中高生相手に、月2億円売り上げた

 「一番多いときで、1ヶ月の売り上げは2億円。セール時でもない、普通の日の売り上げですよ。お客さんはほとんどが女子中高生。会計は全て現金です。お小遣いやお年玉を貯めていたのか、四つ折りにした千円札を握りしめて買いに来てくれました。

 店頭で私が着ている服を上から下まで買いたいという子も多かったので、1日に何度も着替えました。覚えている限りですが、私が着ていた、合わせて5000円くらいのワンピースとスカーフのセットが、2時間で300着も売れたんです」

 渋谷駅前の喫茶店の片隅で、森本容子さんはこう振り返る。1977年生まれ、42歳。彼女はかつて、渋谷のファッションビル「shibuya109(以下、109)」の販売員として一世を風靡した。1990年後半から2000年初頭にかけてのことだ。

 2019年11月に「渋谷スクランブルスクエア」「渋谷パルコ」、12月に「東急プラザ渋谷」が開業し、100年に一度と言われた渋谷の再開発はいまだに大きな話題となっているも落ち着きを見せた。現在は、成熟した大人や訪日客もターゲットにしたこれらの商業施設が今注目を浴びているが、2000年前後の渋谷を象徴していたのは、間違いなく109だった。

 当時、109はミニスカートやタイトなボディラインのややセクシーな「ギャルファッション」の聖地として知られていた。森本さんはその聖地の店頭に立って服を売るだけでなく、ブランドの顔として毎月のように雑誌に登場。独自のファッションやメイク、ライフスタイルで中高生から絶大な支持を得る森本さんたちのことを、世間は「カリスマ店員」と呼んだ。

 1999年には新語・流行語大賞(現・ユーキャン新語・流行語大賞)のトップテンに「カリスマ」が選ばれているが、受賞者は「渋谷109 カリスマ店員の皆さま」だ。アパレル不況と言われている今では考えられないことだが、20歳前後のショップの販売員と女子中高生たちが莫大な経済効果をもたらしていたのだ。

 「カリスマ」とはいえ、販売員たちはいわゆる素人。タレントやモデルでもない「身近な女の子」になぜ女子中高生は熱狂したのか。

109が注目され始めた時代

 筆者は1980年生まれ。東京で生まれ育ち、高校、大学時代はひんぱんに渋谷に通った。自分自身はギャルファッションになじみがなかったが、友人に付き合って109に買い物に行ったこともある。

 フロアにはいくつものギャル系アパレルブランドがひしめきあい、髪を茶色に染めて眉毛を細くした女の子たちが戦利品の入った大きな紙袋をぶら下げていた。その中で、ひときわ華やかでスタイルのいい販売員たちが、拡声器を片手にレジの行列を整理している光景を何度も見かけた。

 アパレルの販売員は女の子の憧れの職業だった。自分も109で働いて、いつかカリスマ店員と呼ばれるようになりたい――そう思っていた女子中高生は山のようにいた。だが、渋谷で働くことに対して、森本さんにはなんの思い入れもなかったという。

 「高校生のとき(1990年代初頭)、池袋のサーフカジュアルブランドのショップで販売員に『バイトをしない? 』と声をかけられたんです。卒業して専門学校に入ったタイミングで、その店で放課後と休日にバイトを始めました。そのうち学校も辞めてしまったので週に5〜6日は店頭に立つようになりました。

 働き出して2年目くらいの頃に、109の店舗に異動するように言われました。ちょうど109が注目され始めた頃で、見栄えのする子を集めていたそうなんです。といっても、モデルのような容姿を求められていたわけではない。

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6/27(土) 11:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/55cc2386963b557a93fc1c6cf5f0db8d3b67b43d
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