https://news.yahoo.co.jp/byline/akedotakahiro/20200507-00177364/


コロナフォビアのための「ワクチン」をつくる――感染者を非難しない感染症対策のために
明戸隆浩 | 社会学者
5/7(木) 8:13


可視化されるコロナフォビア

 この一週間ほどのあいだで、新型コロナウイルスに関連した差別やバッシングを批判する記事が立て続けに出された。筆者の観測範囲で目についたものを挙げるだけでも、辻田真佐憲「脅迫・中傷・投石・落書き・密告…多発する「コロナ差別事件」の全貌」(現代ビジネス、4月30日)、「親子で感染「加害者扱い」「後ろ指さされるよう」仙台の男性、長男はSNS中傷も」 (毎日新聞、5月1日、なおこの記事には筆者もコメントしている)、「「コロナ自警団」はファシズムか 自粛要請が招いた不安」(朝日新聞、5月2日)、佐藤直樹「コロナ禍で浮き彫り、同調圧力と相互監視の「世間」を生きる日本人」(現代ビジネス、5月2日)、「「お願い」という名の強制力 緊急事態で強まる私権制限」(朝日新聞、5月3日)、「コロナ感染者が謝罪、日本だけ? 「悪者認定」がもたらす致命的問題」(47NEWS、5月3日)、といったラインナップだ。

 そこで取り上げられた差別やバッシングを指す言葉は記事によって異なるが、ここではこうした現象を「コロナフォビア(coronaphobia)」と呼ぼうと思う。「phobia」は直訳すれば「恐怖症」だが、「ゼノフォビア(xenophobia/外国人に対する憎悪や差別)」「ホモフォビア(homophobia/同性愛者に対する憎悪や差別)」など、「差別」に近い意味合いで使われることも多い。従って「コロナフォビア」にはたとえばコロナウイルスが怖くて外出できないといったことも当然含まれるが、ここでとくに焦点を当てたいのはそれが「人」に対して適用された場合だ。そこで憎悪や差別の対象となるのは、コロナウイルスに感染している(とみなされた)人だけでなく、感染のリスクが高い仕事に従事している(とみなされた)人、感染する可能性のある行動をとった(とみなされた)人、感染を拡大する可能性ある場(店など)を提供した(とみなされた)人など、非常に幅広い。
(リンク先に続きあり)