グスタフ・アドルフ
レオニダス1世 大坂の陣でも徳川軍12万で豊臣方を全滅させた
とか言われてるが
本当にそうだったの? そんな大軍統率とれるのか?
全滅させるにしても、爆弾も使わずに刀と槍、鉄砲だけで
数日でそんなにできるの? なんか現実離れしてる >>184
第一次三頭政治のクラッスス(映画スパルタカスの悪役)→パルティア遠征で捕虜になり、溶かした金を口に注がれて殺された 斎藤龍興は逃げて別人化して生存説があるんだね
光秀だって生存してたと思うがなあ
山奥に逃げれば当時ならほぼ完全に隠れられる
菊丸が最後に手引きするんじゃね あんまりよくわからんけど
戦場で腕切られたとかよくあったと思うけど
生き延びる奴もいるけど
とうぜん病院もなく復元もできないだろうし
そういう人はずっと腕なしで人生過ごしてたの?
宮本武蔵に勝負挑まれて両腕切られた剣の達人とかいたと思うけど
そういうのってその後の人生どうやって過ごしてたの? >>192
冬の陣で大砲使って、淀君をビビらせて和解させたことを知らんのか? 武人は死して名を残し
庶民は死して風になる
どちらも死して風になりは
七人の侍の人生観だ
黒沢は名を残したがね >>178
鳥居耀蔵は医学の知識があったみたいなのに己の資質を無視して権力の犬化した残念さと
かつての憎まれぶりを考えると平穏な死すらダサいと思う
>>179
切腹に至った経緯の一つが渡辺崋山の困窮を見かねての善意ある助言で
善意で舗装された地獄への道を歩まざるを得なかった袋小路の果てというのが
溢れた才能を持つ人に相応しくない、残念な死に方だと思う
武士=切腹が美しい死という価値観はあるからこそ、死に際が見苦しければ残念臭が漂うし
同時に天賦の才能を活かしきれなかった、環境によって殺されてしまうことも
残念だと思う >>184
豊臣秀頼と淀君が生きて捕まってたら
当然二人とも斬首、晒し首だったんだろうかね 信長は死に方だけならカッコ悪い部類なんだが
「是非もなし!」ってセリフのおかげでカッコ良い扱いされてるよな 韓国ご自慢の李舜臣も島津に討ち取られたのか処刑されたのか最後は記録に残らない死に方してるよな >>202
今風に言うと
「え?マジで!」
って言う意味だったという説もある >>198
ん?
じゃあ全滅させたわけではないの?
そもそも和解で終了なら豊臣滅びてないだろw
どういうことだ? >>205
少なくとも家康個人としては殺す気は全くなかっただろうな
まぁ大和郡山に行っても50年後ぐらいに家康死んだあと
危険視されて子孫によって亡き者にされてたと思うが >>200
>溢れた才能を持つ人に相応しくない、残念な死に方だと思う
>同時に天賦の才能を活かしきれなかった、環境によって殺されてしまうことも残念だと思う
このスレではそういう基準で話をしてないし、そういう意味での残念さなら沢山居すぎて挙げきれないよね
上でも言われてる通りその時代なら平賀源内が最たるもんだし、北町奉行の矢部定兼もそうだろう
時代を広げたら数多くて上げ切れない >>192
大坂の陣では、ヨーロッパから最新式の大砲を輸入して爆撃してる。天守閣も秀頼が居住してる御殿も大砲で穴だらけになって、秀頼も絶望して切腹したと伝えられてる 江戸時代に入ってからかな、特に殿様連中の生きざまには美しさもくそもなくなった
家臣に責任取らせて自らは安泰 自分の家のことだけ考えていかに生き延びるかに執着
戊辰戦争の時だって、列藩同盟諸藩の殿様連中は戦に負けても
部下を切腹させて自分は明治になってものんびり生き延びた
三木合戦の別所兄弟なんて、家臣領民を助けるかわりに自分らが切腹して
死んだというのに 斎藤道三、人望なさすぎ強制引退
息子義龍も土岐氏の実子と名乗りそもそも親でないと道三を討ち果たし
実にカッコ悪い死に方というかそもそも美濃国人衆はこんなだから信長に臣従するんだよな 上にも挙がってるけど
オナラした家臣を叱責したら、逆ギレされて殺された千葉邦胤
戦場で討死したけど、家臣に人望が無さすぎて
家臣は勝手に戦場離脱、城に帰った後に「そういえば殿いなくね?」ってなった大浦政信
この二人はかなりレベル高いと思う >>100 身代わり説あるよね?
俺は天海僧正=光秀を信じてる 会津の松平とかも、恭順せずに親藩大名としての特権を守りたいがために
朝廷に恭順せず、いたずらに民や兵士を犠牲にして
最後は家臣を切腹させて、ひょうひょうと生き延びた 森可成なんかもカッケー死に方だな
僧侶だけど弁慶もカッコいいってことでいいだろう
一方で義経さんはイマイチ。かみさんとガキ巻き添えにしてるし場所もよろしくない >>211
殿様が単に死ぬだけじゃなくお家取り潰しになってしまったら浪人が増えて
由比正雪の乱もどきが増えるから、太平の世を永続させるための
禍々しいシステムの一つになったんだと思う >>85
重臣に本心知らせたのも途中、兵が裏切らないようにきちっと監視していた >>220
家臣の誰かが責任取って腹斬って、それで藩が残るなら
多くの藩士は生活安泰なんだもんな
赤穂の浅野さんなんか見てたら
殿が切腹、御家獲り潰し、って方がみんな路頭に迷って大変だもんさ >>211
戦国時代は、殿様が決断したら家臣団が従うってのが一般的だったけど、江戸時代からは、家臣団が方針を立てて殿様がそれにOKを出すってやり方に変わってる >>223
西郷隆盛は責任とって太平の世を永続させたが
そこが人間としての格の違いなんだろうな >>215
今の所系図がやや怪しい大浦政信は、未来のいつか津軽地方のある蔵から
発掘された文書によって評価替えが起こりそうな感じがする >>226
西郷さんは人望はあったけど
あの人はやっぱ大名・殿様じゃないから
そういう意味じゃちょっと意味合いが違ってくるような気もするんだよな 三木合戦での別所氏は可哀そうだ
なんでああなってしまったのか?? >>143
桃の枝に鳩が止まってる絵で有名な人じゃないの >>227
津軽のどこぞから急に出てくる書物は偽物・創作物と相場が決まってる>東日流外三郡誌 >>229
なんでって、素直に恭順しときゃいいのに無茶な企みで信長に逆らったからだろうw
荒木村重にもなんで?って言うのか?w >>210
あの頃の大砲は
爆発する炸裂タイプではなく
大きな鉄球を打ち込むような
感じでは?? 特定の人間は死傷
させられるが、爆弾みたいな一気に
何十人も消し去る威力は
無かったといわれている >>224
殿様ワンオペ状態(実質は違うけれども)から滅亡した豊臣家から得た教訓が
徳川家260年余の歴史に繋がるから面白い
>>231
記録を後世に残そうとする意識があまり強くない地域だったならば仕方ない話
それさえ評価替えが起これば面白そうなんだけども私の寿命がそこまで持たない事が残念 なんか、戦国時代のころを考えると
なら平安時代のほうが、庶民もまだマシな人生送れたのではないか?
明らかに退化してるだろ
江戸時代も、圧政に次ぐ圧政で重税で苦しめていた藩も多数あった
天皇・朝廷が国を治めていた時代のほうが人道的だった >>234
当時の大砲についてはその通りで
弾撃ってドカンと沢山殺すとかってもんじゃなく
でっかい鉄の玉が飛んでくるぞっていうのと、あとは爆発音だよね
ドカンって音でビビらせて戦意を消失させるためのもん
ゲームっぽく言えば、直接物理ダメージ与えるってより
士気とか精神ダメージを与えて、戦況有利に運ぶためのものって感じ 森可秀…戦死
森可行…畳の上で往生
森可成(可行長男)…戦死
森可隆(可成長男)…戦死
森長可(可成次男)…戦死
森成利(可成三男、蘭丸)…戦死
森長隆(可成四男、坊丸)…戦死
森長氏(可成五男、力丸)…戦死
森忠政…死の呪いから逃れた人 >>226
西郷は月照とのホモ心中に失敗して自暴自棄になってただけだよ。
鳥羽伏見の際も幕軍に討たれる結果を予想しながら暴発したけど、
なぜか圧勝して政権が転がり込み、西郷自身が政府を運営する立場に。
こうした展開に最も困惑してたのは西郷で、結局、
士族の反乱に嬉々として飛びついて月照の後を追うことになる。 >>236
先の戦(応仁の乱)で古い時代の史料が無うなりましてね>京都人 とのことで
残された数少ない史料をもとに後世の学者が想像して古代の庶民像を伝えている、と思う 伏見区の小栗栖で、竹槍でわき腹刺されて即死ですよ
痛いよこりゃ 上野戦争って、どんな感じだったんだろ?
アームストロングの砲弾をもろに食らってバラバラになった
彰義隊の兵士もいたんだろうね
このころも相変わらず槍と刀で戦ってたのか・・ 銃も使ってたんだろうけど
とにかく加賀藩、仙台藩は、朝廷・天皇に対して経緯がなさすぎ
武士が上だと思ってたんだろう なぜだ?? >>192
指揮官クラスでも逃げ延びたのはいるし逃げ延びた兵も多少はいただろうな
ただ、ボロボロになっても本国に帰れればそれなりの家や領土が待ってたそれまでの戦と違って大坂の陣の敗残兵は揃って根無草
逃げ延びても大半は野垂れ死にか夜盗に身を落とすしかない悲惨な末路だろう >>236
平安時代は温暖化で死刑もないくらい平和(末期は別)
戦国時代は、飢饉があちこちに発生した時代。この差だろ。 >>240
でも、火あぶり、磔、斬首もなかったし
一族郎党死刑とかもなかっただろ
庶民階級は。反乱でも起こさない限り
江戸時代はとにかく些細なことで大量に
処刑だもんな
桑名藩の野村騒動とか酷すぎるし
越後騒動も 桑名藩の殿様も残酷だな
野村氏の、祖母や孫までも大量に処刑だもんな >>192
下っ端は大阪の民家の財産や人を略奪する目的だろ。やる気満々w 平安〜鎌倉は農業生産が当時のピークに達して、人口はあまり増えてない
室町中期から農業技術が発達して、人口が飛躍的に増加し、年がら年中戦争できるようになった >桑名藩の野村騒動
野村増右衛門は武士ね
750石の郡代だよ
公金横領の疑いがあり、この部分が弁解できなかったようだ >>250
堺の街なんか信長に献金したり利休が出世した頃なんか日本有数の経済都市だったのに
大阪方の兵に襲われて火をかけられてボロボロ、それから現在に至るまで復興していないと言われているからな >>29
そこかよ
昔は鳥も蛙もたくさんいたからなあ >>2
一説によると便所に潜んでいた刺客による暗殺というのも >>236
江戸時代前半は圧政的な側面があったが、後期は所々あった飢饉
とかを除けば、農民や町人も暮らしやすい状況。
幕末ともなると、農民や町人が没落した武士に成り代わって出世
してたりする。武蔵北部の農家兼商家出身の渋沢栄一が幕臣にな
るのなんてその典型。 >>132
木戸孝允は西郷のことでも病んでたんでしょ?
「西郷もう止めとけ」って病んじゃった 山崩れで圧死して御家消滅した内ヶ島氏理を超えるものはないだろ 光秀の落ち武者狩りは残念でもないだろ。
天王山の戦いっていう歴史の一戦をやってるんだから。
まだ残存兵力が残ってたから敗走しただけであって、あの一戦で
負けたから潔く自害しろが絶対的取るべき選択肢とも思えない。
それに当時の落ち武者狩りっていろいろあって多いときは数百人規模の
土豪集団やらが沸いてでてきたりするから、農民の数人が武士を狩ってるって
わけじゃない。仮にも戦闘のプロである武士を襲うくらいだから少なくとも数十人規模の
集団が襲ったと想像。 >>222
本当かなぁ。部下はまさか信長を討ちにいくとは分からなかったというし。
俺は何かで読んだぞ。明智の家臣の日記が残ってる。 山本常朝
殉死せずに隠居(禁止だけどね)、畳の上で大往生 死…ワニ…残念…三日天下…
最近なんか聞いた単語だな 天智天皇、山の中で行方不明に。
靴だけ残ってたとか。 >松永久秀
こいつはむしろカッコいい部類ではないか?
茶器バブルを起こして文化をマネーゲームの道具にした信長への反抗と考えれば
凄くロック
>>263
農民だって兵農分離していないほとんどの地域の農民は戦闘慣れしたベテランだぞ?
島津家だと農閑期には2万以上動員出来るが
農繁期や朝鮮とか関が原への遠征だと2000〜3000
甲斐や越後の農民は御館様と一緒に戦に行って略奪する事で冬を越す蓄えを得る
北条さん「あいつらなんか上杉やない 「飢え過ぎ」や!」 >>216
義経=チンギス・ハーン
為朝=舜天王の父
秀頼→沖縄潜伏
とか信じてそう >>268
扶桑略記の一節
「(天皇)駕馬幸山科郷、更無還御、永交山林、不知崩所、只以、履沓落處爲、其山陵以、(途中意味不明)、山陵山城國宇治郡山科郷北山」
(天智天皇は山科の郷に遠乗りに出掛けたまま帰らず、山深く入ってしまわれ、どこで亡くなったか分からない。ただ履いていた沓(靴)が見付かったため、その場所(宇治郡山科郷北山)に山陵を作り葬った) >>272
崇峻天皇
淳仁天皇
四条天皇
孝明天皇
他にも暗殺された天皇いたっけ >>224
殿様「俺が一番槍して手本見せるぞ!」
部下「あの馬鹿止めろ!」
殿様「俺自ら手本を見せてやろう」(土を運ぶ)
部下「お前の仕事それじゃねえから!」
こんな殿様や
息子が同盟相手から離反しようと反乱未遂
殿様「先方は処分はうちに任せるって言ってるから嫁と息子は助ける」
部下「ダメ!後で難癖付けられたら困るから二人とも殺せ!」
殿様「…判った処刑する」
苦労させられた敵将が部下の娘婿の弟と親父
殿様「あいつら処刑な」
部下「二人とも助命して」
殿様「ダメ」
部下「じゃあ殿と戦するわ」
殿様「…助命する」
こんな殿様もw
>>236
人口を見ると江戸時代に西の方がどんどん増えてる
農具の発展などを考えると平安時代よりは江戸時代の方が豊かだろう
エロ漫画のルーツの春画も江戸時代産まれだしw
屈強な駕籠担ぎが女を犯す今のエロ漫画と同じことを春画でやってるw 江戸時代に入ってから人口の増加率がかなり増えてるのは
庶民レベルでも戦乱の世だと死ぬはずだった人が生き残りやすい環境になってるってことだし
何だかんだで戦乱の時代より生きやすい環境だったんだろうな 見るべきほどの事は見つって
自刃した平知盛はカッコ良かったんだな こういう話題で気になるのは個人の武勇
明智討ったとされる落武者狩りって百姓だもんな
兵農分離以前だからある意味戦いの心得はあるはずだが、
そいつらと一応専門職で鍛えてる武士の強さはどれくらい違うのか
普通に考えればどんな強い人間でも同じ3メートルの槍もった人間3人に囲まれたら殺されるだろう
呂布とか関羽とか本多忠勝とかまあ古今の猛将は農民兵10人に囲まれても生き残れるのだろうか
幕末はみんな剣術やってたが、剣術やってない普通の人間数人に囲まれても生き残れるのだろうか
そもそも人間に、精神の強さや慣れ、経験の差はあっても、それは一対多を覆せるものなのか、
そこまで武勇の違いってのはあるのか
すごく興味ある >>274
呂布「」
袁術「」
張飛「」
董卓「」
丁原「」 大河は最期どうすんだろう? まさか土人にやられるのをそのまま再現できないだろうし >>188
子供の天皇だろ、石を転がして女官を転ばすイタズラをしようと
したが、間抜けにも自分が滑って頭を打って死んでしまったwww >>283
そんな与太話信じてんのかよ
アイスキュロスの死因の方がまだマシなレベル >>244
合戦でよく使われたやり方だが、「脱走して寝返るならウチで再就職させてやるで〜」←これで敵の一般兵の戦意を無くすやり方がある。大坂の陣でもこれで再就職に成功したやつがそれなりにいるよ。
徳川家康が甲斐信濃を無血占領して、武田兵のほとんどを再雇用してる。
島原の乱でも、反乱軍から大名の家来に再就職に成功したやつがいるぞ。 藤原道長……贅沢な暮らしをしすぎて糖尿病で死亡
秦の始皇帝……不老長寿の薬と間違えて水銀を大量に飲んで死亡
平清盛……マラリアに感染して死亡
源頼朝……北条政子の寝所に女装して忍び込んだところを曲者と間違われ惨殺される
釈迦……果物を食って食中毒で死亡 >>286
島原の乱は農民にも今投降すれば数年間年貢減免と宣言し、
かなり脱走者がでた。
流石知恵伊豆。 >>236
庶民が力をもってないから平和だったんだけどな
鎌倉室町時代に農業技術や経済が発達した結果、豊かになった庶民が
一向一揆や天文法華の乱を起こすようになる
力をもってない庶民が京都の公家に抑圧されても反乱も起こせないくらい
貧しい時代だったと思った方がいい
だから庶民よりもうちょっと上の関東武士が平安末期から独立戦争起こして
鎌倉幕府を作るんだし >>254
単純に商人が堺から江戸に移っただけだよ >>259
元来気鬱の気が多大にある人だからね。本来は長州なんて大藩を背負って動き回るとか重責に耐えられる人間じゃない
よく維新後まで永らえた方だと思うし活動出来た。責任感なのか使命感なのか 百姓の物語が伝わっているのはせいぜい江戸時代のことで
それ以前だと、思うに力仕事で筋骨隆々で
馬にも乗れたろうし、棒捌きや竹やりも使えた
臨時雇いを超えた戦争の準プロだったのではないか
それこそ大工仕事もできて戦陣作りもお手の物で
戦飯も酒の調達もできる無くてはならない存在だったような気がする
それも江戸の時代になり戦も無くなり
農業一筋になったところで兵士としての歴史が終わったような気がしてならない
そこから農民としての歴史に変わった
代々農家だったので
昔の百姓だった親やじいさんたちの力こぶを見てそう思われるんだが
俺の嫁の実家は半農半漁で代々海の要害の見張り番も兼ねていたらしい >>172
その前から廃人同然だったらしいから
まあショック死みたいなもんだろうな 後白河上皇と
今上陛下は
血のつながりはある? 藤原氏とは血縁あるのは知ってるが >>172
阿部ちゃんも言わなきゃいいのにきゃつらは白旗なんてもんを渡してきやがりまして…とか言っちゃうからなぁ
まぁ将軍なんぞ誰でもかまわん時代だけど可哀想ではあるな 大河ドラマで主人公討ち死にラストって珍しいんじゃない? >>301
ちょっと前に真田幸村とかやってたじゃないか 光秀討ち死にラストではないと信じたい
菊丸の手引きで北関東の山奥に隠れ麦ちゃんと暮らすで良いんじゃね 討ち死にじゃないが三谷の新選組!も最後は近藤が死んで終わりだな TVゲームの「鬼武者」の主人公かな?
明智左馬之助秀満とか結城信康(だったっけ?)とか
まあそもそも佐村河内守自体が行方不明だが 炎立つの藤原泰衡は討死じゃなく一人で逃げ延びたラストに改変されていたな 追い詰められての切腹込みなら、主人公討ち死にラストは結構あるだろ 明石掃部はどうしたんかな
海外に高飛びでもしたんやろか >>301
最近だと西郷どん・真田丸・龍馬伝・風林火山・新選組!と結構多いな討死暗殺バッドエンド大河 なのある人物は前線に出ないのはあたりまえだろ・・・ >>265
重臣逹はともかく、兵士連中は自分が誰を襲撃してるのか理解してなかっただろうな 光秀、信長にかつらを馬鹿にされて切れて裏切ったのだろ
だから準備も出来ずにすぐに討ち取られた >>301
大河だと『風と雲と虹と』の平将門のこめかみに矢がサクッ、はなかなか…
他に
『花の生涯』
『竜馬がゆく』
『樅ノ木は残った』
『国盗り物語』
『花神』
『獅子の時代』
『山河燃ゆ』
『翔ぶが如く』
『信長』
かな?
一部架空の人物入ってるけど >>312
帝国陸軍だか海軍だかに子孫の人がおってな
嫁の縁者か何かのいる九州に落ち延びてたらしい >>287
頼朝は病死だよ。
長年歯痛に悩んでいた記録が残ってて、歯周病菌が全身に廻り血栓が出来、心臓→脳に届いて脳梗塞を発症し落馬。そのまま死んだ。 >>236
いやいや、平安時代の受領国司なんか、中央に租税を納めることが殆ど唯一の仕事
後は任期中にどれだけ蓄財して賄賂を送るかしか興味がなかったから、元は農民が多い江戸時代の大名よりえげつないことを平気でやったみたいよ
そもそも搾るだけ搾れば都に帰るだけで、統治するという概念すらない
租税がらみで農民と対立したり、国司自身が殺された例も多い >>321
逃げ切ったのか
秀頼にも九州逃亡説があるね 受領国司が雇ってた自警団が武士の始まりだもんね
当時の記録だと近隣を威圧したりまさにヤクザみたいなもんだったようだ 西軍を裏切って大谷刑部に攻めかかった赤座直保は、徳川により除封・改易。加賀の前田利長が拾ってくれたが、溺死している 毛利の清水宗治って、信長が死んだ事知ってたら
死ぬ必要無かったよね >>322
晩年の朝廷工作の失敗、政治路線を巡る有力御家人との微妙な隙間風、死亡前後の公式記録の欠如、死亡直後のクーデターとも言える将軍専制の封じ込めなどなど、果たして病死だったのか疑わせる事情は沢山あるけど、真相は闇だな >>324
受領と言われると真っ先に欲大弐(紫式部の婿殿)を思い出す
どれほど悪どく溜め込んだのかと >>326
そう
時には国司の命令で対立陣営を襲ったり、逆に農民を組織して国司を襲撃したり
イメージと違って、暴力に満ちた殺伐とした時代なんだな しかし源氏男子ってモテ力がスゲェよ
流され先の監督役の娘をモノにしちゃって再起とかさ >>332
寄付名目の賄賂次第で、より実入りの良い官職にありつけるから必死
現代に通じるところがないでもない 南北朝の北畠顕家とか菊池ナントカさんも
あと楠正成の嫡男坊もか 天下に覇を唱えるために上洛してる最中に奇襲で死んじゃった人とか
ペーペーに近いような相手の嘘情報におびき出されて、重臣中の重臣だったのに
死んじゃった人とかもみじめだよな。 樽の中でラム酒漬けにされたネルソンの遺体の酒を船員たちがあやかろうと飲んでしまった話がきめえです 無限の住人の無念を絵に描いたような死に様だなってのを思い出した 医学が未熟だった時代、背中の腫れ物で氏んだ尊氏、吉川元春の患部ってどれぐらい洒落になってなかったんでしょうね? まあロシアの歴史とかになると死にざまが悲惨な奴が多すぎて嫌になるな。例えばニコライ二世
とか、皇帝なのに家族思いのむちゃくちゃいい奴だからやりきれない。 日本は穏やかだよ
残念と言っても敵方に討ち取られているものばかりだからね
悲惨なのは味方に討ち取られたり、
自らを犠牲にしたにも関わらず自体が好転しないどころか、逆に悪化していたとかね
世界を見ればそういう話は多くある 朱子学が導入される前は身内・家老クラスでも
バンバン裏切って主君も殺されてるし
親類縁者とも殺しあってるし、元は忠孝みたいな意識は乏しいよな 頼朝御用済みで○された吾妻鏡そのくだりなぜかパス 墓所行ってみて粗末さに驚いた そもそも継体から天武でも兄弟の戦争や暗殺だらけ
骨肉の争いは日本人の遺伝子だよ >>342
宇和島の伊達の殿様の腫れ物は治してもらえたのにな 前スレは親韓左派の両班のウリも随分楽しんでカキコ&ヲチをしたもんだが
まあこのスレも盛況なようで何より
戦国武将に限らず歴史上の著名人の死に方についての
まとまった不朽の名著は、まあたぶんスレでもガイシュツだと思うけど
山田風太郎『人間臨終図鑑』だろうなあ。
古い本でね、今でも入手できるかわからんが、でも著名だからなあ。
これは一度は読むべき本のように思うよ >>334 くんが面白い話をしているので親韓左派のウリもメモメモ
源氏物語の光源氏の話をしているのか
伊豆に流された源頼朝公の話をしているのかはわからないが
頼朝公がすごいのもさることながら、やばいのは千葉県民なwww
千葉県民ヤバいぜ。
石橋山の合戦で、ときの平氏政権に完膚なきまでにやられた
逆賊謀反人、叛徒反逆者のテロリスト、パブリックエネミーNo.1の賞金首
頼朝一行数十人が東京湾渡って安房、房総半島の先頭にやってきたとき
これ、普通ならとっ捕まえて京都の平氏政権に連れてって恩賞貰うじゃん。
千葉県民はそれをしなかった。じゃあ何をしたか。
続々と敗軍の将、頼朝に忠誠を誓いその膝下に馳せ参じたwww
何を考えているんだ千葉県民www ちょっとおかしいだろwww
源頼朝が房総南端安房にきたときは主従数十騎といわれてるんだけど
頼朝が房総半島を北上して千葉県を去る時、
つまりは下総国と武蔵国の境界である隅田川をわたるとき
一説には部下20万騎っていうんだからねw 落ちぶれた反乱者につくんだぜ。
まあもちろん全員千葉県民じゃないけどw ちょっとすごいだろ関東武士団www
ついでにいっとけば主力である千葉県の語源である千葉氏って
系図遡れば立派な平氏だからねw これwww >>334
何故か源氏は身内で殺し合う。
あまり良いイメージ無い。 >>68
なんかファミリー劇場であのへん掘り返す番組やってたな
テレビ愛知制作みたいだけど さすが実戦経験者の元将校・新野先生!
・防人
防人を廃止しようという問題が起こった時に、大宰府の方では、防人が廃止されちゃうと守備力が
弱まるということを非常に強くいっておりますから、簡単にいえば非常に坂東武者が強かったという
ことしかその文章表記の上からはとれないですね。
・蝦夷
エミシの問題といえば、坂東武者はいわゆるエゾ征伐という言葉でいつも動員されているわけです。
ですから日本中でこれだけ熟練された戦闘人はこの段階では現実の問題としていなかったのです。
西日本の方では外国との戦争でもあったら別ですけど、そうでなかったら畿内やその辺では
戦争などないのですから、実戦の形態などもわからなかった。
しかし坂東の住民はしょっちゅう鎮兵として動員されまして、東北の山野を駆け巡って戦闘していた。
ですからそういう経験というものがやっぱり防人を徴集する場合に相当評価されたんじゃないか。
大体鎮兵として動員されるのは東北の人間じゃないんですね。
東北地方にだけ鎮兵という鎮守府将軍の掌握する独立兵団があります。
その鎮兵には誰をするかというと、中部地方まで行く場合もありますけれども、坂東から徴集された
兵隊なんですね。ですから平安時代の中頃になって元慶の乱という反乱が起こりますけれども、
その時でも、東北の兵隊は陸奥からも動員しますが一夜で逃げ帰っちゃいます。
どうにもならなくなって、やはり特別に動員されたのは関東、中部地方の精兵です。
(新野直吉、秋田大学名誉教授、日本古代史、東北地方史) >>352
都下りの京武者クソザコ
千葉成胤
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/千葉成胤
「藤原親政が千余騎を率いて千葉荘に侵入、千葉荘に戻った成胤と合戦になった。わずか七騎で迎え撃った成胤はたちまち絶体絶命の窮地に陥るが、それでも奮戦し遂に親政を生虜にしたと言う」
つええ BSPで日曜6時から「太平記」再放送してて、なかなか面白い。
鎌倉時代末期の鎌倉幕府(北条一族の執権政治)の腐敗ぶりが、今の時代と妙にダブってね。 >>353
親子兄弟が殺しあうのは侍の職業病。
叔父甥なんかそこら中で所領を揉めて大騒動。 >>353
平氏が幕府開いて覇権握ってたらそうなってるよ。そうなる前に滅亡しただけで
ちなみに身内で殺しまくった信長時代の尾張織田も平氏よ >>347
暗殺だとしたら政子も噛んでたんかな?
怖いよう… 忠盛の子らへの教育と清盛の統率力が凄かったから、当時の平家一族はまとまってたのかもな
清盛死んだら揉めたかも知れんけど、すぐ滅亡しちゃったからなw
元々清盛の一族が隆盛したのは、数代前に平家の内輪揉めで貞盛が将門を滅ぼしたからだね 秀吉の晩年の酷さは痴呆が始まったのを良い事に淀姫に操られてたと思うわ。
秀次なんてまともな時の秀吉ならあんな殺し方絶対にせんわ。 >>151
宇佐美駿河守定満は書状(謙信に対して支援しろやって愚痴が多い)で確認できる実在の人物
ただし元々謙信の親父の為景の敵方でもあったため謙信に重用されることもなくフェードアウト(信長の野望的にはステが50〜60ぐらい)
軍記物やゲームに出てくる宇佐美さんは架空の人やね >>1
伊東義祐は壮絶だったな、戦国大名が一通り通る道を進んだと思ったら、旅先で病気になって面倒だからと浜辺に棄てられて、運よく家臣が見つけて看取られて死ぬとか。
大河ドラマとかじゃなくて、アンビリーバボとか内村光良演じるコントでやってほしいわ。 >>363
淀にその裁量があるなら関ヶ原後にもうちょい上手く立ち回ってるよ >>91
ナマポ受給もできない、銀行口座も持てない、看板チラつかせたら警察呼ばれる、今時ヤーさんになんてなるより堅気のチンピラやったほうがよっぽど過ごしやすいからな >>370
今の世の中、メディアの特集記事は全て販促なんやな
自分たちの研究を発表するような形での記事なんてものはもうないんだろうなあ
悲しいなあ 武士の生き様がーとか言うけど
大名の先代の兄弟が跡を継いで、先代の息子が子どものうちに殺されるとかもっと悲惨じゃないか >>373
人間だからしゃーないわな
兄貴が死んで家督をついで自分は子供を作らないで甥っ子が成人したら家督を譲るって聖人はそうはいない >>374
水戸黄門
兄の子を養子にした
実子は、逆に兄の養子になってる >>360
平氏は征夷大将軍になれない。源氏だけ。
平清盛は一族仲良くしてたろ。鎌倉時代の北条一族も然り。
信長が身内を殺したのは、自分の足元を固める為。殺らなきゃ殺られる。 『明史』巻322・外国3「日本伝」には
織田信長が関白だったと書いてあるのに、中国史書が大好きな歴史学者はこれを見事にスルー
明智光秀はカトリック教徒
カトリック教徒の明智光秀が日本をカトリック国家にするためにテロを行い、当時トップの関白・織田信長を暗殺した事件が本能寺の変
豊臣秀吉は明智光秀を討ち、日本がカトリック国家になることを阻止、後に伴天連追放令を出す
このキリスト教徒が日本転覆を目論んでテロを行った事実を隠蔽するために
様々な説を流布して覆い隠している
欧米白人キリスト教諸国連合である国連に占領されたままの日本での歴史教育は
彼らに都合が悪いことは全て隠蔽され修正されている
歴史を修正していたのは国連というのが現実だ 戦後、国連に占領された状態で、歴史を捏造するために
司馬遼太郎という小説家に歴史小説を書かせて、それをさも事実かのように流布した
それによって織田信長は魔王というイメージを日本人に洗脳し、明智光秀の織田信長暗殺に正当性を持たせようとした
それは欧米白人キリスト教諸国連合がいつも行っている手口でしかない
自らを正義にするために悪を捏造する
その被害者が織田信長
現在の学問は
日本を占領し続け、世界支配をしている、欧米白人キリスト教諸国連合にとって都合が悪いことは捏造され隠蔽されてるのが現実
捏造され隠蔽され修正され歪められた全てを払拭しなければならない 『明史』巻322・外国3「日本伝」には
織田信長が関白だったと書いてあるのに、中国史書が大好きな歴史学者はこれを見事にスルー
明智光秀はカトリック教徒
カトリック教徒の明智光秀が日本をカトリック国家にするためにテロを行い、当時トップの関白・織田信長を暗殺した事件が本能寺の変
豊臣秀吉は明智光秀を討ち、日本がカトリック国家になることを阻止、後に伴天連追放令を出す
このキリスト教徒が日本転覆を目論んでテロを行った事実を隠蔽するために
様々な説を流布して覆い隠している
欧米白人キリスト教諸国連合である国連・アメリカに占領されたままの日本での歴史教育は
彼らに都合が悪いことは全て隠蔽され修正されている
歴史を修正していたのは国連・アメリカというのが現実だ
戦後、国連・アメリカに占領された状態で、歴史を捏造するために
司馬遼太郎という小説家に歴史小説を書かせて、それをさも事実かのように流布した
それによって織田信長は魔王というイメージを日本人に洗脳し、明智光秀の織田信長暗殺に正当性を持たせようとした
それは欧米白人キリスト教諸国連合がいつも行っている手口でしかない
自らを正義にするために悪を捏造する
その被害者が織田信長
現在の学問は
日本を占領し続け、世界支配をしている、欧米白人キリスト教諸国連合にとって都合が悪いことは捏造され隠蔽されてるのが現実
捏造され隠蔽され修正され歪められた全てを払拭しなければならない 平氏は征夷大将軍になれない。源氏だけ。
なんて決まりはないよ 『明史』巻322・外国3「日本伝」には
織田信長が関白だったと書いてあるのに、中国史書が大好きな歴史学者はこれを見事にスルー
明智光秀はカトリック教徒
カトリック教徒の明智光秀が日本をカトリック国家にするためにテロを行い、当時トップの関白・織田信長を暗殺した事件が本能寺の変
豊臣秀吉は明智光秀を討ち、日本がカトリック国家になることを阻止し、関白を継いで伴天連追放令を出す
このキリスト教徒が日本転覆を目論んでテロを行った事実を隠蔽するために
様々な説を流布して覆い隠している
欧米白人キリスト教諸国連合である国連・アメリカに占領されたままの日本での歴史教育は
彼らに都合が悪いことは全て隠蔽され修正されている
歴史を修正していたのは国連・アメリカというのが現実だ
戦後、国連・アメリカに占領された状態で、歴史を捏造するために
司馬遼太郎という小説家に歴史小説を書かせて、それをさも事実かのように流布した
それによって織田信長は魔王というイメージを日本人に洗脳し、明智光秀の織田信長暗殺に正当性を持たせようとした
それは欧米白人キリスト教諸国連合がいつも行っている手口でしかない
自らを正義にするために悪を捏造する
その被害者が織田信長
現在の学問は
日本を占領し続け、世界支配をしている、欧米白人キリスト教諸国連合にとって都合が悪いことは捏造され隠蔽されてるのが現実
捏造され隠蔽され修正され歪められた全てを払拭しなければならない なんで朝っぱらから電波が沸いてるんだよ
そんなんばかりの日本史板が嫌でここで語っていたというのに >>41
大河も小和田考証ってだけでズコーって感じ >>383
>>384
さっさと低能糞土人の欧米白人キリスト教諸国連合どもの洗脳から目を覚まして現実を正しく認識できるようになれ 小山田信茂かなー。
主君の武田勝頼を裏切ってまで保身を図ったのに
逆に信長から「俺、裏切り者好かんねん」と言われて斬首。 >>374 武家が生勉強してうっかり朝鮮化するに従って嫡子庶子の差別格差が酷く為ったのが実際にの主因だろうね 一番みっともないのは天ぷら食って食中毒で死んだ家康だろ
なんか胃がんとか噂も有るが
何で討ち死にが残念な死に方なんだ?戦いで死ぬとか士の本懐だろ??? >>346 他に派朱子学圧し付けた徳川氏は250年間ずっと将軍家と尾張家が仲違いしてたじゃん きれいな顔してるだろ
ウソみたいだろ死んでるんだぜそれで
上杉だったな >>360 桓武平氏の方が百済色(偽高句麗色)が濃いからね本当に翌殺すよね ガラシャのお付きの女性たちあんな残酷なことされてその後どうなったんだろう 三好長慶かな?
一時は天下人と言われる程の人物であったが、長男の死で痴呆症に…
ちょっと可哀想 高山右近マニラで野垂れ死にと思ってたが本当は前田家に高禄を受けて活躍し
周囲に引き留められたのにマニラに移住し熱烈に歓迎されて病死したんだね
彼を慕う大名も結構いてそれなりに良い死に様だったと言えるかも 島津豊久
戦う気がないのに最前線まできた
(石田隊のすぐ横 叔父の義弘はさらに後方だった)
挙げ句伊吹山を背に退却も出来ず
敵中突破を敢行するが義弘を守るため
おとりになって突っ込み戦死
槍で刺されて戦死したとも
近くの寺まで逃げてそこで絶命した
ともある。
義弘が調べさせたので死んだのは確実。 >>381
は? だったら、北条は執権にならないで将軍になってるだろ。なれないんだよ。
足利も徳川も源氏の系統。
春だなぁ・・・ >>196
桶狭間で今川義元の首を取った毛利新介はその時の負傷が影響したのか
その後は戦場で目立った活躍はなく文官として活躍してる >>402
源氏じゃなきゃ将軍になれないという決まりは特にない、
鎌倉幕府の将軍も源氏の三代の後は、藤原氏に皇族だ、
北条氏の場合は敢えてトップに立たず、実質的な権力を行使する方法をとっただけであろう。 なんかスレでは「征夷大将軍は源氏にしかなれない」って説について
甲論乙駁熱く論じられてるけど、初代征夷大将軍、坂上田村麻呂って源氏なの?w
いや知らんけどさw 頼朝公以前にもいるんだぜ征夷大将軍。
もともと征夷の夷が東夷の夷であるように
京都大和朝廷から見て東の"野蛮人"ども、
すなわち皇室にまつろわぬ蝦夷を退治する長官って意味だからね。
元は源氏も平氏もないもんだと思うよ
もちろん親韓左派のウリがいつもいっておるように
京都朝廷とは偉大なる大韓からやってきた渡来人征服王朝であり
まつろわぬ東夷とは先住民族縄文人の末裔であること
これはいうまでもないのであるがwww 人じゃないけど信長が作った鉄甲船かな
秀吉の朝鮮出兵、小田原攻めの時に姿がないし
どこ行ったんだろう? >>357
実際のところ、そう悪い政治でもなかったんだが
尊氏がトリガー引いたことで
建武の新政こけて観応の擾乱南北朝カオスの地獄の始まりw 何系図なんてものは適当にでっちあげればいいのさ。徳川家だって本当はどこぞの怪しい
願人坊主の子孫で清和源氏新田氏の子孫などではない。農民出身の秀吉でさえ足利義昭の
養子になって源氏として幕府を開こうとしたらしい。義昭に固く拒絶されてしまったけどな >>191
極度の近眼で霧の中で
敵軍の方へ突出しちゃったのがなグスタフアドルフw
ブライテンフェルトは確かにすごいけど >>401
捨てがまりにされた薩摩武士は可哀想だな >>30
藩を擬人化したweb漫画で、めっちゃ失敗して二度と失敗しないための本って最近知った。
大本営の失敗を現場の兵士に使っていい言葉じゃないよね >>393
越前松平も幕府から嫌がらせされてたから
幕末では寝返りしました >>400
高山右近はマルチ人間だったからな
築城できる
戦やれる
学問やれる
茶人として有名
と大名辞めても求人殺到だった。 太田道灌もカワイソだよな、さんざこきつかわれたあげくで、源義経に似た処がある、悲劇の武将 土方歳三も味方によって背中を撃ち抜かれて死んだという説もある 城攻めの最中で首こそ取られないが
籠城してる農民に熱した糞尿等をぶちまけられて死んだのもいるだろうなあ スレではなんか葉隠について述べられているようだが
あれなんかさ、他所のスレなんかでは自称愛国者のネトウヨども、
例によって、あいつらなぜか全員自称先祖は武士なんだがw
なんかさも葉隠は江戸時代の武士のベストセラーのようにいって
みんな読んでたようなこと言ってるけど、ありゃ江戸時代には禁書だかんねw
葉隠ってあれは隠居の口述筆記のエッセイですからねw
そんなすごいことが書いてあると思って読むと脱力するよw
覚えがあると思うと、人間って一方的にしゃべってると
興奮して妙なこと言うんだよなw それが口述、ライブの魅力だけどwww
講演録や対話篇や対談集、戯曲が面白いってのもそこにあるんだよ。
まあそれを目当てに読むんなら、いいと思うけどね
…しかし三島由紀夫の『葉隠入門』どこやったかな、見当たらないなwww
>>409
あれはそもそも存在そのものがwww
それいえば幕末にでてきてすぐいなくなる「甲鉄艦」もねw
新選組、ってか土方マニアの皆さんはストーンウォール号かなんかで
詳しいか知れないけど、ネ
あとそういう存在ネタでいえば、戦国時代の水軍衆も
なんかいつの間にかいなくなっちゃうんだよねw 歴史の表舞台から。
そんなこともないのかな? ウリが不勉強なだけかも知らんが。 >>397
お付の女性は知らんが、逃げた稲富は、家康がとりなすまで奉公構え(ヤクザの破門扱い)になってる >>402
そもそも鎌倉幕府は関東武士の連合政権
征夷大将軍って地位は傀儡で良かった
頼朝は創業者で朝廷との交渉役をやってたから
単なる傀儡以上の権力者だったけど、
その後の頼家が同じような事やろうとしたら
関東武士に幽閉されて暗殺してるし
北条氏は別に征夷大将軍になる必要なんかなかったんだよ
北条氏は会社を実質的に支配してる代表権をもった専務取締役みたいなもんで
なにも知らない実権のない天下り社長が摂家将軍や宮将軍だから まあ中国史とかになると笑えねーくらい悲惨な死に方のオンパレードなんだけどな… 逆に幸福な死に方の武将も本にしてほしい
勝家の配下から大大名になった利家が筆頭かな >>281
国盗り物語の時は土民にやられて泥水の中に顔半分突っ込んで目を見開いたまま死んだ
その後エンディング まあマヌケな死に様というけどさ
戦国時代より50年位後の明のラストエンペラー崇禎帝なんてあわれ首吊り自殺やで
(´・ω・`) うちの先祖は朝鮮征伐で病気になって亡くなったからな
討ち死だけじゃない >>408
日本最初の征夷大将軍、田村麻呂が渡来系氏族なのは教科書に乗ってるレベルの史実。
あと、徳川家は源氏を名乗ったが、それは徳川家が後付けで作った話。
まあそれがまさにその時代になると将軍は源氏の流れがよいという観念があった証拠だが。 >>428
目の黒いうちに秀頼を排除して死んだ家康が筆頭にならないか 明智光秀は落ち武者狩りだけど、討ち死にみたいなものでは? >>430
まあ明王朝は代々、官僚を無意味に殺しすぎたからな。いざ反乱軍が紫禁城に迫って、
皇帝が緊急を知らせる鐘を乱打しても、誰も集まらなかった。そのいずれもが反乱軍の主
である李自成を新たな紫禁城の主として「新皇帝万歳!」って叫んだんだよ。李自成は
李自成は「こいつらを見てると吐き気がしてくる」とかいいだして、自分の配下で一番
残忍な劉宋敏って奴に預けてしまった。その後のことは司馬遼太郎の小説によると
「その後、劉宋敏はこれら明の遺臣達を、およそ人間に与えられうるかぎりの悪知恵をもって、
死への長い旅路を歩ませた」 >>414
目的あった隠蔽を民草の行動のせいにすり替えた女武将… >>425
福沢諭吉が「初代大統領の子孫はどうしているか?」とアメリカ人に聞いたら「娘がいたはずだけど、どっかに嫁に行った」と答えられて
「初代大統領と言えば、日本で言うところの家康公や頼朝公みたいな存在。アメリカでは大統領の子孫でも無能だったら平民と同じ扱い。さすが民主主義の国アメリカ。日本も見習うべき」と思ったらしいけど
日本の頼朝公は二代目で子孫断絶になっているのだよねー
太閤秀吉の子孫もお取り潰しで、信長公の子孫は一介の小大名だし
『日本と同じように』派閥争いに負けたとか、子孫に男が生まれなくて家がお取り潰しになったとか、そういう可能性を全然考慮してないのが福沢諭吉らしいと言える >>436
処刑するにも理由が立たないとダメだけど
確かその理由は「モンゴルや倭寇と内通した」というやつだったね カッコ悪い斬られ方
大事な事はいつだって斬られて初めて気がついた >>439
中国は儒教を輩出して大事にしてたくせに教えや意味を理解出来なかったからな
庶民どころか支配者層すらそんなレベルだもん
現代でも行きすぎてる自分至上主義が抜けてない ワニの漫画を通して生きるとはどういうことかを考えてほしい >>40
太平の世の方が長いのに何いってんだこいつ >>184
晒された首が罵詈雑言を撒き散らしたあげくに東国にかっ飛んでいくなら死に方としては悪くは無い 別人生存説の本も出してほしい
先ほど斎藤龍興が実は別人化で長く生存したと紹介したが
当時は死んだことにして逃げて所領放棄し坊主か町人になれば
それ以上追及しない風習があったのではないか
仮に発見しても騒動になるだけだし
他にも別人生存説って結構沢山あるんだよ >>444
ゆっくり程々が大事
死んだ次の日に焦って遺産全てを現金化しようとしたために愛想を尽かされた、的な感じかな >>94
俺も歌詞穴埋め作るんだけど
・曲を知らなくても前後の歌詞からある程度推測できる
・答えは短い
をモットーに作ってるんだがあの番組の歌詞穴埋め難しいよな
答えも長いし、その曲そのものを知らないと出てこない
知らなかったらお手上げ 伊東祐安(木崎原合戦、伊東軍総大将)
伊東祐信(木崎原合戦、伊東軍副将)
米良重方(木崎原合戦、伊東軍)
角隈石宗(高城川合戦、大友軍軍師)
田北鎮周(高城川合戦、大友軍)
佐伯宗天(高城川合戦、大友軍)
吉弘鑑理(高城川合戦、大友軍)
斎藤鎮実(高城川合戦、大友軍)
蒲池鑑盛(高城川合戦、大友軍)
長倉祐政(高城川合戦、大友軍殿軍)
龍造寺隆信(沖田畷合戦、龍造寺軍総大将)
龍造寺康房(沖田畷合戦、龍造寺軍)
小河信俊(沖田畷合戦、龍造寺軍)
執行種兼(沖田畷合戦、龍造寺軍)
長宗我部信親(戸次川合戦、豊臣軍)
十河存保(戸次川合戦、豊臣軍)
李舜臣(露梁海戦、朝鮮軍総大将)
ケ子龍(露梁海戦、明軍副将) >>401
豊久は合流予定だった伊東軍の所在を確認するために動いてたのであって意味もなくそこにいた訳じゃない
当の伊東は裏で東軍に寝返ってて関ヶ原に兵を出してなかった訳だが >>420
歳三「俺達の明日はこれからだ!^^」
兵士達「おおう!^^」
歳三出馬、それに付き従う兵士達、その内の一人が転んで銃が暴発。歳三に当たって新撰組終了、て感じだな。
味方に誤射で死んだのは格好悪いから、敵に狙撃されたことにしたと。>< >>420
>>455
誤射というより榎本武揚の指示での暗殺って説じゃない?
さっさと降伏したかった榎本にとっては邪魔な存在だったからね >>425
北条氏は御家人の中でも出自が良くないから征夷大将軍になれなかった。
なったら、他の御家人から反発されただろうし。
戦国時代までは、やはり皇族、藤原、源氏などの血筋がよいものが将軍になれたのだろう。 >>425
そんなことは知ってるし、理解してるよ(呆
言いたかったのは、平氏の織田信長は将軍にはなれないし、秀吉も然り。
家康に至っては家系図を改竄して源氏と偽って、将軍になったでしょ。
宮将軍とか過去にあったのは承知してるが、信長は公家か?
武将の話をしてるのに、何を言ってるのかな。 >>459
秀吉は摂関家しかなれない関白になっているからある意味将軍になるより高いハードル越えたぞ?
養子による家柄ロンダリングが有るからこれをアリにすれば誰でもなれる >>455
「土方歳三の遺体がどこに埋めらているのか、なぜか今もって謎である?」
なにせ、あの殺人機械みたいな薩摩兵の中へ、わずかな兵で切り込んでいったわけだから、
遺体が原型をとどめなかった可能性も十分にあるな。 >>459
まだ、歴史に関するスレの中で織田信長が平氏を称していたから将軍になれなかったって言ってるやつがいるのか >>459
平氏が征夷大将軍になった「前例がない」っていうだけで、源氏じゃ無きゃ将軍になれないという決まりは別に無い。
信長の生存中には、足利義昭がまだ征夷大将軍の地位にあった訳だし、
それを解任して、信長を将軍にするには多大なエネルギーが必要。
足利家や、細川家・三好家なんかの室町幕府の有力武家は、将軍位巡っての抗争に明け暮れて衰退してしまったわけだし、
信長や秀吉はそういう前例を踏襲するのは良しとしなかったろう。
足利義昭が将軍位を返上したのは天正16年、秀吉が関白に就任した後の事。 >>457
そもそも、朝廷が田舎侍の存在知らないだろうしな
言葉通じたんだろうか 将軍の座自体が信長の時代には碌な意味を持たなかっただけだろ。
ハゲネズミが関白にまで登りつめちゃうぐらいだし。 >>459
>平氏の織田信長は将軍にはなれないし
信長の話するなら三職推任くらい知ってて当たり前なんだが
本当に平氏の信長が征夷大将軍になれないなら
なんで三職推任に征夷大将軍を含まれてあるのかって話なんだが
ていうか、三職推任知らないんだろうなあ >>464
しばしば通じないんで、文書事務
外交の上手い大名は、教養のある家臣を抱えてる
朝廷への公文書には、姓が必要だから源平藤橘(朝臣)を詐称するようになった アジア人のアッティラ大王って
ヒトラー、ナポレオンを超える
ヨーロッパ史上最大版図を「瞬間的に」作った
そして腹上死
本当の漢だよな… >>467
松平氏なんて賀茂氏藤原氏源氏何でもありだもんな。
むりやりくっつけた得川氏も本物が佐竹氏の家臣にいて江戸時代を通じてヒヤリ。 >>466
挙げ足とるね。
書き方が悪かったよ。「将軍にならなかった信長は平氏だった。」でOK?
三職推任、知ってます。官職なんて養子ロンダリングや家系図改竄すれば、どうとでもなったでしょ。朝廷さえ認めれば。(信長が将軍職に興味あったかは疑問だが)
家康が家系図改竄してでも源氏を名乗りたかったのは、それが当時の武士の間の、将軍になる為の必要十分条件だったからじゃないの? >>465
秀吉が足利の養子になろうとして断られてる
受け入れられてたら実質豊臣幕府になってた可能性は高いし、価値なんて使い方次第 >>470
歴史のスレで徳川家康が征夷大将軍になるために源氏に系図を変えたって言ってて恥ずかしくない? 戦場以外のところで語ってるが、いくさに敗れて捕まったあげく処刑も残念ちゃ残念だな
干し柿エピソードもあるけど石田三成とか 家康は公家や朝廷が大嫌いだったから武士の棟梁である征夷大将軍にこだわったのはよく分かる >>472
この人典型的なアスペだよ。
相手にしない方が良さげ。 >>472
改竄した話は根強いけど。改竄してないと断言できる? >>478
改竄のところを言ってきているのはさらに恥ずかしいね 血筋とかどうでも良くて笑うw
気にしたことなかったな >>476
いやぁ、これは結構マジだと思われ。結構無理やり源氏の系譜である上州の得川から引っ張って来てるから。
家康は頼朝に憧れてたからこそ鎌倉の鶴岡八幡宮を整備したりね。
あと官位が凄い大事だと気付いた家康は秀吉に対抗したとか >>428
高橋紹運
齢39にして主君のために死地を求めた義の男
取り上げられんなあ、宗茂のパパやで 吉川太閤記なんか読んでも
光秀は惨めな最後だったが
比較的コミカルに作っている麒麟は
どう最後にもっていくのかね
山崎や小栗栖あたりまでは
描かないのかな >>487
惜しいなあ。君にとっても知識を広げていくいいチャンスなんだけどね。 >>406
桶狭間で義元の御首を挙げた毛利新介(毛利良勝)、服部小平太(服部一忠)
は、それぞれ非業の最期を遂げている。
毛利良勝は、本能寺の変の直後の二条城戦で明智軍と戦い織田信忠軍としてよく戦うも
力及ばず討死。服部一忠は、豊臣秀吉の養子と豊臣秀次の一武将となるも
後継者問題に巻き込まれ連座の形で責任を追及され後に死罪を申しつけられ切腹。 斉藤道三なんか油売りから大大名なんだから死にかたなんかどうでもいいと思われ >>103
大名クラスって壊滅か本陣奇襲ぐらいでしか死なないからな
近臣による痴情のもつれや逆恨みの方が多いかも >>488
いい病院(精神科)なら知ってるんだが、紹介しようか? >>482
徳川家が源氏を名乗ったのは、征夷大将軍任官するよりずっと前、
家康のお爺ちゃんの松平清康は既に源氏であると主張していた。
別に、征夷大将軍になるために源氏を名乗った訳では無い。 >>493
やめとけ。ID:WERa50Fh0のかかってるところが効果がないことはよくわかるだろうに 豊臣秀吉、平信雄、藤原家康、豊臣秀長、菅原利家、藤原景勝、大江輝元、豊臣秀家、秦元親 >>494
賀茂姓だったり藤原姓だったり得川(新田源氏)だったりとよくわからないのが松平氏 >>491
軍勢が壊滅しても討ち取られる前に自刃するので滅多に討ち死にすることはない。 >>494
藤原氏を名乗って時期もあったんじゃなたっけ?
織田も本当は古代からの忌部氏なのに、平氏名乗ったり藤原氏名乗ったり
武田毛利とか古くからの大名は変えたりしなかったはずだが
他はその時の都合で勝手変えたりしてたな 明智光秀なり小早川秀秋なり死んでも悪評高いのは…やはり裏切りは支持されないんだろうな
逆に志半ばで死んだ人は後世に支持される不思議
坂本龍馬、源義経、真田幸村信繁 高橋正恩
主家が没落したら裏切るのが忠節かと答えて玉砕した 源平藤橘で、源平藤は色んな人が名乗ってるが
橘は楠木しか名乗ってるの聞いた事がない
加賀前田は菅原道真の菅原氏を名乗った
毛利は鎌倉幕府政所の大江広元の本当の末裔なんで大江氏
長曾我部は秦氏
大内氏は百済王の子孫らしいが、ここはどうなんだろ?
蘇我氏や物部氏を名乗ってるのいるのかな?
藤原氏でなく中臣氏もいるのかな?鎌足の前に分かれたので >>502
前田利家のはあまり非難されない。滅ばずに、あとできれいに飾り立てることが出来てのが良かった。 姓がフラフラするのは出自があれな証拠でしょ
斎藤道三とその父だと、
松波(坊主出身の油問屋)→西村(士官した家名を貰う)
→長井(主を殺害し家名を名乗ったと言われる)→斎藤(主家を乗っ取り)
4回も姓を変えてその度に出世してる >>428
黒田官兵衛かな?
奥さんと静かに暮らしてるが家康は怖くて怖くて間者に動向を探らせてたという
淋病だか梅毒に罹ったり大河ドラマで岡田准一が演じたり逸話に事欠かない 時の権力者が自分たちに拙い書物を処分したり話作ったりするのは
人間がいかに汚く私利私欲に走るかってこと
頂点なら好き放題だもの >>507
有名人物で苗字を変えた人って、結構少ないかもしれんな
中臣から藤原に代えた鎌足
4回ぐらい代えた秀吉
桂から木戸の小五郎
北条早雲の息子が伊勢から北条に
上杉謙信が長尾から上杉に
松平から徳川の家康
豊臣政権時代に一部大名が羽柴をもらい、名目上だが羽柴を名乗ってたのが結構いた
徳川時代にも同じように松平をもらったのが結構いた >>453に龍造寺四天王は含めてないが、これは彼らが部隊長クラスではないから
百武賢兼と成松信勝、江里口信常は奉行級、円城寺信胤は隆信の影武者
いずれも独立した部隊を率いていた訳ではなく、本陣付近にいた
なお、鍋島隊で一応部隊長クラスだった木下昌直はそもそも死んでない 古い通説を書いて詳しい人がそれを否定する流れが続いてる中で
光秀天海説だけは前スレからろくに相手されていないのがなかなか面白い 実際はこうだと考えられます。話半分で。
信長暗殺は光秀、秀吉、家康の三者で計画されたもの
光秀の信長暗殺の理由は信長が征夷大将軍になるのを拒んだため
国を纏めるには誰かが征夷大将軍になる必要があると光秀と家康が考えていたため
二人が秀吉と交渉、秀吉が計画に乗る。(なぜ乗ったかは不明。野心家なので自分の為だった可能性が高い)
光秀は信長暗殺後、将軍の任には家康が良いと考えていたが秀吉が余りにも兵力が高く強過ぎた事と家康はまだまだ未熟(といっても秀吉と比べればという話で彼もそれなりに強かった)で力が足りなかったため暫く静観
(秀吉には源氏の血が全く入っていなかったので将軍にはなれない。家康は新田の血が流れている可能性が高かったが100%では無かった。が秀吉よりはマシと光秀は考えた)
明智光秀は最初の天海
実際の天海は二人。
二人目は従兄弟の息子だったか孫だったかどちらかの可能性大。
見た目がかなり似ていた模様。
光秀と家康の関係を考えれば天海が江戸幕府に介入していたのも肯ける。
(家康はかなり光秀を慕っていた)
一見光秀から天海は繋がらないように思えるが、天海の環境、残した物を含め足どりを遡れば光秀に辿り着く。
天海が亡くなった時、各地の明智家に縁のある寺が全て天海の供養を行なっている >>432
渡来の末裔といっても満州帰りみたいなもんで、
半島の上層部は倭人も多いし、半島南部は倭人その他混血だらけ。
半島中国の支配層も満州や長城の向こうの侵略者出身の連中の末裔だから
人種的にはぐちゃぐちゃ 坂上田村麻呂って征夷大将軍の最初じゃないよなと思って調べたらその前に大伴がいたじゃん >>494
織田信長が足利義昭の保護者として上洛したとき、徳川家康も朝廷から三河守を貰って、その時から源氏の子孫を公式に名乗り始めたはず。 >>516
源氏で三河守もらおうとしたら断られて無理やり藤原氏に結びつけた。 >>513
明智光秀の親戚だったって世界ふしぎ発見でやっていなかったっけ?
あと秀吉にはそこまでの度胸は無い・・・流石に無理、あの人には・・・
天皇にとって代わろうとしたからだと思うよ・・・
信長の虫歯が痛過ぎて歯止めが効かなかったのだろう・・・ >>516
「清和源氏の世良田氏が三河守を任官した前例はない」と拒否された。
このため、世良田氏が藤原氏を名乗っていた前例を発見してその後しばらくは藤原氏を名乗ることになった。
まあ、このころはまだまだかなり前例主義だったのね。 >>508
大河は鳥取城攻めを「鳥取城も落ちましたし」の一言で飛ばしたし、四国攻めも疎かな描写だった。
あれが無ければ完璧なドラマでDVDも買っていた。 家康が任官のため作成したとされる家譜では、
上野国得川氏(新田源氏)を称する坊主が、三河松平家(賀茂氏)に入り
婿となりこれが三河徳川家の開祖とされるが
その経緯自体見るからに怪しく、誰が見ても信用に値しないね
本当は賀茂氏の流れで土着していた松平氏が開祖から3代目の信光のときに
足利幕府に出仕して大きく出世したのが始まりらしい
そうであればそのように申告すれば良さそうなものだが不思議だね 良スレなり良スレなり
>>464 くんが朝廷と北条氏の話をしているが
初期の鎌倉幕府なんかあくまで朝廷の差配する日本国の
関東武士団自治区みたいなもんだからねw まさに関東軍www
その関東軍司令部(まさに"幕府")の三大官庁である
侍所(軍令部)と政所(軍政部)の別当(トップ)は自前の御家人で補任したが
問注所(裁判所)の執事は京都から貴族をよばにゃならんかったのは
まあなんか「お察し」だよなwww
まあ関東武士団なんて蛮族みてえなもんでw
戦争やって隣村シメたり、領地をシキってシノギをやったりはできるが
広域圏の裁判とか法とかそういうのは…だめだろうなあwww
要するにムラの顔役なんで役場以上の行政ってできないんだよねw (>>522つづき)
んで、鎌倉武士団については面白い物言いがあって
まさにね
「鎌倉武士団は激怒した。
かの邪知暴虐な平氏を除かんと決意した
鎌倉武士団は政治がわからぬ
鎌倉武士団は村の親分土豪である。
笛を吹き、犬を追って暮して来た。
けれども所領を侵されることは、人一倍に敏感であった」ってなもんでねw
で、そんな奴に朝廷との折衝ができるかというご質問だけど
別に朝廷や貴族なんかと有職故実の典雅なお話だけが対話じゃないんでねw
東国には東国、尚武の気風に相応しい対話方法があるぢゃないかw
たとえば「 肉 体 言 語 」とかねwww
承久の乱ってね、そういうもんだったんだよw
いやこれはマジでwww 源氏と言えば明智氏は由緒正しい清和源氏で
土岐氏が美濃に移住したとき明智氏、金森氏なども一緒に移住したとされている
後に土岐氏が分裂したとき美濃に残ったのが明智氏で金森氏は近江に戻った
明智氏は斎藤道三に付き従い義龍に討たれると結果的に信長の家臣となり
金森氏も信長の赤母衣衆になってる
同じ土岐源氏が織田家臣団に複数居た訳である
光秀から見ると家の格では信長より由緒正しいとの思いが少しはあったかもしれないね あと>>491 くんのカキコに触発されてまた物を言うが
トップが死なない戦争といえば幕末維新があげられるよな。
現職大名自らが死亡ってあの激動の時代にあっただろうか。
いや井伊掃部のテロはテロとして例外とするけどさ。
勤王と佐幕で国家二分の闘争のわりには幕末維新を通じて
案外トップって4んででないのな。
藩内が政治抗争で死屍累々でもトップは温存されるんだよ。
薩長も相当ひどいことになってるし薩摩なんて西南戦争やってるしねw
(島津家は無事でも初代鹿児島県令、死刑だからね何気に)
で、トップは4なないのが幕末抗争の特徴なんだけど
ここに唯一おとりつぶしを受けた藩がある
(逆に言えば朝敵賊藩でもそれ以外はおとりつぶしはない)
これもまた叛骨の聖地、千葉県上総の請西班なwww
藩主自ら脱藩して佐幕諸隊に合流して新政府軍と戦っているんだからね。
この請西藩主・林忠崇、ラストサムライならぬ最後の大名っていわれているんだけど
その最期は、ひょっとしたらスレタイにあるような「残念な4に方」かもしれぬが
(委細はウィキペ先生かなんかで調べるべし)
親韓左派のウリはだね、その生きざまは立派なものだったと思うよ。
辞世の句を問われ、この最後の殿様、言ったそうじゃないか
「幕末のあのときにやった。今はない」って。
これほどにカッコいい辞世の句をウリは知らないね。 室町までのガチ高家は豊臣までの間にほとんど消えた
足利、細川京兆家、一色、六角、斯波、山名、大内、伊勢、武田、畠山、今川
残ったのなんて京極くらいだな
上杉は長尾に乗っ取られた感あるし 新規緊急クエストのリソースは全て防衛シリーズにしてこ
レイドとかホントもう期待できんし要らんわ 毛利 大江朝臣
朝倉 日下部(皇別)
堀田 紀朝臣
柳生 菅原朝臣
阿蘇 宇治宿禰
安東 安倍
秋田 安倍
長宗我部 秦忌寸(漢人系)
大内 多々良朝臣(自称百済系、実際には任那系)
田村 坂上大宿禰(漢人系)
秋月 大蔵朝臣 >>499
三十年戦争中のリュッツェンの戦いのグスタフアドルフ
近眼のため、霧の中で味方の軍からはぐれて敵中に飛び出してしまい、戦死
戦術的にはスウェーデン軍の勝利 >>527 今川はしぶとく生き残って、若年寄も出してるやん。氏真の戦略の勝利。 >>7
武士道なんて江戸幕府が自分の都合の良いように広めただけ
武士道なんて言っていたら、奇襲が得意だった、島津とか真田はどうなるって話 秀吉黒幕説については秀吉の戦と中国大返しの詳細を知らないから出てくる
秀吉は特に拠点攻略時には全軍の半数近くを輸送部隊に回す
故に補給に困ることもなく、野戦築城を得意としてた
そして中国大返しに関してはこの輸送部隊が鍵になってるわけ
姫路城までの街道に輸送部隊の馬や人員が大量にいるので、歩兵を高松城で切り離し、輸送部隊の騎馬を吸収しながら戻ったのだ
姫路城では留守居の浅野長政が武具や兵糧を準備。伊東祐兵らを先行させ秀吉本隊到着前に本陣と幟の設営をさせた >>534
孕石の最後は、彦左衛門が褒めてた
同じ日蓮宗繋がり >>537
まあ最後は武士の意地を貫いたんだが
後世の人からしたらやっぱりウンコ家康の被害者のイメージが強い
ウンコに怒りウンコに泣く男よ 孕石はリトル家康にいちいち文句を垂れず
笑顔で向かえてあげたら殺される
どころか家臣にされた可能性もある。
口は災いのもと恨み百代までを地で行った
例である。
ただ死に様はあっぱれで信長の死に様に
通じる。 北条氏規と扱いが違いすぎる
氏規は最盛期に比べたら減封とは言えれっきとした大名なのに 北条氏直は、復活直前に病死
残念な人
氏規の子が後を継いでる >>456
榎本先生の次回作をご期待ください!で終わったのか、打ち切りエンドだったんだね>< スカパーで時代劇見てたら秀頼の息子が匿われて大分の木下家の殿様やってたって話があったんだけど実際に出ていた説なのね >>505
親子二代の二人説ね、10年前からあったね。
武田信玄や足利尊氏の肖像画もようやく受け入れられるようになったのに、空研徒手、孤軍奮闘、みたいな感じで美濃を駆け巡る道三が好きなんで受け入れられない自分がいる。
今回の大河ドラマの救いは道三が親子で登場せず口伝えで親子二代を強調している事。 >>541
甲府に墓がある。遺体か遺骨を甲府に持ち帰って、埋葬したらしい。 >>168
源氏でも平家の出でも無い一武将の能が三修羅と三盛物の両方に入ってるんだから如何に憧れの生き様だったかって感じだわな >>354
未だに明らかになってない城の位置を特定して欲しいんだよな、遺構とかも流されて埋まってないのかもしれないが、昔色々な古文書調べたて考察したサイトとか見てワクワクした テロが起きても動じないで黙って死んだ井伊直弼。そして行列から逃げた者と軽傷だった者は残らず首を刎ねた彦根藩 >>523
承久の乱といえば当時京都守護だった伊賀光季
後鳥羽上皇からスカウトされたけれども断ったら襲撃されて自刃した方ですがな
彼の姉妹の一人が北条義時の妻だったから鎌倉幕府に殉じたとも言えますし >>4
それはだな、投稿者の年齢層が・・・いや、なんでもねぇ・・・ >>553
でも彦根藩は間抜け。雪が降っていたため刀を厳重に布かなんかで梱包していたため、
刀をぬくこともできずに刺客に切られてしまった。第二次長州征伐では関ヶ原の時と変わらぬ
軍装で参陣し、近代兵器で武装した長州勢に狩猟で獲物でも狩るように虐殺された。
それで心変わりしたのか、家康以来の譜代の筆頭格なのに、ぎりぎりのところで徳川
を見捨て薩長側についてしまった。恐らく家康をもってしても井伊が裏切る日までは
予想できなかったに違いない。 大将首を討ち死にさせまくった島津というか家久が異常なだけ >>557
濡れると持ち手の飾り糸が駄目になるからな、そういうふざけた
情けない理由だったと思うw >>558
300年硬貨を溶かし続けて世の中の貨幣の価値を滅茶苦茶にし、
徳川に恨みを晴らす事だけに執着をし、全国の民の生活を犠牲にしたクソ藩どもってイメージ。 >>532
直虎で氏真のイメージ変わったよね・・・
善政もしいていたようだし・・・
徳政令とか勉強になった。
(菅野よう子の音楽も良かったし) >>38
武田勝頼に諫言した事から疎まれて蟄居させられながらも「武田家最後の戦いに臨めぬのは末代までの恥辱」と言い放ち、武田が滅ぶとわかりながら天目山に参加し玉砕して果てた小宮山友晴とか最高にカッコいいのに 戦国時代にせよ幕末にせよ時代劇を見るたびに思うけど
四六時中酒飲んでてあいつら絶対シラフじゃないよね(‘・ω・`) >>547
道三みたいな親子ニコイチで一人の武将みたいなのが剣豪にもいたけど思い出せん、誰だっけ? >>564
誰やろ?柳生は何代にも渡って剣豪一族だわな。 >>565
そんなにメジャーじゃない人で誰かいたはずなんだが思い出せなくてメチャクチャ気になってる >>562 くんが武田滅亡のときの
武将の去就のカッコよさについて論じているが
それいったら、天目山ネタで一番カッコいいのは
「片手千人斬り」の土屋昌恒だろwww
>>390 くんがいうように主君勝頼を裏切って
織田方についた小山田は斬殺されたが
この最後まで奮戦した土屋家の子孫はのち徳川に下って
江戸には譜代藩として関東の守りを任されてるからね。
上総久留里藩や常陸土浦藩がそれだ。後者は老中輩出藩だよ。 >>568
千人斬りは真田信繁を幸村と呼ぶ並に出典が怪しいので没にした
甲陽軍鑑に殿をつとめたとはあるけど(甲陽軍鑑の否定派でも肯定派でもないが甲陽軍鑑自体が内容の真偽は非常に怪しい書物だけど) 上泉三代
上泉信綱 新陰流の祖。長野業盛に仕える。滅亡後流浪
上泉秀胤 北条に人質、そのまま北条家臣
上泉泰綱 関ヶ原で上杉軍に参加、討ち死。子孫はそのまま上杉家臣 >>552
このへんじゃね?と思える場所を掘り出したのはいいけど、結局冬が来たので昨年はそこでストップしてたなあ
放送もそこで終了 柳生石舟斉は上泉信綱の弟子だからなぁ。で柳生新陰流の認可を貰った >>556
滅亡時にデカい彗星までが西空に現れたと言うし。
(周期からハレー彗星では無さそう) >>553
腰を撃たれて動けなかったんじゃなかったっけ? >>573
三好長慶ただ一人に忠誠を尽くし、
ある意味二君にまみえずを貫き通した人で、
忠誠度は最高の武将だもの。 >>377
身内で殺しまくったかどうかだけの話なのに将軍になれるかどうかなんて一切関係ない話を何故持ち出した
ましてやその鎌倉からの征夷大将軍システムも平家が滅んで出来た概念なのに
ましてや平氏である信長は将軍職の打診を受けてるし秀吉が将軍職を諦めたのは決まりでもなんでもなくただの当時の概念上の問題。足利以外の人間が将軍職に付くのは憚られる「空気」があっただけの話にも
何を宣ってんだか >>571
あと掘った穴も崩れてきてたからね
あの番組「おっ」と思った録画したわ >>575
三好義継にも大忠と評価され仲良く信長に謀反してる仲だよ 明智光秀は天海になったというから討ち死にしてないのでは?
平和な江戸を見て家康こそ麒麟だった…で終わるのでは? ショボンな一族と言えば
新田義貞とその子供たちですね。
新田義貞→緒戦で勝った以外は良い所が無く福井で頓死
新田義顕→金ヶ崎城落城に伴い自害
新田義興→騙されて乗った舟を沈められて自害
新田義宗→挙兵するも破れて行方不明(死亡説あり)
ただ、ライバルの足利尊氏は、それなりに気にしていたらしく、死亡が明らかになって初めて「征夷大将軍」を拝命しました。 >>1
というか坂本さんや沖田も武士なの?
海外編として三国志とか西洋とかも紹介してほしいな
というか新撰組ってみな晩年は微妙だったような >>581
普通に武士だろう
龍馬は脱藩前は藩命で砲術と剣術の修行で江戸に出てるし
沖田の方も、新選組自体は博徒とか怪しいの混ざってたけど
末期のあたりで幕臣に取り立てられてるからな >582
そうか、三島由紀夫は武士だったね
残念な死に方ではなく武士を極めた死に様だった ヒマラヤとか攻めたような人が
ハイキングで落雷で死んでたな >>585
母親を助けて残念死とされる意味がわからん
朱子学時代なら尚更 >>580
自称新田さんの子孫である高山彦九郎もどうにもちょっと…な死に方ではあるな
朝廷のトカゲの尻尾切りにさせられた挙げ句に精神病んで自害 武田勝頼
自害したことになってるけど、討ち死にして
首を取られた >>586
片山右京と一緒に登った登山家2人が富士山で亡くなったのはショックだった…
富士山を舐めてはいかんと思った >>566
富田勢源にそんな話があったような気がする 誰の教訓にもなってない死が駄目だ
政治家でなくて一般の人の死も
身内にとっては遺伝するんだから気を付けるべし >>38
島津討伐しようとする大友宗麟を諌めたが諫言は聞き入れらず、死の覚悟を決めて自身の書いた兵法書を全て焼き払って出陣、
耳川の戦いで戦死した「道学兼備の人」「文武の達人」「大度兼備の功臣」と評される軍師・角隈石宗△ 戦国大名は全員、金正恩みたい
やりたい放題だったろうから
いつ下克上に遭って寝首を欠かれてもおかしくはない毎日だったろう。 >>2
酒好きで今と比べられないほど塩っ辛い梅干が好物だったらしいしな。
血管プッツンいくのわかるわ。 >>399
長男だけじゃなくて島津四兄弟や毛利両川に匹敵するぐらい優秀な弟が次々になくなったからな
次弟三好実休→長慶の代わりに軍事指揮を取る→討ち死
三弟安宅冬康→三好家の水軍大将→兄に諫言して殺される、死後冬康の言葉が正しいことがわかり長慶が号泣して詫びた
四弟十河一存→鬼十河、三好家一の猛将→落馬で死亡 >>583
沖田は白川藩の脱藩浪人じゃなかったっけ?
浪人というかなんというか・・・ >>377
鎌倉時代だけど藤原氏と皇族も将軍になってるよ
まあ藤原氏のは一応頼朝の妹の子孫だし、
皇族は源氏自体が臣籍降下した皇族だし
皇族将軍の中にも源氏名乗った人いたが >>40 >>603
別に他の国でも領土争いの戦争はあるよ?
他国は外国との戦争が多いけど、だからって内戦がないわけじゃない >>568
小山田は処刑されたけど穴山梅雪は許されているんだよねえ
同じ裏切りでも数か月前から織田方に内通し武田家滅亡に
一役買った梅雪と滅亡を悟ってギリギリで寝返った小山田信茂
では意味合いが全然違うという感じかな 松永弾正の死に方は別に残念な部類に入らないと思うが。
死に方が派手だから無理やり本書にねじ込みたかっただけだろ。
光秀のほうは本当に残念な死に方だがな。 落ち武者狩りって今の感覚だとわけわからんよなw
「おう、あいつら負けて弱ってるし殺して身ぐるみ剥ぐべ!」ってみんなで行くんでしょ?
どんだけ戦闘民族なんだよw >>605
許されてるっつーか武田侵攻が始まる前から徳川と内通して侵攻の足掛かり作った功労者なんだから感状や所拝領こそあれど処刑なんて絶対にされるわけないじゃん
許されるとか何の話だw >>607
いや、具足や武具は売れるから
当たり前の行動よ >>595
全員が金正恩のようなワンマンだったわけじゃない
基本血縁関係にある一門衆の総意により主君となっているわけだけから
何もかも自分本位な事など出来ない
自分がOKでも重臣全員がNOと言えば基本的には折れざるを得ない 小山田は支援してくれる人を裏切っている
味方を裏切っちゃダメじゃん >>607
現代におきかえたら
今年もこの季節になったねえ、ちょっと銀杏拾いにいくか
みたいな感覚かな >>608
だから「主君を裏切るとは何事か」との理由で
無条件降伏の小山田信茂は家族もろとも処刑されたんだろ
では同じ裏切り行為の梅雪はどうなのって話
同じ武田家への不義理でも状況により天と地の差をあるという事を言いたかった >>594
討ち死にではないけど、奇行をしようとする織田信長を諌めたが諫言は聞き入れられず、最後は自刃した平手政秀にも似てるね >>613
織田の武田侵攻前に実質織田陣営にいた人間と侵攻後にヤバくなって主君を売り飛ばしたやつを比較したり並べて語ること自体が相当におかしいってことに気付かんと
大阪の陣に徳川方として参戦した豊臣恩顧の武将はなぜ許されたのかと疑問に思うのか?
石投げ野郎と比較して語るなら朝倉景鏡 家督相続してすぐに将軍初お目見えでアルハラされ酔って江戸城の厠に落ちて溺死した旗本が一番可愛そうな死に方をした武士だとおもう
将軍の絡み酒が原因だからと末期養子が特別に許されて弟が継いだようだけど >>614
平手は諫言死なのか怪しいところ
息子どもの謀反計画が要因の方が説得力がある >>616
溺死シリーズはなんにせよちょいとマヌケだな
真相はどうあれ宇佐美と長尾政景も字面だけみればマヌケ 落馬死
源頼朝、上杉定正
敵中置き去り死
竜造寺隆信 >>617
>平手は諫言死なのか怪しいところ
息子どもの謀反計画が要因の方が説得力があるかどうかも怪しいところ
状況的にその可能性があるってだけで史料などのソースがある話ではないし >>607
農民が徴兵されて下っ端として戦争してる時代だからな
人殺しも普通になれてる
戦で本当に恐ろしいのは負けた後の落ち武者狩りだと言ってる武士もいる >>621
諫言死の方も史料的裏付けにおいて怪しいって言うレベルでもないだろ >>591
富士山は、普通にオンシーズンの五合目の駐車場のキャンピングカーの中にいただけで
でかい落石に当たって死んだのが怖いなと思った 諫言死は、信長本人の解釈じゃねえの
実のところ、絶望死かもしれんけど
信長としては、そんなの受け入れられんだろ >>620
龍造寺隆信は置き去りにされた訳じゃなく、新納隊の横撃で前衛と分断されて孤立しただけ
本陣警護の百武賢兼は一緒に戦死してるからね
実は島津側にも誤算があり、山手側から回り込んで退路を絶つ予定だった猿渡隊が鍋島隊に捕まって突破に失敗
これにより龍造寺軍後詰部隊はあまり被害もなく撤退できてしまってる ちなみに海手側の後藤家信、江上家種の両隊も善戦しており、隆信は乱戦の中後退ではなく江上隊との合流を図って前進している
結局合流は果たせなかったが後藤、江上は両者とも挟撃される状況で討ち死にせず生還している >>613
関ケ原でも小早川と一緒に東軍についた
脇坂朽木小木赤座の4人はそれぞれ対応が違う
裏切るにしても事前に裏切るよって連絡しておくのが
戦国時代のマナーみたい >>628
裏切り者を優遇してたら、ちょっとでも劣勢になったらすぐ裏切るヤツが出てくる
だから裏切り者には冷たい態度を取るのは当たり前なんだろう
しかし裏切ってくれたら、自分とこが有利になる
それで事前に交渉し裏切ったヤツに対しては、それなりの優遇はしないといけない
交渉し裏切ったのに冷遇したら、誰も裏切らないからな
色々駆け引きを考え、裏切り者に対する仕打ちが、こんな結論になったんだろう 事前に通牒しとけば、最初から味方としてカウントできるし、恩賞の調整もできる
日和見で寝返ってこられても迷惑でしかない >>610
細川忠興「せや、家臣は大切やもんな。」 小山田は元々豪族で武田一門じゃないからな
真田も木曽義昌も同じ
穴山は一門衆だけど。
心中する義務は無いけど裏切ったのは
まずかった。
小山田は豪族だけど武田家のために懸命に
働いた
父が死ぬまで武田に忠誠を示し働いたため
領内の戦死者は武田の中でも最大だったらしい。
そんな父を見てきた小山田信茂は当然
父のように武田のために働いた。
ただ当主の勝頼とはあまり馬が合わず
不仲になっていったらしい。
それでも最後まで武田と運命を共にしよう
とはしたのだろう。
ただ領内の人の命と勝頼を天秤にかけ
最後は自分の領地を守る選択をした。
仕方ないのかもしれない >>603
フランス百年戦争で
内戦と対外戦争両方やってるがw >>591
片山右京てあのレーシングドライバーの人?
あの人そんな事あったの?一緒に登ったということは右京さん以外全滅して一人生き残ったの?日々の鍛錬で体が強かったから生き残れたのかな?
しかしそんな事があったのにテレビもマスコミも一切報じてないんだね。初めて聞いたわ。
おそらく右京さんほどのネームバリューあると名誉毀損だ!とかで逆に訴えたりするから報道出来なかったのかな?
富士山の危険性を示すためにも報道すべきだと思うんだけどね。 そうか。居合いの達人だった井伊掃部頭は腰を斬られて籠の中で動けなくなったのか >>635
報道はしたよ、もう10年以上前の話じゃないかな?
あれ以降右京は登山を止めて、今は自転車レースに入れ込んでる。 >>637
そうなんだ。
でもなにも登山辞める必要ないだろうに。なんかとんでも無い死に様でも目にしたんだろーか?
自転車てのもかなり危険な競技だけど。滝川クリスタルの兄か弟か忘れたけどドラマ撮影でロードで事故起こしてズタズタになって死んだよね。
どんな運動、スポーツにも危険は付き物なのにね。
登山なんて死んだと言っても寝て起きたら隣で凍死してたとかそんな程度だろーに。 右京は、ビートたけしがボロかすに叩いてたような気がする
重大な過失があったんだろうか
クリステルの弟は、死んでないけど、下半身不随 「魔の山」とすら呼ばれる真冬の富士山に、半分素人みたいなのを
連れて行った挙げ句の遭難死、だからな、そりゃ猛批判されるわな。 >>641
弱虫ペダルの実写ドラマ撮影で事故った滝川英治のことなら
脊髄だか損傷して後遺症残ったけど生きてるよ
身体能力高い人だったのにな… >>643
富士山で死ぬやつなんておるんかw
何年か前に夏に登ったけど道もガッツリ有るし標識あるから迷う事ないと思うんだけどな。人も沢山いるし。
夏と冬でそんなにかわらんだろーに。 >>645
去年だったかニコ生の動画主が富士山から転落して話題になったやん >>40
同じ国じゃないよ 戦国時代は色んな国があって、今、その一つが
大きくなって現在に至る、って感じだろ。 >>40
黄色人種なんだから、土人に決まってんじゃん。 >>645
富士山の登山は度々死人が出てるし、夏と冬じゃハードル全然違うだろうに
冬山登山したことある? 関ケ原で家康のクーデターに加担した秀吉を裏切った子飼いの奴ら
全員みじめな死に方だよなw >>648
日本というひとつの国って意識はそれより昔っからあったんじゃないか
今とは違ったものだとしても
外国から「日本」を侵略された元寇だってもっと前にあったわけだし
(戦地は九州だけど狙いは日本征服) >>648
守護とか戦国時代の成り立ちから勉強した方がいい >>651
石田さんは色んな人に恨まれていたからね。
そこを徳川に絡め取られ分断された。邪魔者が居なくなったらあとは用済み、本人たちは自分がこうなるとは思って居なかったろうし、思っていても口に出せなかったと思う。 >>651
加藤清正と福島正則のこと?
三成のほうが立派だな >>596
保存方法が塩分過多にするしかなかったから仕方ない
いまの漬物は昔のものより腐るの早い >>613
二股膏薬と埋伏の毒は別という事
最初からこっちの味方として証立ててれば見返り与えるけど
土壇場で勝馬に乗ったようなのは信頼できないから駄目
関ヶ原は規模が大きすぎてその辺ごちゃごちゃで悲喜劇があちこちであったけど >>645
冬の富士山は一番難易度の低い御殿場口でもマッキンリー以上の難易度と言われてるよ、そこを寒波の中で登ったのは本当にアホ >>645
低い山ならあちこちに木が生えてるから踏み外しても途中で引っかかって大抵は怪我で済むけど
森林限界超えると途中で遮るものがないから、いったん踏み外すと加速しながら岩棚に叩きつけられて酷いことになる
勢いが止められるような地形が複雑な場所だと難所で救助隊も足を踏み入れられなくなかったりするし >>656
三成パイセンも大谷が自害してんのにみっともないトンズラだから人のこと言えんで 冬山といえば佐々成政のささら越えはどんなだったんだろうか?
冬山登山は厳しいイメージあるけど当時の装備でよくやったよなw かつての上司の墓を掘り起こしたバチあたりな武士はどうなの?
今なら有り得んけど当時は当たり前のこと? >>651
小早川は関ケ原以前からアルコール性肝炎を患ってて、最期は
酒毒が脳に回って狂死だもんなww >>582
三島由紀夫が自刃した頃の自衛官って、
一部の人間を除いて、社会の底辺の出身だっただろうしな。
「自分がお侍様なんて、とんでもございません」って感じだっただろうな。 >>651
惨めな死に方した奴なんてそんなにいる?
黒田孝高 ○
黒田長政 ○
福島正則 ×
加藤清正 ○
加藤嘉明 ○
脇坂安治 ○
平野長泰 ○
小早川秀秋 ×
浅野幸長 ○
中村一栄 ○
堀尾吉晴 ○
大半は普通に死んでる気がするが グスタフ・アドルフは霧で迷子になってど近眼で味方と間違えて敵に近づいて殺されたんだけども ハイエナしにきた秀秋の兄弟も同時期に早死にしてるし、小早川家はすぐ潰されたけど秀秋の出身である木下家は安泰。
色々と何か表に出てない暗部がありそう。 徳川家康の計画で明智光秀が織田信長を殺して豊臣秀吉が明智光秀を討伐したことにする最後に秀吉から全ての権限を徳川家康に移譲させて計画は完成
実際は明智光秀は落ちのびており日光で祀られている
信長の怒りを買って領地を召し上げられた光秀にしてみれば領地のある人間に返り咲けるし秀吉は英雄になれるので家康の計画に乗っかった
家康は秀吉が世間からヘイトを集めるか賞賛を集めるか見極めてから次の手を打つはずだったが思いのほか秀吉が優秀で計画はここで中断
秀吉は光秀の件を切り札に家康が動けないようにした
だから秀吉が死ぬまで待って強引な難癖つけて速攻で豊臣家を攻め滅ぼした >>671
中学生向けのラノベでも恥ずかしくて書けない受け売り妄想だなw >>668
大阪の陣前に亡くなった人は暗殺考慮しなくていいの? >>665
古代中国では、革命が起きたら前の王朝の墓地が荒らされることもよくあった。墓荒らしをした当人が、この故事を知ってるかどうかによるかも。 >>645
世にも名高い真冬の亜寒帯ジェット気流がモロに吹き荒れる所に立つ独立峰
荒天下では秒速50メートル時速180キロの風が吹き付けたり逆方向に吹き返したりする。
高速道路で180キロで蛇行運転するクルマの屋根にしがみついてるようなもの。 >>674
徳川がやったこと
秀吉の墓を掘り起こしてぶっ壊した
天下人の墓ぶち壊すってある意味凄い >>673
妄想するのは勝手だけど結論にはなり得ないな >>671
世界史だと普通にあるからな。
ユーラシア大陸は怖い。 信長は武田勝頼の頭蓋骨で酒飲んだんだっけ?
信長鬼だわー >>679 >>680
それは後世に作られたネタ
なお松永の自爆もネタ 家康のもネタ
正確には、豊国社からの知行召し上げ、「崩れ次第」(放置プレイ)
自然消滅にもっていった >>683
目は瞑(つむ)るものだが口は噤(つぐ)むもの >>664
現代の登山家からは不可能だと言われてる >>683
そもそも顔写真すら無い時代
側近や親兄弟、知り合いのような一部の者しか知らないのが普通な時代だし、別の地で素性隠せば隠し通せると思うぞ
まあ、だから特徴だけ似せた影武者なんてのが可能だった訳で… >>682
墓を破壊して遺骨も無きものにして豊臣の存在すらなかったことにした、て聞いたけど、
放置プレイなら遺骨はあるってこと? 本能寺の変の真意は 年上を愚弄すると 必ずしっぺ返しをくらいますよって 教訓なんだけどね 昨日に続いて歴史スレ
>>564
親子で同一人物に成り代わる、ねえ
襲名とかじゃなくて完全になり切るんでしょ?
剣豪はちょっとよくわからないが
忍者(!)でよければ風魔小太郎が有名だねwww
活動期間がちょっとあまりにも長すぎるもんなw
北条の初期から北条滅亡後の江戸で大盗賊の親分として
処刑されるまでの間、現役ってなにものだよwww
まあ当時の忍者っていうのは実に胡散臭くて、それがいいんだよな
果心居士とかあれはいったいなんだったんだwww 後世病死だよーんで伝わってる武将が実は暗殺だったり一服盛られての毒殺だったってパターンも結構ありそうだ
記録に「病で身罷った」と書かれたら疑わしくてもそれ以上確認しようがないもんな >>687
遺骨は普通にある、明治の終わり頃に墓を掘り返してみたらミイラ化した遺体があったそうな
ただ手違いか何か知らないけど掘り出した時にボロボロにしちゃったそうでその後改葬したんだとか
今でも京都の豊国廟ってところににお墓があるよ 小畠虎盛の遺言「よくみのほどをしれ」って現代の処世訓としても十分響くものあるよな 命は軽く名は重くと多胡辰敬の家訓は現在でも通用している >>692
長年密閉されていたものが急に外気に晒されると一気に風化するよ
それで失われてしまった遺体(ミイラ)や埋蔵品の話はよく聞く 上杉謙信が糖尿病の高血圧なんて知りたくなかったよ... >>73
鳥居耀蔵は丸亀藩へ他家預け二十三年に及び、配流中に幕府が滅んで明治新政府より赦免される >>699
>他家預け二十三年
追放同然に他家に預けられて軟禁生活を長年過ごした歴史上の人物といえば
生島絵島事件の絵島タソなんか連想しますなw 足掛け27年。
まあなんていうかやらかしたことがことだったから
見張りも厳重だったろうが、しかし27年ってのはすごいなあ。
>>694
まあソクラテスが「汝自身を知れ」といったように
孫子が「敵を知り己を知れば」といったように
自分を知るのは大事なことだが、まあ、それが一番難しいんだろうな。
自分を大きく見積もるバカは世間の役所やオフィスやインターネッツ論壇に山ほどいるが
自分を小さく見積もるアホはこれまた世の中に山ほどいる。学校教育の失敗だな。
いや、成功か。ジャップ国の自称勝ち組政官財は学校で人造的にこさえた
謙虚な人間の謙虚さに乗じて巨利と搾取をむさぼるのが生業だからな。 討ち死にだけでなく切腹とか、張り付けでも死んでるからな 松平久秀は知略90オーバーの大物なのに残念な死に方か 討ち死にが一番なんだろ。
年取るほど病死が多くなるから、
合戦で生き残るほど不利になるとは。 姉川合戦で朝倉義景、浅井久政が戦死したため、甲斐・甲府城主の武田信玄が遠江に出陣し、徳川軍を破りました。しかし信玄は、二俣で銃殺されました >>289
島原は、現地人がほとんどいなくなってしまった
初代藩主になった高力忠房は、1年間の年貢免除の条件で各地から移民を募った
天領になった天草は、税率以前に石高が過大すぎた
半減されたのは22年後 島原は関ヶ原だか大阪の陣のレジェンドの立花宗茂が参戦したら世代が若い武将たちの求心力になったって話が好き。
「戦国のレジェンドがキター(゚∀゚ 三 ゚∀゚)」 >>708
だって税収源よ?
投降せずにそのまま殲滅した地方ではガチで廃村多数で税収が上がらなくなって
次の代官が「検地やり直して年貢安くしてくれないなら切腹だ!」と切腹して
そいつの息子も切腹しかけたところで幕府側が根を上げて検地やり直したぐらい
なお代官視点
1 そのままの税で取ろうとする→第二次島原の乱で責任取らされて打ち首+お家取り潰し+悪評
2 年貢軽減を嘆願して切腹→どう転んでもお家は無事+好評
なので腹を切るしかないw
幕府視点
第二次島原の乱は困るし息子も切腹されたら
「誰が次にこの罰ゲーム(島原の代官)をやるのか?」 松倉長門守勝家は親父が奈良の興福寺の僧兵あがりだったせいか、キリスト教迫害があまりにも酷く、しかも、4公6民で算出すれば4万石にしかならない土地を10万石ですと報告したため、民衆の恨みをかった
これも、武士の身分を剥奪された斬首なんだよ >>710
検地やり直しの求めたお代官様が、
怒って江戸屋敷で切腹しちゃったんだっけ。 山崩れで城ごと生き埋めになって全滅したやつが一番残念な死に方だな 南雲長官を角田長官も白刃奮って敵中に駆け込んでの戦死、まさしく海軍精神の権化だ。
しかして陸式は穴の中で自殺。
その違いは如何に。 麒麟が来るの最終回が落ち武者狩りでのたれ死ぬ光秀とか胸熱ですw >>713
切腹じゃなくて斬首だもんな、ひょっとして江戸時代で唯一か?
まあ、幕府もよほど頭にきてたんだろうけど。 鎌倉時代の源頼朝とその跡継ぎたちも結構悲惨な死に方
分家平氏の清盛一党を本家平氏の北条が打倒するのに源氏を利用して
用済みになったら始末したと言う説が根強いね >>595
徳川家康さんの場合
部下「織田家に疑われないように奥方と嫡男殿には死んで貰いましょう」
家康「助けたいんやけど?ほら信長さんは手紙でそっちの好きにすれば良いって言ってるしあの人も弟の反乱二回まで許してるし」
部下「オイコラ そんな楽観的な予測で三河を危険に晒すんか?」
家康「処刑する…」
関ヶ原の後
部下「殿!俺の親戚(娘婿の弟と親父)助命して」
家康「ダメ!あいつら処刑!」
部下「じゃあ婿殿と約束したし殿と戦して力づくで助けるわ」
家康「…助命する」
家康様立場弱過ぎィ!
部下の婿殿の胃に穴が開きそうです
>>690
武田信虎から徳川家光まで診察して治療した長生き医者がいたそうなw
>>691
信長の父親は子供を20人以上作って戦場でも元気な人だったのに
40前後で突然病気がちになってそのまま死亡
…凄く毒殺臭いです >>669
グスタフと宰相のオクセンシェルナの名コンビ
銀英伝のラインハルトとキルヒアイスっぽい >>504
物部はいないねえ
神官なら氷川神社の西角井氏が江戸期に物部朝臣を名乗ってる
源平藤橘以外の近世大名では真田氏は滋野朝臣
マイナーな所で九州にある帆足氏は清原姓 時代の主役は武士じゃないだろ。貴族でもない
ただの権力争い
今の北朝鮮と同じ
社会を支えてきたのは、名も無き農民 神官なら物部朝臣はいる
明治に男爵になった
第47代石見国造、金子有卿
通名じゃない金子って、物部氏 島原の乱はお前いっつも参戦してるなで有名な水野勝成さん 農民に狩られる武士とかwwww
えらっそうにしてるくせにwwww 1月にイングランド王になったものの9月に東から王位を狙った弟とノルウェー王の軍、南から王位を譲る約束をしたと言い張るノルマンディー公の軍に侵攻され
弟とノルウェー王には2人ともぶっ殺して勝ったけど、返す刀で戦ったノルマンディー公の軍にも優勢に進んだものの目を矢で撃ち抜かれて氏んで負けたハロルド2世 残念というかかわいそうなのは吉良上野介の嫡子吉良義周。(養子)
18歳の時、浪士討ち入りの際は刀を手に防戦するが、面を割られて負傷昏倒。
その後、伊那高島城で幽閉生活。
預かった諏訪家は気を使ってはくれていたようだが、元々病弱のためわずか21歳で病死。 芹澤鴨の死に様は男っぽい
愛人のマンションで弾かれたヤクザみたいだ >>727
真田家臣に金子美濃守っていう沼田辺りの村の名士出身っていう大した事ない人がいる >>734
寝込みを襲われたわりに吉良邸で討ち死にした侍は清水一学ら少数だったらしいね 大雨のあと川を見に行って流されちゃった武将もいたに違いない >>671
その構想は大河ドラマにしたら面白いだろうな。
歴史小説やドラマは面白いからこそ価値がある。ウソの塗固めけど、観た者は事実だと信じる。 >>504
戦国で滅んだけど宇都宮の重臣が氏家=橘、芳賀=清原、益子=紀だったと思う >>671
ひどいラノベだな。
秀吉が信長を招き寄せて罠にかけ、そこから1年で信長の奥方や息子を殺しまくって3年で乗っ取り
5年で関白までなったってのが真実だろう。信孝の母親や娘なんてはりつけだからな。 >>737
元々、武張った家風でなく、行儀作法の指導という半分お公家さま。
しかし、討ち入りしやすい所に引っ越しさせられるとか、上野介はどんだけ嫌われていたんだ? →即日庭先切腹はさすがにやりすぎた。
→しかし今さら後戻りできない。
→じゃあ「仇討ち」をしやすくするしかない
→呉服橋から本所松阪町に引っ越させる >>730
戦国時代の農民は強えぞ。兼業農家だからな。副業は傭兵や敵地での略奪やからw 不自然な死に方って暗殺も多いんだろな。
歴史書は真相は隠して書かないから。 小早川秀秋にハイエナしてきた兄貴が1602年11月28日に死んで、秀秋が1602年12月1日に死亡。 >>679
それは浅井と朝倉の話
勝頼は扇子でペチペチして遊んで
飽きたら転がしたりしたらしい。
それを聞いたお寺の人が抗議して
返してあげた代わりに寺を焼き払った
死ぬ間際に有名な言葉をはく
心頭滅却すれば火もまた涼し
と。
快川和尚な。 そりゃ、明智は土岐氏の流れ、美濃源氏(摂津源氏、源頼光の子孫)だし...
「皇別」だよ? 天皇家の血筋だぞ?
例えば、信長が皇室に危害を加えようとするならば、それは、もう行動するしかないだろ?
これは現代でも同じよ? 今の日本人の1/3は天皇家の血が流れてるからね? これは現代でも同じよ
例えば、蝦夷の安倍氏が日本に危害を加えようとするならば、それは、もう行動するしかないだろ? 皇室と都を守るのが光秀の大義名分だった
のは間違いない。
秀吉が来ると京都を中心とした防衛は
諦めて、京都への入り口である大山崎あたりに
陣をひく。
しかし大山崎には町があり町を戦場にしないと
約束していたため入り口にあたる大山崎より
下がった場所に陣を引いた
これも秀吉に付け入られる原因になったのだが、
合戦も短時間で終わり脱走兵があとをたたず
逃走中に土民の槍を受け介錯により
命を落とす
家来が首を土に埋めたため損傷が激しく
誰か分からなかった。
恐らく似たような首を集めて旧家臣に検分
させて特定したわけだが、疑わしかった
のでそれが逃亡説を生んだ。 動物園の職員が朝出勤したら、ライオンの檻の中で柔道着着たオッサンが死んでたっていうニュースは見た 武士とか山中を100kmとか撤退とかあるけどそんな事可能か?
鎧とかは捨てても刀や槍は持ってるだろうし
そもそも山の中をそんなに歩き回れる体力あるか?
現代人でも無理くさい話なのに食事も粗末な時代の人間にそんな体力存在するのかな?
山なんて数キロ歩いただけでヘロヘロなんだけど… >>753
信長と朝廷が対立してたって話はあんま根拠ないぞ
有名な京都馬揃えも安土でやった馬揃えの評判を聞いた天皇が
京都でもやってほしいってお願いしたって宮中の女官の日記に残ってる
あと信長が天皇を無理矢理譲位させて誠仁親王を天皇にしようとしてたとかいう説も
実際は譲位が決まって天皇が喜んでるって同じ女官の日記に書いてある
大体、京都馬揃えには近衛前久とか馬術に自信のある公家も参加してる
朝廷に圧力かける軍事パレードに公家が参加するとかおかしいじゃん >>731
武蔵の養子が話をかなり盛った上、講談でかなり脚色されてるからなあ…
俺のイメージでは、こんなところ。
ケンカ売られて、藩の立ち会いのもと、武道に乗っ取り、刀での果たし会いをすることに。
が、約束時間に来ないw
イライラしてると「めんご!めんご〜!待ったあ?」とチャラいヤツ登場w
しかも刀持ってないw
手にしているのは舟の櫂、長い!
ルール違反じゃん!「これ、果たし合いじゃない!帰…」
武蔵「隙有り!」(バキッ!)←頭蓋骨陥没骨折
小次郎(ちょ、まだと言うとるのに…)
武蔵「勝ちゃあ、どんな手使ってもいいんだよ。いい歳こいても知らんのか?」
藩役人(これって卑怯だよな…)ドン引き 逆に、老衰とかで最期を迎えた有名な武将とかいないの? >>760
真田信之→93
北条幻庵→97(後代の軍記物の中の表記であり実際は90前後の可能性が高い) ちょっと今宵はさすがにおつきあいできないんだが
親韓左派のウリとして見逃せないカキコがあったので深夜だけどメモメモ
>>504
>>725
物部姓を名乗った有名な人に勝海舟がおりますなwww
実際に勝氏がその物部直系なのかどうかはわからんし
そもそも父の時代に勝家に養子にきたわけだから血統はともかくとして、だねw
それにまあ面白がって名乗りを上げていたところも結構あるからなwww
725くんが氷川神社なんていうもんだから海舟先生の「氷川清話」をめくったところ
早速出てきた。雨乞い歌を詠んでその日雨が降ったって和歌だ。
「三囲の やしろに続く ひわれ田を
神はあはれと 見そなはさずや」
物部安芳名義で出しているね、当時の戸籍名が勝安芳だから。
まあ自分で言っている通り「歌詞はまずい」がw 雨が降ったなら、なによりw
>>750
道潅公かね。
じゃあせっかくだから勝海舟の最期の言葉を援用しようか?
「コレデオシマイ」 >>760
いっぱいいるよ。病死も含めれば、勝ち組大名はだいたい畳の上で死ねるしw 最上義光の子供たちの末路
長男 義康…殺害
次男 家親…急死
三男 清水義親…自害
四男 山野辺義忠…水戸で天寿を全う
五男 上野山義直…自害
六男 大山光隆…自害
家親は「猿楽を見ながら頓死す。人皆これを怪しむ」とあるから毒殺の可能性高い
五男と六男も配流先で唐突に自害ってのも妙だから何らかの理由で抹殺されたのかもな 南部晴政は親子共々信直に殺されてるだろ。晴政自身も親父?殺害してるみたいだし南部はドロドロしている。 >>757
バスも電車も車も自転車も無い時代でとにかくどこかへ行くには全て徒歩
どんなに遠くてもだ
更に整備の行き届いた道は少ない時代
それが「普通」の奴らにとって山道の100kmなんか大した事はない 江戸時代の流行で女性でも普通にお伊勢参りに徒歩で行っている >>769
普通の人は1日役40qくらいの移動だろうね
東海道では京立ち石部泊まりと言うから >>705
本能寺で燃えきった信長がすごいよなあ。首取られてたら歴史が違ってる可能性もあるから >>438
思慮が洗面器並みに浅い癖に
過大評価されまくってるよな。 >>763
物部の有名人としては、あとは、荻生徂徠とかかな。 >>690
>>723
それって同一人物になりすますではなくて
歌舞伎とかの世界にもある襲名ってやつじゃないの? >>765
四男の山野辺は
水戸黄門のドラマで
黄門が水戸に戻った時に出てくる口うるさい
じいさんのモデルだな >>722
本家平氏の北条?
平家と違って北条が平氏というのは相当怪しいし、
仮に事実としても別に本家ではないよ ざんねんというか見苦しいナンバー1なら
ダントツで藤原泰衝。
父の遺言無視して義経を惨殺して墓穴
交渉下手で結局頼朝に攻められ敗北すると
さっさと逃げ出し途中で命乞いの手紙を
送るがスルーされ、
挙げ句部下に殺される
首に釘を打たれたとあり、墓を
改めた時に頭蓋骨の眉間に穴が空いた
骨が見つかる。 >>607
現代でいえば炎上騒ぎを起こしてしまった人の素性を調べ上げネットで晒しあげるのと似た感覚に思える >>780
ネット炎上は金になるわけじゃないしなあ
落ち武者狩りはもっと即物的な、金目の物持ってる奴が
弱ってて敗残者だから襲っても咎められないし
上手くすれば勝者に差し出してもっと金貰えるぜ!って単純な金目当てじゃないかな
まあ落ち武者の方も全力抵抗するから反撃されるリスクはあるが 落ち武者狩りのリスクはなかなか高い
その相手によっては
恩賞もらえるケースももちろんあるが
例えば佐久間玄蕃を寝てるすきに縛って
秀吉のところにもって行った村人らは
全員殺されている。 敗残者と言っても勝者に必ずしも殺されるわけじゃなく
助命されたり運が良ければ取り立てられて再起することもありえるしな >>581
三国志だと野垂れ死にの袁術あたりか
フィクションのゲームでも子供の弓矢の練習の流れ矢で死んだヤツとかいたしな >>785
秀吉は佐久間玄蕃を高評価していて
お前ら下賤な輩が縄で縛れるような
人じゃねんだよ
よって全員斬首
佐久間さんは家来になってもらうわ
て感じで佐久間の目の前で
恩賞もらえると思ってワクワクしていた
村人らの首をことごとく落とした。
正に天国から地獄
しかし佐久間は秀吉の部下になるのを
拒み斬首されることを望んだ。
潔い一生だった。 野村増右衛門は、700石の郡代、中堅の官僚だよ
庶民じゃないよ
むしろ、武士だからこそ、苛烈な処置になってる 秀吉の愛人とその子に大阪を奪われて
家康にそそのかされて豊臣家を滅ぼし
死にそこなって
家康の家臣にまでビクビクするようになって
家康に与えられた領地で死んでいく
みじめだ
清正みたいに暗殺された方が名が残ったな 負けた方の妻子はレイプされたり大変だったらしいな
義経もそれを恐れて自分の妻子を殺したんだっけ
落武者狩りは農民の臨時収入だったわけだし
いやぁ生きるのは大変な時代だよね 上杉憲政の人生は最後まで浮かぶ瀬のないまま殺されて終わった 戦国時代は物騒だからな。
本能寺の変で家康が少数の護衛で本国に帰るときも
武装集団があっちゃこっちゃで沸いて命の危険を感じたという。
夜盗的なものから、農民が武装したものから、沸いてでるからね。
少なくても30人ー300人とか徒党を組んでるから
侍といえども普通に狩られてしまう。 >>759
約束通り小次郎が一人で果たし合いに来たら、武蔵は大勢の弟子たちと待ち構えていて、寄ってたかってなぶり殺しにしたという話もある
激昂した小次郎の弟子たちが武蔵を殺そうとしたので舟で脱出したとか
酷い話だが、武蔵の闘いは勝てば良いだろみたいなところがあるので、単なる俗説と否定できない
後年洞窟に引き籠ったのも、恨みをかった相手の襲撃を恐れたからという説もある >>796
義経の妻子は鎌倉方に捕まって鎌倉に送られてる >>799
というかあの辺は以前から一揆が盛んな場所で信長も討伐に出したくらいの場所
そのような場所にわずか30名程で通過せねばならぬというね
服部・伊賀・土豪の力を借りてなんとか生きながらえたけれど
それでも最終的に1〜200人は斬って来たという流石三河武士w >>641
強風で2人がテントごと吹き飛ばされたんだよ。
右京さんが生きてたこと自体が奇跡的とも言える。
穏やかに眠るようにとは真逆な惨状だったと思う。 >>801
両方正しい
静御前は吉野で捕まり鎌倉に送られて生まれた男子は浜に生き埋め
他の妻と子は平泉で義経と最後を共にしている >>801
正妻と娘は義経自害の前に義経自身で殺してる。
誰か他と勘違いしてないか? >>779
炎立つを思い出した
なんともみじめな最期だな 相変わらずの良スレ良スレ
好事家スレ民諸君は本スレと前スレは熟読玩味して可なり
親韓左派のウリも縦横無尽に…そこまで大言壮語しちゃまずいかwww
>>765
こおらあ
最上義光公の子どもがひどい目にあったって話題で
なんで美姫の名高い駒姫の悲劇を出さないのかw
まさに一読満都の紅涙をしぼらせしめる悲劇譚で
義光公の激怒赫怒、いかばかりか。
後年最上家は徹頭徹尾徳川方につくんだが
その原因は勿論、愛娘を咎なくして斬殺された
豊臣家の心からの憎悪、これがあったんだろうね。
もともと権謀術数の限りをつくした
謀略調略に強い大名って感があるけれど
ただこの徳川への傾斜は私心なき本心からだったと思うよ。
娘とられてそれでいつまでヘラヘラしていられるものか。 >>793
殿様になったら、家来を路頭に迷わせないことが大事な仕事だろ。
そーいや俺も、やり甲斐も何にもない仕事だけど、家族を路頭に迷わせないために働いてるわ。 普通に自害だとか切腹だとか当時の人は凄いよね。
乃木希典だって明治天皇が崩御したら夫婦揃って自害してるでしょ?
江戸時代の後追い殉職禁止とかよ
よくそんなに命を捧げれるもんだと感心しちまう >>802
武蔵の場合、小説のイメージが定着してるけど、実のところ晩年を除いて決闘試合の風聞記事以外の同時代一次資料が存在しないんだな
創作では格好良く描かれてるが、実際には浪人兵法家など武士の最下層で、殆ど野盗と同視された時代信頼できる伝記がないのはもっともで、それだけに想像も膨らむ 武蔵は生涯風呂に入らなかったため、決闘する相手は立ち会ったその瞬間、鼻をつく強烈な
悪臭で戦い以前にメンタルをやられてしまったとか… 匂いで相手を弱らせてから倒すわけだ。宮本クロロホルム剣法である。 >>784
源頼義:藤原経清を鈍刀で斬首
源義家:清原武衡の家臣を木に吊るして足下に武衡の首を置き、疲れて足を下ろすと主君の首を踏むようにセッティング
源義光:甥(長兄義家の子)を奸計をもって殺害、実行犯の家臣に罪を着せそっちも殺害、次兄も謀反人に仕立てて攻め殺す
源義親:朝廷に反乱を起こして平家に追討される
源為義:保元の乱に敗れて息子に処刑される
源義朝:父の首を刎ね、息子に弟(義仲の父)を攻め殺させ、自身は平治の乱の敗走中に風呂場で殺される
源頼朝:弟範頼、弟義経とその息子、娘婿(義仲の子)を殺害、落馬して謎の死
源頼家:母方の祖父と叔父に息子と妻とその一族を悉く殺され、自身は幽閉ののちに風呂場で殺される
源実朝:甥に殺される 秀吉書状による光秀の最期(天正10年6月26日付滝川一益宛)
※本能寺の変から24日後
去十三日、山崎表馳上候之処、明智勝龍寺相拘罷出候間、則及一戦切崩、首三千余討捕、
其外淀・桂川へ流死候者不知其数候、然ニ惣首中明智首不相見候条、郷々尋候へ者、山科之藪之中ニかゝミ居候を、
百姓明智首を切て溝ニ捨置候を見出候、扨々死様之儀、上様御当罰眼前与一身致満足事、
去る13日山崎表に出陣したところ、明智も勝龍寺から出陣してきたので、一戦に及び切り崩し、3000余りの首を討ち取った。
その他にも淀・桂川で溺死する者数知れず。討ち取った首の中に明智の首が見当たらなかったので、村々で捜索させたところ、
(明智は)山科の藪の中で屈んで隠れていたところを、百姓が明智の首を切って溝に捨てられていたのを見つけた。
このような死に様は上様の罰が当たったもので、目の前でその様子を見ることができて満足している。 >>814
いやいや横文字は不服だろうしもう少し格好良く。
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