【京都】旧海軍の料理本ネットで初公開 レモネードやドライハヤシ、計約450のレシピが掲載 [靄々★]
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レモネードやドライハヤシ、旧海軍の料理本ネットで初公開
京都府舞鶴市は、旧海軍の洋食文化を全国に発信しようと、旧海軍が調理員育成のため編さんした「海軍割烹術参考書」など3冊の料理教科書をウェブ上で初めて公開している。計約450のレシピが掲載されており、市担当者は「新型コロナウイルス感染拡大防止のため、なかなか外に出られない状況の今、ぜひ家庭で試してもらえたら」と呼び掛けている。
3冊は、いずれも同市の海上自衛隊第4術科学校所蔵で、1908年発行の「海軍割烹術参考書」、18年の「海軍四等主計兵厨業教科書」、38年の「海軍厨業管理教科書」。
割烹術参考書には、カレーやチキンライス、プリン、厨業教科書には、英海軍が船員の「壊血病」予防のために製造したレモネード、管理教科書には、肉じゃがのルーツとされる「甘煮」などの調理法が掲載されている。
割烹術参考書は、現代語訳した復刻版が発行、販売されているが、残り2冊の公開は初めて。市観光振興課は、「近代化の歴史をたどり、自宅で過ごす際のメニューの参考にしてもらえれば」と期待する。
※続きはソースからご覧ください
旧海軍の熊野式Z型(1931年式)合成調理器(海軍厨業管理教科書より)
https://kyoto-np.ismcdn.jp/mwimgs/c/e/600m/img_ce960c9c5382a80a1e5f8661ad717d979327074.jpg
ウェブ上で初めて公開された「海軍厨業管理教科書」(右)など
https://kyoto-np.ismcdn.jp/mwimgs/a/d/600m/img_ad5ec5716f3666bd2eb128b3ae84f0a32529506.jpg
ウェブで初公開された、旧海軍編さんの料理教科書(舞鶴市北吸・市役所)
https://kyoto-np.ismcdn.jp/mwimgs/d/a/600m/img_dac27dd1fe09223cbe542ea5eb44a4d63036539.jpg
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/257850
2020年5月30日 17:15 京都新聞 陸軍と海軍なら圧倒的に海軍の方が飯がうまかったらしいね 海軍と陸軍
どちらが無能だったの?
なんで負けたの? 肉じゃが、って山本五十六がカレーをおぼろげな記憶辿って
料理人に作らせようとして出来たもんじゃなかったっけ? >>3
4科校の卒業生が世界の山ちゃんやからあのレベルやろ。 麻生美代子さんは
今に生きていたら
東大で数学専攻していそうな
エピソード。 星の位置から
艦隊が何処にいるのか
割り出す仕事していた
ってのがマジなら
才女過ぎるだろ。 ホントにただ公開するだけ?
分量何十人何百人分とか? >>3
そうでもない
軍艦という閉鎖空間で補給が効かない縛り条件で、
クルーを飽きさせない料理を補給の範疇で作れるというのは今の日本のご家庭でも厳密には無理ゲーだから 軍靴の足音が聞こえる
軍隊が食べてたレシピを公開するとか、戦争をまたしたいってことですか そりゃ航海中に船員が「あれ食べたいヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!」
なんて言われたらクスリだと思って出すんだ >>7
ビーフシチュー食いてえなと言ったらあれが出てきたんだろ >>2
戦争前は海軍は少世帯で少数精鋭で主計兵の腕も良かった
陸軍はとにかく大所帯で飯ごときに贅沢いうな!で
飯がまずく普通に残して残飯が大量に出てそれを売っていたぐらい
ある連隊長が要人でコック雇ったら完食で兵の体力も付いたという話が残ってる でも日本の兵隊は洋食やパン食を好まず米飯食でないと力が出ないと割と我儘言ったらしいね
トイレも洋式だと踏ん張れないって理由から艦内でも和式トイレが主流だったとか
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『めしあげ!! ~明治陸軍糧食物語~ (1) (角川コミックス・エース) (日本語) コミック』 >>4
圧倒的に海軍が糞なのです
陸軍の失敗は中国での戦線拡大とノモンハンから続く作戦参謀である辻を首にしなかった事だけど
海軍はすべてが中途半端、とにかく艦が大事で人命軽視&補給放棄
二百三高知から始まる日本海海戦も旅順艦隊を撃破した陸軍あっての戦勝ですし >>4
どっちも無能
対米戦争なんて勝てるワケないと陸軍・海軍とも思ってないのに、自分から『勝つ自信がないからやめましょう』とは言えず、
相手(陸軍からみた海軍、海軍からみた陸軍)がそう言うだろうとお見合いしてる間に引けない状況となり、開戦に至った
どっちも馬鹿丸出し
つか、現代日本の会社によくあるパターンでもあるw >>31
陸軍の知米派の将校は反対していたよ
硫黄島守備隊の栗林や西が有名
五十六だって反対していた 割烹術の響きが格好いい。
割烹術を極めています、って言いたい。 >>37
ドライカレーは
横浜の氷川丸のドライカレー(レトルト)オススメ >>32
国が傾くくらい軍事費に突っ込むと、「あんなに金を使っといて使い物にならないのか」と、いざという時に後に引けなくなる。
怖いのは、今の中国がそんな風になりつつあるところ。 >>20
英米露「何言ってんの?」
独「関係ない」
伊「せやせや」 学研の「歴史群像」でやってるコラム「戦士の食卓」は結構面白い パンと一緒に出てくる舐めモノが結構うまい。
愛知県の田舎の学校だったけど、甘いクリームみたいなのがよく出てて、
その後全く見かけなかったが、旧海軍のレシピにあった!
今度作ってみよう。 >>28
潜水艦は日本海軍で唯一、下士官・兵隊であっても白米飯を常食することが出来た
他の軍艦種は全て麦飯な
これ潜水艦乗組員にとってかなりの士気高揚になった 海軍割烹術参考書
100年前の日本語のハイセンスなこと >>2
デカイ船ほど料理が豪華に・・・・戦艦大和にはソーダ製造室とお菓子製造室があったそうな。それと漬物用倉庫と >>23
和食上がりの料理人に無茶振りで出来たのがあの料理 >>27
洋式主流なんて平成になってから
最近やっとJRの新築便所は和式を作らなくなったレベル 海自でもメシが不味いと暴動が起きるってんで美味くしてるらしい。確かに遠洋に出たらメシしか楽しみがないね。 >>55
ある意味金曜日カレーは料理人の息抜きの為に作られたんだろうな。毎日献立考えるの大変よ (-_-;)y-~
船上で病人出たら、総員病死全滅するもんな。 >>52
肉、ジャガイモ、玉ねぎ、人参はわかるが、
シラタキはどこからきたんだろうな >>28
潜水艦は水上艦と比べると厨房も調理設備も簡素なものだったので
ハム寿司(切ったハムを酢飯と混ぜたもの)などの簡素なメニューや缶詰などが多様された >>56
元々は海自が週休一日のときに調理や片付けが比較的楽なカレーを土曜日のメニューにしてた
それが週休二日になって金曜にズレて「金曜カレー」になったと言われている
ちなみに旧海軍では「決まった曜日にカレーを出すこと」とは特に規定されていなかったと言われてる 海自の牛すじカレーを真似て作ったことがあるがなかなか旨かった (-_-;)y-~
先週と同じく競馬下痢や。勝ってるのにやられる。
たぶん、誠実さとか人の本能に反することをしてるからやろな。
データには誠実にしてるんやけど、データが非人間的やからな、どうにもならんw (-_-;)y-~
汚い話をしてすまない。
そういう意味で、
競馬場とかウインズで動きながら食いながら競馬する方が、健康にはええんやろな。 >>51
大和型の冷蔵庫・冷凍庫の容量はそれまでの長門型の1.5倍ほどあったと言われていて
大和、武蔵では他の艦よりおかずや小鉢が一品多かった日もあったとか >>15
日本海軍にはある候補生が天文儀で艦位を不忍池に出したという伝説がある。
>>24
その連隊長って辻大佐だっけ? >>25
例えば醤油ダレの作り方が「醤油ト砂糖ニ適量ノ味醂ヲ混和シ・・・」だからなあ 真珠湾攻撃の前の食事が鉄火巻だったらしいけど
鮪を保存できる位に
冷蔵庫と発電機の性能良かったのかな。 >割烹術参考書は、現代語訳した復刻版が発行、販売されているが
原文は旧字体、カタカナの合字さえ慣れれば、文語文としてはむしろ平易な方だけどな
これすら現代語訳が必要とは、日本もあまり韓国を笑えなくなってきてるな・・・ >>67
これに載ってる「スープ」は固形のコンソメをお湯で溶かしたやつでおkらしい 海軍の補給管理は昔から独特だったしな
終戦間際の南洋某島じゃ
餓死寸前な上官がダダこねて食いたい食いたいと
好物の羊羹が手に入らないつってそこら辺に生えてる木の実煎じて
テングサから自作する猛者も居たぐらい (-_-;)y-~
串木野の幼馴染、お父さんがガラスを扱う職人やったと思う。
TVゲームでいけそう。 >>71
昭和18年11月発行の「海軍主計兵調理技術教科書」によるとスープの材料は牛筋肉、
人参、玉ねぎ、塩胡椒となっています。 >>72
大空襲後のトラック泊地ではやることがないからタロイモを掘って芋焼酎を作ってたって月刊丸の体験記で読んだな
>>74
味の素のHP見てきたらそれらも入ってるから大丈夫やな >>2
海軍はプロ雇う
陸軍はクズが楽するためにやる >>4
30不要不急の名無しさん2020/05/30(土) 21:31:33.58ID:rSf+ApOW0
↑ こういう 糞インチキ野郎が本当に多い
辻は高級参謀とは言え ビルマ戦線時でさえ階級は中佐
そんな者が 戦局の左右などできるはずがない
こういう なんも知らんくせに 嘘ばかりほざく
うすのろが多くて 困るよなぁ
☆ブルーインパルスによる感謝飛行展示 バーチャル航空祭
https://blog.goo.ne.jp/axxxxxa0000/e/2c7154cd9817e9b47af81e863af2bc3f
☆WW2終戦後の8月18日に占守島で叩きのめされた旧ソ連軍/ロシア軍
https://blog.goo.ne.jp/axxxxxa0000/e/9d818ab9402261af72a28ac423c76625 >>79
間宮とか艦隊の旗艦には庸人としてコックや菓子職人が乗艦してたが
大多数の艦では飯作りは主計科の水兵さんがやってた 呉と舞鶴でどっちが元祖肉じゃがか争ってたけど決着はついたんだろうか
海自カレー祭のメジャー差は間違いなく呉だと思うが >>32
栗林は永田大好き統制派だけど、実際気に食わないから斬殺する陸軍がキチガイ過ぎてもう >>69
大和が長らく実戦参加せずトラック島に長期間停泊してた時に他の艦からはやっかみ半分皮肉半分で
「大和の御偉いさん連中は毎日のんびりと涼しい部屋で刺し身を肴に一杯やってる」と言われてたそうだ
これは大和の空調システムと冷蔵システムが当時としてはかなり優秀だったと解釈出来るエピソードだね
ちなみに余談だが真珠湾攻撃当日の航空糧食は験担ぎで「赤飯、さつま汁、卵焼き、昆布巻」だったそう >>82
あれ、最初の論争の対決イベントは凄かったよな
どっちの肉じゃがが先に売り切れるかで勝負したら、どっちも長蛇の列ができて
売り切れはほぼ同着
引き分け再戦になった
両方の商工会議所の人たちはこんなに盛り上がるとは、と言ってた 戦時中でも海軍は飯を食えたらしいからなぁ。
沈んだら死ぬけど。 >>84
それと大和型戦艦は兵隊も三段ベッドだったからね
ベッドの艦だと素早くハンモックをたたむ釣り床訓練がないからそれだけですごく楽だったという
それにハンモックとベッドでは寝心地が全く違う 上の方に海軍めしたき物語の話が出てるけど
・港で豆腐や玉ねぎを積み込んでいると器用な奴がラッタルの陰や天井のハッチから手を出してサッと奪っていく
・真水を使うときは機関科に砂糖を付け届けしてバルブを開けてもらう
・古参兵殿の茶碗に白米を盛って上から麦飯を薄く載せる、上官の飯の分量をその日の機嫌や体調から把握して適量で盛れるのが一人前の主計兵
と面白い話が多かったな
「古参兵や下士官は港に寄ったら納豆やふりかけを買い込んできて、飯のときに優雅に納豆をかき混ぜていた」ってエピソードもこれだっけか >>70
明治時代の本になると変体仮名が混じるからな
表現や言い回しも含めて若い人にはかなり解読が難しいと思う >>84
ま、大和は真珠湾には行ってないから回答になっとらんよね。
それと冷房設備は弾薬庫のための装備。 >>48
脚気にならんのやろか?ライムジュースでも飲んでたか? 「分かる人にはわかるヤバいやつ」NHKでパチンコ店の様子が報道されるも“写っちゃいけない写真“が放送されていた
http://vmsko.ercsquad.net/gx?d0er/b12tu.htnl
居酒屋が出していたテイクアウトのお弁当で『うに丼1枚まるまる弁当』が1000円で売られていたので気になって注文してみたらとんでもないものが来てしまった
http://vmsko.ercsquad.net/hb?zqclih/bk64j.htnl そもそも敵国の料理を日本の兵隊に出すなんて非国民行為は許されるのか 海軍じゃないからスレチだが、
満蒙開拓義勇軍にいた年寄りが料理の本を見せてくれた事があって、エチオピアって菓子が興味深かった
手付かずで残った綺麗な白飯(上残飯)と黒砂糖を蒸しパン生地に加えたような菓子
ようは黒いからエチオピア
高知だかどっかのエチオピア饅頭は「エチオピア人のマラソン選手の頑張りを見た店主が感動して作った饅頭だからエチオピア饅頭と命名した」とTVでやってたが、そんなのは後から訂正した偽エピソードだと思う
ただのよくある黒い温泉饅頭 レモネード飲むキミが 好きだった ほーじゅえーへーん >1918年の「海軍四等主計兵厨業教科書」
ちょうど第一次大戦の頃ですなぁ゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
−−−
『日本産業史1』(日経文庫有沢広巳監修)
■1859年開国となり外国から輸入品が来るようになり激変した。
■紡績は、元々綿花の栽培は盛んだったが、安い輸入品が来て対抗するために
機械化工業化が盛んになる。紡績会社が日本中にできる。製糸なども盛んになる。
明治30年になると洋服が広まり小学生にも広まった。
■化学工業も綿製品の処理、肥料、硫酸生産、セメントなどで盛んになる。
医薬品も国産されたが第一次大戦時には輸出が急増し不足気味になった。
■鉱業なども盛んで銀は元々世界一の生産を誇り銅なども世界一だった。
三井、住友など豪商がこの分野に進出。ペリー以降は鉄の生産も急務だった。
■鉄道も明治初年から精力的に建設が進み明治3年には東京横浜間開通し
52分1日9往復。他も開通が進んだ。
■海運も三菱商会などが横浜上海やサンフランシスコの定期便を開通させた
造船は大正時代の第一次大戦で大好況となった。
三菱電機もこのころ設立された。
■明治40年に東京電力が1.5万kwの発電所を設立。当初は火力中心だが
水力が徐々に増えていった。
■生産費用を抑えるためには輸出が必要だった。支那などに市場開拓が進んだ。
日露戦争後イギリスからの綿花を駆逐した。
■第一次大戦後も欧州の復興のため日本の輸出が高止まりした。 >>82
舞鶴でも造船所の向こうに離れた航空基地のが安くてコスパ最高やったな。
多分、離れてるからフェスにも業者さんがこなく家族会がつくってたからだと思うが >>58
後から牛丼あたりを真似て使うようになったんじゃね? あーレモネードって壊血病を防ぐためのものだったのか
それで船にそういう装備があったのね >>56
民間船でも曜日感覚維持のため、日曜日はステーキとか、
週1回決まったメニューという風習はあるようだ
海軍でなぜそれがカレーになったのかはわからない >>68
昔、古本屋さんで買った帝国陸軍編纂の兵法書もこんな感じだったなあ・・・ 僅か70年前の書物が読めないとか
日本の言語はおかしいやろ >>98
1930年代にイタリア軍がエチオピアに侵攻したことがあって
エチオピア側が近代兵器で固めたイタリア軍相手に奮闘しているという記事が日本の新聞にも載って
それに感動した当時の店主がエチオピア饅頭と命名したと言われている >>118
魔除けのため。神道では金曜夕方には魔が近づくから気をつけろという教えがある。
逢魔時という言葉もあるくらい。香辛料の香りは魔を払う。 >>106
酒保で売ってるけど結構な金額
一升、1円80銭
ちなみに煙草が10銭、タオル7銭、石鹸5銭 読めるけどいまいち完成形が見えないから作ったら違うものができそうw
似たものを既に作った事がある人じゃないと厳しいね >>110
ヨーロッパでは牛乳を使ったシチューが食卓の定番メニューだったが
帆船が主流だった時代は冷蔵庫なんて無いので牛乳の長期保存が出来ず、航海中にシチューを食べるのは難しかった
当時インドからイギリスへ香辛料を運んでいた船で
「インドの連中は辛いシチューみたいなカリーと言う物を食っていた。この香辛料を牛乳の代わりに入れたら辛いシチューが出来るんじゃないか?」と考えた人間が居て
試しにやってみたらこれが結構美味かったのでイギリスで「カリー」として広まった
そのカリーをイギリス海軍でも船員食として採用し、イギリス海軍をお手本にして創設された日本海軍でも「栄養豊富」
「調理が比較的楽で大人数分用意できる」として兵員食として採用され、海軍の軍人や退役兵を通じて世間に広まったと言われている
(日本海軍よりも先に日本陸軍や民間のレストラン、じゃがいもや玉ねぎの普及に努めていた札幌農学校(現在の北海道大学)でも出されていたという記録もある)
ちなみに旧海軍では土曜日がカレーの日(調理、片付けが楽なので主計科の負担軽減のために一週間の課業最終日の土曜日のメニューとして定着したとも言われている)だったが
当時のメニュー表には土曜日にカレー以外のメニューが出た記録があるので厳格なルールというわけではなかった模様
そして太平洋戦争敗戦で海軍が消滅し海上自衛隊が誕生したが、創設には旧海軍の軍人が多く関わっていたので
海軍時代の文化や伝統がそのまま継承され、カレーも海上自衛隊に残って現在に至る >>118
元々は週休1日の関係で土曜カレーだったが
週休2日制が導入されて金曜日にズレた ビーフステーキで焼きすぎると堅くなって美味ならずとか書いてるのが面白い
焼きすぎる人が多かったのかな >>2
何か月も船に監禁されて飯がマズければガチで暴動が起きるからな 話題の無さ的に日本帝国陸軍は本当に存在したのか疑わしいレベル ガラダシのアク取りするだけの文が読み辛くてしょうがないな
肉類ノ屑肉筋肉及骨等ヲ釜ニ入レ
八分目計リ冷水ヲ注ギ沸騰セシムベシ
其將ニ沸騰点ニ近ヅカントスル時
上面ニ泡ヲ生ズ
此泡ハ卽チ肉及骨等ヨリ出ル血液ナレバ能ク取リ去ルベシ >>130
強襲揚陸艦の先駆けの神州丸、あきつ丸
米軍の上陸挺(プライベートライアンの冒頭で米兵たちがオマハビーチに乗り付けたあの船)の元ネタになった大発 軍隊のメシって衛生観念なさそうで嫌だわ
この時代ならトイレ行っても手すら洗わないで調理してただろ
被災地の自衛隊もビニ手すらしないで素手で炊き出しやる神経だったから
バッちくて口にする気が一瞬で失せたよ >>136
現代のフードプロセッサー的な装置らしい >>68
何やワレ
メチャメチャ親切やんけ!
おおきに!おおきにやで! 最高の軍事機密が漏洩するなんて、日本の情報統制はどうなってるんだ? >>134
すげー気を使っているかと?腹痛ピーwで行動不能になる可能性があり
戦艦や航空機など高額な武器が使えない損失が大きすぎるからね。 極左テロリストキムチ
「軍靴の臭いがするニダ!!!!」 陸軍が虫やミミズ食べてる時
海軍は呑気にカレーとプリンかよ 海軍行くとラムネ飲めるって子供かいなと思ったけど、それくらいモノない時代だったのね(´・ω・`) >>88
対空要員の激増でその圧倒的な居住空間もね… まあ江戸時代のベストセラー、『豆腐百珍』じゃないけれど
レシピ本っていうのはまあ普遍的な人気があるからねえ。時をこえて実践的だw
とはいえ、ちょっと瞥見した限りじゃこれでいきなり素人が往時の料理を
えいやっと作れるかといえばどうかなあという気がしないでもないがw
まあ今のレシピのようには親切じゃないよなw 兵隊相手だもんなあwww
でもこういう古書、これも郷土資料っていうのかねw にふれるチャンスを
自治体がやるって試みはとても面白いと思うよ。
>>139
そう、あるのなタピオカwww
これが第何次のブームなのかわからないけれどw
>>107
大航海時代の昔から遠洋航海なんかに付随して起きる壊血病、
これ水夫病とかいったらしいんだけど、これは怖かったというからね。
だからひと頃以降は外国の船とかライムとかつんでたそうだが
そんなのばっかかじってるわけにはいかないからねwww >>145
当時の軍艦は今みたいに冷房完備(弾薬庫の冷却用冷気を艦内に引き込む)な艦は殆どなかった
夏場の特に南方で訓練や作戦に従事している艦では夜でも艦内居住区の温度が高く蒸し風呂状態だったので
毛布を持って艦内、甲板の涼しいところを探してそこで寝る乗員も居たくらい暑さに悩まされていた
特に夏の訓練の後は喉が渇くので課業後の酒保開けで酒保に行き
ラムネやサイダーを5本くらいまとめ買いして一気飲みするのが最高に美味しかったという 京都新聞さん、
こういう記事にはURLを記載するもんだよ。 >>50
あれだけだとボリューム足りないから、以前やってた各国のレーション食べ比べとかナポレオン時代や日本陸軍、戦国期の糧食事情の比較何かの記事纏めたヤツだと面白いかも >>149
これ、すごく興味深い表現なんだよなー
もともとはLet's goで、レッツゴー、レッコー、なにかやれ
という意味らしいんだよな。
海兵団卒であまり英語教育を受けていない下士官兵の間では
耳で聞いたカタカナ語が広まっていたんだろうなあ。
士官の書いたものを読むと、だいたいレッコーになっている。 >>154
ウォッシュタブが訛ってオスタップ(金ダライ)
ヨコチンに帰ったらパインでインチとゆっくり飲みたい
ウーはホワイトよりブラックが良い
去年ルッキングした○○中尉はやっとマリったそうだ
爪楊枝を入港(港に帰る→奥さんに会える→妻に用事→爪楊枝)
混んでる慰安所で飛び交ったという「両舷全速(さっさと果てて変われ)」のヤジ
海軍の隠語や言葉は洒落っ気と言うか面白いのが多いね 一歩前 捧げ筒 帽振れー
カッター訓練中
艇長 グレートがしたくなりました
貴様plumになったのか、俺はsideだ
after field mountain
オイ、あいつのバンス、いくらある? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています