【大分】滝廉太郎ゆかり「岡城跡」 豪雨で石垣が崩落 大分・竹田 [爆笑ゴリラ★]
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7/12(日) 9:28配信
毎日新聞
豪雨で崩れた岡城西の丸跡の石垣=竹田市教委提供
降り続く雨のため、作曲家、滝廉太郎(1879〜1903年)ゆかり国指定史跡「岡城跡」(大分県竹田市)の石垣の一部が崩落した。市教委の調査で判明した。
【救出された赤ちゃんを抱く隊員】
市教委まちづくり文化財課によると、崩落したのは岡城で政務の中心を担った西の丸跡にある石垣幅3メートル、高さ1メートルの地点。8日に確認に訪れた職員が、発見。ロープを張って立ち入りができない状態にしている。同課は「なるべく早く修復する」としている。
西の丸は1663年、3代目藩主の隠居のために建築され、明治維新後の1874年に取り壊された。石垣はそのまま残された。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/c90cda75af17c570784f7f5c28dbb22cf9a67d1f 早すぎる滝の死と、作者不明の唱歌
『鳩』と『雪』には“国家の陰謀”が絡んでいるといわれている。
時は明治時代、日本では国の将来を担う子どもたちのために、教育の一環として国が曲を作ろうとする動きがあった。
そこで当時の文部省のエリート役人たちが、こぞって教育用の曲を作ったのである。
しかし、堅物の役人たちが考える楽曲だけあって、子どもたちには流行らない“お堅い曲”ができ上がってしまったのだ。
そんななか登場したのが、天才作曲家・滝廉太郎である。彼の作る楽曲はどれもポップで、文部省の役人たちの楽曲とは対照的であった。
そのため、瞬く間に人気を博し、子どもたちを始め、大衆に受け入れられていったのである。
これでメンツを潰されたのが文部省のエリートたちだ。
“自分たちエリートが作った楽曲が受け入れられず、なぜあんな若造が作った楽曲が受け入れられるのか!?”
役人たちからしてみれば、おもしろいはずがない。そこで文部省は滝を日本から追い出すべく動いた。急遽、滝をドイツへ留学させたのである。
突然の命令で、滝は戸惑ったに違いない。だが背くことはできず、1901年5月に単身ドイツへと旅立った。だが、そこで待っていたのは悲劇だった。当時、不治の病とされた結核に感染してしまったのである。
日に日に衰弱していく滝。そして1903年、ドイツから帰国していた滝は、大分の実家で亡くなった。死後、文部省の役人たちは“彼の楽譜には結核菌がついている”という理由で焼却処分したという。 稟議通して予算組んで業者選定して
工事完了は2年後の予定です 『鳩』と『雪』は1911年に文部省の唱歌(学校の音楽の授業)の曲として発表されたもので、作詞作曲者は“不明”とされているのだ。
しかし、明らかに滝廉太郎が作った曲と類似点が多い。はっきり言って、盗作疑惑で訴えられるレベルである。
だが滝は訴えなかった。いや、それができなかった。なぜなら、彼は23歳という若さで亡くなっていたからである。 実は、当時のドイツでは結核が流行していたという話がある。“なぜ、行けば死ぬ可能性が高い場所に行かなければならないのか? そんなに私が邪魔なのか?”――おそらく、滝はこう思っていただろう。そして“意図的に私をここへ追いやった”と。
そして、結果的に感染し、亡くなった。遺作『憾』には文部省の役人に対する怨念が宿っているといわれている。
それもそのはず、自身の作った楽曲が、あたかも文部省が作曲したと発表されたのだ。しかもアレンジされて。 昔の光いま何処
という歌詞だから
あまり立派に再建しても困るんだな なんで維新後に多くを壊したのかなあ。その頃は100年後の観光資源とか全くあたまになかったんだろうか。 諦めろ
文化財よりクソ老人の遊ぶカネだろ?(爆笑) >>8
その大日本帝国の卑怯な性質が最も色濃く残るのが
クソ文科省とクズ厚労省 >>20
もちろんないよ。現実的な政治問題だから。維新政府がひっくり返されてチョンマゲ社会に戻るかも知れない
欧米列強の植民地にならない為の富国強兵政策にも、復古主義はマイナスと思われたろうし
もちろんその考えは未熟だったし、勿体無かったとは俺も思うけどね。当時の政府は必死でしょw 小沢がyoutubeで滝廉太郎をオチに使ってんだけど オマエらショボい城を想像してそうだが
岡城 石垣でググれ
素晴らしい城だぞ 有名な山城だよな
大友軍の志賀親次が九州統一を目指して北上する島津軍を撃退したとこ
(´・ω・`) ところどころフィルターつけたパイプを突っ込んでおくべきであった >>27
ううんーん。分からんでもないが、余裕がなかったんだね。もしは許されないが、ドイツの古城みたく各地に天守閣が残ってたらよかったのに。ただ維持費がすごいけどね。 >>35
B29に焼かれなかったらもっとたくさん残ってたんだよ
ドイツの旧市街も実は復元モノも多いんやで >>31
日本の城って、行政の施設ではなくて籠城戦闘用の要塞みたいなもんだろう。そういう戦争に至った時点でほぼ負けてると思うが、一発逆転はあったのかな。 >>38
戦国時代の戦自体が領土拡大よりも食料強奪を目的としたものが多かったから
ある期間持ちこたえられれば大丈夫なのだよ。 ここにあげられてる写真を見たら
岡城しょぼいやんけ
どっかの民家か? >>24
文科もイカれているが、そこに財務は抜かせないだろ。 姫路城とか竹田城が崩れたなら大問題だけど
こんな田舎の誰も知らないような城が崩れようがどうでもいいよ >>1
夜9時になると、「荒城の月」が、市内放送で流れる
落ち込んでいたときとか、さらに暗い気持ちになり死にたくなるからやめてほしい… >>40
後詰めって、要塞側の別動部隊ってこと? 同盟組んだ他藩主に包囲網を破る援軍を願うとかですか? 荒城の月の話題において
土井晩翠の影の薄さは異常
晩翠は仙台なのにさ >>41
包囲してる側がその間せっせと米とか野菜を農家から買い取って、終わったら退却ってことですか。じゃ藩主どうしで貿易すればいいのにね。領土拡張目的の合戦はいつ頃からなくなったんだろう。 日本には二百数十も城址があるのよ
一箇所ぐらいなによ >>4
なるべく早く修復すると書いてるだろ。
○○じゃんなどと言う言い方、バカにしているようにしか聞こえぬ。 >>8
日本のエリートのおかしな考えは何処から来るのだろうか 崩落っていうからもっとすごいの想像したけど写真見たら子供でも直せそうなやつでワロタ >>8
これムーのライターの作り話で大嘘だぞ
文部省の最初の唱歌が良くなかったのは歌詞が文語だったからで曲の問題じゃない
ドイツ国費留学はもちろん栄誉だし急遽も何も滝の都合で1年遅らせてる
>>13
鳩ぽっぽと雪やこんこんは滝版と文部省版(今知られてる方)は全く別の曲
歌詞は似てる部分があるが曲は全然違う 小規模でほっとした
入場料がいるちゃんとした観光地
竹田市の観光の中心で石垣がそびえてる
荒城の月今小学校で歌わないのか? 前もあったよな。
またコンクリで雑な修復するのかな? 今はインスタ馬鹿のお陰で但馬の竹田城のほうが有名だが
圧倒的な石垣の素晴らしさは豊後竹田城こと岡城の方が上やで スペインのあの婆さんに修復してもらおう。
欧風の城になって、観光客増えるかも。 なんか昔外人のギタリストが弾いてる映像見たことがある
ヘビメタとそういう類の人 >>45
いやいや、ここの石垣はほんとにトップレベルだぞ
竹田城並みの感動がある >>41
じゃ戦に注力するより田畑開発と品種改良して収穫あげて隣藩主と産物取引する方がよかったろうに、手っ取り早い暴力に訴えたのか。それで負けてたら世話ないね。 >>1
これで本物の荒城にまた一歩近付いたね!めでたい! >>20
現実的に軍事要塞として使われる恐れがあったのと、旧藩主の権威を破壊して、新政府に服従させるため
当時は内戦もあり、旧士族の反乱もあり、一揆もあった 戦国時代の大名って、後世の資料で読むとみんな公明正大な印象だが、端から、こいつらは大名語る暴力団だわーっていうのもいたんだろうね。そういう連中は歴史に残ってないのかな。 >>1
心配してスレ見に来て見たら全然たいした事なかった…
それよりコンクリートで補修した石垣どうにかしろよ
景観最悪だぞ >>45
一応、日本一の最強の石垣と評された事もあるで 荒城の月はメンデルスゾーンのスコットランドと似てる。
滝廉太郎が留学したのはメンデルスゾーンが作った音大。 >>81
ターキー廉太郎 ターキーって相良直美だったっけ あんま話題にはならないが
相当風情があっていい城跡だったぞここ >>8
>>24
大日本帝国は看板とは裏腹に
文部省や厚生省など
軍部の方がマシだったのかも? >>8
>>24
大日本帝国は看板とは裏腹に
文部省や厚生省など駄目駄目だったね
軍部の方がマシだったのかも? >>88
いい城だよね。毎年花見の季節には、酔客が何人か石垣の上から落ちるとか。 >>15
陰謀論もここまで来るとただの与太話だな。 数年前の豪雨の時も崩れてなかったか?
下から歩いて登るとけっこう坂がしんどくて竹の杖借りときゃよかったかなと思いながら歩いた記憶がうっすら >>56
曲は作曲したのが竹田出身の瀧廉太郎だから岡城とされてる
詞は土井晩翠の作詞で津若松城(鶴ヶ城)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています