「天下の台所」と呼ばれた時代から、大阪の食を支え続けてきたミナミの黒門市場。インバウンドの成功例として脚光を浴びていたが、新型コロナウイルスの影響で、頼みの外国人観光客が途絶えてしまった。人通りは市場の生命線。なにわ商人たちはどのように活気を取り戻そうとしているのか。(半田尚子、文中敬称略)

大阪・ミナミの黒門市場は南北に長さ約350メートルある。3月20日の朝、その最南端でカレー専門店「ニューダルニー」を営む吉田清純(72)は開店準備をしながら北側を見渡し、「これだけはっきり車が見えるのは、バブルがはじけたころ以来やね」とつぶやいた。

北側は幹線道路の千日前通に面している。数カ月前なら午前中から食べ歩きの外国人観光客でごった返し、車はまったく見えなかった。吉田の店も8席すべてがいつも埋まり、店の外に行列ができた。「昔のような活気が戻って楽しかった」

「天下の台所」と呼ばれた大阪。黒門市場は新鮮な魚や野菜がそろい、買い物客に親しまれてきた。吉田が黒門に店を開いたのは、前回の東京オリンピックが開かれた1964年だった。高度成長期のまっただ中。「にぎやかな黒門に店を構えれば、将来有望だと思った」という。

好景気に沸く80年代後半、黒門にはミナミの料亭で働く板前が新鮮な食材を求めて訪れた。吉田の店にも仕入れを終えた板前や仕事帰りの水商売の女性らが朝からカレーを食べに来た。にぎわいは永遠に続くように思えた。だが、バブルが崩壊するとミナミの飲食店は潰れ、板前の姿が減った。近くに大型スーパーやコンビニエンスストアができたことも影響し、一軒、また一軒とシャッターが下りていった。起死回生の打開策はなかった。吉田は「運がないなあ」と嘆いた。

そんな光景を一変させたのがインバウンドだ。2011年ごろから増え始め、黒門の通行者数は19年には1日あたり約3万人と10年余りで2.3倍に増えた。通りには、中国語や韓国語が飛び交い、「ほんまもん」の食べ歩きが観光スタイルとして定着。数千円もする大トロの刺し身や焼きタラバガニ、神戸牛のステーキなど、外国人観光客を意識した商品が増えた。

離れた地元客、取り戻したい
街がにぎわい、さらに人が集まる好循環が生まれた。特に若い力が目立った。中国出身の宮本英政(32)は18年、近くにドラッグストアを開いた。中国人観光客の「爆買い」に注目。「黒門のおかげで平日もにぎやか。商売をするには魅力的だった」。マリオなどのキャラクターに扮して街を走る公道カートレンタル店を営む立道勲(28)は「外国のお客さんはサービスに対し、感想を率直に伝えてくれる。日本人相手の商売よりもやりがいを感じる」と話す。外国人向けのコスプレ写真館を開いた高尾元健(28)は「ひものゆるい大きな財布を持った外国人相手のビジネスは魅力的だった」と振り返った。

空き店舗は次々と埋まっていった。ある商店主は「1700万円で買ったビルを9800万円で売ってほしいと中国の不動産屋からもちかけられた」という。一躍インバウンドの「成功例」として持ち上げられ、菅義偉官房長官ら政治家や国内外の自治体関係者が視察に訪れた。

ところが、新型コロナウイルスの影響で突然、外国人観光客が消えた。黒門にある約170店のうち半分以上がシャッターを下ろし、休業状態となった。
地元の客を呼び戻そう。そんな声を上げたのは、和菓子店「三都屋」の北岡裕一(52)だ。「目の前のお客様に向いて変わっていかな、我々の生活は成り立たん。このままジリ貧は絶対あかん」

■離れた地元客、取り戻せるか

全文はソース元で
5/9(土) 11:30配信
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★1 2020/05/09(土) 12:31:52.40
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