復元された7500年前の女性「カルペイア」の顔。ジブラルタル博物館。(MANUEL JAÉN)
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 ジブラルタルは、スペインの南、イベリア半島の南端に位置する英領だ。1996年、ここで考古学者らが調査を行い、洞窟の中から頭蓋骨を含む人骨の埋葬地を発見した。

 この埋葬地が非常に古いことはすぐにわかった。動物の骨や石器が堆積した層の下で見つかったからだ。頭蓋骨は損傷を受けていたが、ジブラルタル博物館に収蔵された。

 この頭蓋骨がいつの時代のものかは謎のままだったが、2019年、DNA分析によって7500年前の女性のものと判明した。ジブラルタルで見つかった現生人類の女性としては、最古のものだ。

 さらに、頭蓋骨の持ち主の祖先はイベリア半島のはるか東から来たことも判明した。農耕がヨーロッパに広がっていった時期に、古代人類がどのように移動していったのかを知る新たな手がかりとなる。

 ジブラルタル博物館の研究チームは、彼女の顔を法医学的・解剖学的に復元することに取り組んだ。破損した骨をコンピュータースキャンし、下顎をはじめ欠損部を再構成した。スキャンによって得られたデータとDNA分析の結果を統合し、6カ月を費やして、印象的で生きているかのような顔を作り上げた。彼女は、ジブラルタルの古い呼び名であるモンスカルペにちなみ、「カルペイア」と名付けられた。

■ネアンデルタール人も暮らしていた

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■古代のDNAを抽出すると

 カルペイアの頭蓋骨が発見された1996年当時は、ここまで詳しく調べるのは困難だった。多湿なジブラルタルの気候や当時の分析技術を考えると、有用なDNAを抽出できる可能性は低かったからだ。

 だが2019年までに、古代のDNAの研究は飛躍的な進歩を遂げた。米ハーバード大学医学大学院らの研究チームが分析可能な古代DNAのサンプルの抽出に成功、カルペイアの頭蓋骨をはじめ、スペイン、ジブラルタル、ポルトガルに住んでいた271人のゲノムを分析した結果を学術誌「サイエンス」に発表した。

 その結果、多くのことが明らかになった。頭蓋骨は、ジブラルタルのネアンデルタール人が絶滅してから数万年後、紀元前5400年頃の女性のものだった。やせ形で、肌は明るく、黒髪、黒い瞳をもち、当時としては一般的な乳糖不耐症だった。乳糖不耐症は、牛乳に含まれる乳糖の消化酵素が不足して、消化不良や下痢などの症状を引き起こす。

 カルペイアが生きた7500年前は、新石器時代後期に相当する。昔ながらの狩猟採集生活に取って代わり、農耕と牧畜がイベリア半島全域に広がっていった時代だ。乳糖不耐症だったことから、彼女の文化では、酪農が行われていなかったと考えられる。

 カルペイアの死亡年齢を、頭蓋骨から正確に割り出すことはできない。だが、頭蓋縫合線という頭蓋骨の骨のつなぎ目から、25〜40歳の成人だと示唆された。

■アナトリア起源の遺伝子

 研究者が最も興奮したのは、DNAから明らかになったカルペイアの出自だ。カルペイアのゲノムのうち、イベリア半島に由来するものはわずか10%、残りの90%はアナトリア(現在のトルコ)に起源を持っていたのだ。新石器時代のアナトリアの農耕民は、黒い瞳に明るい肌という遺伝子を持つ割合が高かった。対照的に、中央ヨーロッパから西ヨーロッパにかけての狩猟採集民は、暗い肌に明るい目を持つ。

 農耕と牧畜の生活様式が芽生えた「新石器革命」は、世界のいくつかの地域でほぼ同時期に起きたと考えられている。アナトリアはそうした地域の一つだった。農耕と牧畜の技術はそこから西へゆっくりと広がり、地中海世界やヨーロッパに普及していった。

 カルペイアのDNAにはアナトリア由来の比率が高いことから、アナトリアを出た彼女の祖先はさほど古い遠戚ではないことが示唆される。つまり、カルペイア自身か彼女の両親、または直近の祖先が、海を渡ってジブラルタルにやってきた可能性が高い。

 もし陸路だったとしたら、西方への進出には時間がかかっただろう。その途中で現地民とDNAが混ざり合い、カルペイアのゲノムはもっと多様なものになったはずだ。

 また、地中海に浮かぶサルデーニャ島の人々の遺伝子から、アナトリアの遺伝子が高い割合で見つかっている。このことも、アナトリア人が陸路ではなく、地中海を渡って西に移動したという説を補強している。(続きはソース)

ナショナルジオグラフィック日本版 2020.06.09
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