【中国メディア】日本人は「徐福とその従者の末裔」だという説は本当か? 「徐福と彼が連れて行った若い男女の末裔が日本人である」 ★5 [樽悶★]
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万里の長城を建設したことでも知られる「秦の始皇帝」の命を受け、不老不死の薬を求めて旅立った「徐福」という人物がいたという。徐福は3000人の若い男女と多くの技術者を従えて東方に船出したと言われているが、中国メディアの今日頭条はこのほど、「徐福と彼が連れて行った若い男女の末裔が日本人である」という説は本当かと題する記事を掲載した。
日本には徐福にまつわる伝承が各地に残されているのは事実だ。たとえば、徐福について「平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかった」という記録があることを伝え、記事はこの「平原広沢」は日本の九州地方のことだと主張。九州は気候に恵まれ住民も純朴で、地元住民に農耕や漁業などの技術を伝達して「王」になったのではないかと伝えた。徐福は中国を出るとき、稲など五穀の種子や財宝、各種技術者を伴ったと言われている。
記事は、徐福が日本を訪れた証拠は十分だと指摘。北宋の詩人・欧陽脩も日本刀についてうたった「日本刀歌」のなかで徐福が日本に渡ったことに触れているほか、古事記や日本書紀も秦から日本に渡って来た人に言及していると紹介した。
それに加えて、日本には各地に徐福の伝承が残り、徐福を祀った像や記念碑があり、徐福関連の催しが行われていて、徐福の子孫を名乗る人もいると紹介。徐福は伝説の人物ではなく、実際に存在して日本に渡ったに違いないと結論付けている。
日本各地にこれだけ伝承が残っているというのは、何ともロマンのある話で、中国人が興味を示すのも理解できる。日本人が徐福の末裔というのは誇張された表現であるにしても、徐福とその一行の末裔が日本人と同化したという見方はできそうだ。(編集担当:村山健二)
2020年5月5日 5時12分
https://news.livedoor.com/article/detail/18216731/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/8/e/8e135_620_11c800c0_92020f66.jpg
★1:2020/05/06(水) 21:48:24.49
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1588803752/ 日本に紀元前200年くらいに秦の文化が定着したとか言うなら神武天皇は実在して徐福なんだ!とか言う話も分かるけど
大陸に近い九州ですらそんなことになってないからな
それに徐福が来たとされる時期は弥生時代の中期でもう日本では独自文化が定着して人口も全国的に展開して増えてる
たかが5000人だかの男女が渡来してどうのとか
上で書いたように日本の文化は外来文化を即座に独自化していてずっと独自性を保っているので仮に本当に渡来したとしても何の影響も及ぼせてない事になる
なんでも帰化人!とかいうネタは笑えるかも知らんが、実態を完全に無視した想像100%の話でしかないのがよく分かる
そりゃ誰も相手しないだろうよ 中国人は、徐福一行が日本人の子孫という伝説大好きなんだよな。 秦って中原や黄河流域だけだろ
他の中国系と違ってDNAの型が限られる 徐福はいるわキリストはいるわムー民はいるわ日本てスゲーな 文革やら何やらで愚民化された今のシナ人には誇れるものが何もないから仕方ないか…。
ちなみに、12支族・ユダヤ人の末裔である始皇帝にしろ、徐福にしろ、
扶桑の国(=和国)が神秘的であり、シナ大陸に長くとどまるつもりなんてなかったんだよ。 そもそも秦氏と言うのは応神、雄略天皇の頃に雑多な帰化人をまとめて管理するために「創造した」一族
大和朝廷の都合で作られた存在
一番大きい弓月君の集団に帰化人集団を管理させただけ
そういう集団だからもしかしたら徐福に由来するような集団もいたかもしれない
が、その集団の主体とはなっておらず名前も残らない程度の人々と言う事になる
徐福とその集団が仮に史実だとしてもそんなレベル
なんでも結び付けて過大評価する人が多いが実際のあり様を見ればそういう考えが成り立たないのがよく分かる 光秀が天海説も昨日所ジョージのテレビで筆跡鑑定されて否定されてたぞ。 >>808
何万年もずっと孤立して列島に住んでいた民族だろ
もちろん起源はアフリカだが 日本人は徐福の子孫なのか呉の太伯の子孫なのかどっちなんだよ まあたしかに殷の古墳にお付きの者を生け贄にする風俗を周が改めたようなことは記紀にもまったく同じことが書かれているから関係あるかもしれんな >>750
徐福は蓬莱山(富士山)を目指したんじゃないの?不老不死の妙薬を貰うために。 >>832
どっちでもよくね・・・
どうせ混ざっているんだろうから。 >>836
不老不死の霊薬を探しに行くというのは建前で、
徐福は、蓬莱(=扶桑の国=和国=日本)にユダヤ人の王国を建設することが目的であった。
始皇帝をまんまと騙し、巨費を手にした徐福は、船を建造し、斉国のユダヤ人の家系から
希望する人々を集め、渡来した。 >>838
その時点で血が随分混ざっていそう。。。
やっぱり人類はアフリカから来たのかなぁ
それともアトランティス大陸? つーか徐福の子孫が今でもいるなら分かるが日本人が末裔は斜め上すぎて月間ムーレベルかなw
別に大量の移民が日本へ来たのはシナ大陸だけではなく遠くは中東もいるからね >>839
約700万年〜約680万年前のサヘラントロプス・チャデンシスが最古の人類である可能性が高い。 中国が分裂して荒れてる時には結構渡ってきてるだろうな。
徐福しか来ていないと考える方がおかしい。 満州国は最初ユダヤ、つまりイスラエルとして建国する構想が日本陸軍、関東軍にはあったとか。東條さんもそう考えていたとか、だろ? 徐福って孔明と並び立つあの天才軍師の?褒めすぎやで >>848
天才詐欺師だろ。
半島で留まって日本まで来てないかもしれないよ。 >>375
日本書記に書いてあんだろ
アマテラスとスサノオは新羅から来たって >>846
まあだいたい石原莞爾の思想は日本とアメリカによる世界最終戦争ハルマゲドンだからな
日本をイスラエルの末裔と思ってたんだろう >>844
朝鮮語(=韓国語)が日本語と文法や語彙がそっくりなのは当たり前。
近代的な漢字ハングル混じりの朝鮮語を作り普及させたのは明治の日本の偉人たちなのだから。
識字率の推移を見れば、どれだけ併合時代の朝鮮が恵まれた教育を受けていたのかがわかる。 >>844
そっくりって
後に作られたハングルを別としても、言葉でも全然別物じゃん 佐賀の地名、方言に色々痕跡があるよ
杯を浮かべて上陸地を探した所が「浮杯」
徐福が手を洗った所が「寺井津(手洗)」
湿地に千枚の布を敷いて迎えた「千布」
カンアオイと言う薬草を方言で「フロフキ(不老不死)」などなど >>828
まぁあの汚い川を見たらもっと綺麗なところに行きたくなるわな。 日本列島が大陸と地続きだった時様々な民族が大陸各地からやってきて、その後日本列島が切り離され
独自の文化を持つようになった
ちゃうか? >>861
地続きだったのは一年前で、縄文人も16000年前からいたから多分そうだろうね。 >>844
もともと半島には列島の縄文人が住んでいた。半島語に太古日本語の痕跡があれば、それはその考古学的エビデンス。現在の半島は北蛮の侵入で人種が変わっていて言葉は全く違う。そっくりとは冗談がきついw >>823
ちょっと中国の創作が強い気はするんだよね
何でも中国起源説ってやつ 徐福さんたちが
日本の文化に色を添えたのであれば
ありがたいことだよね
つまり主体はあくまでも日本だということ >>850
日本書紀って古事記の真似して時の権力者の都合が言い様に作ったやつだろ
まぁ古事記も訳分からんおっさんから聞いた話を書いただけだから信用度では似たり寄ったりだけどね >>346
松江市のタテチョウ遺跡などで発見されている土笛は、
シナでは陶塤(とうけん)と呼ばれ、新石器時代から使われていた楽器で、
ハタ族が秦国から持ち込んだものである。 「徐福の子孫の村」というところが中国本土に実在する以上、徐福が日本に来ちゃってるわけない
という解説をする本を持ってる > 日本には各地に徐福の伝承が残り、徐福を祀った像や記念碑があり、
> 徐福関連の催しが行われていて、徐福の子孫を名乗る人もいると紹介。
こういうのはだいたい江戸時代発祥の作り話であることが多い 秦の時代の最高技術の1つである「文字」は日本に来て捨ててしまったのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています