平頼綱の家系は平資盛を祖と称するが、これは仮冒された系譜であるとされ、実際は
伊豆国の土人で古くからの北条家家臣の一族で得宗の執事(召使い)となる
おそらくは北条氏の私有畑ではたらいていた小作人であろう

北条さんの郎党でも、北条氏が強くなるにつれて、(実際は働かない)北条さんよりも
野良仕事や申次を請け負っていた伊豆国の土人のほうが金も権限もにぎるようになる

例えば北条義時は鎌倉を有する相模一国の守護、相模守を務めて幕府に優遇されていたが
三代将軍実朝に、「北条氏は特別なので、北条氏郎党を、侍に取り立ててほしい」と要求
これは北条義時の願いというよりも下からの突き上げ要求であろう
若い将軍は「郎党は武士ではない、郎党を御家人にするなど幕府の身分を壊すものだ」とはねつけてる

そのなかで平氏など身分を飾り、のしあがってきた
もともと郎党など、伊豆の平民以下の存在であろうが、こうして実力をつけてきた

全国の源氏平氏など9割はこのような私有畑ではたらいていた小作人