実は、当時のドイツでは結核が流行していたという話がある。“なぜ、行けば死ぬ可能性が高い場所に行かなければならないのか? そんなに私が邪魔なのか?”――おそらく、滝はこう思っていただろう。そして“意図的に私をここへ追いやった”と。

そして、結果的に感染し、亡くなった。遺作『憾』には文部省の役人に対する怨念が宿っているといわれている。

それもそのはず、自身の作った楽曲が、あたかも文部省が作曲したと発表されたのだ。しかもアレンジされて。