【歴史】「戦地で何が」地獄のインパール作戦…祖父の最後の足跡追った母娘 [樽悶★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本軍の大砲では敵戦車の装甲を貫けず、かえって「複数台から集中砲火を受け、20人ほどの部隊が一瞬で全滅した」と話す重松一さん(97)=福岡市中央区。ビルマの地図を手に、戦いを振り返った(撮影・宮下雅太郎)
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200602-00010000-nishinp-001-2-view.jpg
玄界灘に浮かぶ相島(福岡県新宮町)。セピア色の写真に残る軍服姿の青年はこの島の漁師だった。太平洋戦争開戦翌年、27歳で陸軍に召集された。生まれたばかりの一人娘を残し、「地獄」といわれたビルマ(現ミャンマー)でインパール作戦などに後方支援部隊として参加。飢えや病で仲間が次々倒れゆく中、青年もまた、密林に消えた。
1942年9月、青年は瀬戸内海に面した山口県柳井市の部隊に入隊した。43年3月、前線への輸送任務を行う船舶工兵としてビルマに上陸。開戦半年で英国領だった同国を占領した日本軍に対し、連合国軍はこの年から反撃に転じた。
南北に長いビルマの国土は山河に富む。所属部隊の戦記には「干満差の大きい水路をマングローブの林や夜空の星を頼りに進み、人馬や弾薬の輸送に明け暮れた」とある。
太平洋戦線で戦局が悪化した日本軍は44年3月、事態打開のため連合国軍の拠点、インパール(インド)侵攻に乗り出す。補給を無視した無謀な作戦は失敗、将兵の死体で埋まった撤退路は白骨街道と呼ばれた。
その後も日本軍は重要都市を次々と失っていった。この頃の戦闘に参加した重松一さん(97)=福岡市=は「相手は最新式戦車に機関銃、火炎放射器まである。鉄の塊に鉄砲撃っても何もならん。ただ撃ち殺されるだけだった」と振り返る。
■「目を離した隙に…」
街道を首都へ向けて南進する連合国軍に、日本軍は分断された。ビルマ西部に取り残された将兵たちはペグー山系に集い、幅100メートルを超える大河シッタン河を渡り東部へ撤退しようとした。そこに青年もいた。
青年と同じ師団だった川口善四郎さん(97)=長崎県佐世保市=は、雨期に入り霧煙る密林をなたで切って進んだという。ぬれた体にまとわりつくヒル。わずかな食料を奪い合い、蛇を食べて飢えをしのぐ者もいた。マラリアや赤痢にかかり歩けなくなった兵士は、手りゅう弾を体に当て自爆した。
「取り上げても隠しとると。死ぬときは一緒って励ましても、迷惑掛けられんって。目を離した隙に…」
戦史叢書(そうしょ)によると、ペグー山系に集結した将兵約3万4千人のうち、渡河できたのは約1万5千人。
青年の陸軍戦時名簿には「生死不明 昭和二十年七月十四日 ペグー山系山中ニ於テ」とあった。
■祖父の最後の足跡を追い掛け
終戦1カ月前の1945年7月、ビルマ(現ミャンマー)のペグー山系で消息を絶った青年の名は友納儀助さん。孫の友納優子さん(49)=福岡県新宮町=は、祖父の最後の足跡を追い掛けている。ミャンマーを2度訪れ、亡くなったとみられる場所の近くにも行った。「じいちゃんは何のために戦ったんだろう」
祖父に興味を持ったのは18歳のとき。仏壇にご飯を供える祖母(故人)の姿を見て、どんな人だったのだろうと気になった。尋ねても祖母は黙り込むばかり。出征直前に生まれた一人娘の母も、戦地で亡くなったらしいとしか知らなかった。
北九州市内で医師として勤める優子さんは6年前、ある患者の親から、ミャンマーで戦死者の慰霊をしていると聞かされた。祖父のことを口にすると、「菊ですか? 龍ですか?」と問われ戸惑った。祖父の所属部隊はおろか、福岡で編成された、名を知られた二つの兵団も知らなかった。
福岡県庁から軍歴を取り寄せた。祖父が入隊したのは福岡ではなく山口県柳井市の部隊。部隊跡の碑には紙で作ったヤシの葉で偽装し、上陸訓練する隊員の姿を詠んだ短歌が刻まれていた。インターネットで戦記を見つけて購入し、部隊の慰霊塔が和歌山市にあると知り、慰霊祭にも参加した。
2年前、母を連れて初めてミャンマーを訪れた。「生死不明」となった場所から10キロほど離れた集落で手を合わせた。眼前に広がるペグー山系。「鳥の声や風の音が聞こえる中で、一人また一人と倒れて…。何年かしたら迎えに来てくれるだろうかと考えながら土になったのかなと想像しました。本当に、静かなところだったんです」
■既に多くが鬼籍に入った
熊野古道を一望する和歌山市内の高台に、儀助さんが所属した船舶工兵第11連隊の慰霊塔はあった。管理する松林寺によると、檀家(だんか)だった元隊員の尽力で74年に建立され、76年から毎春慰霊祭を執り行っている。(続きはソース)
6/2(火) 11:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200602-00010000-nishinp-soci 戦略としてはそこまで間違ってはなかったやろ
参謀より現場指揮官が無能だっただけ
島津家久なら敵を湿地帯に誘い込んで奇襲して大将の首を取って普通に勝ってる >>3
よくそんなことが言えるな
頭でっかちにもほどがある そもそもあの時期に大規模な作戦は誰でも無理じゃね
空も海も劣勢では 野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の日本人登山家・プロ活動家。
「祖父の野口省己は陸軍大学出身で太平洋戦争時、インパール作戦等の陸軍参謀。出征からインパール作戦の失敗、敗走について著書「回想ビルマ作戦 第33軍参謀痛恨の手記」に書き残している >>3
こういうバカが地獄に将兵をぶちこんだのが先の大戦 俺が予備校で教わった先生はインパールの生き残り将校だった
一度質問に行って手厳しく指導されたな もう亡くなられただろう 事実コヒマから北はガラ空きだったみたいだから、
皇軍兵士が素手でマチルダを撃破でき、
飲まず食わずでアッサムまで行軍できたなら作戦は成功しただろうな。 >>11
ペリリューは他にやりようがなかったけどインパールはちがう 俺の爺ちゃんは
インパール作戦のとき
31師団にいて佐藤公徳師団長の
伝令みたいなことをやってたらしい。
あの独断撤退が無ければ
みんな犬死で
俺も生まれていないってよく言ってた。
佐藤公徳は批判されたが
部下には慕われていて
爺ちゃん達は毎年墓参りに行ってたよ。
牟田口廉也より軍人らしい人だったらしい >>16
生きてるっていいことだね
佐藤中将も報われただろう 牟田口も現場の指揮官みたいな頃は出世してるんだし当たり前だけど有能だったんだろ?
人は無能になるまで出世するなんて言うけど人事ってのは難しいもんだな >>3
師団長時代の牟田口が自分が行かされそうになった時点では大反対して沙汰止みになった作戦だぞ。
牟田口「補給の目処が立たない」 食料とか、着るものとか、ケツ拭くものとか、どうしてたんだろう? >>6
頭のいい奴は軍から距離を取ってただろうな
現場レベルで良い提案したところで勝てないのはわかっていたわけだし
幹部はしがらみで抜けられないか、頭の悪いやつばかり >>24
東條英機に面と向かって「馬鹿野郎」と罵しって戦犯を回避した田中新一のことか インパール作戦の親族の足跡追うなんて絶望的な気分だろうな。親戚に犠牲者いなくても、知るだけで
ウンザリ鬱になるのに 競輪場の前には巨大顔目吊り上がりエラハリノッペリ顔というとても日本人には見えないサクラ客が
競輪場内外犯罪しても一切お咎めなしで通されています >>1
ペグー山というのか、テグウ山だとばかり思ってたわ。今まで色々知らなさすぎてたわ。
いつかは親連れて慰霊に行きたいと、気持ちは十分あるけど
早く思いを馳せて色々知ってればよかった、
爺ちゃんは架橋材料第26中隊、同じくペグー山で亡くなったわ ジンギスカン作戦か
馬鹿な大将、敵より怖い
って最近も聞いたな >>16
無謀な戦闘は逃げに限る。戦地じゃ生き残った奴が勝ち。まじめな奴ほど損をする
今の日本と一緒だ 牟田口廉也と富永恭次はどちらが無能だったんだろうか 俺のじいちゃんもペグー山系で戦ってた。
生きて帰ってきたぞ。 貴様ら!軍神の声を聞け!
インパール作戦での牟田口第15軍司令官訓示
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。
食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。
これが皇軍か?
皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。
兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。
銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ!腕もなくなったら足で蹴れ!
足もやられたら口で噛みついて行け!
日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」 >>41
その演説を聞いていた兵士達が
疲れと空腹でバタバタ倒れていったらしいwww 河辺と牟田口がアホすぎた
インパールなど攻める価値もない拠点 現地に足を運んでみたい
祈りを捧げるだけでも果報と思う >>27
「南方で死んだ人は名誉の戦死と言うことになってるけど
到底家族に聞かせる事が出来ないような死に方してるんだ」
と言うことを聞いたことがあるな >>41
あーうぜぇうるせぇ
腕なくなったらいてーじゃんアホですかー
脚なくなったら口でとかどう動くんだよ
動き方おしえてくださーい! ジャングル踏破に加え険しい大山脈越えで補給困難
ポートモレスビーを目指してオーエンスタンレー山系を超えた南海支隊は超人的な努力の末壊滅した
この戦訓がありながら同様の作戦を何の改善もなく強行する
牟田口はイカれてるとして大本営参謀本部も気が狂っていたとしか思えない もう夏も近いんだな
最も収益を上げた戦争ビジネスとしてギネスブックに掲載しろよ >>49
たとえどんな最後だったとしても、志して戦地に赴いたんだ。
名誉の戦死で間違いなかろう。 今でもまんま、インパールと同じことをコロナで再現しているようにしか見えませんが
最前線 「至急アビガンを送れ」
本部 「ステイホーム! うがい手洗いマスクで乗り切ろう!」
最前線 「至急アビガンを送れ」
本部 「アビガンは動物実験で催奇形性があると分かった!替わりにギリアド社の
レムデシビルを使用せよ!(※レムデシビルはギリアドが公式HPで重篤な
副作用が発生すると警告を発しているが、それは最前線には一切伝えない)」
最前線 「至急アビガンを送れ」
本部 「2021年から日本国民全員に対してワクチン投与を検討中!全軍、奮闘せよ
(※SARSもエボラもHIVも、未だにワクチンは開発されていない。なぜコロナだけが
急速に開発できるのか根拠なし。さらに変異もするため、開発当初に予定されていた
コロナに対応したワクチンで対処できるのかも不明)」
まんまインパールだろ 日本政府、内閣、専門家会議、有識者会議、厚生労働省
それこそ、バカの何乗になったら>>57みたいになった
結果になって出てくるの? 以前から薄々は思ってたけど上のやつらの言ってることヤバすぎる
うえたらどうすんだ独自に食料持っていこうとしたら
そういうの禁止 荷物多く持って行ったら進軍が遅れるだろ
あくまで現地調達ってやっぱりこいつらヤバすぎるってので
いうこときかないで持っていったのはそこそこ大丈夫
まあ上がいうことだから大丈夫なんだろと素直に命令きいたやつや
なにも考えなかったやつは二日目だったかな
あっさり飢えるってのではそりゃ負けて当然 ジンギスカン作戦だっけ?あれはよく練られた見事な作戦だったな >>57
日本製のアビガンを頑なに拒否するのは薬害エイズを彷彿とさせる。しかし、クドカンや石田純一は素早くアビガン投与で完治している謎 >>3
何も学べないアホだな。お前みたいな無能のせいだ。 牟田口廉也が無能だったのに出世させたのが、すべての間違い 自分が師団長の時は補給が無理と判断してるのに何故?
牟田口は擁護のしようがないだろ >>66
イエスマンだったんだろな
その時の上司でかわる もっとも有能なハゲの高橋是清
もっとも無能なハゲこいつ 私も祖父のことを知りたい
中国にいた、舞鶴に引き揚げたことはわかってるけど
舞鶴にいけばなんとか調べられるのかな
父は祖父のところに養子に来たのであまりわからないみたいで、もうガンが末期の状態だから亡くなるまでに祖父のことを調べて話をしたい >>1
例えば前線の個々の兵士の抱える糧食・弾丸(中隊・大隊・連隊の段列に抱える糧食・弾丸)を増せば
部隊の運動性を悪化させますよね(抱えるべき弾薬と食料が倍になったら走れませんよね)
師団の抱える物資も同様です。師団が動けばこの師団倉庫も動かないといけないですから、
1基数に必要な員数の増加があって、道路や輸送機材の限度から、運べる規模は自ずから
定まってきます。
たとえ車両を増しても、その車両が消費する燃料や整備機材そして道路の限界から輸送力は
頭打ちになります(これは朝の道路の渋滞を見れば判りますね)このことは実働演習で証明
されています。 >>1
以上から、部隊の機動力と継戦能力、そして補給力のバランスはどの時代でもアンバランスに
なりがちです。身軽にすれば素早く奥深くまで進撃できるけど、身軽であるが故に後続の補給に
依存する度合いが大きく、そして奥深くまで進撃したがゆえに兵站補給線も長くなる(北アフリカが
良い例ですね)だからといって身重にしたらそもそも進撃速度が得られない。
当然ですが進撃速度は敵の防衛体制が整う時間にそのまま影響し、例えるならWW1の凄惨な
消耗戦のような情景にそのまま繋がります(つまり、それこそ必要な補給量が増えてしまう)
逆に言うならば、じっくり時間をかけて補給と補充量を蓄積してから叩くとするならば、
それは最終的には国力同士の比較に土俵を持ち込むことになり、そしてそれでは千日手に
なってしまうことがWW1で示されています。
下手するとチタデレ作戦のドイツ軍で負けちゃったりします。この手段は日本軍には
とり得ないという事は理解できるでしょう。
以上から、予算以前に、日本陸軍は、そのような愚かしいというか知力を用いる事を
放棄するが如き行動を良しとするような無知蒙昧な集団ではなかったという事なのです。 なぜ牟田口は司令官になれたのか
任命した奴の墓をあばいてもう一度銃殺 >>73
司令官になったことよりも
戦犯として処刑されなかった謎だろw なぜすでに劣勢の状況でインドのインパールを目指したのかわからん。主敵はアメリカでしょ。
やるなら機動部隊健在のインド洋攻略作戦時に陸海連携でやれば良かったのに。 戦争だから敵と交戦して戦死するのは、まあ仕方ない。
WWIIの帝国陸軍がひどかったのは、餓死者・病死者が異様に多かったこと。
あと、インパールの頃になると
後方部隊の軍紀が弛緩していて
補給部隊は、物資を途中で放棄して「運びました」と報告し
野戦病院は、重症者を放置して勝手に撤退したらしい。
それどころか、後方部隊だけでなく、戦闘部隊でも、
勝手に離脱し徒党を組んで味方部隊を襲撃し糧秣を強奪していた集団も居たらしい。 戦犯と言うのは戦勝国から見た犯罪者なので
日本軍自軍への不利益は問わないが
それとは別にこう言った奴らを裁けなかったのか?
戦敗国にそれは許されなかったのか? >>75
南方では無駄に兵を失ったよな
しかも、餓死でw
普通に沖縄とフィリピンと九州に集合させておけばよかっただけ >>39
冨永は非常に厳格
大本営で毎朝戦況報告をするのに大臣や総長の代わりに主席していたおり、後宮次長より数段、参本部員はビシッと引き締まったらしい。次官兼人事局長として非常に優秀。
Wikipediaだけが真実じゃない。
情報参謀だった掘が著書でそう書いてある。 >>77
いや、上手く逃げたんでしょw
仲間を売ったりしたんだと思うよ 終戦になってから船で日本に向かってる途中で、米軍の潜水艦に撃沈されたこともあったとか >>41
テルモピュライの戦いのことを言ってるんだろうがレオニダスは率先して戦い結果として国を守った
それにひきかえこいつはなんだ
切腹も一人でできない卑怯もの >>41
これ本当?
牟田口って人はそれを実践できるの? >>76
>>補給部隊は、物資を途中で放棄して「運びました」と報告し
鮮人がいると、そういうことをやるからしっかり監視しろ、という指示が出ていたのは知っている。 >>1が全然分からん
重松というジイサンの話かと思って読み進むと「青年」が出てくる。 で、「青年」は「密林に消えた」
文章の構成が致命的に下手 >>77
日本人自らの手で裁くのは今からでも遅くない 「 祖父に興味を持ったのは18歳のとき。
仏壇にご飯を供える祖母(故人)の姿を見て、
どんな人だったのだろうと気になった。
尋ねても祖母は黙り込むばかり。
出征直前に生まれた一人娘の母も、
戦地で亡くなったらしいとしか知らなかった。」
このへんの文章も下手。
母が死んだのかと思った。 >>57
pcrも同じだ
自動検査機で海外実績持ちの企業を無視して手作業にこだわった挙げ句富士通の新型(無実績)の採用までノーリアクション 「構成」も「文章」も下手。
だからなにがなんだか分からなくなる。
書いた奴は「俺って上手」とか思ってるんだろうな。 証言者のコメントを冒頭に持ってくる手法は確かにある。
しかしすぐ種明かししないと読み手は混乱する。
コメントの後に「青年は」などと続けると
誰しも証言者が「青年」なのだと思うだろう。 ✖ 「出征直前に生まれた一人娘の母も、
戦地で亡くなったらしいとしか知らなかった。」
○ 「祖父が出征する直前に生まれた母に聞いても、
当然のことながら詳しい事は知らなかった」
★インパール作戦 よくある質問★
問)キムチ臭いのがまた「インパール作戦で牟田口がー」なんて騒いでいるけど
答)帝国陸軍500万は大東亜戦争中色々な方面で戦闘を行いました。
北支那、中支那、南支那、インドシナ、インドネシア、サイパン、硫黄島、
ソロモン諸島、沖縄、満州、樺太、千島列島などです。
補給が困難な場所、大軍に寡兵で戦ったりと困難な状況を
優れた作戦、強い兵隊で乗り切っています。そんな優秀な軍でも
まれに失敗した作戦もあり、支那朝鮮人はそれを宣伝に利用します。
インパール作戦だけ執拗に取り上げられるのはこんな理由です。
問)この作戦とか「八甲田事件」とかだけやたらと取り上げる
答)下記のような大戦初期の大成功など絶対に取り上げません。
連中はプロパガンダが目的なので注意しましょう
−−−−
「太平洋戦争での陸軍航空作戦は、3月末第一段作戦を終わったが、
当初の予想を上回る大成功で、マレー、ビルマ、蘭印(インドネシア)、
インドシナ(ベトナム他)方面で上げた戦果は、撃墜破1539機、
鹵獲203機、飛行場攻撃による撃破246機であった。
わずか3ヶ月あまりの間に、ほぼ2000機にのぼる大戦果で、
この間わが損害は258機であった」
『戦闘機隼』(光人社NF文庫) がってんの小野アナも祖父の戦死地のレイテ山中で絶句してたな インパール作戦が顕著だが、南方で亡くなった人の大半は戦死ではなく戦病死。
そんな無茶な戦争をしてた。 >>77
インパール作戦は悲惨だがそれでもその損害は2万程度 ビルマ防衛戦ではその4倍以上の戦死者を出した その諸悪の根元はビルマ方面軍総司令官でありながら軍を見捨てて敵前逃亡した木村にある
何故かその後木村は大将に昇進 ビルマで死んでいった将兵の無念はいかばかりか 東京裁判には議論のあるところだが木村が戦犯として死刑になったのはせめてもの慰めだ ネトウヨにとっては牟田口の隊に配属されることが名誉なの? >>3
こういうのがいる限り、日本はまた繰り返すな。 それは愛国者のふりをして靖国に落書するテロリストだよ >日本軍の大砲では敵戦車の装甲を貫けず、
>かえって「複数台から集中砲火を受け、
>20人ほどの部隊が一瞬で全滅した」と話す
日本軍は歩兵が優秀なのに何故かそれ向けの装備が貧弱すぎる、
ドイツのパンツァーファウストのような一般歩兵向けの装備にもっと
人と金を掛けておけばまだ芽はあったかもしれんのに。 日本からインドニューデリーに向かう飛行機がインド上空に入るとインパール上空の
案内が出る。緑におおわれた大地だ。
日本人は日露戦争の満州利権独占にしがみついたので日米戦になった。無謀はここからで
インパールはその結果である。 >>55
ニューギニアやフィリピンでは敵前逃亡の罪名を着せられて処刑された人が多いぞ
フィリピンなんか、終戦後に、米軍の捕虜になって丁重な医療で回復した人たちが
降伏のために日本軍に返されたら、たちまち処刑されたって事件まである >>76
野戦病院は重傷者をちゃんと「処置」してたんだが?
これは捕虜にならないように殺していったってことだけどね >>100
インパールでは72000が死んでる
参加者が5月時点で86000以上、その後に追加投入された部隊が結構あるので10万人を越える
でも45年始め時点では15000人まで減ってるんだよ ttp://mltr.ganriki.net/faq08p12h16.html
【質問】
インパール作戦みたいにインドを解放する作戦って,もっと早い時期に計画しなかったの?
ビルマ攻略の勢いで追撃すれば,勝てたんじゃない?
【回答】
早期のインド侵攻はいくつか検討されたようで,1942年8月には21号作戦が立案されています.
第18師団を主力とする2個師団で,インド東部へ陸上侵攻する計画でした.
しかし現場の第18師団長が,
・険しい山道であること
・交通網の未発達
・雨季となった場合の道路の泥濘化
・過疎地帯で食料徴発は困難
といった理由から,補給が不可能として強く反対意見し,同年11月に無期延期決定となっています.
なお,当時の第18師団長の名前は,牟田口廉也といいます. 木村兵太郎は、ラングーンを撤退して英印捕虜解放して、マニラ大虐殺のような事件を起こさなかった。
でも陸軍内では木村の評判は極めて悪く、マニラ大虐殺を起こした山下や岩渕の評判は極めて高い
旧陸軍では、「軍の名誉」欲に抗して民間人を保護するのは、とても勇気がいる行動ってのがよくわかる チハたんの装甲はカービン銃の弾が貫通したんだよな。
∩(・ω・)∩チハたんばんじゃーい >>111
木村は民間人も兵隊も置き去りにして自分で逃げて被害拡大させたクズだぞ
インパールの陰に隠れてるがビルマ戦で被害拡大したのは木村が土壇場逃げ出して指揮系統が無茶苦茶にしたのも大きい そもそも
なぜ遺族たちは戦後
牟田口廉也を殴り殺さなかったのか?
敗戦の混乱期ならいくらでも闇に葬られたはず
牟田口を許してしまった事が不思議でならない >>79
田舎の校長先生でもしてたらよかったんだな >>69
引揚記念館というのがあるからそこで何か資料があるかも
自分も祖父がシベリアから引き揚げてきたが
祖父が生きてる頃にそこ行った話したら「本当にあんな展示の人形みたいな格好して暮らしてたんだ」と言ってた
引揚の人らの戦友会でも舞鶴にたびたび行ってたみたい。
後は厚生省とか
ttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido04/index.html 上が底抜けの馬鹿だと敵の何倍も恐ろしいという最たる例
太平洋戦争通じて言えることだが >>75
どこかで景気づけになる局面が欲しかった
太平洋方面は主役は海軍だしな
そういう空気になってたところにアイデアが出てきて飛びついて
反対してる人間は排除されて出来上がった作戦
牟田口だけじゃなくて陸軍の上層部が後押ししたり意向があった >>66
単なるアイデアと思って「そんなの出来るわけないだろ」と反対意見してたが
上層部が考えたとしって態度急変したとか様々な本で考察されてたような >>74
英軍「牟田口さんはワイらのエージェント」 インド解放戦線支援よ
スパス・チャンドラ・ボースらのインド国民軍との共同作戦だ
ヒトラーに相手にされなかったチャンドラ・ボースとしては最後の
捨て身の戦いだし、日本も大東亜解放の看板があるし、こうなったら
行くところまで行くかという感じだったのでは
まぁ、佐藤幸徳の赤心で無断撤退、戦線が崩れたが 牟田口司令官の作戦どおりにしてれば勝てた
日本兵は無能 シンガポール陥落させたのは牟田口の手柄だろうが。
インパールは適材適所を間違えた上層部の責任だ。 >>125
そやろ
儂はこの作戦、絶対いけると思うとったんや
コヒマを取って、インパール目前や。貰った!と
それなのに幸徳の奴、飯がない弾がない、と無断撤退や
日本陸軍に史上空前絶後の「抗命」や >>110
> 【回答】
> 早期のインド侵攻はいくつか検討されたようで,1942年8月には21号作戦が立案されています.
> 第18師団を主力とする2個師団で,インド東部へ陸上侵攻する計画でした.
>
> しかし現場の第18師団長が,
>・険しい山道であること
>・交通網の未発達
>・雨季となった場合の道路の泥濘化
>・過疎地帯で食料徴発は困難
>といった理由から,補給が不可能として強く反対意見し,同年11月に無期延期決定となっています.
>
> なお,当時の第18師団長の名前は,牟田口廉也といいます.
>>41
何度も読むように! うちの親戚で南方で戦死したのがいたが、骨は返って来たが頭がなく、2000年にアメリカのアンティークショップで売られてた頭蓋を調査したらアジア人で
DNA鑑定で親戚の人間ってのがわかった。当時の戦争末期の日本兵は万歳突撃でマシンガンの蜂の巣に自ら突撃して死ぬのが流行っていて
アメリカ兵は死んだ日本兵から金目の者や所持品を強奪するのが当たり前になっていて、特に流行ってたのが、身体日本兵の頭を斬り落として、
沸騰した鍋に日本兵からの頭を放り込んでガイコツにして戦利品としてアメリカに持ち帰るのが黙認されてから
東南アジアや南洋や硫黄やオキナワなんかで死んだ日本兵の遺骨に頭がないのが多かった。 >>22
そもそもインパール作戦は東條がボースの自由インド国の為に圧力かけてやらせたに近いものがある。あと英国のウィンゲート縦隊の撤退も影響を与えた >>73
現場指揮官として優秀だった、ただ師団長として良かったがそれ以上の組織の長には不向きだった。そういう人材は日本では山ほどいるしそういう人材を見抜くための仕組みがない。 >>3
こんなのが上司だったら最悪だな
無能な上司は有能な敵より恐ろしい
と言う言葉どおりだ >>91
「母も、」で読点があるから分かるでしょ。 >>133
>無能な上司は有能な敵より恐ろしい
ん? ここで終戦を迎えた日本兵と現地の女性との間に生まれたのがあのなんだっけ?
たくさんいるアイドルグループの中の1人の顔の小さい子 ネトウヨ的にはこの後インド独立に繋がったから作戦成功らしいぜ >>136
「馬鹿な大将、敵より怖い」って知らない? >>129
わかってよかったね
未だに還らずの遺骨がたくさんあるからねな >>132
日本にだって切れ者の参謀がいくらもいたわけでしょう?
稀代の天才ではなくとも常識的に戦略をたてられる人が
皆無とは思えない
イノシシ武者をなぜ止められなかったんだろうな 分からないなら軍神の声を聞け!
インパール作戦での牟田口第15軍司令官訓示
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。
食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。
これが皇軍か?
皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。
兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか!
銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ!腕もなくなったら足で蹴れ!
足もやられたら口で噛みついて行け!
日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」 >>148
こいつって輸送機に芸者乗せて兵士が餓死してるのに自分だけ毎日酒池肉林だったんだろ?
安倍政権みたいな奴だよな >>149
戦後も何故か生き延びて悠々自適だったんだよ
日本人なんて負けるべくして負けたんだよ
責任を負うべき人間が生き残ってるんだから
原爆落とされても責任取りたくないから一億総玉砕を主張してたのがわんさか居た
東條筆頭に陸軍はこんなアホかばかりだった >>147
作戦の神様と呼ばれた人までいたんだよ
ただその人の現場では人の命が紙の様に飛んでいたっていう…
牟田口の上司まで無責任な駄目上司だったから止めなかった
軍の組織作りがおかしかったんだと思う
資源力や工業力で勝てないから大和魂一辺倒になってその結果が死屍累々 >>139
ある意味その通りかもな。
俺のじいちゃんも54師団に所属して、運良く司令部付きの軍曹だったから帰ってこれたっていってた。 >>115
マニラ大虐殺を起こした山下奉文の方がヤバい
民間人はアメリカに委ねようという意見あったけど、山下は拒否して軍と共にすることを命令してる
山中で餓死病死したり、マニラ大虐殺で怒り狂ったフィリピン人たちに殺されたりした民間人は多い
在留邦人の民間人の死者はビルマよりフィリピンのが10倍以上でずっと多い
木村兵太郎はビルマ人からも、敵の英軍からも評価高いぞ
安全地帯でふんぞり返ってた南方軍参謀やら大本営とかには評判悪いけどな >>147
陸軍きってのアメリカ通で陸大の教官経験者、恩賜の軍刀組、補給の神様と呼ばれた人間とかがそれぞれ反対したのに
皆首にされたり異動させられた >>115
ちなみに33万人のビルマ方面軍は、木村が司令官になったときには18万人にまで減っていた
終戦時に英軍捕虜になったのは13万人
実は45年の戦役より、インパール作戦含む44年の戦役の方が戦没者が倍近く多い >>132
牟田口司令官は盧溝橋事件で一発撃って支那事変に発展させて大勝利を納めたからな
当時の関東軍参謀長の東條英機は牟田口司令官と共に支那事変を拡大させた仲間
東條英機は自分のよく知る「不屈の猛将」牟田口廉也司令官にものすごく期待していたんだよ >>154
マニラにとどまらせたのは海軍の現地のお偉方だろ
その辺のやつが後年言い訳してるが >>150
東条なんてのは単なる役人だ
筆頭は天皇だろ >>158
軍をマニラにとどまらせたのは海軍の上層部だけど
ゲリラ狩りで現地人を処刑して後背地を無人地帯にするように指示したのは14方面軍司令部
だからマニラ以外にも、陸軍地域のリパとかパタンガスで大虐殺が起きてる
木村のビルマ方面軍は全くそのような指令を出さなかったからね
終戦後も収容所の日本人捕虜に対して比島人は石投げつけてきたが、ビルマ人は食糧持ってきてくれたりと優しかったそうだ >>154
木村はむしろ現地のやつに恨み骨髄に達するくらいの評価だろ
碌な評価聞いたことない
レス一覧見たらでまかせ混ぜて逆張りしたいだけみたいだけどな インパール作戦後に宮崎繁三郎が54師団率いてなかったら、もっと死んでたかもな 敗戦は仕方ないにしても、立場ある人はせめて切腹してほしかったな
形だけでも責任を取るというのは大事なこと 大した理由なんかないだろ。無能な指揮官の下、力尽きるまで補給なしで歩いただけw >>160
もともとフィリピンでは日本の軍政が失敗してゲリラが跋扈していたからマカピリと共同でゲリラ狩りをしていたが
フィリピン再上陸が近くなるとゲリラが活発になり住民とゲリラの見分けが付かないから皆殺しという悪循環
日本軍がマニラに立て籠もっていると米軍は住民の犠牲は気にせず一方的な艦砲射撃で日本兵住民を丸ごと殺した
それまで日本軍のせいにされてる
ビルマは木村が優れていたというより軍政が破綻せずゲリラ狩りをしないで済んだから
結果として最後まで民心が離反しなかったって事じゃないの? >>166
フィリピンじゃ日本軍はずっとゲリラに悩まされ続けてたもんな
現地の人と上手くやらないとそらしんどい思いするわ >>164
何故この人がという人が自決し 腹切って当然という人が生き延びたりしている
陸軍は杉山元帥と阿南陸相が自決 戦争責任など無さそうな田中静壱東部軍司令官も自決 なんだかんだで26人の将官が自決したという 一方海軍は5人 大西や宇垣が有名どころ
終戦時日本には予備役含め陸海で1000人以上の将官がいたというがそのうち自決が30人というのは刑死が100人程度をいたにせよちょっとエッという感はある ノロ元はやらかし考えたら自決は意外でもないだろ・・・
奥さんに自決迫られたくらいだ
ちなみにインパール推し進めた一人でもある タツノコチャンネル
【決断】第4話「マレー突進作戦」 名作アニメ 1971年 タツノコプロ作品
https://www.youtube.com/watch?v=UsmuF0p_Mxc >>164
宇垣纒は終戦後に特攻してるし、阿南の切腹も然り。そういう人もけっこういる。でもこういう作戦立てる
馬鹿に限って生き延びる。恥知らずだから無責任な作戦、実行出来るんだろうねw アベレベルが隊長だから
あり得ない負けかたをした
しかも反抗して、逃げた部隊を
叱り責任転換しようとした
この戦闘は上官すら養護できず
基本がタブーに ポンコツの生命力たるや
議員になったやつらもたくさんいるしな
はだしのゲンの鮫島と同じやね >>165
ジャップは未だに何も変わらないから笑えるな
根性で乗り切るジャップw >>125
その作戦が画に書いた餅で
実行不可能だったんだよ
牟田口は無能な指揮官は敵より味方を多く殺すの典型だな。 今年もそんな季節か。6月に死んだ人も多そうだな。インパール作戦中止が決まったのは7月3日だそうだが。 もともと負け戦だったのが露になっただけ
参謀も指揮官も別に悪くない
戦った兵隊だけが気の毒 インパール作戦当時の日本占領下のビルマの牛さんの間で口蹄疫は流行してたね。
泰緬鉄道建設のために牛を徴用して一か所に集めてたのが原因だったようだが。 >>179
印パールへ攻勢に出ずに防御に徹していれば兵隊は随分の数が死なずにすんだろうな >>183 >>1
■戦後、
腐敗詐欺集団自衛隊・自民党・軍事財界を肥大させて来た国民の罪は余りにも大きい。
http://shibuyaleft.livedoor.blog/archives/5762102.html
かって御国のためにと武器を取って海を渡り見知らぬ市民に銃口を向けた靖国英霊兵士のような侵略強盗殺人のうす汚い犯罪者がこの日本に居たんだゾ。
今の若者には信じられないかもしれないが、そういう人間のクズが大勢いたんだ。
その残虐な侵略と強殺の時代、
最も勇敢で、最も聡明で、最も美しい日本人は反戦・反侵略のたたかいを貫き通した若者たちだ。
彼らは勇敢だった、
時代と未来を見据えて軍事財閥と軍部に存在を掛けて反戦・反侵略のたたかいを挑んで行った。
彼らこそ時代を照らす真の英雄であった。
侵略共犯者として自己欺瞞の女々しい遺書を書き散らして特攻した情けないクズパシリの若者だけではなかったんだ。
「この戦争はおかしい」と言いながら諾々と戦争犯罪を遂行していった侵略と特攻の若者と、
「この戦争はおかしい」と言いながら命を懸けて軍部財界と対決し反戦の戦いを貫いた若者と、
真に慰霊されるべき若者がどちらかは言うまでもない。
あの過酷な戦争の時代にも命を賭して勇敢に反戦反軍を貫いた聡明で美しい若者たちがいる、 彼らこそ時代を照らす真の英雄であった。
http://shibuyaleft.livedoor.blog/archives/4773484.html
●諾々と命令に従った卑怯者の薄汚い戦争遂行の英霊兵士どもの侵略強盗殺人犯罪。
諾々と命令に従った卑怯者の薄汚い戦争遂行英霊兵士どもの侵略強盗殺人犯罪は重く取り返しはつかない。
どのように祀られ誰に参拝されようと海を渡って犯した残虐な侵略犯罪者としての罪は消えようがない。
侵略強盗殺人の犯罪者として永久に東京九段の宙空を彷徨うしかないのだ。 でもインパール作戦のおかげでインドは独立できたんでしょ
日本人は誇りに思うべきなのに地獄とかいうのは自虐史観そのもの
牟田口廉也もイギリスでは名将として評価されてるんだから
日本人も名将として称えるべきなのに愚将扱いしてる自虐史観のバカどもは自国の歴史を学ぶべき >>185
それじゃあインドは独立できてないよ
牟田口大将は正しい >>188
せめて牟田口自身が前線で死んでいればな 自分なら指揮官としてどういう戦略をたてだろうか。
皆さんなら現地の一兵士としてどう行動しますか? 山岳では英印軍の使ってたブレンガンキャリアがけっこう重宝されたみたいね。
つねに歩兵と一緒に行動できる車両っていったらそれくらいしかない。
日本軍の戦車が出てきたらPIATというパネ式対戦車擲弾筒でやっつけるが、そのために
肉薄するには恐怖心を克服しないといかん。 >>187,188
妄想もいい加減にしたら。
8万人の日本兵が斃死したインパール作戦とインド独立とは全く
関係はない。インド独立はインド人の努力の結果。
インド人にそんな事をいって御覧。
張り倒されるのがオチだから、 >>187
インパール作戦がなくても大戦後にインドが独立してたし、
補給も航空支援もない作戦が杜撰であることは変わらないよ。 >>193
>>194
逆張りしたいだけのやつだから >>166
シンガポールも日本の占領後の軍政は失敗してて
英国が戦後にやって来るともろ手を挙げて歓迎したんだよな
占領後の軍政に成功してる地域は割と少ない >>190
師団長以下ならどうしようもないな
てか、作戦自体が無謀なのは当時でもみんな分かってた 軍政といえば、香港に神社を建てるという話は結局ダメだったか。
そのかわりシンガポールに昭南神社ってのはあったよな。
日本軍は天皇陛下の御稜威を世界に広めるためにあんなことやってたんだから、
ジャワ島でも宮城遥拝を教えて良民の育成を図ったが、天皇がアラーの代わりになる
わけがなく、宗教的な問題を招いた。 >>196
大体が力でもって抑え込むという姿勢で臨んでいる時点で厳しい
勝ってるうちはそれでいいけど戦況が悪くなればあっという間に不満が噴き出して抑えきれなくなる
日本みたいな貧乏な国だと基本与えるのではなく奪う方向での統治になるわけだから
威圧的にしろ融和的にしろいずれは立ちいかなくなる >>147
優秀な部下の参謀を全員首にして作戦に反対しない人を参謀にしたんだよ >>152
第54師団(兵)といえば
片村四八、宮崎繁三郎と
有能でまともな軍人が師団長だった兵団だな。 >>66
牟田口(師団長時代)「インパール攻略?補給が続かないから無理無理!」
寺内南方軍司令官「戦局を回天させるにはインパールを攻略するくらいの大作戦をやらないとダメだ!」
大本営・陸軍参謀本部「寺内さんがそう言うなら任せてみましょう」
寺内「うちの牟田口くんならやってくれる!」
牟田口(15軍司令官に就任)「お任せください!」
牟田口がクソなのは変わりないが牟田口だけの責任か?と言われたらそれも違う気がする
>>73
満州事変、日華事変、太平洋戦争の連戦で陸軍の師団長、連隊長クラスに損害が増える
→平時だったら予備役送りだったようなメンツまで師団長閣下、連隊長様に就任
こういう背景もあったみたい >>198
占領政策やるのによくそんなフザけた政策思いつくと思うよ >>1
そもそもインパール作戦は政治的な要求から発案されたわけで、現場が「こんなの無理」と言っていても、上層部がやることにしちゃったんだよね。 軍神の声を聞くんじゃ!
インパール作戦での牟田口第15軍司令官訓示
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。
食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。
これが皇軍か?
皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。
兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか!
銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ!腕もなくなったら足で蹴れ!
足もやられたら口で噛みついて行け!
日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」 ・一木支隊の一員としてガダルカナルに上陸
・ニューギニア戦線でサラワケット山系踏破
・インパール作戦に参加
当時の日本兵ならどれが一番マシやろ? >>204
日本人は教育で均質化されているので自分で物事を判断する能力は劣っているが
小さい頃から「目上の人間の言うことには絶対服従」「権威者や権威ある組織は100%正しいので無条件に敬え」と叩き込まれているので
兵隊や下士官として使うなら優秀な人材が多い(上官の命令を絶対守るマンなので文字通り死ぬまで戦う)
しかし参謀や司令官は能力や適性ではなく陸士、海兵の卒業席次、年功序列、所属する派閥の力関係で役職が決まることが慣習化しており
能力と役職が釣り合っていないケースが多々見られる
そしてそういう人間は現場や現状を見ずに机上の空論や希望的観測、上官への忖度で作戦を練るので
三流以下の人材が多い
日本軍と戦ったり日本人を研究した連合軍の戦闘報告書やレポートが大体こんな感じで
日本軍の戦記や戦史を読むと結構当て嵌まるんだよな… 戦地で何がって、声がやたら大きい見栄っ張りの
おっさんの一存で山奥にピクニックに行って、飲み
物がないから生水飲んだら重度のゲリピーになって
身動き取れないままお陀仏したでデフォ むしろ欧米社会における指導層の選別のシステムがどうやって出来たのかということに興味がいくわけだな。
インパールで牟田口と対峙したスリムなんてのは、兵隊の気持ちも分かるし、しかし頭脳の仕事も
出来るということで、こういった作戦にうってつけの人物がうまいぐあいに選抜されてきてる。
もちろん当時のイギリスや英印軍における将校の出世競争と選抜は非常に厳しく、また太平洋戦争の
緒戦で多くのキラ星の幹部が日本軍に敗れたりして失脚したという事情もあった。
ただ現代にも通じる一般論として、むこうのエリートの選別というのは、人間全体が職責にふさわ
しい、つまり人格と専門知識を備えていてスピーディーに意思決定できる人が実際選ばれていること
に驚かされることが多い。ここら辺は文化の違いもあるが、まずはどうして欧米でそういうことが
起きるのかが日本にとっては謎である。 >>212
狩猟民族と農耕民族の違いとかもあるのかね? >>154
山下はマニラ無防備都市宣言派だったでしょ? >>217
どんな有能な大将でも、圧倒的不利な戦況と物資不足で
効果のある作戦など立てられない状況
唯一あるとすれば降伏だが、当時の日本軍でそれやったら
日本に帰れなくなるだろう >>218
ムッソリーニを吊るせたイタリアは戦勝国だよ? >>220
アホな命令に従ってたら吊るせる日なんて何万年待っても来ないよ? >>221
クーデターおこして後世に汚名を残すようなアホなことするよりは
無理無謀な作戦を実行したほうがマシだったんだろうさ >>209
でも教育のない戦国時代から割とそうじゃね?
あれほんとなんなんだろな
今の日本人はそういうのかなり薄れてると思うが >>224
周辺国に賠償金支払ってドイツとの戦争を命令された戦勝国とは
つか、戦勝国は連合国であって、君の中ではイタリアはいつ
連合国入りしたことになってるんだ >>213
戦争中から狩猟民族農耕民族論はあったな
でもイギリス人の先祖が狩猟で食っていたのなんて石器時代の話でカエサルの時代にはもう半農半漁 イギリスに渡ってからは農業中心だ イギリスに猟で国民が食えるほどの野生動物はおらん 猟は貴族の特権で国民の大多数を占める農民は畑を耕し豚を飼って生きていた
一方日本は縄文時代は狩猟採集だった 農耕が始まったのは弥生からでゲルマン人と大差ない 武士階級は頼朝から家康に至るまで狩猟が嗜みであり英国貴族と何ら変わらない
狩猟民族と言えるのはマサイ族とかネイティブアメリカンとかニューギニアやアマゾンの原住民でイギリス人やアメリカ人は全然狩猟民族じゃないと思うんだけどな 戦局の挽回を狙い一大攻勢に出る、そのそぶりでも見せるというのはアリなんだけど
初動で中止すべきだったな >>3
まーインドイギリス軍はあの時死を覚悟したけど、急に日本軍が止まって助かったと証言しているから、あながち嘘ではないけどな >>208
ガダルカナル参加した後インパール賛歌とか
サラワケット山系踏破した後インパール参加した人とかいる
後者はこの人
ttps://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100510_00000
ttps://www.asahi.com/articles/ASHCG3T4GHCGPLPB004.html >>209
アメリカに留学した士官が小学校から先生がケースを提示して
このような場合どう行動するべきかと生徒に問う授業やってるのを見て
アメリカでは幼い時から状況判断を身に付けさせてると報告してるね >>209
ノモンハン後のエピソード
スターリン「君は日本軍をどう見る?」
ジューコフ「下士官や兵士は狂信的に戦い優れているが、上級指揮官は型にはまったことしかできず劣っています」 >>228
なんで止まったかって、補給がないからそれ以上すすめなかった。 >>228
補給無視の無理な作戦は必ず破綻するわけで、インドイギリス軍は日本軍の指導層ががそこまでアホとは思っていなかっただけだよ >>233
第一次大戦のドイツ帝国による3月攻勢もそうだが、ヨーロッパでは補給が続かずに失敗した攻勢作戦は枚挙に暇がないので良く知ってると思うよ。
特にドイツは補給倒れの攻勢作戦が多く、それに範を取った日本軍が同様なのは宿命。 普墺戦争、普仏戦争の頃から補給が追いつかなくなっていたがモルトケは大して気にしていなかった。
補給を無視した作戦計画を非難する陸軍大臣のローンに対しても「ローンは悲観的過ぎて一緒に仕事がしにくい」と評している。
日本陸軍がモルトケに教えを乞うたのはその直後。 >>235
普仏戦争なら足りなくても現地調達したらしのげるが
周りにないインパールならモルトケもやらんだろうな >>234
それなら急に止まって驚くのはおかしいわけで 妻子を残して戦病死された方は
その最期は本当に気の毒だったと聞く
シッタンを渡れたのであれば比較的健康だったはずで
マラリアか栄養失調で亡くなられたのだろう
他の帰国できた兵士も、ビルマの人々が
米や清潔な水を用意してくれたり
あるいは牛車やゾウを貸してくれたおかげで
紙一重で助かったようなもの 牟田口が糞なのは
戦死も自決もせず戦犯で死刑にもならず
かといって戦後引きこもり沈黙することもせず
だからといって謝罪や記録を残すこともせず
ひたすら自己弁護に費やしたこと
牟田口をそうさせたインパール作戦褒め称えたイギリス人大尉は実に悪辣な悪魔 >>238
文章みたらシッタン川渡れたかどうか不明で
多分シッタン作戦あたりで亡くなったんじゃないかな
ttps://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210022_00000
他の部隊の特集の番組で見たが突破するにはこうするしかないけどまぁ悲惨だ >>196 日本の統治は台湾とか広州とか大洋州とか人心が素直な地域では上手く行ってて朝鮮とかインドシナとか人心の擦れてる地域で上手く行って無い
現地人側の価値観とか適性の要素も大きいだろ
>>199 裕福なヨーロッパはアジアに与えてたwww??? 単にビルマ人は日本人と顔つきが似てる者が多いし仏教国だからお互い直ぐに馴染めたんでしょうなー このスレって日本人=バカ、粗暴で英国人=スマート、ジェントルみたいな刷り込みを前提にカキコしてる人多いけど英国人が適宜に適う政治能力を身に着けるまでアジア各地で何を仕出かして来たかにも目を向けようね 処で最も基本的な質問をしてしまうが援蒋ルート潰しってサイドアタック掛ける必要有ったの?(・ω・)
正面からはどうしても潰せなかったの?それとも何と無く格好好いからサイドアタックしてみたの?(・ω・) どこの国も負けが込んでいるときは派手な脳内将棋作戦が通り始める >>187 インド独立に与えた影響はシンガポール占領の方が大きかったんじゃないかな
あれでインド人から見てイギリス人が普通の外国人になった >>245 でもインパール作戦は立案段階では未だ戦況は優勢だったよねw >カルパティア山脈(カルパティアさんみゃく、またはカルパチア山脈(カルパチアさんみゃく))は、中央ヨーロッパ・東ヨーロッパの山脈である。
>第一次世界大戦のころオーストリア軍とドイツ軍が冬季にナポレオン張りに山越えを敢行し、ロシアに戦わずして80万の損害を自爆して出したことがある。
ヨーロッパはスケールが違うな。さらにトルコの冬山越えも含めると驚天動地の凄さ >>247
確かに当初は牟田口の「補給が不可能」の意見具申が通って棚上げ沙汰止みになるほどの優勢ぶりだったな >>16
感謝してるのなら
名前の漢字を間違えないでおこう(´・ω・`) ビルマは太陽核融合爆弾落としをやった高原がたくさんあるからな
佛教1つだけの小乗仏教で楚の仏教王が現世の国王ということになってるのか
帝国列強が東南アジアの侵略戦争になってた時に
様々な19世紀20世紀初頭の地上核戦争太陽を矢ミサイルで射るゲーム
エチオピアでは太陽落としだったのか単に核融合太陽が落ちたのかわからんが大火事になった時代とそれほど変わらないんじゃないかな
バラクオバマもその時代のエチオピア魔術あたりの王の生まれ変わりかな >>248
乃木ん批判する奴は十年後の西部戦線なんて知らない 補給のこと何も考えず
味方を餓死させるって
どんだけよ(´・ω・`)
せめて・・・ポテチくらい補給しろよな(・3・) 日本の作戦だけ見ると確かに異常に馬鹿げてるように見えるが、世界的には「博打で負けが込むとおかしくなるよな」レベルの話。
欧米人からすると「ジャップは肝っ玉もAss穴も人間と同じくナノサイズDEATH」と鼻で笑う程度だろうな。 >>202
そうなのよ。
じいちゃん、宮崎繁三郎の身の回りの世話ががりだったんだって。
ずっと宮崎繁三郎のことを将軍閣下と呼んでたし、ペグー山系での貢献を賞されていただいた賞書を死ぬまで大事にしてた。 >>244
この時期中国戦線は現地軍の支那派遣軍にとってまあまあ状態で援蒋ルートの遮断しなきゃどうとかいう状況ではないしそんな要求も出していない
支那派遣軍総司令官の畑はインパール作戦について大本営が許可しなかった攻勢を現地軍の希望を入れてやる事にしたらしい的な事を書いている
要は南方軍がなんかやってんのね程度で全然連携とかしている訳じゃない
大体インパール作戦が失敗後支那派遣軍は大陸打通作戦で中国軍に大勝していて援蒋ルートがどうとか全然影響していない
インパールの将兵は完全に無駄死にだけ おれが知りたいのは
タイとベトナムとミャンマーとラオスの中で一番人柄の良いのはどこ?ということ >>258
その辺だったらどこも大差無いと思うけどね
個人的にはベトナムかラオスかなという気はする イギリスには宣戦布告せずに満州と朝鮮での利権割譲をチラつかせて日英同盟復活を視野に
外交での駆け引きをやっておけばなぁ…歴史にIFはないけどね >>258
その中ならラオスじゃないかな
柘植久義か誰かがラオスの多数派ラオ族は兵隊に不向きって書いてたから大人しそう
東南アジアならフィリピンを推す
陽気で辛くてもくじけず耐えてくれる
いい嫁さんになるよ >>246
ツヴァイクが自殺したきっかけのひとつがそれという説あるし
衝撃的だったかもねぇ >>261
どの時点でやるかにもよるけど、外交の駆け引きをするんならイギリスよりもまずアメリカじゃないの >>253
牟田口閣下考案のジンギスカン作戦(荷役で使った牛を食べて食料の足しにする)だったが
上空を飛び交う敵味方の航空機の音、空襲の音にビックリして荷物を積んだまま牛が行方不明
川を渡るときに流されて行方不明、山道から手綱を持った兵隊ごと谷底へダイブで牛がドンドン減っていったという 拉致問題?なにそれ?
それよりみんなで桜を見ましょう。 >>209
教育の失敗だな 人間じゃなくて奴隷用の虫を作ってしまった
虫が人に勝てるわけがない しかも脳が無い奴隷用の虫じゃなおさらだ >>225
そう?敗戦国なのになんで賠償金取れんの? >>269
アンド臆病かな。
上層部がポンコツなのは擁護しようがないがなんでそんな奴が上にのさばってるのって議論になかなか行かない。 >>271
イタリアってどこかから賠償金取ってたっけ
取られた方だと思っていたけど
ああ、そういえば日本に請求してたような気がする
どうせ日本のことだから払ったんだろうけどね
スイスとかデンマークにまで払ったぐらいだし >>260
ミャンマー良くないミャンマー?
ダメ!? コロナ絡みで経営悪化しても事業を止められない奴らと同じだ
負けを考えて準備しておかないわ負けを認められないわで破滅まで突っ走る 今からでも牟田口やその他大日本帝国(笑)のクソ犯罪幹部を
”歴史的に死刑”にしないと気がすまないよね、本当に。
とにかく日本人はしっかりと日本の本当の近代史を学ばないとね。
学校の教科書が正しい歴史を教えてくれたなんてうそです。
学校の歴史教育では牟田口がやった事なんか出てきませんしね。
日本の学校教育では福沢諭吉先生の残された素晴らしい書物の数々も
全くと言っていいほど使用されません。日本人はそういう事に疑問を持つべきなのです。
そして、今の学校教育はなりすましの朝鮮人たちの都合のいいように作られた
”洗脳教育”だってことに気付かないと。
夏目漱石のこころなんかよりも福沢諭吉先生の流れるような表現の美しい文体のほうが
ずっと文学としても価値がありますしね。 >>278
福沢諭吉?
「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」って言っておいて
巨大な閨閥で利権ファミリー作った糞野郎の事か? 中国人と朝鮮人の工作員がご丁寧に自分から正体現してるから本当に最悪だよね。
1行空けは読まないとか、読んでるからこういう書き込みをしてるからね、こいつら工作員は。
冗談抜きでこいつらは幼稚園児みたいな嫌がらせや反論しかしてこないからね。
今思うに朝鮮人はみんなそうでしたね、影で嘘を広めたり、”あんな奴相手にするなよ〜”とか
同調圧力を必死に回りにかけたり、朝鮮DQN中学もSAPジャパンの朝鮮人もここの工作員も
やる事はみんな一緒。正々堂々と本人の前で議論なんかした事が一度もないのが犯罪朝鮮人です。 >>16
上官の決断力とか色々と考えさせられる。当時の流れも。
詳しくは知らないが、日本の戦車を見ると、あれで勝てるとは到底思えない。陸軍さんも頑張ってくれよとなり、我々陸軍が頑張らなけばと前に押し出された流れかな。
ピストルを持って機関銃と戦うような、全滅するまで戦うイメージ。士気は高いがそれだけ、それさえ失うほどの現実があり、後戻りも不可能になっていったか。隊から離れて逃げ出したグループがいてもおかしくない。 >>283
開戦当初はどこの国の戦車もあれぐらいのモノで日本の戦車は世界水準から劣ってなかった
ただ日本の戦車が相手にするのは支那の弱兵ばかりだったが
欧州の戦車は強敵が出現し続け撃ち勝つために双方が短期間で大進化した
日本も進化させようとはしたが限られた資源と生産力を航空機と軍艦に振り向けていたので
結果的に国力が足りず新型戦車の大量生産は出来なかった
大戦時の戦車の進化の速さはドイツ見るとわかりやすいかな
オモチャみたいな1号戦車から7号(いわゆるキングタイガー)とその先まで 毛沢東が奥地に隠れないで日本軍と正面から戦ってたら、インド方面への作戦行動もなかったな。 >>41
まるで今の和民ワタミみたいな考えだな。洗脳とは恐ろしい 日露戦争後の時点で
「兵隊になるなら海軍に行け。陸軍はメシが食えない。海軍なら食えるうえに美味いものを食わしてくれるから」
といわれていた理由がよくわかるな 今は知らないが、色々日本軍贔屓が多い靖国神社の展示館で
インパール戦線の箇所は牟田口は存在が抹消されてたな。
河辺は戦後慰霊活動したからか出てくるけど。
それくらい牟田口は生き残りや遺族に恨まれてる。
ある人がインパールの生き残りに取材したとき
牟田口の話になると「あいつが畳の上で死んだのが悔しい」といって激昂して、
取材した側が身の危険感じるほどだったと言う話もあるし >>285
中共が奥地に引っ込んだのは国民党軍の圧力のためで日本軍は関係ない
また大戦後半になるとむしろ支那派遣軍は人民解放軍との戦闘を積極的には行わない方針に転換した
これはソ連の支援を受ける毛沢東を圧迫してソ連を刺激する事を大本営参謀本部が恐れたためである
毛沢東としても日本軍が共産党をほってくれて大陸打通作戦などで国民党軍に撃破に血道を上げることは大歓迎
結果として日本軍と人民解放軍との戦闘は大して発生しないという事となった >>290
共産軍と国民党が口裏合わせてたような…
というか蒋介石がとっ捕まったかなんかしてた様な気もしないでもない うちの死んだじーさんもシナからインパールまで行ったぞって言ってたな
メディーーーーーックやってたらしい 隼戦闘機5機に頼んで英軍陣地上空を示威飛行
作戦名「blueインパール作戦」とか、どうでしょう ほーーーん
★広島の地中から発見された 誉発動機について
http://militarymatome999.web.fc2.com/ha45.html
誉発動機 #太平洋戦争 #日本海軍戦闘機 #紫電改 #ハ45
☆世界の共産党虐殺オリンピック 平和政党の正体
http://militarymatome999.web.fc2.com/kyo.html
#虐殺 #中共 #共産党 #毛沢東 #中国 #文革 #虐殺 #China #communist #日本赤軍 #総括 #リンチ >>283
陸続きのドイツやソ連と違って、船で運ぶのを前提としてるから重く出来なかったというのは聞いたな。 日本組織の弱点を最も明示的に示した例と言える
日本企業ではインパール作戦レベルの愚行が
日常茶飯事だからな 腹が減っては戦はできぬ。意気揚々な出征時の行進を見てると、あれがガリガリになるのかと。
威勢の良い事言えるのも食うもの食って元気だから。飢えたら病人と同じで、戦意もクソもないがな。 >>297
370(7): 08/19(日)23:57 ID:h+ECK4on0(43/43) AAS
地域ケア会議ってのが月1で各都道府県であるんだけどね。介護士代表のコメントが面白かった。
「国が介護業界に求めてるのはインパール作戦と同じ。
2週間分の食料だけ持たせて半年戦い全滅した日本軍と同じ間違いを介護士に求めてる。」
拍手が起こったでw
過去の介護スレに有ったこの書き込みを思い出した >>261
30年代に入って日英関係はお互い主力産業の綿工業での対立で双方引けない所までこじれてる >>1
「(日本人について)下は自ら考えて行動する事は出来ないが兵士としては優秀。
上は夢見物語や机上の空論で作戦を練るから極めて無能。」
「(日本人の精神年齢は)中学生レベル。」
ダグラス・マッカーサー元帥 >>301
精神年齢12才云々はたまに見るけど切り取り報道で誤解が拡がった結果と解釈してるが >>301 コロナ怖いと漂白剤でうがいするような国が何言ってんだw >>291
西安事件だっけ
高校時代に受験用の用語集で見たな >>295
港湾設備が貧弱なのである程度の重さを超える戦車は船に載せられない
載せる方の船もそんなに重い戦車を積載することは想定していないので積載可能な船が限られる >>289
生き延びた兵隊や遺族から恨まれた上官か。
こんなタイプは、どの時代にもいるんだよね。
日本の戦車の事情が分かって良かった。
今やバイクやクルマは日本製が優れてるし、やはり日本には相当な力があったんだと思う。
兵員数と物量で負けてしまったかな。 牟田口のトンデモ作戦を
優柔不断に許した河辺
無策にも止められなかった大本営
もちろん最終的な責任は昭和天皇にある >>301
人目があると正義感溢れるスーパーマンのように振る舞うが、人の目がないとただのチンパンジーって感じなんだよね
アメリカン >>289
一昨年くらいにやってたNHKのインパール作戦特番に牟田口の孫がメディア初登場ってことでインタビューに答えてたわ
要約すると
・晩年の牟田口は自分の作戦指導について自己弁護してたが息子や他の家族はそのことを快く思っていなかった
・牟田口が死んだ後に遺族が軍服や日記などの資料を「忌まわしいもの」として全部破棄しようとした
・しかしこれもいつかは歴史的資料になるんじゃないかと思って破棄に反対して今は自分で保管している
・祖父(牟田口)のやったことは孫の自分でも擁護できるものではない >>295
アメリカ戦車ですら船輸送が基本だから独ソに比べたら小ぶりだもんな >>307
みんなどうかしてるよね。悪い方に流されてる。
天皇陛下万才!となって滅びようとしてるようだ。 >>307
牟多口を叩くと、じゃあ師団長にした
任命責任がある昭和天皇はなんなのになる
だからダンマリというのが日本社会の最大の元凶 >>10
損耗率75%だっけ?
よく生きてたな
ちなみに大和は90%だが数時間で死ねたからマシとも言える >>310
日本の戦車と比べたらマシだけど、シャーマン中戦車の異様な車幅の狭さと車高の高さは、
一定の規格で大量に船で運ぶための設計らしいね。 >>313
海軍も戦時中に占領地で捕虜や民間人の処刑・虐殺をやらかしたが
命令を出した艦隊司令や戦隊司令の責任問題になるとそいつを承認した天皇の責任にも発展する
だから敗戦と同時に関係資料の破棄、処刑に立ち会った法務官や官吏への口止めを行い
「あくまで現地根拠地隊の連中が独断でやったこと」として天皇への責任追及を回避しようとした 結局は大空襲や原爆を落とされるまで戦う羽目になった。例え日本が白旗を挙げても絶対に許さないと。
ここまでコテンパンにやられた国を他に知らないが、それほど日本人は憎まれて恨まれていたということか。アジアの黄色人種だったのもあると思う。
韓国や中国の近代的な発展は目覚ましいが、本来なら早くから仲間となるべきグループで・・・。関係ない話だし、あまり詳しくないのでこれ以上はやめとく。w >>314
そうか、大和の場合、大半が転覆の瞬間に爆死だもんな >>301
その日本軍にフィリピンから追い出されてションベンをたらしながら
オーストラリアに逃げて行ったマッカーサーwww >>313
天皇は今も昔も下から回ってきた書類にメクラ判を押すだけだろ。
天皇が主体的に任命権なんか持っていない。
安倍だって天皇が任命しているがアベノミクスの責任を天皇が取るわけじゃない。 もしもインパールで勝利していたら、その後の戦局にどの程度の影響があったの? イギリスとアメリカを怒らせて徹底的に戦うからこうなるんだよ
でもドイツは強かったし、イタリアは上手いことすぐに逃げたかな
物量では圧倒的にアメリカに勝てない時代 半藤 戦後に、この牟田口廉也には、私は何べんも会いました。彼は小岩に住んでいましたが、訪ねていってもどういうわけか、うちへ入れてくれないんですね。
「君、外で話そう」とか言ってスタスタ歩いていってしまう。江戸川の堤まで行って土手に座って話していました。
保阪 家族に聞かせたくなかったのでしょうか。
半藤 たぶんそうなのでしょうねえ。なぜかいつも土手でしたよ。お茶一杯ご馳走になったわけじゃない。だから悪口を言うわけじゃないですけれども(笑)。話していくとこの人は必ず最後には激昂するんです。
戦後しばらくしてイギリスからインパール作戦に関する本が出たのですが、その本に日本軍の作戦抗争をほめている部分があったのです。
牟田口はその論旨を力説していまして、なぜ俺がこんなに悪者にされなくてはならんのか、ちゃんと見ている人は見ているのだっ! 君たちは分かってない! と何べんも何べんも怒られましたよ。
保阪 そこのところをコピーして晩年までずっと持ち歩いていたみたいですね。僕はとうとう会えなかった世代ですけど、ある人からその話を聞きました。「君のところに牟田口から連絡は来なかったか」と。
どうやら昭和史の研究者のとことろには自分から電話して、そのコピーの内容を説明しにやってきたそうです。最後の頃はその話ばかりで鬼気迫るものがあったと。 >>309
牟田口って名前だけで苦労されたことだろうなあ >>309
「戦慄の記録 インパール」か
見たよ
あれ、番組はは省略して分かりにくい所
あるからその後出た書籍も見た方が良い
ちなみに内容が牟田口に批判的になってると遺族の子孫から抗議来て
ディレクターとかが釈明にいったらしい。 後から考えたら有り得ないがその時の権力や民意には反対できないし反対しても通用しないことって今でも起きてるだろ
歴史から本質的なことは学べてないよな >>307
師団長レベルの作戦立案をなんで天皇にまで
持っていこうとするのかねえ。
とりあえず上に持って行けば責任逃れになると思ってんのかね。 一旦は中止になったが、チャンドラ・ボースというインド人があっちこっちを説得して復活させてしまった
チャンドラ・ボースはインドでは独立の英雄とされているが、インパール作戦では疫病神以外の何物でもない
ちなみにチャンドラ・ボースは飛行機事故で死亡している、一説にはインパール作戦で恨みをかって謀殺されたとも チャンドラボースの念願だからなんとかみたいな流れらしいな
それがあの結果 >>328
>ちなみに内容が牟田口に批判的になってると遺族の子孫から抗議来て
子孫も子孫だな、やはりクズの血は脈々と流れるもんなんだな 牟田口って佐賀なのか。
九州出身だからイケイケとなり壊滅したようだな。 俺の祖父は昭和19年末に輸送船ごとマニラ沖に沈んだ。松岡は畳の上で死に、東條は
ナンチャッテ自決→極東裁判で昭和天皇の盾になったと英霊扱い。遺骨を外洋(≠マニラ沖)
に沈めて来たい。 >>この島の漁師だった。太平洋戦争開戦翌年、27歳で陸軍に召集された
この時点で日本の軍事政策は間違ってる、海軍に入れたほうが戦力化が早い。 >>330
師団長は天皇が任命する親補職だからだろ。
国軍ではなくて皇軍だしな。 一昨年のNスペのインパールはちょっと情緒に流れすぎてたけど、20年以上前の「ドキュメント太平洋戦争」でやった「責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜」がなぜあの作戦が実行されてしまったかを事実を淡々と積み上げて描写していってすごかったな
当時はまだ存命の生存者も多かったからその証言の凄まじさがまた >>339
10年ちょっと前にやった「兵士たちの戦争で」も
NHK内部じゃ
「もう指揮官とかの層の人間が殆ど亡くなり、
証言が兵士たちだけでは検証しにくいのでやっても手遅れじゃないか」
と言われたくらいだしなぁ
あの番組で死んだ場所とかデータ活用分布してたけど
混乱の中でどれほど正確かわからないデータを元に話進めるのはちょっとどうかと思った
材料がないんだろうけど 少し調べるだけで過酷過ぎて話にならないレベル。
食料や弾薬は予定の10分の1しか無く、巨大な山を越え大きな川を渡る。
トラックなどは解体して運んだり、川を渡るのに牛を使うとほとんどは流され、戦闘に入る前に既に大量の死者。
戦死者は圧倒的に病死が多く、それは引き返す道中に6割だかいたとか。
ノルマンディ上陸作戦は兵隊や兵器などの物量でも上回り勝てたが、インパール作戦には勝てる要素などゼロに等しかったかな。相手側を知らな過ぎてる。 >>340
後半部分は一昨年やった番組の事ね
分かりにくくてすまん >>341
第二次アキャブ戦で新戦術をイギリス軍が編み出して
予兆はあったのに無視して同じことを数倍規模でやらかした 陸大出の秀才に吠えたところで無駄
ここで書いてるアンタらは当時なら二等兵で支那の畑の肥やし >>335
牟田って基本形を元に色々なパターンの名前があるねあのあたりは。
中牟田とか地名では炭鉱で有名な大牟田とかね。 どうせやるなら、大戦初期の南進が完了した後、満を持してインド独立を旗印に、印度侵攻すればよかったのに。 旧日本軍は、兵站を軽視して、多くの餓死者を出したわけだが、
戦争の真の目的が、「口減らし」だったとすると、妙に納得がいく。
兵站軽視で多くの餓死者が出たのは、「想定外の事態」ではなく、「人を減らす」という
「真の戦争目的」を達成するための、日米首脳が裏でグルになった戦略の一環だったと言える >>344
その指摘は案外間違いではないと思う、陸卒ですらこの程度なんだからじゃあ下級兵卒が代わりに指揮取れって言われたらめちゃくちゃな作戦になっただろう。
まあ指揮官として傑出した人もいくらかはいたが基本的には例外的な存在で、当時の指揮官の指揮能力の限界は考える必要はある。
結果を知ってる後世の人間が、傑出して能力のあった指揮官が同時代に他にいたことを根拠に叩きまくるのもどうかと思う。 殺したいほど憎まれてるのに誰も実行できない
花谷正みたいなキチガイに戦後制裁も加えられない 儒教に毒された価値観が無能な指揮官を生み出すのではないか
現代でも国民的スポーツである野球に儒教的な価値観が強く根付いてるよな
野球って公務員であったり、企業であったりの組織の価値観や人事にも大きな影響を与えてるんだよな >>348
そいつは同じ事ずっと書いてるスクリプトみたいな奴だぞw 死んだ爺ちゃんが「インパールだけはやめとけ」と言ってた でもここに書き込んでる人間の大半は、戦時中なら牟田口の配下で犬死だったんだろうな
そう思うと切ないな >>352
ガダルカナル、ペリリュー、硫黄島好きな所へ往っていいぞ かといって故郷である日本に帰りたくても
お上に歯向かう非国民には私刑を加える奴らが多いからな
万歳突撃で米兵に楽に死なせてもらうのが幸福かもしれんな >>355
宮崎は第31師団長の事を死ぬまでそう言って許さなかったらしいな >>350
敗戦による陸海軍解体で失職した復員兵が教員や民間企業に再就職し
自分たちが軍隊で受けた、教わった部下や後輩への指導方法を授業や部活、部下の教育などに取り入れ
それが体罰や「部活中に水を飲むな(日本軍では疫病対策として行軍中に水筒の水以外を飲むなと教えられていた)」と変化して
現代にも体育会系の文化(先輩や上級生の言うことは絶対、下級生は黙って雑用)やシゴキとして根強く残っているって話があったな
>>356
敵軍の捕虜になると氏名や所属部隊を申告し、赤十字や第三国を経由して本国に照会されるが
そのときに本名で申告しちゃうと本土に居る親兄弟や奥さん、子供が非国民の家族扱いされるので
歴史上の人物(織田信長とか徳川家康とか)や物語や古典に出てくるような人物名(弥次郎兵衛とか権兵衛とか)の偽名を名乗る兵士が結構居たって証言があるね 作家の火野葦平がインパール作戦から帰還した後、陸軍省に報告しに行ったら杉山陸相はそんなもんかのう、と今一実態を理解せず、両手で日本刀の形をつくり「骨を切らせて肉を絶つんじゃあ」とやった
火野葦平はこれはダメだと思ったと書かれている。 イギリスを舐めてたんだな。確かアメリカにイギリスと日本の同盟を破棄されてしまったのもあるかと。
そしてイギリスより遥かに強力なアメリカが出てきても引かなかった日本軍。
戦場の兵隊の士気も高かったが、やがてこれは負ける戦争だとようやく気付くことになる。
情報力も不足してたような。 海軍の軍艦や戦闘機は常に話題になるのに陸軍の兵器は誰も誉めないどころか存在すらしてなかったんじゃないかというくらい影が薄い >>348
旧軍のエリートは基本的に国家の試験で選抜された人間で
戦後活躍してる人間も多くいるからただ戦前の評価のシステムが間違ってたというわけじゃなく
なぜそんな優秀な人が間違えたのかという観点で見るべきという指摘はある
その観点で見る人間や書籍は意外と少ないんだが
NHKの作る番組とかでは冒頭そういうテーマで良く触れても
言うほど切り込めてはいない気がする >>352
ジャワの天国、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア >>358
捕虜になった人間が長谷川一夫とか役者の名前を偽名で言ったら
アメリカの管理する人間に「あんたで長谷川一夫は○人目だよ」と笑われたとかいう話が 故、丹羽哲郎
在学中に第1回学徒出陣し佐倉歩兵第60連隊に入隊、しかし態度が大きいという理由で普通の3倍程の体罰を受けることもあった。
立川陸軍航空整備学校で整備士官としての教育を受け、上官には川上哲治がいた。
航空隊に在籍していたために特攻隊員になる可能性もあったが、それにはなることなく終戦を立川で迎えた。
上官に歯向かう人もいたんだよね。愚連隊などの不良もいたわけで。
でも地方出の人達の多くは真面目に命令に従い亡くなっていったはず。 >>348
陸大卒なら順繰りで超特急昇進させていくキャリアシステムそのものに問題があるんだと思う
今の国家公務員のキャリアシステムだってそうだ
陸大卒や東大卒が優秀なのは否定しないが、それだけで特権的に昇進させていくと歪みが出てしまう >>353
だからこそ、無能を指揮官にしてはいけないと訴え続けなければならないんだ みんなが自分の問題として考えないと同じことが繰り返される 戦争をするうえで、
時期を過ごせば相手がますます有利優勢になるという状況なら
やれるときやっちまえというのは判断としては間違ってない
何もしなかったらもっと必敗 初めから劣勢なら、もはや指揮官の質の問題ではない
早く負けるか遅く負けるかの違い >>361
最高の上司は、戦争したくない上司だ
指揮官としては最低だけどな >>323
領土野望はない。はるか遠くの土地を統治できるはずがない
問題は戦争を勝つために現地住民を巻き込み反連合国植民地主義を打倒する、
大東亜共栄圏の構築確保でしかない >>307
最低でも河辺大将の責任
天皇は大元帥だけど、「天皇は神聖にして侵すべからず」、
「内閣および統帥部が責任を負い、各国務大臣、各統帥部長はこれを輔弼する」
つまり憲法に天皇に責任はないよって書いてある >>353
それなら今でも、お前らはただ安倍総理の手のひらで躍っているだけ。 うちのじい様はインパールの生き残りだったが
戦争の話は嬉々として語ってたな
生存能力は高かった >>370
アホなことするくらいならしない方が百億倍マシなんだが 東條英機は腹心の部下だった赤松貞夫に陸軍の軍人として最も大事なこととして
「陸大に合格するかどうか」と言い猛勉強させている
つまり陸軍軍人には勇猛果敢とか詔勅必勤よりも陸大入試の点数こそ一番大事なことだったのだ
まさに現代にも通じる話だ ネトウヨが中国の脅威やら憲法を改正して軍隊を保有できる国に。など騒ぐから
素朴な疑問として、「じゃあ、おまえ、戦争になったら軍隊に入って戦う気あるの?」と聞くと
「俺は軍隊には入らない。軍人が戦えばいい。」という返事が返って来た。
どうやらネトウヨは自分で国を守ろうという姿勢は無いみたいだw >>368
少年時代から幼年学校のが大半で外の世界見てなくて
教える内容は軍事中心だから視野が狭窄に成りやすい教育だったとか言われてる
中学から入って偉くなった人もいるが少数 >>370
インパール作戦やらかしたからビルマ戦線は崩壊をはやめたんだよなぁ 戦地メンタルジャーニー
iyo matsumoto >>341
作戦を実行することに意義を求めたんだろうな
目先のバトルに目を奪われて、戦争で負けた感じだ Wikipediaをググると詳しく分かるね。
この作戦の困難さを、吉川正治は次のように説明している。
「この作戦が如何に無謀なものか、場所を内地に置き換えて見ると良く理解できる。インパールを岐阜と仮定した場合、コヒマは金沢に該当する。
第31師団は軽井沢付近から、浅間山(2542m)、長野、鹿島槍岳(長野の西40km、2890m)、高山を経て金沢へ、第15師団は甲府付近から日本アルプスの一番高いところ(槍ヶ岳3180m・駒ヶ岳2966m)を通って岐阜へ向かうことになる。
第33師団は小田原付近から前進する距離に相当する。兵は30kg - 60kgの重装備で日本アルプスを越え、途中山頂で戦闘を交えながら岐阜に向かうものと思えば凡その想像は付く。
後方の兵站基地はインドウ(イラワジ河上流)、ウントウ、イェウ(ウントウの南130km)は宇都宮に、作戦を指導する軍司令部の所在地メイミョウは仙台に相当する。
このように移動手段がもっぱら徒歩だった日本軍にとって、戦場に赴くまでが既に苦闘そのものであり、牛馬がこの峻厳な山地を越えられないことは明白だった。
まして雨季になれば、豪雨が泥水となって斜面を洗う山地は進む事も退く事もできなくなり、河は増水して通行を遮断することになる。 海軍は軍艦を扱わなければ話にならないので、多少は科学と言うか熟練の技も
必要なのだと理解していて、海兵を出ても海大には進まず、駆逐艦から大艦へ
乗りついて、提督の半分近くが海大を出ていない。中には大将に昇進した者さえ
いる。しかし陸軍の場合は陸大を出なければ将官には絶対になれなかった。出世
するためには陸大でも5番以内が求められた。記憶力と修辞能力だけの世界であって
実戦をどう戦うか、組織や人をどう活用するかとかは不問。美文さえ書ければ
良しとする世界。陸大卒業席次が死ぬまでついて回る。むろん牟田口も、東條も
山下(奉文)も陸大優等だったのは言うまでもない。あの辻正信も幼年、陸士が
ともに首席で、陸大は三席だったという。 負け戦の司令官の子孫が今だに地元の名士としてクソ君臨してるのがムカつく >>386
適当すぎる
陸大の優等は6番まで(上位1割)
牟田口も東條も軍刀組じゃない 9万2千人ほどを投入して7万5千人ほどが戦死したはずだとの話がある。病気になった者で生存者は少ないとの見解。
生存者は後方部隊に多く、ほぼ全滅して作戦は終了。
作戦中止を唱える人物を他の人物と入れ替え、引き返すのが遅れて多大なる損害を出した。
武器を失い飯ごうだけを持つ兵士、石ころを投げるしかない場面も。猛獣に食われハゲタカに食われる兵士。死んだ仲間を食べる兵士も。ダイナマイトを送ると半分は兵士が食べたとある。
遺体と動けなくなった兵士は確認することなくイギリス軍がガソリンで焼いた。イギリス軍にも病気が蔓延していた。助からないと分かると銃を渡し、毒薬で命を経つ兵士も。
作戦失敗は勿論止めなかった側の責任。それは牟田口側を止めなかった側の責任も大きく半々だとなるようで。 もう怒りしか湧いてこないな
何でこんなバカな作戦が行われてしまうのか この作戦は失敗すると分かっていたからか、ハナからタイ方面に工事に出かけた部隊もある。
多くの将校が悲惨な現状を訴えるのに、なぜ引き返せを伝えなかったか。
初めには作戦を成功した部隊も存在し、引き返すときには、まだ半分以上の兵士が残っていた。1日に大砲を2回しか使えない部隊もあり、食料は全く送られて来なかった。戦士者の多くは敗走しながら攻撃を受け病に倒れた。 >>386
陸軍と比べて的に言われる海軍も似たようなもんだよ
海大が重要じゃないだけで退役まで卒業年次とハンモックナンバーがついて回る
自他共に全然向いてないと認める南雲を機動部隊の指揮官にするわ消極的と散々言われていた栗田を積極果敢な指揮官向きのレイテ突入部隊の指揮官に志摩と西村の先任問題で両艦隊の共同ができないとか
国家を挙げての総力戦に彼は1年後輩だから適材だけどまだ就任させられないやってたのは日本の陸海軍くらいだ
日本でも文官はまだ実際的で岸信介や椎名悦三郎は能力を買われて40そこそこで商工省事務次官に起用されている 1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発すると、牟田口は第18師団長として開戦直後のマレー作戦、シンガポール攻略戦の指揮を執った。
指揮下の佗美支隊が先行してコタバルに強襲上陸を行い、橋頭堡を確保、1942年(昭和17年)1月3日、要衝クアンタンを占領した。
牟田口廉也ら師団主力はマレー半島東海岸への敵前上陸作戦も計画されたものの、1月22日、すでに第25軍がクルアンに進出した頃、前線からおよそ1,000km後方のシンゴラに上陸、1月29日にクルアンに到着した。
シンガポールの戦いにおいて牟田口は、テンガーの飛行場を占領する際、肉薄したオーストラリア兵の手榴弾により左肩を負傷したが、血まみれになりながらも作戦を指揮した。 ついで第18師団長として部下を率い、ビルマ戦線にも加わった。1942年(昭和17年)9月、南方軍がインド東部のアッサム地方に侵攻する二十一号作戦を立案した際には、上司である飯田祥二郎第15軍司令官とともに兵站面の準備不足で実現の見込みが無いとして反対し、
同作戦を無期延期とさせた。もっとも、牟田口は、二十一号作戦に反対したことについて、大本営や南方軍の希望を妨げ第15軍の戦意を疑わせてしまったとして後に反省している。
牟田口は1943年(昭和18年)3月に第15軍司令官に就任し、1944年(昭和19年)3月から開始されたインパール作戦では、ジャングルと2,000m級の山々が連なる山岳地帯での作戦を立案した。
この作戦に対しては当初、上部軍である南方軍司令官や第15軍の参謀、隷下師団のほぼ全員が、補給が不可能という理由から反対した。
しかしながら戦局の打開を期待する軍上層部の意向に後押しされる形で、最終的にはこの作戦の実施は決定されることとなった。
南方軍の綾部橘樹総参謀副長は総司令官寺内寿一元帥の上申書を携えて大本営参謀本部に赴き「作戦全域の光明をここに求めての寺内元帥の発意であるから、まげて承認願いたい」と許可を求めた。
作戦に反対した第一部長・真田穣一郎は参謀総長・杉山元に別室に呼ばれ、「寺内さんの初めての要望だ。やらせてよいではないか」と指示されて反対意見は封じられている。また、ビルマ方面軍の司令官・河辺正三は、
「インパール作戦を全面的に是認し、強力にこれを実行することを企画したのはビルマ方面軍である。したがって、牟田口中将の発意によるがごとき論断は適当ではない」と作戦終了直前に述べている。
この作戦中、牟田口が要望した自動車等の補給力増強がままならないため、牟田口は現地で牛を調達し、荷物を運ばせた後に食糧としても利用するという「ジンギスカン作戦」を発案した。
しかしもともとビルマの牛は低湿地を好み、長時間の歩行にも慣れておらず、牛が食べる草の用意もおぼつかなく、また日本の牛とも扱い方が異なったため牛はつぎつぎと放棄され、「ジンギスカン作戦」は失敗した。
また、当初の危惧通りインパール作戦が頓挫した後も強行・継続し、反対する前線の師団長を途中で次々に更迭した。このとき、戦況の悪化、補給の途絶にともなって第31師団長佐藤幸徳中将が命令を無視して無断撤退するという事件を引き起こした。 ペグー山系で戦死したんならインパールは関係ない。
インパールと言えば釣れると思ったか>>1 コロナ問題が解決したら、ミャンマーの古戦場跡を
旅して周る計画を立てている。
早く収束しないかなぁ。 >>385
つかインパール作戦で白骨街道を作ったのは「撤退中」なんだよな
あのヤバイ山脈をいったんは超えていたのに
それなのに佐藤が撤退という判断を勝手にして、またヤバい山脈を超えて戻ろうとした
せっかく死に物狂いで超えたアラカン山脈にまた戻るという超非合理的な撤退
この佐藤の判断こそが多くの将兵を餓死させた
インパール作戦の戦死・病死者の半数以上がこの佐藤の独断命令による「撤退路」で起きていることを忘れてはいけない
佐藤ターンは海軍のレイテターンに匹敵する残念さ
第33師団なんて南から連合国を追い回して北へ逃走させるほど奮戦していた
佐藤ターンは海軍のレイテターンに匹敵する残念さ
あそこまで進軍して撤退することこそ、最も兵站を無視した非合理的な判断だ
一番最悪なときに撤退という判断を選んでいる
インパールの「白骨街道」を作ったのは佐藤
佐藤はアラカン山脈を超えてコヒマにたどり着き、臆病風を吹かせコヒマを放棄し撤退、
またあのアラカン山脈に戻っていったという最強のアホ
この判断が多くの将兵を死なせた
あとちょっと進めば、食糧も燃料もあったコテージがあって休めたのに、わざわざ下山してパーティーを全滅させるようなもの
ディマプールには英軍補給兵站基地があり防備も手薄だった
アーサー・スウィンソンという、コヒマ戦に参加し、第15軍と戦火を交えたイギリス軍将校が、
1968年に出版された『四人のサムライ──太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』の中で
牟田口の作戦を次のように評価している。
〈佐藤が許可など訊ねずに一個連隊を直路ディマプールにおくっていたら牟田口は成功していただろうか?
(中略)三月三○日ないし三一日に断乎たる急襲をかけていれば成功したに違いない。
こうしてディマプールを手中にすれば食糧、弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵にあったのだから、
牟田口は確かに勝っていた。当時の状況としては、勝負はまったく髪毛一本の競り合いだった〉 インパール作戦失敗後の7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部将校たちを集め、泣きながら次のように訓示した。
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。
皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。
日本は神州である。神々が守って下さる…」。訓示は1時間以上も続いたため、栄養失調で立っていることが出来ない幹部将校たちは次々と倒れた。 佐藤もばかだよ
あと一歩まで来て撤退とか・・・しかもまたあの過酷なアラカン山脈越えをして撤退しようとした
こんな撤退あるかよ
あそこまで進軍したら、もう突き進んだほうが自軍の被害を少なくできただろうに・・・・
ぶっちゃけインパール作戦って作戦は確かに無謀極まりないが、何だかんだで後一歩まできていたのに
牟田口の部下が怖気づいて勝手に独断命令で撤退させたせいで散々な目に遭っているんだよな
インパール作戦の戦死・病死者の半数以上が佐藤の独断命令による「撤退中」に起きているからな
佐藤ターンがなければ、日本軍にもまだ攻撃する機会があって打撃も与えられたのに
佐藤ターンのせいで、ただただイギリス軍の猛攻を受け、ただただ背を打たれるだけの標的になってしまった
佐藤という消極的な将軍がいて我がイギリスは助かったっていうイギリス将校の報告書も多数あるくらいだ
佐藤というアホみたいな消極的な軍人と牟田口というサイコパスのコラボレーションで白骨街道が出来上がったといっていい >>361
大阪の部隊とか、超適当だったらしい
こういうときは県民性が如実に出たらしいので、本籍を都市部に移しとくのもいいかも >>16
現場の話って大切だね
忘れないで頑張るんだぞ >>361
嫌な上司は誤射で入れ替わることがある。
実際死者に占めるFFの率は低くなくて、駄目な中間層は何故かFFされるらしいし >>399
>弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け
砂漠の狐ことロンメルはこれを地でいってたからな
ロンメル軍も物資が枯渇していたが、それでもなお英軍の物資や各種車両を大量鹵獲してそれを使って戦い続けた
本国のドイツ将校から兵站が限界だと言われようとも、ヒトラーから戻って来い、突出し過ぎて補給できないとも言われようとも
総統命令を無視してまで兵站を無視してまでロンメルは物資がないまま連戦連勝を重ねてチャーチルやアメリカを震い上がらせた
一方日本の佐藤は物資がないことを言い訳に戦線放棄してとんずらこいたw
しかもあの高く険しいアラカン山脈を通ってまでおめおめ逃げ出した
そんな中宮崎繁三郎少将なんかは物資枯渇しても日本のロンメルと言わんばかりに英軍の武器物資を奪いながら撤退線の殿を見事に勤め上げた >>398
物事の因果を理解しない人はいつの世にもいるもんだな
頭おかしいな 英軍の研究からタラレバな勝ち筋聞いた牟田口が自己弁護に使いだしてから佐藤責任論が出来たんだな
・3月末までにディマプル落としてれば連合軍は撤退してた可能性が高い
→実際には4/5にやっとコヒマ占領&補給要請無視した上ディマプル放置
・あと少し進めば突破できた
→航空支援と補給万全な敵を抜けずに攻勢限界で餓死か撤退かの二択 >>398 >>400
いかにも現代人のヒョロガリ眼鏡がクーラーの効いた部屋でカチャカチャと書いてそう
君は3日ほど絶食をしてもう一度、当時に思いをいたせ
あとからなら誰でも言えるんだよ
極限状態の選択が君にできるか 補給を怠るバカばかりで自滅の日本軍の頭の悪さは異常だな 佐藤幸徳
1944年(昭和19年)のインパール作戦では、第31師団(通称号:烈)の師団長として参加する。このとき、上司の第15軍司令官には、前述のように参謀本部時代に因縁のある牟田口廉也中将が就いていた。
インパール作戦は当初より第15軍司令部内部でも無謀さが指摘されており、佐藤も作戦前から第15軍の会議にて補給の困難を主張していた。
佐藤は、第15軍司令部に作戦中の補給量の確約を求めた。佐藤は、部下の師団の将校を集めて、「諸君の大半はアラカン山中で餓死するだろう」と訓示していた。
作戦が始まったが、佐藤の予想通り、第31師団の前線には十分な糧秣・弾薬が補給されなかった。第15軍司令部からは「これから物資を送るから進撃せよ」などの電報が来るばかりで、佐藤はその対応に激怒していた。
それでもなお3月15日にチンドウィン川を渡り、4月6日に左突進隊とされた隷下の第58連隊が要衝コヒマを占領したものの、佐藤は部下の損害を嫌って攻撃指示を出すことは控え、コヒマ後方15kmの地点から自身は前進せずにいた。
この時点で補給問題に強い関心を持っていたのは渡河時に兵が携行していた20日分の食料が尽きつつあったからである。
師団が引き連れていた馬匹の内、象はチンドウィン川渡河後2日に帰り、牛は餌にするべき草が無く、竹の葉や芭蕉を食わせたために、パトカイ山系に踏み込む前に殆どが倒れた。
なお、第31師団の前面に展開していた英軍部隊は第33軍団(コヒマ方面、軍団長:M.ストップフォード中将)であり、その隷下にはワーテルロー以来の戦歴を誇る英第2師団があったが、その後第7インド歩兵師団も加わり攻撃は激しさを増していった。 佐藤は補給要請に全精力を注いでいたが、ついに物資不足を危惧し撤退を進言するに至った。補給を軽視した司令部は佐藤に作戦継続を強要したが、師団はすでに武器弾薬や食料の不足から著しく苦戦しており、これ以上の進撃は不可能な状況だった。
そこで直接の上官ではなく第5飛行師団の田副登師団長宛にまで直接補給を要請したが、それでも佐藤はこのままでは全滅は不可避と判断していた。
そのような中、5月31日、コヒマ西方で58連隊が守備していた5120高地が英印第7師団の猛攻を受け、陣地にて紛戦状態となった。
この時玉砕を決意した守備隊長白石大佐の告別電により佐藤はコヒマ放棄と主力の撤退を独自に決断し、病兵1500名の後送を指示、部下の宮崎繁三郎少将に遅滞戦闘を命じた。そして、
「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に詫びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文は漢字・カタカナ)
と返電し、6月1日に兵力を補給集積地とされたウクルルまで退却させた。 司令部批判の電報を送った。6月3日に師団は一斉にコヒマから撤退したが、退却先のウクルルにも弾薬・食糧が全く無かったため、佐藤は独断でさらにその後方のフミネまで後退した。
これは陸軍刑法第42条(抗命罪)に該当し、師団長と言う陸軍の要職にある者が上官の命令に従わなかった日本陸軍初の抗命事件である。
これが牟田口の逆鱗に触れ、作戦中止後の7月9日に師団長を更迭された。第15軍隷下の第33師団長・柳田元三、第15師団長・山内正文も更迭されており、作戦に参加する3師団すべての司令官が更迭される異常な事態であった。
もとより佐藤は死刑を覚悟しており、軍法会議で第15軍司令部の作戦指導を糾弾するつもりであったという。しかしこの抗命撤退により多くの兵士たちの生命が救われることになった。 自分達への責任追及を恐れた陸軍の中枢だった者たちにより、戦後も長い間、「インパール作戦の失敗は戦意の低い佐藤ら三人の師団長が共謀して招いたもの」とされて、非難を一身に浴び続けた(いわゆる「統制前進論」)。
インパール作戦での抗命撤退によって命を救われた部下は、多くが四国出身者であった。そのため佐藤に感謝する元兵士らの戦友会によって香川県高松市に佐藤を悼む碑が建立された。
また乗慶寺にも同様の碑がある。
第十五軍高級参謀の木下秀明大佐は、退却して来た三十一師団参謀長加藤国治大佐と面会した時の状況を回想録で次のように記している。
『その晩、佐藤師団長罷免の軍命があったので朝これを加藤参謀長に告げたところ、加藤大佐は、今は上官ではないから事の真相を話そうといって、
師団長の態度及び処置について一切を詳しく私に打ち明けて、統帥上、軍紀上、軍律上の痛憤止まる所を知らないと、真に憤慨した。』
土門周平によるとインパール作戦時には、上司の牟田口中将とだけでなく、部下の第33歩兵団長である宮崎繁三郎少将とも折り合いが良くなかった。
宮崎は、食糧が十分でない前線部隊にまで佐藤が慰安所を設けようとしたことや、宴席で率先して猥談をしたこと、
公然とインパール作戦の失敗を予言していたこと、テント暮らしの兵士を尻目に数寄屋造の豪華な師団長宿舎を造らせていたことなどを不快に感じていた。 >>407
だからその多くの将兵を餓死させたのが佐藤だろ
佐藤には一片の責任もないというのかお前は
佐藤英雄論には疑問符しかつかないんだが
牟田口のサイコパスを糾弾するバーターとして佐藤を神聖化することはあってはならない
この佐藤の撤退判断で白骨街道が作られた
日本軍は責任をうやむやにする糞組織だが佐藤英雄視こそその最たる例だ >>401
インパール作戦の書籍みたら俯瞰的に見たものも
実際に体験した人間の本も
追加投入された某師団が混乱に拍車かけたとボロッカス >>407
何年も軍事板で牟田口擁護で暴れまわってる奴じゃね? ノモンハン同様、責任なき戦いだったわけだ
今の官僚も同様だけどな >>415
牟田口は黙って切腹するべきだった糞愚将
これで満足か?
俺は牟田口について>>400でサイコパスつってこき下ろしてるんだが
どこをどう取ったら牟田口擁護に関連付けられるのか本気で意味不明だ・・・ >>9
馬鹿の3乗だっけ、3なんとか。し団長が言ったこと。 結果が大事なんだよ
で、インパールで勝ったのはどこ? >>403
日華事変に従軍した祖父も言ってたなあ、弾は前からばかりくるんじゃなか、と。 >>417
つべでまだ見れるかな、nhkのシリーズで、責任なき戦場だっけか。よく調べて企業にも皮肉ってる。 >>422
イギリスはやってた
で風向きの関係で日本軍陣地にたまに食料とか落ちてきたみたいだけど
その時はチャーチルからのボーナスが届いたって万歳三唱してたよ >>422
英軍はやったけど、日本は制空権かなんかかね。 そんなところに飛行機を飛ばす力はもうなかったんだ
飛行機を飛ばせるのなら他の作戦がある 大本営作戦参謀の瀬島中佐は飛行機で近くまで行ってる
帰りに作家の火野葦平を乗せて帰った
その後は>>359 >>425
ttps://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/list.cgi?cat=special
NHKが公開してる >>401
大阪や関西の連隊は「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんな」の商人文化(本音と建前、損得勘定)が浸透してたので「突っ込め」と言われても額面通りに受け取らず
こっちが有利になったらすかさず攻撃、不利になったら即逃げるというように駆け引きがうまかったとされている
日本軍からは「またも負けたか大阪連隊」などとバカにされてたが
米軍からは「ここの日本軍(関西の連隊)は猪武者の他の日本兵と違って厄介」と言われていたという
>>403
太平洋戦争だったかベトナム戦争だったかは忘れたが
米軍で「明らかに味方の方から意図的に狙われたと思われる」誤射で戦死した下士官は
全戦死者の1割〜2割程度いたという 左翼がしつこくしつこく取り上げる燃料ネタだな。
もうウンザリだ。 >>433
与謝野晶子が君死にたもう事なかれと歌った弟は大阪第四師団だったが無事帰ってきたという 爺さんの故郷だった金沢の第一五師団はインパール作戦に投入されたんだけど
爺さんは大学で科学者やってたから徴兵されなかったんだよな
もしインパールに行ってたら俺はこの世に居なかったよ >>11
ペリリューは悲惨だが勝ちだぞ。
海兵隊第1師団も壊滅させた。 >>433
京都ならともかく大阪連隊って勝ち確定の序盤戦でしか米軍と戦ってないじゃん 荷物運搬用の牛と、そこら辺の草食っとけとさ、牟田口廉也が。 >>63
アビガンの副作用は子供が出来なかったり奇形になるからジジイには迷わず投与したんだろ。 >>398
ディマプールを弾丸、砲弾、食料も無しに取れるはずなかろ
髪毛一本とか夢想してんじゃねえよw >>438
陸軍内で信用されてないからな。大阪兵は逃げるから。ほとんど前線に行って無い。
京都はなぜか激戦地に行く、インパールでは味方からも恐喝にあうし、沖縄戦にも参加する。何故なのか?
レイテ島なんか2日で壊滅して山に逃げてんのに。 >>437
作戦の勝利条件は目的を達したかどうかで決まる損害の多寡ではない
ペリリューは落ちたのだから米軍の勝利に間違いない
旅順の戦いで乃木の第三軍はロシア軍を上回る損害を出したがそれでも作戦目的は達成し乃木の勝利と言える
苦い勝利であるにせよだ >>436
戦時中は今までと同じように学業に専念できたのですかね?
それとも学業やりつつ軍需工場で勤労奉仕させられたとか?
>>437
最強といわれた第一師団を壊滅か >>444
アメリカ自身が日本の勝ちを認めてる戦いだからな。
かつ天皇陛下からのご嘉賞11回 >>445
海兵隊第1師団は壊滅して撤退
その後増員した陸軍にて日本軍を壊滅させた。
水戸第二連隊は関東軍最強の意地を見せた >>423
前から来る弾も敵が撃ったもんとは限らんぞってのもあったらしいな >>408
例えば前線の個々の兵士の抱える糧食・弾丸(中隊・大隊・連隊の段列に抱える糧食・弾丸)を増せば
部隊の運動性を悪化させますよね(抱えるべき弾薬と食料が倍になったら走れませんよね)
師団の抱える物資も同様です。師団が動けばこの師団倉庫も動かないといけないですから、
1基数に必要な員数の増加があって、道路や輸送機材の限度から、運べる規模は自ずから定まってきます。
たとえ車両を増しても、その車両が消費する燃料や整備機材そして道路の限界から輸送力は頭打ちに
なります(これは朝の道路の渋滞を見れば判りますね)このことは実働演習で証明されています。 >>408
以上から、部隊の機動力と継戦能力、そして補給力のバランスはどの時代でも
アンバランスになりがちです。
身軽にすれば素早く奥深くまで進撃できるけど、身軽であるが故に後続の補給に依存する度合いが
大きく、 そして奥深くまで進撃したがゆえに兵站補給線も長くなる(北アフリカが良い例ですね)
だからといって身重にしたらそもそも進撃速度が得られない。当然ですが進撃速度は敵の防衛体制が
整う時間にそのまま影響し、例えるならWW1の凄惨な消耗戦のような情景にそのまま繋がります
(つまり、それこそ必要な補給量が増えてしまう)
逆に言うならば、じっくり時間をかけて補給と補充量を蓄積してから叩くとするならば、それは
最終的には国力同士の比較に土俵を持ち込むことになり、そしてそれでは千日手になってしまうことがWW1で
示されています。下手するとチタデレ作戦のドイツ軍で負けちゃったりします。
この手段は日本軍にはとり得ないという事は理解できるでしょう。
以上から、予算以前に、日本陸軍は、そのような愚かしいというか知力を用いる事を放棄するが如き行動を
良しとするような無知蒙昧な集団ではなかったという事なのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています