【歴史】「邪馬台国はどこにあったのか」 考古学界で優位の近畿説に反論 九州説の「逆襲」相次ぐ理由は ★2 [ブギー★]
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中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する邪馬台国は、女王卑弥呼(ひみこ)の存在とともに多くの歴史ファンを魅了してきた。しかし、「邪馬台国がどこにあったのか」という最大の謎については、江戸時代以来、論争が続く。大きくは九州説と近畿(畿内)説の二つに分かれる中、近年になって相次いでいるのが九州説を唱える書籍の出版だ。考古学界では近畿説が圧倒的優位に立つ中、なぜ九州説の「逆襲」ともいえる状況が生まれているのか。【西部学芸グループ・上村里花】
https://mainichi.jp/articles/20200721/k00/00m/040/051000c
※前スレ
【歴史】「邪馬台国はどこにあったのか」 考古学界で優位の近畿説に反論 九州説の「逆襲」相次ぐ理由は [ブギー★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1595300860/ つか近畿とか後から墓作りまくっただけだろが?
あんなもん臭い玉にもあんだろがよwwwwwwwww
地名から九州だという結論は出てるんだなあ 世界 7不思議の謎の本書いてた人の
飛んでも理論が面白かったな 邪馬台国の邪とか、卑弥呼の卑は中国が蛮族に付ける漢字 そもそも考古学的には畿内が圧倒的に
不利なのに
馬鹿なの? 奇跡的に文字資料でも出てこない限りそりゃ断定は永遠に出来ない
ただ、考古学的には、当時畿内に既に九州〜四国〜東海にまで影響力を及ぼす巨大勢力があったのは確定的
それが邪馬台国かどうかってだけの話 豊橋だよ
かつての邪馬台国は、いまはヤマサでちくわ売ってる 前スレで俺の心の中にあると決まったんだが......
前スレ777をみてね 大和国それ即ち邪魔大国アル
天照大神な日巫女が統治してるネ 古代政権が育つ条件は、
台風と地震が少ないこと。
九州はないよ。 近畿邪馬台国と九州邪馬台国が合併した言う妥協案はあかんの? 尖閣か沖ノ鳥島にあった可能性もないとはいえないかもだから調査員常駐させろよ >>13
どこの世界の住人かな?
畿内説認めてないのはアマチュアだけ 箸墓古墳を調査すればなにか分かることあるのかな。
宮内庁だけは箸墓古墳の中に何があるか知ってるんだよな。 前スレ眺めてて思ったんだけど
邪馬台国と卑弥呼って邪とか卑を使ってるけど
大昔は良い意味だったのか? 皇室が知ってるが発言が無いことをみると都合が惡いらしい >>14
馬鹿の一つ覚えの庄内?
土器編年なんて外国からバカにされまく
ってるし、九州の放射年代ごまかすレベル
じゃ、学問とすら呼べない
真実は鉄も硯も神器も中国鏡もその他全部
九州出土
奈良など東北や関東より鉄がでない 【歴史】北部九州の発掘結果によると、弥生人の身体的特徴を最も雄弁に物語るのが、北部九州地方の甕棺墓等から出土する人骨です。
佐賀県の三津永田遺跡や吉野ヶ里遺跡、山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は面高で身長が高く、中国黄河流域や朝鮮で出土した人骨と同じ特徴を備えています。
一方、同時期の西北九州や東日本から出土する人骨は、そうした特長は見られず身長も縄文人同様の低身長です。
これらのことから、縄文時代晩期から弥生時代にかけて中国大陸や朝鮮半島から人々が日本列島に渡来したが、
渡来系の人々の数はそう多くなく、北部九州周辺に分布する程度であったことが窺えます。
<栄養状態が同一状態(発見時に飲食を共にする住居跡から発見されて状態)>においての遺伝子による渡来弥生人の身体的特徴を在来の縄文人と比較すると次のようになります。
縄文人 渡来人(弥生人)
顔 :彫り深い のっぺり
骨 :丸顔 上下に長い
目 :二重 一重
口 :ぶ厚い 薄い
男身長:158cm 169cm
女身長:148cm 155cm
体毛 :濃い 薄い
http://www.d-laboweb.jp/event/report/img/img_130723_02.jpg 邪馬台国の謎に決着をつける人物がいます
その名は 宮田愛萌 古事記よりも前に書かれた古文書は古墳の中にあったんかな
あんな分かりやすいかたちしてたら墓泥棒にとっくの昔に荒らされてるわな >>23
朝鮮半島含め全部邪馬台国だよ
当時は大きな国だった 邪馬台国と大和朝廷は別の国だと何度言えば分かるんだ馬鹿者 近畿説を唱えてる学者のほとんどが関西出身で笑える
全然説得力が無い >>1
天孫降臨→津島から弥生人が上陸
神武東制→弥生人による縄文人制圧
大和集権→弥生人の統治政権
この日本侵略をして原住民の縄文人ブチ殺したのが天皇一族
天皇一族が朝鮮から来たのは天皇自身が「朝鮮にゆかりがある」発言からも周知
そもそも現日本人の43/44は朝鮮人の遺伝子と同一
上記のことがあるから明治政府の一大プロジェクトとして国家予算の2/3を注ぎ込んで日韓併合した
自分の故郷だからあそこまで金注ぎ込んだのにガイジはファビョって聞く耳持たんし
国家予算の大半を使って朝鮮のインフラ整備する理由も未だにきちんと説明できない これは『日本』の話なのでアズマエビスには何の関係もない >>28
早速馬鹿が湧いてるなw
その言い方自体がすでに学問じゃないわ阿呆
学問にプロもアマもない。
あるとすれば「予算クレクレ」プロw 当時は超貧乏な土民しかいない超僻地だった
そんな限界集落に中国の使者が行くわけがない
魏志倭人伝とは九州のこと 邪馬台国は九州にあり、他の豪族の国と争ってた
そこで後ろ盾に漢に使者を送って後ろ盾に成って貰い倭の国王って位を貰った訳
“王”ってのは“皇帝”の下の位で、今で言う県知事的な位だからな
邪馬台国と争ってた豪族の1つが大和朝廷の全身の国 【歴史】えのころ飯(えのころめし)とは薩摩地方で江戸時代ごろに食されていたとされる料理。
内臓を抜いた 仔犬の腹 に米を詰めたもの。大田南畝の『一話一言補遺』に
「薩摩にて 狗 を食する事」として、以下のように紹介されている。
薩摩にては、狗の子 をとらへて 腹を裂き、(中略)、米をかしぎて腹内へ入納、
針金にて堅くくくりをして其まま竃の焚火に押入焼なり、(中略)
納置きたる米よくむして飯となり、其色黄赤なり、それをそは切料理にて、
汁をかけて食す、味甚美なりとぞ、是を方言にはゑのころ飯といふよし、
高貴の人食するのみならず、 薩摩候へも進む(後略)
九州全般において一種の薬食いとして、赤犬などの犬肉は食べられていた。また九州ではコウモリやネズミなども食べられていたとある。 朝鮮や中国との関係を考えると九州のほうがあり得るんじゃないか >>43
日本の支配下だったのは、朝鮮半島の東側だけだ (1) 古来より日本は統一国家である
(2) 古来より畿内は日本の中心である。
このファンタジーを脱却しない限り、
邪馬台国論争を含め、客観的な日本古代史の研究なんてできないよ。 邪馬台(臺)国なんてないんだよ
あったのは邪馬一(壹)国な 人は記憶型と思考型に大別できる
────────────────確定
帯方郡(平壌の南)
狗邪韓国(順天、海 7千里)
対馬国 (対馬、海 千里)
一大国 (壱岐、海 千里)
────────────────九州北部
末廬国 (海 千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東 百里)
────────────────不明
投馬国 (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)
上記の内容で海千里がどのくらいの距離かが確定できる
対馬の前後を考えればいい
60km〜80kmで1日の行程、これが海千里 邪馬台の本来の発音はヤマト それなら畿内が有力者だが、佐賀県に山門(ヤマト)という地名があった。その周りの地名がほぼ同じで位置関係で纒向遺跡の周りにある。
なんらかの理由で近畿に引越しした? 私は敢えての東北説を唱えたい。東北こそが日本の起源であり中心。東北以外の下等地域は東北にひれ伏すべき。 >>61
ほんとこれな
九州と畿内にはそれぞれ国交がほとんど無い別の国が存在したと考えるべき
そもそも大和王権は4世紀の頃にまだ九州制圧できてないのに
3世紀の卑弥呼の頃になぜ九州を従える邪馬台国が畿内にあったと思えるのかが理解できないなら >>26
三國志の魏志倭人伝には
朝鮮半島の海を渡った先に
邪馬台国があったと書いてある
だから福岡か佐賀のどっかにあったと考えるのが自然
わざわざ奈良や京都まで船で来ない >>14
その論調でいくと、九州にだって同じ事が言える
それに時代をもっと遡ると出雲はどうすんだって事になる 私は考古学には素人だが、素直に考えたらよくない?
邪馬台=ヤマト と。
なんでわざわざ「ヤマタイ」なんて読まないといけないのか?
ただ単に、日本の正式な歴史書である古事記にも日本書紀にも「ヒミコ」に相当する女帝の記述がないから
どうしても「邪馬台国」と「大和国」とを別ものと考えたいのじゃないのか?
>>34
おう、やっぱ朝鮮半島由来の兄の国からきたもんな! 魏誌倭人伝にある邪馬台国は間違いなく九州。そこはどうしたって否定出来ないし考古学的にすら近畿説の材料もない
その後すぐのプレ中央政権としての邪馬台国≠大和は近畿で間違いない
神話を神話=創作としか見てないと近畿説みたいな不合理な説が罷り通る 宇佐〜畿内の瀬戸内海ルートは新しく来た渡来系が多い
かなり早い時代に畿内まで渡来系の氏族が渡ったのだろう
また、糸島には天日槍の伝承のある神社が残っている 魏の使者「あれなに?」
日本のある国の人「山たい!」
魏の使者「おまえら邪馬台国な」
よって福岡だよ 【邪馬台国の詳細】
四方に海あり→四方が海に囲まれている
東西五千里→西から東までの距離
山に丹あり→辰砂が採れる
牛馬なし→牛や馬がいない
金印をもらった→金印(未だ未発掘)
卑弥呼の塚は計百四歩→近くに墓あり
近畿って周りに海あったっけ? 朝鮮半島に近い九州が文明の輸入に有利であったことは事実だろうけど
洪水や台風の自然災害が多い点で大集落を築くことができたのかなあと思う 倭人伝をどう読んでも九州から出ていないのに近畿の訳がない
地名すら出て来ない >>66 の続き
沿岸航行だから日が昇って沈むまでに港に入らなければならない
当時の船の時速6kmぐらい?
よって80kmぐらいがギリギリ >>61
巻向遺跡から九州の土器や朝鮮の土器が見つからなかった時点で機内説は死んだ
巻向からは出雲吉備伊勢北陸東海東北の土器しか見つかってない
朝鮮九州地方と機内中国地方には交易すらできないような軍事国境があったのは自明だわ そもそも敵対部族に獣の名前を付けて蔑称で呼ぶのが当時の日本の文化
熊襲、土蜘蛛、隼人、狗奴、邪馬と・・・
つまり大和朝廷から見た敵対部族の事 >>74
後の時代の隋書ではわざわざ「邪馬台国はヤマトですよ」と解説してる
が、「天皇陛下の子孫があんな土人なわけがない」と江戸時代にむりやりねじ曲げたからややこしいことになってる >>45
関西出身者ってどうやって調べたの?(苦笑)
あるのなら根拠となるデータを出してみ? 大体日本の東大だの京大だの全国の大学の考古学者や日本民族研究家のほとんどが在日馬鹿チョン達
馬鹿チョン達のエベンキルーツを誤魔化し工作する為に在日馬鹿チョン達都合の日本民族歴史すり替え工作
もう既に邪馬台国が四国剣山にあったことはアメリカのGHQすら知ってたわけで
戦後の日本で仁徳天皇陵と四国剣山にあった遺跡や遺物やミイラを既にアメリカ政府管轄の博物館へ収納されてる実態
邪馬台国は四国剣山にあって九州だの近畿だの全くのデマ
邪馬台国はヘブライ語でマタイの国
マタイはキリスト十二支族の人々という意味で
邪馬台国が沖縄へ渡来した南ユダ王国のユダ族の人々こそ邪馬台国の民
馬鹿チョン達が仕切りに神功 応神 継体 天智 天武の達を持ち上げて
朝鮮から日本へ渡った天皇家と繋げたがっているが
そもそも応神天皇達は朝鮮半島に居たわけでもなく百済や新羅とは何の関係もない
中国東北部に居た
中国九夷の畎夷・于夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷の9部族
メソポタミアから離れたヘブライ人達の北イスラエル王国内の9部族ら応神天皇達
中国東北部から日本へ逃げて来たルートが朝鮮半島を通っただけでしか無い
しかも彼らは漢字を使ってたわけで当たり前だが百済や新羅のハングルを使ってたわけでもない
だからこそ応神天皇達が日本へ渡った際にヘブライ語のセム語の漢字が日本へ入ってきたわけだから
応神天皇達は北イスラエル王国の部族で本来の天皇家の血筋では無い
本来はダビデの血筋の南ユダ王国のユダ族部族のセゼキア王の息子のインヌマエル王子の神武天皇こそ本来のスメラノミコトの天皇家の血筋
紀元前711年に南ユダ王国で生まれイザヤと共に船で海ルートで沖縄へ渡り紀元前660年に51歳で大和王権を建国してるわけで
応神天皇達は本来の天皇家の血筋では無く
馬鹿チョン達が主張する朝鮮つながりの天皇家には全く当たらない
海ルートで沖縄へ渡来した南ユダ王国のユダ族のダビデの血筋の神武天皇とは全く違う
在日馬鹿チョン達の日本民族歴史すり替えの誤魔化し工作はバレバレ >>61
大和朝廷は中国地方から近畿に移動したと考えるのが妥当なんだよな… 所詮19世紀までエベンキ語を話し苗字すらなく
しかも日本政府からハングルを勧められしよう
石器時代さながらの馬鹿チョン達を救ったのが日本
馬鹿チョン達は妄想の作り話で馬鹿チョン優秀列伝でホルホルして歴史事実を無視しても事実は変わらないだろ馬鹿チョン
実際の馬鹿チョン達の歴史は
1万年前〜12世紀→ウラジオストク辺りに居たシベリアエベンキわい族
946年→白頭山噴火の影響で朝鮮半島からシベリアに掛けて無人地帯に
シベリアから朝鮮半島にエベンキわい族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリアエベンキで
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない 対馬、壱岐、松浦、伊都、奴、不弥までは九州北部で確定でしょ。
そこから一気に畿内にワープはあり得ないだろう。 九州や山陰西部には倭国大乱の痕跡が山のようにあるのに近畿地方には倭国大乱の痕跡が皆無
そもそも当時の近畿地方には鉄がほとんどなかった
当時の近畿地方は倭国大乱とは無縁の地
倭国大乱とは無縁の地に邪馬台国があるはずかない >>83 の続き
末廬国までが海1万里だから水行10日になる
ちょうど合う
邪馬台国(南に水行十日、陸行一月) 大体本来はダビデの血筋の南ユダ王国のユダ族部族のセゼキア王の息子のインヌマエル王子の神武天皇こそ本来のスメラノミコトの天皇家の血筋
紀元前711年に南ユダ王国で生まれ紀元前660年の51歳で大和王権を建国
馬鹿チョン達が仕切りに神功 応神 継体 天智 天武の達を持ち上げて
朝鮮から日本へ渡った天皇家と繋げたがっているが
そもそも応神天皇達は朝鮮半島に居たわけでもなく百済や新羅とは何の関係もない
中国東北部に居た
中国九夷の畎夷・于夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷の9部族
メソポタミアから離れたヘブライ人達の北イスラエル王国内の9部族ら応神天皇達
中国東北部から日本へ逃げて来たルートが朝鮮半島を通っただけでしか無い
しかも彼らは漢字を使ってたわけで当たり前だが百済や新羅のハングルを使ってたわけでもない
だからこそ応神天皇達が日本へ渡った際にヘブライ語のセム語の漢字が日本へ入ってきたわけだから
応神天皇達は北イスラエル王国の部族で本来の天皇家の血筋では無い
本来はダビデの血筋の南ユダ王国のユダ族部族のセゼキア王の息子のインヌマエル王子の神武天皇こそ本来のスメラノミコトの天皇家の血筋
応神天皇達は本来の天皇家の血筋では無く
馬鹿チョン達が主張する朝鮮つながりの天皇家には全く当たらない
海ルートで沖縄へ渡来した南ユダ王国のユダ族のダビデの血筋の神武天皇とは全く違う
在日馬鹿チョン達の日本民族歴史すり替えの誤魔化し工作はバレバレ >>84
なのに畿内産の庄内式土器は九州各地で出ているという矛盾w そもそも一次資料の一文1つであれこれ言うのが間違いなんだよ
その一文が間違ってる可能性を考えてない
複数の一次資料に同じく書かれてないとソースとしての信憑性は薄い >>100
それ2世紀じゃないだろ?時期がずれすぎ
2世紀の話をしてもらえないか? >>72
ちゃんと読んでみ
韓は帯方郡の南、東西は海で南は倭と接すると書いてあるから >>33
日本に関西というのは本来ない。
朝廷が拠点にしてた畿内と周辺に近国があって
江戸時代、関東・江戸の徳川は畿内・五畿(大和、山城、摂津、河内、和泉)と
東山道の近江、山陰道の丹波、山陽道の播磨を含めて上方筋と言ってた。
明治になって畿内と周辺の一部近国を含めて近畿地方と言うようになった。 >>95
隋書でもいきなり九州からワープして畿内に入っている ネットの素人が毎度九州説とか大騒ぎしてて見てて笑える
UFO信者が天文学の話題に乱入して喚いてるみたいなもんだからなw 邪馬台国=大和王朝ってのが無理があるわ
大和は天皇系で邪馬台国を滅ぼして邪馬台国の象徴だった出雲神話をパクったんでしょうか 日本における民族の創造──まつろわぬ人々の視点から 岡本雅享
日本人の「民族的起源」に関する数多の論考は、太古の昔から民族が存在したかのように述べているが、「民族」という言葉=概念を持った近現代人の発想で過去を投影しているにすぎない。
そうしたやり方は、民族という概念がなかった時代の人々に、あたかも民族という意識やまとまりがあったかのような錯覚をもたらす点で、現在につながる過去、過去の上にたつ現在を見誤らせるものとなる。
「大和民族」という言葉を流行らせたのは、雑誌『日本人』を創刊し、国粋保存主義を高調した志賀重昂だと述べている。
その志賀が「大和民族」という言葉を初めて使ったのが、筆者の知る限り、前述した1888(明治21)年 4 月の『日本人』第2 号だ。それ以前に、大和民族という民族集団も民族意識も存在しない。 >>38
邪馬台国って本来中国の文献で書かれているので
読み方は古代中国語になるんや
現代日本語では読まんのや では大和民族はどのような民族として構想されたのか?生みの親である志賀は奇妙なほどその由来や起源を示していないが、
ただ1904年出版の『地理教科書』で「大和族最も多数を占め」「琉球人は大和族と異なれり」と記述していること(「住民」「種族」の箇所)から、志賀がイメージした大和民族の枠組みを、ある程度知ることができる。
大和民族と同義の概念に天孫民族があるが、この用語の初出はまだ分からない。松本芳夫『日本の民族』(1954年)は、第 1 部 2 章「天孫民族について」で、
「天孫民族はまた大和民族と称され、日本民族構成の主体をなすものとせられ、その由来を論ずる場合、まず神話をよりどころとなすのである」と記している。
その神話とは記紀─古事記(712年)と日本書紀(720年)─の神話を指している。 戦前の「日本民族」は、大和民族、
出雲民族、蝦夷、アイヌ、熊襲、隼人など、多種多様の民族による「混合民族」「複合民族」であると概念付けられていた。
例えば
『古代の内鮮関係』(1937年)は、「日本には昔色々種族が多くありましたが、最も大きなものが四つあります。天孫、出雲、蝦夷、熊襲である(後に加わったものには漢種族、韓種族もあ
る)。この四大民族が結合して今日の日本民族をなしておる」と記している。
2007年 2 月下旬、「根っからの京都人」を自称する伊吹文科相の口から「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実」「極めて同質的な国」「一つの民族が多くの国民を占めている」
という発言が飛び出すと、インターネット上では、蝦夷や熊襲、隼人等の視点からの異議・批判が少なからず表れた。
大和民族やアイヌ民族を混合民族の中から取り出すことになれば、その他の民族も、元のルーツに従って分けだしていくことになる。 >>1
纒向遺跡からは九州の土器が見つかってません
九州諸国を支配した邪馬台国が畿内にあったわけがない ちなみに、当時の中国人は????と聞いて邪馬台国と字を与えた。
???と聞いて卑弥呼と字を与えた
とあるが、????と???はヤマタイコクとヒミコではない。
????は現代の中国語の発音では何と言ってるかは解らない。
中国でかつてあった上古音(秦周の中原の発音)である。
もちろん秦は滅亡しており、その正確な発音は解らない。
中国語の歴史音韻論は、すでに200年以上の研究があり、現代音(清朝中期以降の北方の発音)、中世音(元明の北方の発音)、中古音(隋唐の中原の発音)、上古音(秦周の中原の発音)が、各時代の韻書の記述や詩の押韻を調べることによって、かなり正確に復元されている。
上古音に関しては、チベット語など同系言語との比較言語学的方法によって、研究が進められつつあった矢先、習近平率いる中国共産党による、チベット・ウィグル弾圧により、その研究もストップしているらしい。
むしろ邪馬台国や卑弥呼が昔の中国では何と発音されていたのか、チベットのタイムリミットが迫る中、早急な研究再開が望まれる。 2008年 6 月 6 日、国会が「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を採択すると、政府は即日、官房長官談話を発表し、アイヌ民族が「日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族である」と認めた。
その後、インターネットを検索すると、この決議・談話に関連する記述の中で、大和民族という言葉が、雨後の竹のごとく表れていた。ざっと見た限りでも、「大和民族こそが日本の先住民族だ」という論調が、複数見られた。
アイヌ民族が先住民族と規定されたことで、では自分達は何なんだと思い至った人たちが、大和民族という概念に拠り所を見出そうとしている、そんな感じを受けた。
民族を曖昧にし、単一といいながら、単一なる民族が何民族かもごまかしてきた日本で、アイヌ民族の先住民族としての独自性を認めたとたん、それに触発されて、大和民族意識が噴出してきたのではないかと思われる。 まつろわぬ人々の復権
前述した伊吹文科相の「大和民族歴史的統治」発言は、「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実」という歴史認識を承認するのか、
「大和民族が多くの国民を占めている」という民族意識を共有するのか(いったい誰が大和民族なのか)、という日本人のアイデンティティの根本に関わる重要な問題を提起している。
筆者は首都圏に10年以上住んだ後、九州に移住し、この地の人々がアイヌや沖縄の存在を挙げるまでもなく、日本が単一民族だなどと思っていないこと、
熊本出身の大学の同僚が「私は熊襲です」とさらっと言ったり、「宗像族」と題する講演会があったり─そういう中で、日本人自身が多様なエスニック集団の集合体であることに気づくようになった。
東北でも、蝦夷の末裔という意識が存在しているようだ。東北学の創始者・赤坂憲雄氏は、蝦夷の族長アテルイを描いた小説『火怨』(講談社)の作者・高橋克彦氏との対談で、
「岩手では、お前は蝦夷の末裔なのだから誇りを持て、と祖父に教えられたという人に何人も会っています」(2000年)と語っているし、高橋氏も「自分が蝦夷の末裔だと思っていても、それを口にしなかった人たちが最近言い始めた」
「蝦夷の末裔だと胸を張って言える人が出てきたのは、ここ15年くらい」(2003年)と応えている。 >>97 の続き
よって末廬国から陸行一月の処に邪馬台国があったと推定できる
で、陸行一月tろどの程度の距離かだ
以下で陸行7日を消費してると考えられる
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東 百里) >>86
>後の時代の隋書
二次資料で騙る馬鹿発見w 記紀神話に由来する大和民族には当然、記紀に登場しない琉球やアイヌは含まれない。
そのアイヌと沖縄には、大和と異なる創世神話があるが、出雲にもオミズヌ神が「国引き」によって創った国という独自の創世神話がある(出雲国風土記)。
したがって出雲は、現在の日本の中で、沖縄や北海道とともに、イザナギ・イザナミが創った(倭)国ではないことになる。
大和民族という民族的枠組みを設定すれば、この出雲とともに「まつろわぬ人々」とされた蝦夷や熊襲も、大和と同一の民族とはなり得ない。
さらに出雲と連合していたという越、筑紫、宗像などの存在も考えると、大和民族が国民の多くを占めるとは決していえないのである。 >>31
シナ人が蛮族の発する音声に当てる漢字に良い意味の漢字を使うと思うか? >>33
残念ながら九州にそれなりの勢力が有った時には既にそれ以上の人口と勢力が近畿にも有った
仮に九州の勢力が邪馬台国だと称してたとしても大和の主な支配者は近畿の勢力に代わりはない
個人的には倭国大乱が収まり近畿を中心とした連合国家的なものが形成されその頃九州にきた魏の使者が九州の統治者におもてなしされて大和の支配体制と九州北部近辺の様子を見聞きして書き伝えたものが魏志の倭人の章だと思ってる 1億年前・・・知的生命体10代目発生、放射性物質や遺伝子を自由自在に操り、最後に核兵器とウイルステロで滅びる
2億年前・・・知的生命体9代目発生、放射性物質や非DNA型生物を自由自在に操り、最後に核兵器とウイルステロで滅びる
3億年前・・・知的生命体8代目発生、素粒子や非DNA型生物を自由自在に操り、最後に宇宙戦争で滅びる
4億年前・・・知的生命体7代目発生、素粒子や非炭素型生物を自由自在に操り、最後に恒星間移動を果たして移住する
5億円前・・・以下同様 奈良の大和王朝って4世紀5世紀に何度も九州遠征してるよな?
奈良の大和王朝が3世紀に九州を支配してたとは思えない 頭蓋計測値の地域差
東京大学の埴原和郎は、あらかじめ計測の項目と方法を十分検討して統一をとった上で、一斉調査を実施した。
その結果は、地域別に集計され、昭和五六年に「現代日本人頭骨の地理的変異に関する総合調査報告」として発表され、広く人類学関係の研究者に配布されている。
この総合研究の推進者であった埴原は、この尨大なデータを多変量解析で分析し、日本人頭蓋の地域差をもっとも単純な一次元の座標上に要約した図を発表した。
ここでも近畿はアイヌともっとも遠く離れた位置にあり、関東がややそれに近く、東北・北陸・九州が比較的アイヌに近い所に位置している。 最近はわりと早い時代から西日本全域で国家連合があったという説が主流
半島にも弥生中期の倭人の痕跡があり、交易ルートが確立していたようだ 池田・多賀谷の多変量解析
京都大学の池田次郎は、多重判別分析という方法を、さらに生体計測値にも適用した。全国の多くの研究者によって報告された、北海道から南西諸島にいたるまでの七〇〇以上の町村の成人住民に関する計測データを集め、
このうち計測誤差の少ない六つの項目をえらんで地域ごとに集計し、判別関数を計算したのである。
それによると、日本列島の集団はまずアイヌ、本土人、南西諸島人の三つに区別される。そのうちアイヌと南西諸島人には、肩幅が比較的広く、頭長に比して顔高が低いという共通性がある。
本土人の中では南九州がやや特異である。のこりの本土人はさらに、近畿・東中国・東海・南関東と、奥羽・北陸・信越の二つに区別される。
東北南部・北関東・西南日本はこの両方の中間である。本土人のうち近畿は、アイヌ・南西諸島人ともっとも対照的な特徴をもっている。
日本列島を七つの地域集団にまとめると、本土の四集団は比較的よくまとまっており、アイヌと南西諸島と本土集団では南九州が、その右側にややはなれて散財している。また、奥羽・北陸が比較的アイヌに近い。 3世紀には近畿から九州の一部がすでにヤマト国
クナ国は熊本 ワイの中では邪馬台国は九州
奈良の大和政権とは全く違う国と結論が出てるんや レヴィンの日本人研究
調査の対象となったのは、日本人男性一万三〇〇人。年齢は一八歳から四九歳までであるが、大多数は二〇歳から四〇歳まで。年齢の平均は二七・八である。
比較的よく地域差傾向を示す例として、顔高の分布がある。これによって、顔高の高い地域が近畿地方から東海をへて関東南部にのびていることがわかる。
ひげの発達度の平均評点の地方差をみてみると、平均評点のいちばん高いのは琉球、いちばん低いのは朝鮮である。それ以外では北海道と九州がやや高く、近畿・中国・四国が比較的低い。
次に蒙古ひだの発達度をみると、ひげの場合とはちょうど反対に琉球でいちばん低く、朝鮮で最高である。のこりの地域では、近畿・中国が高く、次いで関東が比較的高い。
レヴィンはさらに、四七都道府県の相互間について、一二項目の形質により、一種の総合的な距離を求めた。
その結果、まず琉球がほかの地域ととくにへだたっていること、それにやや近いのが鹿児島と宮崎であること、
北海道と青森がひとつの地域群をなすこと、東海から関東にかけての地域が日本人の平均型にいちばん近いこと、
近畿地方では平均的日本人にくらべて短頭、狭鼻に傾き、モンゴルひだが多く、ひげが薄いこと、
四国と山陰の鳥取・島根では、ほかの地域にない独特な形質の組みあわせがみられること、などを明らかにした。 >>111
出雲神話はシルクロード繋がりで日本に渡ってきた北欧ギリシャ神話だからな…
だから日本には縄文人、弥生人と呼ばれる2タイプのDNAが存在し
その2つはシルクロード繋がりで日本に渡ってきたギリシャ人と
インド経由で日本に渡ってきたエジプト人(ユダヤ人)
だから日本人の足型はギリシャ型とエジプト型に二分されてる 纒向遺跡からは九州の土器が見つかってない
少なくとも纒向遺跡や箸墓古墳の王朝は九州の小国連合とは関係がない >>128
九州は中世の記録でも辺境の貧しい地域扱いなんだよな
但し、大陸の玄関口で大陸の人間はその先には滅多にいかなかったから地理がよく解っていない
だから元寇はわざわざ防塁のある博多に突っ込んでる >>70
それは正しい
もっと古くの時代の縄文期
九州は鬼界カルデラの噴火でまるっと焼け野原になり
近畿ー関東は九州の山ならびに富士山の噴火により文明が大きく育たなかった
そこ
そんな中日本で1番最初に大きく都市化し成長し他と交易もしたのが東北三内丸山
最初の国が東北じゃ都合が悪いから国じゃないーって事になっている
国じゃない何かの日本初巨大都市三内丸山遺跡 そもそも邪馬台国が実在したのかどうか。
魏志倭人伝以外の史料がないんだろ。 >>118
また、これは都市伝説ではあるが
その秦国は滅亡せず当時交流のあった邪馬台国に逃げ延びたとも言われている。
逃げ延びた地が京都の太秦と言われている。
この都市伝説が正しいなら近畿節の信憑性も高くなる。 >>114
古代中国語だとどう読むの?
ちょっと読んでみて 大川隆法総裁は何度も卑弥呼を降ろしてるぞ
今度聞いてみろよww >>135
そして大和王朝は黒歯国
黒歯文化は奈良時代平安時代から明治時代まで確認できる さすがにここまで妄想めいたことは現在はないですよ
在日の方々は願望を歴史にすり替えるとはいえこの種類は30年に消えてるでしょう?
>馬鹿チョン達が仕切りに神功 応神 継体 天智 天武の達を持ち上げて
>朝鮮から日本へ渡った天皇家と繋げたがっている 神武天皇からして九州から来てるんだから
九州の氏族の方が本筋なんだろ
大和は豊かだけど格下の時代があるから7世紀以前の記録を燃やしたと思ってる そもそも読み方が間違ってる
臺 たい であって と とは読まない >>142
平安時代は東北秋田の港が日本最大級の貿易港だったからな… 魏志倭人伝の距離と方向性から、
沖縄という説もあるようだ。 >>16
ちくわの中身を覗いたら邪馬台国が見えるかもしれない 神武天皇の伝承って、吉備に10年近く居候してた後畿内の有力豪族に婿入りする話だよ
神話からして武力で侵攻した話じゃないという >>144
史料はあったんだけど唐の時代の戦乱で散逸してしまった 毎日新聞西部版(九州)にしか載らないローカル記事だからね
よそものが文句を言ってもしょうがない >>151
神話に関しては九州からとかじゃなく宇宙からだから
はじめにどこから降りたかというと京都宮津にある天橋立。伊勢神宮も引っ越すまでは元はここだし 3世紀頃のことが全く分からないって情けないよなあ
中国はそのころ三国時代で、腐るほど書物が残ってるというのに >>147
秦国は既に滅んで正確な発音は不明
チベットの人たちが当時の発音と近いらしく研究されてたが
今はストップしている>>118 畿内説とかファンタジー
なんでわざわざ近畿まで陸路で行くんだよ
大陸から九州に船で来る技術があって、小国に別れている地域を陸路で進む理由がわからない
街道もろくに整備されていなかったろうに
小国でも軍隊はいるし、山道は山賊いるぜ
船で来る人数は限られているだろうし、貢ぎ物とか特使とか護衛しながら陸路を遠距離進むのは自殺行為
たとえ九州に寄港したとしても、船があるんだから邪馬台国が近畿にあるなら普通は畿内の近くの上陸できそうなところまで船で進む >>157
そもそも軍を整えたのは吉備からだもんな
大和王権は出雲や吉備から始まったんだろうな >>100
纏向に列島各地の土器が集まるのは推定卑弥呼の死後の中央政権創成期である290年以降で庄内式土器も存在している
一方、九州で出土される庄内式土器(北部九州と近畿でしか出土しない)は200年代後半以降に破棄されたものばかり
そもそも庄内式土器は九州の物であり、なぜ破棄されたのか、そしてなぜ近畿には200年代後半以降もあったと思われるとの思考に至らないのか不思議でならん ふつーに邪馬台国は環濠集落のある九州だろ?
畿内には戦乱が起きてないから邪馬台国の舞台とは思えない
鉄の供給がない機内が九州の戦乱を抑えられたとも思えない
>>164
卑弥呼の頃は出雲吉備大和と九州は完全に別の国だと思うわ >>127
それ考えると帥升って稀有な例なのかな? >>1
しかし、
九州説を唱えたかったなら、
「神武東征」を完全に否定する証拠を挙げない限り、無理だな。
何しろ、卑弥呼が日本の歴史に登場したのは、神武東征の900年後だからな。
神武東征で、すでに日本の都「ヤマト」は、近畿に確定している。 どうでもええわ
どうせ槍でイノシシ狩ってた土人集団の集まりやろ >>161
魏の国の門も町も当時のままに残ってるからな
普通に焼き払われたんだろ 中国の学者に魏志倭人伝を読ませるとみんな九州って答えるんだよな
畿内説の誤読というか願望読みがいかに酷いかということ 邪馬台国は徳島だよ
記述がすべて徳島の地理に合致する >>164
吉備や出雲、北部九州あたりの勢力が祭祀の中心として共立したんだろう
恐らくその前の時代の伊勢遺跡なんかとも関係がある >>1
時系列の概念を持たない奴らが畿内と言い、倫理的思考の欠片もない奴らが九州と言う
どちらも間違ってるんだから、二択で争ってたって永遠に結論は出るはずはないw >>171
あんまり言いたくないけど神武が仮に実在したとしても紀元後1世紀から2世紀だぞ? ●邪馬台国=ヤマト国=出雲王朝である
倭人とは正しくは和人であり、正しくはヤマト人と発音する
大和とかいてヤマトと発音するのもこれが由来である
ヤマト人が住む国の名前をヤマト国と言い
その当て字を邪馬台国と書く
ヤマト国(邪馬台国)がどこにあったかといえば、
それは今でいう出雲王朝に他ならない
●国譲り神話は、出雲王朝が滅ぼされた話である
天津神が高天ヶ原からやってきて国津神に国を譲れとせまった
国津神ははじめ難色を示したが、相撲を取って決着をつけた
勝ったのは天津神であり国津神は国を譲ることにした
国津神は立派なお社を建ててくれと天津神に頼んだ
天津神はそれを受け入れ、さらにこう言った
国津神よ、あなた達は死者の国を治めよ
天津神はこの現世を治めることにする
妙にホンワカしたお伽噺風になっているがこれは
・外国から武力侵攻を受けて出雲王朝は大敗
・日本の統治権(王権)は外国の進駐軍のものに
・出雲王朝の一族郎党は虐殺され死者の国に送られた
ということを示している
「国譲り」とは正しくは「禅譲」なのだ
禅譲とは、中国で王朝が交代するときに行われるもので
戦争に勝った側が負けた側に王権を譲らせる屈辱的な義j式である >>173
まじで?どこに残ってるの?
見に行く。 >>169
邪馬台国じゃ無くて大和王権の話な
倭人伝を読めば狗奴国こそ大和王権にふさわしい 邪馬台国は九州で興って大和に遷ったで良い
丸く収まる もし近畿にずっとあったなら、
神武東征などのファンタジーを盛り込む必要はない。
つまり元々九州にあって、それが滅亡してて、
近畿で政権クーデターをした中大兄が、
正統性をねつ造するために滅んでた九州系を利用したまでのこと 邪馬「臺(台)」国じゃなくて邪馬「壹」国だもの
ヤマタイ国と言い換えた奴が悪い 九州説の本なんて
例えば
「信長は本能寺で死んだ」
こんな本売れへん
そらそやん
「信長は九州で死んだ!」
え!まじで!
ってなるやろ
それだけの話やんw 狗奴国はどこなんだろうな
久努国造で東海の勢力という話もあるが 邪馬台国は中国か朝鮮
昔も今も神の国に憧れて入ってきていた 水行何日とかは、北部九州が水浸しだったんだと思う。 >>176
日本書記の神代は出雲神話が多い
やっぱり出雲が大和の故郷だと思うわ ●ヤマト王権は出雲王朝から唐の進駐軍にすり替わった
出雲王朝(ヤマト国)を滅ぼしたのは中国の唐である
唐は今でいうアメリカのような覇権国家である
唐は朝鮮の高句麗と戦争中で、高句麗を挟み撃ちしようと新羅と同盟
新羅はその見返りとして百済を得るために唐と一緒に攻撃を開始
ヤマト国は百済に権益を持っていたため百済を守るため兵を派遣
こうして、朝鮮半島を舞台に世界大戦が勃発した(白村江の戦い)
そしてヤマト・百済連合軍は唐・新羅連合に大敗
唐軍はそのまま日本本土へ武力侵攻し
出雲王朝(ヤマト国)を滅ぼし「国譲り」が行われ
ヤマト国の統治権は唐のものになったのである
分かりやすく言えば太平洋戦争で大敗し
GHQの支配下に入ったのと同じことが大昔の日本で起きていたのだ
GHQが教科書を書き換えたようにして
唐の指導で日本書紀、古事記が編纂された
GHQが日本国憲法を作ったようにして
唐の指導で大宝律令が制定された
当時の唐の指導者が則天武后であり、
当時の日本の天皇は天武天皇なのは偶然ではない
そもそも「天皇」という制度さえ、この時に作られたのだ それは重要な事ですか?なぜ重要なのか、邪馬台国が畿内か九州か他なのか卑弥呼は男か女か
昔は興味あったけど今ではどうでもいい日本のどこかに存在してたのか位で >>142
人種としては九州の方が古いけどな
三内丸山は遼河文明で大陸から来たウラル系民族が作った遺跡
アイヌも沖縄方面から最後に北の果てにたどり着いた新参者 >>127
詳しいことは知らないけど
字面だけ見て頭に邪と卑をつけられてると卑称に見えるんだよね
卑しい巫女みたいな感じで >>182
それは絶対にない
邪馬台国は鉄を朝鮮半島から手に入れてたけど
残念ながら2世紀段階の機内王朝には鉄の供給源がない
鉄がない軍事弱国は鉄の武器を持つ九州邪馬台国とは対等には戦えない
狗奴国はかなりの軍事強国だから話が合わない >>194
違う水行で渡ったのは有明海
筑後地方に邪馬台国と敵対するクニがあったから佐賀から有明海を船で進んだ つい数ヶ月前にBSHOPで特集番組放送してたよ
九州説の奴
九州北部の地名と読みが似てて位置関係も大体似てるって奴
このスレに見た人いないの? >>179
アンタ、韓国人かい?
日本人で、こういう方面の歴史に関心がある人間なら、
神武が近畿にある都「ヤマト」で即位したのは、紀元前660年2月11日と普通に知ってるぜ。 >>204
九州は中国とかヨーロッパの経由地に過ぎないじゃん 狗奴国と対戦するにあたって魏王のお墨付きをもらいたいと願い出て、
軍旗や鏡や金印もらったはなしだろう。
こっちは魏王のバックがあるんだぞ!と。
そうなると、狗奴国も魏の力を恐れていたことになるね。 >>29
箸墓を二分の一にコピーして作られた黒塚古墳からは
難升米(卑弥呼の死者)に送られたとされる黄旗の金具と思われるまのが出土している >>202
鉄はないけどあんだけ巨大古墳作れりゃ卑弥呼も真っ青だよ 伊奘諾が天橋立から降りてきて
海を割って道を作った先に伊勢神宮を作った。
いまは元伊勢と呼ばれてあまり人もこないみたいだが >>201
ちなみに倭の国の倭って卑しい者って意味で
それを知った日本人は和に改めた
大きな和の国でヤマトの宛字にしたとされてる もし瀬戸内を船で進んだのだとしたら、途中の事が書いてあるべきだろう。 >>210
> >>202
> 鉄はないけどあんだけ巨大古墳作れりゃ卑弥呼も真っ青だよ
巨大古墳の年代が問題じゃん >>192
熊本あたりじゃね?
大和王朝が九州で苦戦した熊撃の国じゃないかな? 邪馬台国のエビデンスは
邪馬台国が登場する倭人伝しかないだろ
その倭人伝に
帯方郡から邪馬台国まで12,000里
帯方郡から九州上陸まで約11,000里
と明記されている。
畿内まで届くわけがない。 邪馬台国も後の大和も「ヤマト」の当て字だよ
大陸の中華の帝に謁見した時に、ヤマトから来ましたと聞いた中華側が当てた漢字が「邪馬台」
こっちが漢字を輸入して操るようになってつけた漢字が「大和」 九州だろ
日本にいる地方の豪族の一人が卑弥呼そいつらがチャイナに行って力を得ようとした
本州の有力な連中と戦うために
って思ってる >>185
捏造ってわけでもなかろう。単なる事実に過ぎん
卑弥呼=天照。ニニギ=天照の血の繋がらない孫。神武=ニニギの血筋で九州へ降った豪族→中央での政争に介入、または擁立された
それだけの話 >>199
俺もそう思う
原住民は背が低そうだしな 邪馬台国の起源は韓国、卑弥呼は朝鮮人ニダ!
とかどっかの大学の教授が言い出しそう ●邪馬壹国と邪馬台国、混同説。正しくは両方実在した。
ヤマト国とは首都・出雲王朝の呼び名であると同時に
複数のクニを束ねる連合国の呼び名でもあるので
いろいろとややこしいことになっているだけである
邪馬台国(ヤマト国)という連合国家の中の1つに
邪馬壹国(一国)があり、そこに卑弥呼という女王がいた
邪馬壹国とは日向の地、西都原にあった九州王朝であり
他の諸部族よりも早く日本に定住した、日本人のルーツである
●出雲王朝はヤマト国の首都で、渡来人・匈奴の国であり、
大陸由来の高度な文明、製鉄技術を有していた
●九州王朝は水稲栽培などの農耕技術を持つ弥生人の国で、
日本人のルーツとなる国である
●ヤマト国(=邪馬台国)は渡来人と九州王朝との連合国家である
●その他にも渡来人部族によるクニがあり、
出雲王朝はそれらの頂点にあって
諸国をゆるやかに束ねていた
●神無月に神様が出雲に集まって会議をする、というのは
諸国の首長が王都・出雲に集まって会議をしたことを指す >>202
逆だろバカ
鉄がないから邪馬台国は平和で争いがなく
鉄のある国に滅ぼされたから跡形もなくなった
そもそも邪馬台国が強国なら墓なり何かしらの痕跡残すだろアホ >>215
熊襲という説もあるな。物証がないから結局そのへんはわからんね 当時の技術で九州の陸路横断は難しいだろうし、平野と海と川だけ考えればいいのでは >>14
影響力があろうが
統一権力の証明にならんだろ。
強い国、弱い国、それぞれ外交権を
行使しているのが古代だぞ。
倭の100国から使者が来る
と中国史書に明記されている。 昔の話ってなんかロマンがあるよなぁ
紀元前とかさ
人間がまだ豪族だらけだった頃とかね
更に昔のホモサピエンスの頃の話も気になるけど
なんでギガントピテクスにホモサピエンスが勝てたのかとかね >>212
そうなんだ
学校で歴史習ってる時はこんな発想なかったのだけど面白いね >>213
瀬戸内を船で進むなら九州には上陸せず、食料や水の調達など寄港するだけにして、大陸から乗ってきた船で豊後水道を経由して近畿地方に行く
これらの記述がないから畿内説はあり得ない >>210
土を掘って土を盛るのに鉄なんか必要ないから
青銅で十分
>>223
6世紀の頃ですら大和の九州統治はかなり不安定だったんだろうな 卑弥呼は処女でやんちゃな弟が居たって事は確定でしょ >>202
鉄の出土数からは
王族(奈良)と王族に仕える軍隊(福岡)に別れてたようだよな 当時九州北部は中国朝鮮鉄の交易で栄えた九州人の卑弥呼の国
この鉄は畿内にはほぼ輸出されてない
核兵器並みの戦略物資だから敵対国には与えない >>216
これはわりとあるかもな
邪馬台国が弥生人の先発隊の国だったなら
中国本国との交流の話も納得がいく
となると弥生人先発隊の大規模集落は九州の吉野ヶ里遺跡ってことになる
あそこは弥生人先発隊の大規模集落だと公式にも書いてある 円墳文化と方墳文化の連合の象徴が前方後円墳なんて説が昔からあったな
その後仏教にとってかわられた後は各地の豪族がこぞって寺を建て始めたという >>214
そこは微妙
前方後円墳の広がりを見れば畿内の前方後円墳は卑弥呼前後かなあと >>225
スサノオ他、出雲に関する全ての逸話を全部見てから語っていただきたい
最低でも共立政権には参加してなかったとしか思われない記述しかない
推定ヤマトは出雲取り込みに必死 >>226
背景がわかってないね
邪馬台国は倭国大乱の末にできた国
そして狗奴国と軍事対立してる
鉄の武器がない戦争と無縁な畿内にはなんの関係もない話 >>244
近年九州北部にも古い系統の前方後円墳が出てるようだが >>232
倭で調べてみ
なので倭国なんて自称してるのは
字をもらって最初の方
当時の日本人も可哀想になあ
嬉々として使ってた字がゲスな意味つけられてたって知ったときの落胆ぶりは心中察するよ 免田式土器と呼ばれる弥生土器のグループがある
免田式土器は卑弥呼の時代に作られた土器で、古墳時代に入ると消滅する
その分布から、邪馬台国の南にあったという狗奴国の土器と考えられている
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22178
> 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同じ頃と考えてもよいでしょう。
https://special.sankei.com/a/life/images/20190902/0001p1.jpg
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇
熊本でも菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれは交易などによるものと考えられる 神国
大和
邪馬台国
中華
朝鮮
昔からいろんな民族がいるけど最近さらに種類が増えてきたよな >>212
それは、オマエらチョンがいつも言うネゴトだな。
すでに「倭」という文字は、
古代中国で、日本を表すためだけに作られた文字と認識されてる。
当時の魏王朝が、自らと対等に存在する国に「倭」という文字を与えたと言われてる。
したがって、「魏」と「倭」とはその文字がペアになっており、
「委ねる」の右に鬼(霊魂)がいるのが「魏」(つまり、当時、魏は占いで国の未来を決めていたことを示す)
「委ねる」の左に人(当時では為政者を示す)がいるのが「倭」(つまり、倭は人治政治をやっていたことを示す)
よく、倭と矮を混同して、倭を小さいという意味に捉えるアホがいる。 >>236
残念ながら纒向遺跡からは九州の土器が見つかっておりません
>>247
卑弥呼がいた3世紀の頃には畿内にしかない
通説では箸墓がはじまり? 古墳発掘できれば分かるんじゃないの?
まあ宮内庁が絶対許可出さないだろうけど >>247
割と早い時代にクニ同士の連合ができていた証拠でもある
宮崎なんかもかなり古い 記述からするとさ、邪馬台国の衛星国家群を詳述しているし、九州にあったんじゃね?
国家連合が九州を出先にするくらいに近畿まで広がってて、近畿に邪馬台国があったってのはちょっとどうかと
女王国と対立してるクナ国だっけかも南九州にあるっぽいしさ
どうも九州ローカルでの勢力配置を描いてるように見える 弥生時代には朝鮮と対馬が国交があって鉄を仕入れてたんだから九州にも大国があったのは確定でしょ
その大国を大和朝廷(天皇家)が滅ぼした >>246
え?なんでそんな強国が何の痕跡も残してないんですかねえ?w >>247
前方後円墳こそ大和王権支配の証かなあ
九州の前方後円墳は卑弥呼後かと >>382続き
免田式土器の分布から邪馬台国の南にあったとされる狗奴国の版図がおおよそ割り出される
https://i.imgur.com/4pKQIsd.jpg
https://i.imgur.com/xysLhhD.jpg
邪馬台国はこの北側なので、魏の使者が上陸した玄界灘から熊本の菊池川以北までが
共立国を含めた女王の勢力圏となる そもそも国学の祖、本居宣長が九州説なのに自称保守とかに畿内説が多い謎 >>218
わからんぞ
ヤマト 山の戸
ヤマタイ≒ヤマテ 山の手
かも知らんだろ? >>206
天皇の年齢140歳とか
そのままの意味で信じちゃう
頭の弱い人? 距離的に九州じゃね
あの時代に近畿までいって場所わかるのか >>253
土器は他のところが作ってたんだろうね
鏡は奈良ではランクの低い鏡が
九州では最高位の鏡だから
明確な序列があるけどね >>258
大和王朝が九州をまともに支配できたのは飛鳥時代じゃないの?
古墳時代末期に何度も九州に攻め込んでるし 東大対京大
ノーベル賞の数で京大を俺は支持する() >>253
九州では最古の前方後円墳とも言われる那珂八幡古墳(福岡市博多区、古墳時代初頭・3世紀中ごろ)で、
福岡市の発掘調査により前方部の端が確認され、全長86メートルと判明した。
こっちのほうが古いんじゃね 北部九州は群雄割拠で多くの国が争ってたから、
結果的に大きな国が出現しなかったんだと思う。
そこで卑弥呼の邪馬台国の出現で一枚岩になったんだろう。
どっちにしろ北部九州を切り離して考えることはできない。 邪馬台国の邪は、牙膏の牙と同じでYaでそ。
魏書の倭人の記述は、記載されたのが後代だから、偽書じゃないけど誤りあるハズ そもそも葬祭というものは被葬者の宗派に合わせるものである
畿内式→畿内勢力圏という発想は、故意に印象操作をする気が無ければ思いつかないであろう
福岡市の那珂八幡古墳 北部九州独自の形状(纏向とは無関係)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/486635/ >>244
前方後円墳の分布は4世紀、どう早く見積もっても3世紀最末期なんで卑弥呼の死後やね
要するに共立政権が成立した後の話 中国の記録が曖昧なのが悪い
騒動を生み出した原因である中国人は見つけ次第全員殺せ >>105
2世紀?
纏向遺跡の造営が開始されたのは2世紀後半末頃で、最盛期は3世紀後半〜4世紀前半なんだが
見つかっている各地の土器も3世紀の庄内式土器併行期のものが主体 活火山が多い地域じゃないとヤマタノオロチを成育出来ないんだってば!
邪馬台国の首領女性は火山を収める為の祈祷師だよね?活火山がある九州なのは自明。 日本史板で>>261の分析をやった人の結論はこうらしい
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg
当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう >>277
幸福実現党の教祖が本物なら卑弥呼を呼び戻して場所を特定して遺跡調査をすればいいだけなのにね。
あれれーー??なんでしないんだろーー??おかしいなぁーーー??? 神功皇后を怡土の県主イトデが同族だと歓待した記録もあるので畿内と北部九州はそもそも敵対していない
物証的にも大乱の跡がないが交流の証拠は出てくるという 九州説 証拠ザックザク
畿内説 なんとなく
これでよく戦う気になったな >>252
俺が10年前見たページは何か違うんだなあ
ググッても倭がいつの間にか良い意味に大体のサイトで置き換わっててビックリしたわ
あらゆる所で歴史修正始まってんだな
チベットウィグル弾圧も
ついでにチョン呼びするお前はチョンだろ?
自分が言われて嫌なことを相手に言ってしまうって心理学だよそれw >>266
逆に考えてごらん
邪馬台国は近畿にあったから場所がよくわかってない
北九州に邪馬台国があったとしたら
魏にもはっきり邪馬台国の場所がわかるはすだよ
だから邪馬台国は奈良だろうね 竹田のYouTubeをみたら本当は山イチ国が正しくて
邪馬台国は畿内説の学者が壹を台に意図的に書き換えた捏造なんだと言ってた
山の国の、火の巫女、住民全員入墨は九州で決まりだ >>265
アタマの弱いのはオマエらチョンだよ。
すでに、現在の医学でも、
古代人の長命は有り得るとなっている。
江戸期の葛飾北斎だって99歳まで元気に生きている。
古代のストレスがない世界で、その食い物も健康的なものであれば、驚くほどに長命となっただろうと言われてる。 >>276
前方後円墳の原型は出雲や吉備にある墳丘墓だろう
九州は別系統やね 奈良県民やけど、
・日本人のルーツはレムリア大陸
・出雲族の国・邪馬台国は神武が滅ぼした
・ナガスネヒコは邪馬台国の将軍
くらいしか知らんわ 鏡と剣という大陸の初期道教由来の最新の信仰を受け入れた連合=邪馬台国連合だろう
大陸の場合は剣と鏡と玉璽だが、そこが勾玉になってる >>206
神武天皇実在説をとっている学者でも、即位が本当に紀元前660年だと考えてる人はまずいないよ。 >>290
軍事機密だから正確な場所はごまかす、さらに出来るだけ遠くから朝貢が来たことにしたい、大げさな記述をしてるから ●魏志倭人伝の邪馬台国の場所が東シナ海になる理由
三国志の時代、魏が蜀を攻めるときの計略で
蜀の南にいた異民族(南蛮)に使者を送り
さらには北から(西涼騎馬民族)、東から(呉)から
同時に攻めようとしたことがある
この計略は諸葛孔明によって防がれ、
後顧の憂いをたつため、孔明による南蛮侵攻が行われた
同じように、三国志の時代、魏は呉を攻める計略も立案し、
呉を東シナ海からが攻めさせようと日本(ヤマト国)に使者を送った
これがそもそもの魏志倭人伝の発端である
ところが地図をみると分かるように、東シナ海は大きく、
当時の航海術、海軍戦力では東シナ海を超えて戦争するのは不可能
ところがしかし、魏の使者はこれを正しく報告せず
あたかも日本が魏と同盟して呉と戦争してくれるかのように報告した
魏志倭人伝に書かれている日本(ヤマト国)の位置が
東シナ海のど真ん中になってしまう理由はこれである >>261
そうそうこういうのがないとな
こうやって考古学的な検証もせずにあっちだこっちだ言っても意味ないわ 近畿って中国行きにくいから九州じゃねーの
朝鮮半島通って朝貢してたんだろ 邪馬台国とか土で土偶作ってたんだろ
まさにチリである土からできた偶像を崇拝してたような歴史いらないだろ
九州にくれてやれ >>298
魏の役人は伊都国に駐留していたのだから
北部九州に邪馬台国があったとしたら場所はごまかしようがない 近畿説って説得力なさすぎんだろ
大昔から思ってるけどこれって単なる地元びいきだろ?
関西の学者がゴリ押ししてるだけだろ? >>288
まあ、
いずれにしても「神武東征」を完全に否定できねば、
ヤマトは「奈良」で確定だな。
どんなにチョンが九州説を持ち出してジタバタしてもすべて徒労だよ。
安倍の改憲のようにな。 狗奴国の末裔が隼人で隼人が南九州だから北九州と戦争してたんでしょ
で北九州は唐と外交して鉄を手に入れてたから強大だった >>283
なかなかいい感じに見えるが畿内説のほうは地図ないの? 倭人字磚(わじんじせん)〉
安徽省亳県(あんきしょう・はくけん)所在の曹操宗族墓群の中の「元宝坑村一号墓」から、多量の字磚が出土したが、その中の一枚に倭人という字を含む文章があった。この「元宝坑村一号墓」は一族の曹胤(そういん)の墓と言われ、築造年代は後漢の建寧年間(168〜172年)であることが分かっている。
「倭人有り。時を以って盟することあるや否や」 ちゃんと地名が分かるのは九州だけ
つまり使者は九州からそもそも出ていない
伝聞ででっかく見せかけたのは
そのほうが使者も卑弥呼も好都合だったから。 >>194
単に話盛ってるだけじゃね?
いとも容易くより苦難の末の方が話としては盛り上がるし、そいつの株も上がるからな >>228
昔の人は遠出する場合、尾根伝いに山越えて行くのが一般的だったんだけど。 >>297
考え?
証拠を出さねば無理だよ。
こちとら、記紀があるのだからな。 やっぱり犬喰ってる民族の九州人とは議論できねえわw >>291
山タイ国が正解
タイの字が中国の朝廷をあらわす文字になったので使えなくなり
よく似たイチの字を一時的に使っていただけ >>304
畿内説に歯向かうと学閥に潰されるらしい
だから大学の教授とかはおおっぴらに九州説をとれない >>283
へええ、説得力があるな。
魏志と遺跡だけを参考にすれば、邪馬台国は九州でなければおかしいと思う。
が、日本書紀を参照してしまうと、混乱がはじまるんだよな。 まともな文献残ってないから未だに邪馬台国みたいなアホネームなのってんだろ。 普通に考えて群雄割拠の古代日本から大陸にアクセス可能なのなんて九州の有力勢力くらいだろ 邪馬台国は九州から畿内に移ったが定説やろ
わりとマジで大国主が国譲りしたときやろな 邪馬台国は土の偶像崇拝。国作り主だけを神とする神国の敵だから本州ではないかもな >>307
畿内のほうは物的証拠(大王の古墳や神社)が豊富にあるので
普通の地図でわかるよ 根本的に勘違いしてる奴が多いな
中国の史書だから邪馬台国はシャマダーゴゥと読むんだぞ? 喧嘩両成敗。
新説、両方に有って卑弥呼が移動してた。
もしくは両方になかった。 なぜ?それは九州人の根性でしょう。歴史的事実を
根性と妄想でねじ曲げる。
それが九州説 まあ、いずれにしても11世紀になって満州の奥地から朝鮮半島に
もぐりこんできたエベンキ土人には関係のない話ですからww >>295
あれもひどいアニメだよなあ
ハニワ幻人 全滅だ!
ヒミカの一族 全滅だ!
邪魔大王国 全滅だ!
日本ディスるアニメかねアレ 本州は一つに纏まってたけど
九州は9つの豪族によって争いが絶えなかった
ことに由来している >>304
地元びいきはどっちかというと九州説だな
俺は九州人だけど村おこし目的でやりすぎだと辟易している >>305
神武東征は、天武天皇がクーデター(九州からのクーデター)を正当化するために作った神話だし
実際はなかっただろうな >>325
卑弥呼の時代は180〜248年
古墳は280〜 当時の司馬懿の状況を考えると大国女王国を帰順させたと話を盛っておくほうが好都合だった
つまりナンバー2を巡るライバル将軍も大活躍していたせいで
自己の手柄である女王国を異様に厚遇する必要があった
公孫氏が恨みを持ち反抗の恐れもあり背後の女王国は重要な戦略の要衝でもあった
このとき使者が異様に倭国を持ち上げた記録に忠実に後世史書を作ったのが魏志倭人伝
このとき王朝は司馬懿の子孫だから司馬懿を褒め称える意図がある >>297
紀元前100年くらいが地形的に妥当じゃないかとか言われてるんだっけ? >>327
日本は昔漢字を輸入した当時の発音を今でも忠実に使ってるんだよ
だから中国人が聞くと、この漢字は宋の時代に輸入されてる、この漢字は隋の時代と推測できるらしい >>319
別に混乱なんかしないだろ
記紀には魏に朝貢するような記事なんてないんだから
むしろ、400年以上後の磐井の頃でさえ北部九州が半独立勢力だった証拠になってる >>304
まあ、
九州説は、オマエらチョン(腐れ韓国人)が、
朝鮮半島の影響下で日本の国が出来たとするための捏造(ペテン説)だからな。 >>318
平気で適当な妄想を書くなw
邪馬台国を研究している歴史・文献・考古学の大学正規教員なんてもう存在しないないから(苦笑) だいたい魏志倭人伝をどう読んだら近畿になるんだよ
どう見たって九州だろう。当時の事だから距離感覚や時間感覚がズレるのは当然だが、当時もおひさまが東から出て西に沈んでたんだから方向間違えるわけがない。 >>305
ヤマト=中央・共立政権と邪馬台国をいっしょくたにする意味がわからんしなぜ一緒にするんだろう。近畿説を述べてる学者ですらそういったやつがいる
神武東征はあったと思うが、もしなかったとしても邪馬台国=北部九州説の何も否定材料にはならんよ
証拠があまりにも揃ってる >>335
おまえの血は縄文系の熊襲なのかもな
渡来系の血が濃い九州人が何でも起源主張してんだよ >>335
九州説支持:54.4%
近畿説支持:35.7%
その他:9.9%
https://i.imgur.com/bv9Skj7.png
調査期間:2015年10月19日から12月2日までの45日間 >>337
伊勢遺跡が紀元1世紀末から2世紀末だから、畿内説はこのへんとの連続性で考えた方がいい >>339
それは妄想だけで、証拠が無いのが痛いよなw >>230
当時、広い範囲に影響力を持つという事の意味をよく考えてから出直せ 東大が悔しいって首を突っ込んできて、ウザくなってるだけ >>340
まーたそういうネットの薄っぺらい知識晒しちゃうと、ツッコミが入るぞw >>346
東京作ったの九州人やで
明治維新起こしたのが薩長土肥やから >>346
まぁ耳は湿ってる遺伝だからそうなのかもなw >>346
下図の丸で囲まれた範囲がチョン密度の高い地域
https://i.imgur.com/wPgk6Bx.png
乾燥耳垢:後期渡来人(ツングース系≒現朝鮮人)
湿潤耳垢:縄文系弥生人(本来の日本人)
参考)
DNAの違い
https://i.imgur.com/IbqopHU.png >>349
だから証拠は記紀の記述で、あれに沿った地形であったのが紀元前100年くらいからしばらくの間 >>345
これ
俺がわからんのはむしろ邪馬台国も当時日本にたくさんあった小さい国の一つに過ぎないわけだろ。なにをそんなに必死になってるんだろう。どこにあったのがばに国かなんてそれほどこだわる問題なのかな 魏志倭人伝は3世紀に作られた史書だし、邪馬台国までの道程と距離はあまり信用できんわ。 >>344
畿内説は魏志倭人伝なんて嘘しか書いてないと言う人たち
だけど卑弥呼と邪馬台国だけは実在して近畿にあったと言う矛盾 >>341
神功皇后の篇に魏志を引用することをはじめ、大和王家の歴史を史書の倭人に寄せていく意思が謎だ。 >>336
クーデターて…しかも天武て…
天武天皇の父親と母親が誰だか大きな声で言ってみろ。もちろん天智でもいいぞw
全レス見ちゃったけど全てがめちゃくちゃだなあんた であいつも
邪魔大王国全滅だとか
俺は不死身だとか
俺がやらなきゃ誰がやるとか
ものすごい強気な事を並べておいて
名前がひろしってのはなあ
もっとイカす名前かと思ったよ俺は
洸とか
甲児とか 畿内説は天皇家を正当化しようとするイデオロギーが見え見え
普通に考えて九州
卑弥呼と天皇家は関係ない 記載通りだと海の中
それっぽい地名で行くと九州
それっぽい遺跡出土品で行くと関西
永遠に楽しめるな >>52
ん? 魏は邪馬台国に返礼の使者送ってなかったっけ? 女性リーダーかつ土偶崇拝して滅亡した民族に憧れるなよ
いまも同じようなことになってるけどw 倭国と日本国(ヤマト)は別種です
史実です
■旧唐書より
<倭国伝>
倭国(九州)は古の倭奴国なり。
※漢委倭奴国王の金印は福岡で発見された
<日本伝>
日本国(ヤマト)は倭国の別種なり。←史実です
<高麗伝>
高麗は出自、扶余の別種なり。
<百済伝>
百済国の本も亦た、扶余の別種。
■結論
・畿内ヤマトは倭国にとって外国だった
・畿内ヤマトは魏志倭人伝の「女王国の東の海を渡った先にあった倭種の国」の1つだった 九州が一番や思ってたら渡来人集団こき使いまくって急速に発展し豊かになった
日ノ本畿内が九州に目を付けられてパックっと食われたんだよな >>337
知識が間違ってるよ
古墳はもっと古いよ 畿内説とかゴミみたいな学者のゴミみたいな論文であふれてて
すでにお笑いレベルにまで落ちてる
その辺に捨てられたものを強引に祭祀と結び付けたり
単なる破片を別のもだと主張したり、都合の悪いことは隠したりと
かなり内容が酷い
纏向の地位低下でお金がないからか石器ねつ造並みのことしかやってない どこにあったかすら分からない
つまりその程度の国だったってことだよ >>315
中国ってそれをやるから時代によって漢字が置き換わってることがあるんだよな…
あれはほんと迷惑だわな 卑弥呼の時代(2世紀半ば〜3世紀前半)には異常気象が多発し、大飢饉に見舞われ、多くの倭人が半島に避難したとのこと。
■新羅本記の記録
173年:倭の女王卑弥呼が使者を送った
193年:倭人が飢饉。倭から多くの避難民が新羅へと流入
■当時の気候
1〜2世紀は小氷期だった
3世紀〜4世紀は海面温度が下がり、寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる。
『名古屋大学の中塚武教授は、卑弥呼登場前の時代は大雨や旱魃が繰り返された不安定な気候の時代であったという。』
■わかったこと
・纏向に住居がほとんど見られないのは飢饉を逃れ各地へ避難したためである
・飢饉を逃れるため九州に移住した畿内民族は、筑紫の土で畿内式土器を製作していた >>337
ちなみに九州の古墳は発掘調査されてるから判明してるのだが
九州の王族のピークは漢の時代で
卑弥呼の時代にはすでに九州の王族は衰退している だから北九州にあったけど近畿に引っ越したんだってば
そんでもって北九州に居残った一族が暴れだしたから
磐井の乱が起きたの!
これでよくね? 九州の最大の欠点は、遺跡が集中する博多糸島あたりはすでに比定されてて
ほとんど遺跡がない別の地域に中心を置かないとまずいこと 九州の倭国と本州の出雲連合を近畿の大和が併合したのでしょ 結局決定的な証拠ってないんでしょう?
だから今でもこうして論争になってるわけで 残酷を極めた公孫氏征伐で司馬懿の世評は地に落ちナンバー2から転げ落ちる危険もあった
そんなときに遥か伝説の蓬莱からわざわざ朝貢に来た未知の女王国は司馬懿には望外の吉報となった
夷蛮の帰順は王朝の徳治が全土に及んだ紛れもない証拠だからである
こうして使者も女王国を持ち上げ王朝と司馬懿の徳を褒め称える作業の為に来訪したのである
広大な版図があやふやで只の伝聞や伝説なのは明らかだがそれで良かったのである 邪馬台国は最初九州にあったのに途中から畿内に移動したんだよな 邪馬台国は ヤマドと発音したらしい つまりは大和、奈良県 俺の予想では青丹よし、とかの顔料で安定した財力を持ってた
近畿がずっと伸びていったんだと思う。
北部九州って財政の基盤になるのが無いもんね。 〜 中国の記録に記された女王国の規模 〜
魏志の韓伝および倭人伝に記された領土に関する情報
・三韓からなる韓国領土は4000里四方
・馬韓の国数は50国
・倭の国数は30国
・倭は約5000里で巡回出来る
・女王国の東の海を渡るとまた倭種の国がある
・女王国の南には敵対する狗奴国がある
https://i.imgur.com/yLFScGN.png
馬がいなかった時代なので統治できる領域には限度があったと考えられる >>360
まぁ後の中央政権のルーツであろうってことだからね
そこは必死になるだろさ
ただどんな考察や資料、考古学的資料を見ても戦争による一国の覇権で中央政権が出来たとは思われないのでアホみたいに拘る必要はないとするのも間違いではないかな
出雲がなんであんなに必死で、そして天照他神々も必死、後に出雲を恐れたりしたんだろって方が気になってくる 畿内派「学術的には邪馬台国は畿内にあったともう見なされてる」
九州派「学術的には邪馬台国は九州にあったともう見なされてる」
お互い砦に籠もって持久戦してるよなw >>356
薩から総理大臣何人出したよ
今だってそうだが完全に長州に手柄取られてる 邪馬台国と大和が関係あるのかさえわからんしなあ。
仮に邪馬台国が実在し、同じ時期に大和国も実在していたとしても
当時の大和は奈良県の小さな国に過ぎなかったのだから
双方が干渉せず存在していたかもしれん。 >>390
史書の文字は邪馬壱国
ヤマトのヤの字も出てこない
邪馬壱は呉語=上海語でシャマイだぞ 九州説はないよ
出雲ならまだしもな
日本の中心になる理由とその痕跡がない 学会では95%が近畿説で終結
だが民間の議論の盛り上がりを消さない為に、変わり者の学者が九州説に付いた
「九州に存在したはずだ」という結論ありきで、その証拠(風)だけを集めて論理を組み立てている >>383
もともとが熊繋がりで天孫族の九州南部(狗奴国)は馬韓(百済)贔屓で
九州北部(邪馬台国)〜出雲は、辰韓(新羅)贔屓なんだよな。
畿内ヤマト王権の土台を作った出雲に国譲りを迫った北部九州勢力と
その後に成立したニギハヤヒ王朝〜神武東征も大体これで説明出来るな >>1
まあ、
これまで、2ch(5ch)の歴史通が繰り返し述べてるが、
国家の形成には、単なる集落の形成とは違い、破天荒な富の蓄積が必要と言われている。
それが可能になるためには、
それまでの、狩猟や農業だけの貧弱な列島国家では無理。
日本に国家の形成を促したのは、
当時、北陸地方にあった港(福井)から、直接日本海を大型船(すでに中国にあった)で横切って対岸の中国の地と交易をしたためと言われtる。
当時は陸伝いの交易なら、馬や人の背に細々と交易品を載せて運ぶ程度であった。(当時の日本には馬車がなかったし、それが通れる道もなかった)
それを、大型船で大量に速やかにまた快適に運べるとなったら、もう現在の貿易とそん色がなく、
それにより、蓄積された富は、天文学的な数値となったと見なされてる。
したがって、北陸の港から遠くない奈良に、当時としては巨大な都を作ることができたのだろう。
その奈良の繁栄は、日本全土に鳴り響いていたのは間違いない。
だからこそ、南九州の田舎にいた神武が、
ナリフリ構わず、まっしぐらにその近畿を目指したのだろう。
神武はもちろん「北九州」には目もくれなかった。 実際問題、九州だろう。しかし、学者の都合が云々で畿内と見てる 投馬国から日数に変わってる
よって、起点をリセットさせる必要がある
帯方郡─狗邪韓国─対馬国─一大国─末廬国─伊都国─奴国─不弥国
├──────────投馬国
└──────────邪馬台国 >>346
二重瞼、目が大きい、ウインクが上手い、耳垢が湿ってる、鼻が高い、くせっ毛
これは日本に元々住んでいた縄文人の特徴
この人達はMC1R遺伝子の塩基配列が通常アデニンの所がグアニンになっていて
この体質を持った人は北海道・東北・九州に集中している
https://i.imgur.com/ncD2JKH.png
https://i.imgur.com/z8YWS8E.png
https://miraibi.jp/articles/0189 >>400
単に邪馬台国と後の大和政権が別の国で邪馬台国は途中で滅んだだけじゃねーの 元は大陸と繋がってたんだろ
ノアの洪水のような洪水伝説はあるからその時に沈んだから九州でもおかしくないだろ
神の民だけ聖地である山(後の日本)に逃れたのがいまだわ >>367
正当化っつう意味では天皇というか朝廷は外国に服属していないってのが記紀のドグマ、
畿内説はむしろそれを否定するように見える
邪馬台国がそのまま大和朝廷になったとすれば、邪馬台国が金印を拝領して封ぜられてるからさ >>364
天智、天武の父は舒明、母は皇極(重祚して斉明)だね。
乙巳の変、大化の改新で皇極は弟(孝徳)に譲位し、
孝徳天皇、中大兄皇子(後の天智天皇)らは
飛鳥板蓋宮から難波長柄豊崎宮にみやこを遷したが
その後、中大兄皇子らは孝徳天皇を難波に残して飛鳥に帰って
皇極が重祚して斉明天皇になった。
白村江の戦いで敗れた後、中大兄皇子は畿内の飛鳥から
畿外の近江大津宮にみやこを遷して即位した。 >>388
政敵曹真が招聘した大月氏も南にあった国との戦争で困っていたので、砂漠地帯を越えてはるばるやってきたわけだが
それに対抗したい司馬懿にとっては倭の使者は恰好の材料だっただろうな
だから、都に招かれた倭国の使者の歓迎式典では「帯方郡から1万2000里も遠い地域からやってきた大国だ(つまり大月
氏よりも都からははるかに遠い)」と喧伝されたのだと想像する
それゆえ、郡使による倭国訪問時の報告書の記載とはまるで合致しない1万2000里という距離を陳寿が使わざるを得な
かったのかもしれんな 日本全国にあったに決まってるだろ!
オレらのご先祖様なんだから
戸越邪馬台国とか砂町邪馬台国とか十条邪馬台国とかあったんだよ 近畿からは
魏志倭人伝に書かれてるものとは全く違うものばかり出てくる >>1
逆襲相次ぐ理由はって
九州が不利だからに決まってんだろ >>360
違うね。
国が30(以上)もある状態から、統一に向かう最中だな。
有力豪族たちが女王を共立したって書いてるじゃん。
邪馬台国は「都」があった場所ってことで、邪馬台国が一番力が強かったとは限らない。
都を端っこの九州に作る意味はないからな。
近畿も開拓が進み、東海も進み、関東も増えてる時期だ。 九州の欠点は径百歩ほど大きい古墳がどこにもないこと >>107
畿内
坂東武士の勇健は一騎当千の強さである。畿内近国の赤ん坊のような弱い武力で、強健な関東武士に手向いできようか(吉田定房奏状・訳文)
五畿内の町人によく似ている侍ども(甲陽軍鑑・訳文)
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる(埴原和郎・東京大学名誉教授)
畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました(松村博文・札幌医科大学准教授)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている(池田次郎・京都大学名誉教授)
上方
図にあたらぬは犬死などなどと云う事は、上方風の打上りたる武道なるべし(葉隠・佐賀)
上方の弓矢すえになりたる国ども。上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て(甲陽軍鑑・甲斐)
上方の敵は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯なことでもすると聞いている(甲陽軍鑑・訳文)
近畿
「アイヌ系」は縄文人の古い特徴を受け継ぎ、近畿に多い「朝鮮系」は弥生以降の渡来人の新しい特徴を持つ(レヴィン・ソ連の人類学者)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い(梅原猛・京都市立芸術大学名誉教授)
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する(国民百科事典・平凡社)
被差別部落民は、穢多の水上と称せられる近畿地方が最も多い(高橋貞樹・大分県出身の社会運動家)
関西
馬は関東、牛は関西(国牛十図)
関西では馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを長い間やっておらず、関東の武士と違って、騎馬に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだ(雑兵物語・訳文)
馬は陸奥・常陸の産が第一で、信濃・甲斐・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。関西の産は劣弱である(和漢三才図会・訳文)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い(中橋孝博・九州大学大学院教授) 邪馬台国って 伝説の大陸のモー大陸にあったんじゃないの? 北九州、瀬戸内、畿内を含めて邪馬台。外交する国としての生産量から見ても一部の小さな国じゃない。ある程度大きな国になったからこそ外交に出たんだよ。 >>60
遺伝子解析の結果はアイヌ人と朝鮮人の混血が日本人何だよな。縄文人弥生人渡来人だの言い方はいろいろ変えてるが
遺伝子はすげえわ 九州説の欠点は
機内はすでに日本全国から人や物が集まっていた証拠があるが
九州は機内しか交流を持ってないこと >>317
いや、筑後側の比較的海岸に近い場所にも弥生遺跡があるからそんなに海は入り込んでないのは確実
この図で一番海よりの扇ノ内遺跡も弥生時代
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/b9/8cc03f541639b7ffcddd7ee7cb26dbac.jpg
柳川市公式ウェブサイト / 柳川の遺跡
https://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/kyoiku/rekishibunka/rekishi/iseki.html
>海岸線の後退により次第に陸地化が進んだ有明海沿岸部のうち、特に柳川市周辺地域では、近年の発掘調査により
>弥生時代中期前半以降の遺跡が確認されています。
>徳益八枝遺跡(柳川市大和町徳益)は、弥生時代前期から中期初頭(約2,200年前)の集落です。
>調査では柱が軟弱な地盤に沈み込まないように工夫された掘立柱建物や井戸が検出されました。
>また、磯鳥フケ遺跡(柳川市三橋町磯鳥)では弥生時代中期後半(約2,000年前)に比較的短期間に営まれた集落が調査されました。
>約3,500m2の広範囲にわたり掘立柱建物群や井戸等が検出されていますが、集落は更に広範囲に広がっているようです。
>蒲船津江頭遺跡(柳川市三橋町蒲船津)では、弥生時代後期(約1,800年前)の集落が調査されました。
>先の二つの遺跡と同じく多くの掘立柱建物が見つかっています。
>これらの遺跡以外にも、弥生時代の貝塚として三島神社貝塚(柳川市西蒲池)や島貝塚(柳川市大和町鷹ノ尾)が知られるほか、
>扇ノ内遺跡(柳川市西蒲池)では石田と呼ばれる田圃に残る大型の石の地下から甕棺が出土しており、支石墓の可能性があります。 魏志倭人伝の記述
「至對馬國(対馬)〜乗船南北市糴〜又南渡一海千餘里〜至一大國(壱岐)〜亦南北市糴」
つまり対馬←→壱岐の位置関係が南北と記載されているので、
https://i.imgur.com/Ixx2XXX.png
そして邪馬台国は上陸地点より南の方
https://i.imgur.com/t1La2wr.png
さらにその南には敵対していた狗奴国があった >>9
地名は島津氏(薩摩藩)と福岡藩がめちゃくちゃにしたから全くアテにならん
とくに霧島連山周辺の地名はほぼ島津氏が勝手に付けたもの 九州説のアホが一生懸命見当違いの珍説を叫んでる姿はいつも笑えて良いなw
コロナも笑い飛ばせるアホさ加減 >>288
「なんとなく」じゃヤバい!と三角縁神獣鏡をかついでみたものの、壮絶に爆死…
まさか最近になって中国人学者まで三角縁詐欺に加担して来るとはな
どうすんのあの「中国洛陽で三角縁が出土したアル!」は >>426
交易? 奴隷くらいしか受け取ってもらえるものなかろ? 機内説なんて京大の老害がしがみついてるだけでなんのエビデンスもない異説だろw
九州以外にありえないのにこいつらが強弁してるせいでずーっと検証が止まったまま >>343
それって>>318は事実ですって言ってるようなものだぞ ■纏向遺跡の特徴
・住居、生活痕がほとんど無い
・木製の土木用具多数、農具はほぼ無し
・何度か建て直した痕跡のある大型建物1棟と付属する小屋2棟
・建物を囲む柵列の下あたりの地中から大量の桃の種出土
・同じく蛙の骨多数出土
・東海/伊勢産の飯炊き土器多数出土
・西日本では事例の無い仮面(木製)が出土
・大陸や九州との交流を示す出土品無し
・付近には大型の古墳が多数有る
■結論
纏向遺跡は東海伊勢政権による古墳建造時に造られた土木事務所 当時はまだ行き来が盛んじゃなかったから
九州と本州は交流が無かったんだよ
で大陸の出張員である半島人も
伝統的にいい加減な連中だから
おーヤマトだっていうそのヤマトは
実は今の九州に過ぎなかったのな
今で言う山口県の方になんか島っぽいの見えるけど
ほうこれが蜃気楼かみたいな
こんな事は研究どころか
日本史が3を上回った事のないおれでさえ分かるのに
研究してる教授とかでも間違ってるって
なんなんだよ そもそも3世紀時点で大阪は存在していない
『仁徳期の治水事業により、河内湖の水域が減少するとともに、流入している大和川枝川等が河口に三角州をつくります。
そして湿地・草原あるいは堤防敷となり、その後、河内低地の陸地化が始まります。』
https://www.suito-osaka.jp/history/history_2.html 畿内の朝廷や天皇家、出雲との繋がりがあまりにも解らなすぎる気がするんだが
実在性ってどうなんだろう。
案外、実在してても熊襲の一派閥とか小さい組の可能性はないんかね。
熊野なんかも何で聖地なのか不思議に思うんだが
日本神話と古代日本の実際の所が良くわからん >>307
畿内説に地図はいらないんだろ
だって畿内だよっ!て決めちゃってるんだから >>364
さすがに天武天皇がクーデターなのは常識だよ。 >>9
漢字二つの地名は飛鳥時代に出来たものだよ。
あてにならない。 ■各説による邪馬台国関連遺物の出品状況(2020年時点)
[九州説]
・三種の神器(剣・鏡・勾玉)
・卑弥呼の時代から存在するクスノキ
・鉄器各種
・絹および紡績用具
・警備厳重な吉野ヶ里集落
・漢委倭奴国王の金印
・魏王の鏡と同型の鉄鏡
・複数の遺骨に囲まれた祇園山古墳
[畿内説]
・古墳建造作業員向け大型食堂
・東海・伊勢産の飯炊き土器と残飯各種
・鉄器時代である弥生時代としては珍しいレトロな木製の土木用具一式
・東日本で流行った木製仮面
・建物を囲む垣根の下から桃の種(建物建造後の物ではない)
・同じく蛙の骨 <<日本の正式な歴史書である古事記にも日本書紀にも「ヒミコ」に相当する
<<女帝の記述がない
あんた日本書紀読んでるのか?
書紀に書いてある 山門の女王国と神功皇后が戦って滅ぼした
近畿ヤマト政権に滅ぼされた土蜘蛛が邪馬台国 >>430
それが何の欠点になるのか
魏には見えていなかった、九州よりもっと大きな国が畿内にあっただけじゃん >>398
「大和」は明らかに魏志倭人伝にでてくる「大倭(倭国の支配者)」を元にしている
偶像だったら、ありえない確率だ 日本民族
アフリカ出の旧モンゴロイドのトルコ北部の遊牧民アイヌで旧モンゴロイドのY染色体のD2遺伝子を持つ唯一の民族
4〜5万年前にヨーロッパの気候変動でシベリアを経て日本列島に住む
縄文人達アイヌが7300年前の桜島カルデラ噴火の影響で日本を離れ世界へ散らばり2500〜1800年前に弥生人として日本に戻り渡来
縄文人と弥生人は全く同じアイヌ
言語
ヘブライ語のひらがなやカタカナやヘブライ語のセム語の漢字
ヘブライ語のバンザイは漢字で万歳
ヘブライ語意味はユダヤは神への感謝の言葉
宗教
自然崇拝の山岳信仰の神道
民族の特徴
黄色系で小柄で二重の目と彫りが深い
馬鹿チョン
デニソワ人との混血新モンゴロイドのツングース系シベリア狩猟民族わい族やオロチョン族
1万年前にデニソワ人との混血で生まれた新モンゴロイド
12世紀モンゴル元寇にシベリアから追われ朝鮮半島に住み着く
中国歴史書にも記載
百済や新羅は日本から渡った倭人のヘブライ人達の国でシベリアエベンキルーツの朝鮮人達ではない
言語
シベリアエベンキ語
アリランスリランやオンドル
19世紀までエベンキ語を話しハングルは日本統治で勧められ使用
宗教
ツングース系のみの信仰トーテニズムの天孫信仰の鳥を崇めるトーテンポールの信仰
民族の特徴
肌が白くツングース系で目が一重でつり目でアゴやエラが出たイビツな頭蓋骨
中国人
デニソワ人との混血新モンゴロイドのツングース系シベリア狩猟民族
漢人はヘブライ人のカナン人達で現在のツングース系の中国人達では無い
1万年前にデニソワ人との混血で生まれた新モンゴロイド
11世紀モンゴル元寇にシベリアから追われ中国大陸に住み着く
中国歴史書にも元の襲来で民族入れ替わり
言語
シベリアエベンキ語
漢字はヘブライ語のセム語で中国人達の言語ではない
宗教
ツングース系のみの信仰トーテニズムの天孫信仰の鳥を崇めるトーテンポールの信仰
民族の特徴
肌が白くツングース系で目が一重でつり目でアゴやエラが出たイビツな頭蓋骨 まさに飯の種争奪戦なのです
『1)大学の人員や組織改編に関するもの
考古学に関する教員の増員や新規開講が行われ,あるいは行われる予定であると述べたものは各 1 件,
増員を要望しているとしたものが 1 件と極めてわずかである。
これに対し,すでにあるいは近い将来において減員(退職後不補充を含む)が決まった,講座が廃止
になったとするものは 8 件,その可能性が高い(考古学を含む組織全体でのポストの削減を含む)とし
た回答も 3 件あり,全体的に考古学関連の人員,講義が減少,縮小傾向にあることは明らかである。
』 弥 ヤ 中国か近畿か東の方
磨 マ 福岡南部、熊本の北部らへん
台 タイ・ト・トヨ 日南海岸らへん
じゃねえの。で、卑弥呼がどっかの国に居たはず
>>249,261
なるほど狗奴国側から読み解こうというのか
たしかに土器の分布から見ると熊本の北と南で勢力が別れてるっぽいな >>424
> それはね
> 僕たちの心の中に…
うまくまとめたな 畿内説はイデオロギーの結果だよなぁ
本当にしょうもない
これじゃ韓国のことを笑えない >>443
記紀が完成した8世紀においては、出雲は権威で大和王権は実権の位置づけだね。
事代主が上位でアマテラスが下位。 『魏志倭人伝には、「倭人は鉄鏃(てつぞく:鉄のやじり)を使う」と記載されているのに、福岡の460に対して、
卑弥呼時代の奈良には鉄の鏃は4つの出土例しかありません。そしてもと歴博の館長もやった佐原真は、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」とマジで答え、さすがにこれには近畿圏の学者たちも沈黙していました。
春成秀爾はこの佐原真の弟子です。この一連のマスコミ操作は、いったい何が目的なのでしょうか?』 >>439
普通に著名な学者が主張してるし
つぶされるなんてない
そもそも邪馬台国がどこにあるかなんて評価されないから
(例えば邪馬台国はここにあったって論文が博士論文で通るわけがないし
そんなの出した人は就職できるわけがない)
専門の古墳だとか土器だとかその他文献史の研究者が
話の流れで語ったりするわけで 橿原考古学研究所に関川尚功という学者がいます。この人は近畿圏で活躍している学者であるにもかかわらず、
「どうやったら箸墓古墳の土器が3世紀という事になるのかまったくわからない。
どう観てもあれは古墳時代の土器で、卑弥呼の時代のモノではない。
3世紀の墓に4世紀の土器をどうやって埋葬するのだろうか」
と言っています。 >>461
福岡は、奈良に支配されてたんだから
奈良の領地でしょ ムー大陸から邪馬台国に乗り換えたトンデモ学者木村のことは一切口にしないでくれ
たのむ >>427
朝倉、久留米、八女辺り一帯
んで太宰府辺りが北からの攻撃に備えた門
だから大和政権が近畿に移ってからも重要な砦になってた 狗奴国は外交でも対抗しようとはしなかったのだろうか。
魏により大編成の使者を送るとか、呉と結ぶとか。 >>428
逆だな。
倭人と中国人と扶余の混血が朝鮮人
三韓さえ言語が違ってるのに、「朝鮮民族」なんてものは
当時は存在しない。 【参考】唐古・鍵遺跡の変遷
■ムラの衰退(古墳時代前期)
弥生時代中・後期には大環濠はなくなり、ムラの規模が縮小します。環濠の一部は再掘削されますが、 井戸などの居住区関連の遺構は大幅に減少します。
■ムラのその後(古墳時代以降)
遺跡の中央付近で古墳時代後期の前方後円墳がみつかっています。この時期にはムラは消滅し、墓域となっていたようです。
そうです。
奈良盆地は「霊園」だったのです。 >>439
30年ぐらい前までは事実だったかもしれなんなw >>428
おいおいw何言ってんだw
アイヌは基本的にオホーツク人で近世になって北海道へやってきた人たち
遺伝子分布をプロットすると日本人と中国人の間に半島人が来るんだよw
半島に進出していた和人の残党と大陸からやってきた奴らの間ってことな 日本自体が統一王朝じゃなくて
畿内は勿論、熊襲、隼人、蝦夷とかの色んな小さい部族国家があったんでないか。
邪馬台国はそれの一つでしかなくて出雲とも大和朝廷とも連続性はないが
抜け駆けして中国と交流を持ったみたいな >>468
アホかよ
久留米や八女にあったとしたら
はっきり記録が残ってるわ
伊都国に魏の役人が駐留してたんだぞ 奈良に海が無いのに刺青して魚取るのか?
それはもう禅問答の世界 >>232
中華思想というものがあって
中華=世界の文化の華、世界の中心なんだよ
だから中国の国名は代々漢字1文字(隋とか唐とか)、周辺の国は2文字だったりする
異民族の匈奴とか分かりやすいけど、自国との上下の区別をつけるため、あえて悪い意味の字を与えるわけ
倭もその中の1つ 日本書紀、古事記が邪馬台国のことを知りながら無視してることも重要 >>283
やっぱりちゃんと考古学的な裏付けがあると説得力が違うな 本当にスレの流れ速くて笑えるな
九州説が毎度の妄想をひたすら喚いてるだけの流れだけどw
まぁアホがどんなにのたうち回っても何の影響もないからな
せいぜい邪馬台国の会とか言うアホサイトでアホな事叫んでるのが関の山だし 梅雨が長い九州北部だって鉄は腐食するんだが
機内説は既にオカルトのためヘンテコ先輩学者に逆らえない
ちなみに纒向でも鍛冶遺跡がちょっと出たが鉄器はほぼ出てない
しかもこの鍛冶遺跡自体が北部九州の技術らしい
つまり先進地九州から僻地奈良盆地に鍛冶技術を輸入したが
鉄素材の輸入は不可でろくな職人も来なかったのであろうね >>478
奈良が支配してた領土(九州)で魚とりしてたんだろう
それを書いただけだよ
どこが禅問答なの >>478
温暖で冬でも生野菜が食えたと書いてあるから奈良じゃないな
盆地の冬はクソ寒いし まぁ大きく見れば西日本なんだから。
そのへん、でよいのかもしれんな >>477
いやいやあそこらへん一体の地名と読みが似てる国を束ねていたのが卑弥呼って中国の方の記述が残ってるのよ >>478
倭人の習俗記事なので、滞在していた伊都国周辺で見ているだろうから、なんら矛盾はないけれど
南方風な風俗記事自体が、倭国を意図的に呉の近く南にある国との印象付けの可能性はあるけどね(理解できなければスルーで結構) 九州かなと思うけど福岡人の増長がウザイから畿内説でおk >>442
そもそも大阪って明治維新から正式採用の名前で、江戸時代は大坂と大阪の併用、豊臣政権迄大坂、大坂城が出来る前は石山本願寺がある石山だからな >>469
どうなんだろうね
援軍を求めるのは劣勢側がやることだし
呉だって倭のために魏と争いたくはないだろうし
魏も援軍は送ってなさそうだから狗奴国には実害なかったような気もするし >>486
あり得ないね
奈良が九州を支配していたのなら九州には存在する鉄や絹が奈良に存在しない理由を説明できない
九州が奈良を支配していた、ならまだ可能性はあるが >>437
朝貢は対等の関係じゃない
受ける側は徳を示さないといけないから負担がすごい
日本にも朝貢してきた国あったが何年かに一回にさせた >>465
橿原の良心、関川氏
氏の発言の一つに
「当時ど田舎だった纏向が、魏志倭人伝の国際都市邪馬台国な訳がない」
という発言もしている >>480
日本書紀は、神功皇后と卑弥呼の時代を合わせにいってるから無視してない
他の天皇の時代は合ってない部分もおおいから
日本書紀の作者にとっても
卑弥呼が天皇よりも重要な存在だったのは明らか >>437
オマエら朝鮮半島ではそのようだったな。ずっと後年になっても中国王朝に奴隷を貢いでいたよな。
しかし、縄文以来の日本列島は、農産物、海産物、狩猟による各種の肉、また、特筆すべきは「塩」が大きな輸出品になっていた可能性が高い。
ローマ帝国でも「塩」が貴重品で兵士の給料として支払われていたように、日本の中国への「塩」輸出は、大きな稼ぎ頭ガシラであった。 もともとヤマト自体が九州を指してたんだよ
ヤマト・ハヤトの言葉の類は縄文からのものやし
それが畿内に移ったということは、つまりそういうとこやな 魏志倭人伝の距離やかかった日数はそのままに、方位だけが間違ってる記述って大前提がある珍説がなんでこんな支持者居るのか分からんw 邪馬台国はヘブライ語のセム語読みでマタイの国と呼ばれる
邪は全く発音しない
馬台のマタイはキリスト十二支族の人々のこと
邪馬台国の民がキリスト十二支族のヘブライ人達の人々だったからこその名前
邪馬台国の民は南ユダ王国のユダ族達が海から渡って沖縄へ渡来した最初のヘブライ人達弥生人達が船で四国淡路島へ渡来後
四国剣山山頂へと向かうルートへ
邪馬台国が四国剣山にあったことはアメリカGHQも知ってるからこそ
戦後日本の仁徳天皇陵と四国剣山の遺跡やミイラを発掘しアメリカの博物館へ保管
四国剣山山頂で今もキリスト十二支族の祭りが行われている >>495
うん、そうなんだよな。
狗奴国が外交で張り合う気がないのなら、それは狗奴国の国力の方が各段に大きかった可能性を示すね。 >>496
奈良の子分である九州が鉄を持って戦ってた
それだけのこと
あと奈良は都会なので基本的に発掘調査は進んでいない 無関係な情報を妄想でこじつけて物語をつくり、あたかも真実であるかのうよう信じ込み、拡散する
畿内説はどこかの半島民族とそっくりですねw
纏向遺跡は複数の時代が入り乱れた遺跡であり、桃の種と建物はそれぞれ異なる時代の遺構から発見された
https://i.imgur.com/Qt7wlF7.png
つまり纏向の建物は祭祀と無関係 >>502
九州説も日数を大幅に短縮しないと読めない珍説なるんけどねw
だから、短里などと頭の悪い説を持ち出してきた宗教学者がいたわけで >>506
奈良の何処に都会があんの?
未だにど田舎だけど? 間を取って広島か鳥取か岡山あたりに邪馬台国があったことにしとけば良くね?(´・ω・`) >>490
筑後〜久留米間の地名がかなりひどい
「町」とか「流」とかバス停名だわ あえて大きな国に見せるために使者をグルグル回してる説 >>491
諸国の入れ墨はそれぞれ異なっていて身分の上下でも違うと書いてるから
それは通用せんよ >>491
大陸側の主張の倭人は呉の誰かが先祖ってやつだろ
習俗として切り離して考えるのはずるい
それが可能ならなんでも成立する 元資料が短かすぎるのがねぇ その後150年くらいの空白もあるし 読売新聞YOL(21.11.2018)
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。
■纏向遺跡で出土した土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%
■結論
纏向遺跡は大陸、九州とも疎縁だと判明した >>496
継体天皇の時代にやっと製鉄仕出したからね
たぶん北九州に居た天皇一族が近畿に逃げてったんだよ
んで豪族磐井を倒して今日の天皇伝説が作られた >>503
さすがに邪馬台国はキリストより遥かに昔じゃないか
マタイは弟子だし 物証が圧倒的に強いからな
今までは京大の学会での権威が強かっただけ >>486
ヤマト王権にそこまでの支配力があったとは思えない 本当に全てのレスがトンチンカンで笑いが止まらないな
こんなのが九州説だってんだからそりゃ誰も相手しないわ
ただの一つもまともなこと言ってる奴がいないw 邪馬って言うぐらいだからこっちへくるなと邪魔扱いされていた国の可能性もある
つまりジプシー論(適当 そもそも使者は九州を出てない
ちょっと出れば未開土人地域で命が危ない
九州北部だけ大都会でのんびり逗留
伝聞で聞いて、ほほう思ったよりデカイですなあ上出来、上出来と言って
上機嫌で帰国しますた >>475
アイヌのオホーツク人は一部だぞ。北海道に限らず関東や東北の縄文人の遺伝子は非常に近く最も近いのはアイヌ人
Y染色体D系統はアイヌ系
朝鮮人は中国の影響、特に満州人に非常に近いから当たり前だ。朝鮮人もまた渡来人が主体の国である
日本でも基本的な国作りは渡来人だが日本神話にあるように天津神が国津神と頻繁に混血してるからこれだけ先住民の血が残っているのだろう。今になって拝外主義が強まってるから御先祖様の方が融和してやっていこうという意思が強かったかもしれない >>509
さすが、日本の歴史も知らんチョンw
奈良には、平城京といって、当時としては巨大な計画都市が作られていたのだよ。 >>521
魏志倭人伝に頼ってる以上水掛け論
全国の古墳掘る許可を宮内庁が出せば5年あれば結論出る問題 >>481
本当に勘弁してください
そう言ってる教授は10年前は沖縄はムー大陸だって本を出してるんです >>521
BSでやってた九州説の特番見て欲しいな
あれはよくまとめられててなるほどーって納得した 畿内説のご先祖様について
『 例えば、大阪府大園遺跡では5世紀中頃から6世紀までを中心とする100棟以上の掘立柱建物が、
京都府森垣外遺跡では5世紀後半の掘立柱建物が119棟も見つかっています。
さらに、これらの集落には「大壁建物」もありました。
「大壁建物」とは、方形に掘った溝の中に互いに接するように立てた細い柱を、土で塗りこめて
壁にした建物で、渡来系集団の住居と考えられています。
これらの集落では、朝鮮半島の土器に類似する「韓式系土器」も多く出土しており、
渡来系集団との関係がうかがえます。
他に、滋賀県大津市周辺などの古墳時代に渡来系集団が多く住んだ地域でも、多数の大壁建物と
掘立柱建物の集落がみつかっています。』 邪馬台国も卑弥呼も存在しないというのが暗黙の了解になっているのに、こういう論争で銭儲けしたい輩がまだいるんだな
大体魏志倭人伝以外に邪馬台国も卑弥呼も一切出てこないだろ?
そんなものはハナから存在しないんだよ w 九州はない四国はしらん
近畿が一番有力だと思うだろ?
たぶん存在しないが最も有力 >>523
使者っていうか、ヒアリング対象は交易の商人じゃない?
魏の人は北九州沿岸だけしか移動していなかった、あたりでは
内陸は外国人にとっては危険だし >>526
今は天理教の天理シティがそれそっくりですな >>526
平城京の下は旧石器時代だよ
つまり無人だった >>527
すでに、学会も日本の国民も、近畿説で決着が付いてるが、
チョンが、日本支配をたくらんで九州説を持ち出してるだけだよ。
九州説なら、朝鮮半島の影響下で日本の国家が形成されたとコジつけやすいからな。 皇国史観にそぐわぬ物は存在そのものを否定しますか これだから国家神道カルトは >>533
邪馬台国が出雲ならば、敵対する狗奴国は大和になる。
それはそれで面白いと思う。 >>1
まあ地理的に見ても九州説が有力だと思うな
だって畿内まで歩きだか馬だか移動したと考えたら
中国の書物の記述ある移動距離に合わないだろ >>537
奈良は弥生住居がほとんど出土しない
生活痕がない
出てくるのは土木用具と飯炊き土器と残飯 >>540
何で天皇のご先祖様が卑弥呼じゃなきゃいけないんだろう 政治学、宗教学的には畿内が邪馬台国
考古学、歴史学的には九州が邪馬台国
ただし九州というと狂人扱いされるので畿内が邪馬台国 邪馬台国は仏教と同じで突然降って湧いたんだろうな
それこそ大昔にあった可能性はあるが謎だらけ >>544
イヤミなんだがw
天理教が一番のシティだろww >>541
狗奴国が大和だと思うね
邪馬台国は小国だったからこそ、中国に助けを求めた お教えしよう
邪馬台国は筑紫平野北部であり畿内
九州北部は当時の日本中の豪族のための戦場
それぞれにバックをつけて戦争してた
吉野ヶ里は大乱後放棄して畿内へ撤退 >>538
すでに上で述べられてるが、
北陸福井の地が中国と直接交易して巨大な富を蓄え、
それによって、人がほとんど住んでいない奈良・近畿に都を作ったのだよ。 >>520
あったんだよ
現実を見ろ
あと支配者は王じゃなく巫女だから
ヤマト王権という言い方も間違いだよ 隋の2代皇帝・煬帝に送った有名な国書は内容から見てどう考えても大和朝廷でなく
九州に存在したであろう別の王朝のものである >>539
DNA的には、半島人は日本人と中国の北方民族の混血と言う結論がでてるけどね。
だいたい魏志倭人伝に半島の南部は倭人の勢力下と書いてあるだろ。この頃の渡来系というのは半島南部にすんでた倭人のことだ。 >>546
考古学的に両者は無縁
しかし天皇は九州の文化を引き継いでいる
そこが謎 邪馬台国は占いのトップが仕切るぐらいの国、倭国=九州 で間違いないよw >>551
すると、狗奴国の男王卑弥弓呼とは、崇神だね。
それはそれで面白いと思う。 >>558
>しかし天皇は九州の文化を引き継いでいる
引き継いでないだろ
邪馬台国が九州にあったかどうかは別にして >>553
日本海交易ネットワークは縄文時代から構築済みだからな ウラジオストク近郊の遺跡から日本産黒曜石の石器が出土したりしてる >>519
鉄鏃の出土数が古代史を雄弁に語ってるよね
京大文学部も苦しいよ
祭祀サボリ皇后で皇室の権威も落ちてるし
畿内説は皇室と京大文学部がでっち上げたファンタジーだから 天津神と国津神の国譲りの話からみるに
中央政権の有力者の交代はあったんだろうなぁとぼんやりは考える 邪馬台国と大和王朝がイコールなのか
卑弥呼とアマテラスがイコールなのか >>428
なんだそのウソはw
アイヌ人という概念やアイヌ文化は13世紀に初めて生まれる。
半島の先住民は縄文人だし5世紀までは倭人の版図だったので半島系渡来人は倭人なのだよw
大陸系の流入は2800年前と5世紀以降にちょろちょろとだ。
37000年前から日本固有のD1a2のハプロタイプを持つ人達は北海道から沖縄まで隅々まで分布して現代日本人の4割が持っている主流のハプロタイプだぞ。 >>504
「戦いは同じレベルの者同士でしか〜」に従い、ほぼ拮抗していたんじゃないかな
もし邪馬台国を倒した国が魏に朝貢しても今度はそこを親魏倭王としそうだし >>558
天皇制の根本となる祭祀の様式からして中国ルーツやし九州のが混じっててもあんま不思議は無いんやないかい マンガで「邪馬台国はここだ」って西日本がバーンって出て終わりってのがあった
何処よw >>1
常識的に考えて九州説が妥当だろ
近畿説とか引っ込みがつかなくなった狭い業界でだけ地位の高い馬鹿学者の面子が潰れるから残ってるだけ
エジプト学辺りと同じ
人文系学問はこういう馬鹿どもが公然と批判されないからいつまでたってもオカルト止まり 九州説はここまで何一つ知らないのにこんだけ確実だ!絶対だ!とか言えるんだからな
流石は珍説だけはある
ある意味凄い
なんの知識もないに強弁できる姿を見てるとカルトってこうやって構成されていくんだと分かるな
別な意味で興味深い 考古学的に、というか声のでかい奴が近畿説を唱えてるだけだろ
地理的にも発掘品などによる状況証拠的にも九州北部説の方が現実味ある 邪馬台国は九州じゃないの?
近畿のは別の国でしょ
知らんけど >>555
別の王朝があったりしたら困るんだよねえ
だから握り潰してる 旧唐書に北部九州を中心としたエリアを倭国、近畿地方を中心としたエリアを日本国と書かれている。 九州が栄えていたとは思えないな
その後の大和朝廷とか考えると 最初から機内にあったなら宮崎に伝説とか無いだろ そんなとこ当時は外国並みやし よく外人が言ってるのは世界がローマやイエスの時代に日本は石器時代だったという勘違い
全て邪馬台国のせいな。実際は明らかに神社などが存在してる時点で古事記などの文化なんだよな >>576
お前さんみたいに
「常識的に考えて〜」
「普通に考えると〜」
って言うのが多いけどさ
膨大な研究史が積み重なってる問題をそうやって語るって
学問否定してるよな 238年 卑弥呼 魏に生口10人を献上
↑
貢ぎ物ショボいやろ >>529
見たわ、ゴりゴリの畿内説やったけどあれ見て邪馬台国東遷説支持になったわ
邪馬台国は北部九州で地名や人名の漢字に意味はないし古代文字がどう発音されていたかが重要
音こそが場所を特定する重要な手がかり、ヤマト=古代九州のことでそれは縄文より続く古い呼び名。 テドロス大村が卑弥呼は愛知県民とか言ってくれんかなw ウンコがチョッパリの国民食だからって火病起こすなよお前ら! BC770年 春秋戦国時代
│
BC221年 秦(キングダム)
│
BC206年 漢(項羽と劉邦)
│
184年 三国時代(三国志)
│ ←────────────卑弥呼
265年 晋
│
439年 南北朝(蘭陵王)
│
589年 隋
│
618年 唐
│
663年 白村江の戦い 実際のところ、奈良には弥生遺跡というものはほとんど存在しないのです
纏向遺跡もほとんどが3世紀末以降の遺構です(台与時代より後)
「桜井市纏向学センター」
辻河道出土の銅鐸と特殊埴輪(桜井市大字辻)
辻河道からの出土遺物のうち、特筆すべきものとしては纏向遺跡第7次調査出土の特殊埴輪片や銅鐸の飾耳があります。
銅鐸の飾耳は突線ちゅう式銅鐸の破片ですが、纏向遺跡では弥生時代の遺構は 極・め・て・少・な・く、数少ない弥生時代の遺物の一つと言えます。
弥生時代の遺構は 極・め・て・少・な・く
弥生時代の遺構は 極・め・て・少・な・く
弥生時代の遺構は 極・め・て・少・な・く 太陽が昇り、太陽が沈み、東西南北に太陽が見える土地だろ >>595
「桜井市纏向学センター」ってそんな変な文章書くんだw 中国歴史民族人物絵図にも記載してる
中国東北部にあった高句麗
朝鮮半島の百済や新羅
日本列島の倭人
全てアラブ人顔でありツングース系のシベリアエベンキルーツ顔では全く描かれてない
高句麗はヘブライ人達北イスラエル人達部族の国
百済は日本から渡ったヘブライ人達アイヌ部族の国
新羅は日本から渡ったヘブライ人達アイヌ部族の国
日本列島はヘブライ人達アイヌの国
倭人の倭はヘブライ語でイワレでヘブライ人達を指す
中国はウイグル人やヘブライ人達の国
朝鮮半島は日本から移り住んだヘブライ人達アイヌの国
日本列島はヘブライ人アイヌの国
日本民族
アフリカ出の旧モンゴロイドのトルコ北部の遊牧民アイヌで旧モンゴロイドのY染色体のD2遺伝子を持つ唯一の民族
4〜5万年前にヨーロッパの気候変動でシベリアを経て日本列島に住む
縄文人達アイヌが7300年前の桜島カルデラ噴火の影響で日本を離れ世界へ散らばり2500〜1800年前に弥生人として日本に戻り渡来
縄文人と弥生人は全く同じアイヌ
言語
ヘブライ語のひらがなやカタカナやヘブライ語のセム語の漢字
ヘブライ語のバンザイは漢字で万歳
ヘブライ語意味はユダヤは神への感謝の言葉
宗教
自然崇拝の山岳信仰の神道
民族の特徴
黄色系で小柄で二重の目と彫りが深い
馬鹿チョン
デニソワ人との混血新モンゴロイドのツングース系シベリア狩猟民族わい族やオロチョン族
1万年前にデニソワ人との混血で生まれた新モンゴロイド
12世紀モンゴル元寇にシベリアから追われ朝鮮半島に住み着く
中国歴史書にも記載
百済や新羅は日本から渡った倭人のヘブライ人達の国でシベリアエベンキルーツの朝鮮人達ではない
言語
シベリアエベンキ語
アリランスリランやオンドル
19世紀までエベンキ語を話しハングルは日本統治で勧められ使用
宗教
ツングース系のみの信仰トーテニズムの天孫信仰の鳥を崇めるトーテンポールの信仰
民族の特徴
肌が白くツングース系で目が一重でつり目でアゴやエラが出たイビツな頭蓋骨
中国人
デニソワ人との混血新モンゴロイドのツングース系シベリア狩猟民族
漢人はヘブライ人のカナン人達で現在のツングース系の中国人達では無い
1万年前にデニソワ人との混血で生まれた新モンゴロイド
11世紀モンゴル元寇にシベリアから追われ中国大陸に住み着く
中国歴史書にも元の襲来で民族入れ替わり
言語
シベリアエベンキ語
漢字はヘブライ語のセム語で中国人達の言語ではない
宗教
ツングース系のみの信仰トーテニズムの天孫信仰の鳥を崇めるトーテンポールの信仰
民族の特徴
肌が白くツングース系で目が一重でつり目でアゴやエラが出たイビツな頭蓋骨 魏志倭人伝をそのまま読むと沖縄台湾やねん
邪馬台国は沈んでもうてん ムー大陸でがんばって広げてみた >>557
中国の古代中国専門家が言うてたで
「魏志倭人伝を一言一句正確に事実を書いてあると思ったらあかんよ
当時のこれ系の書物は伝聞がほとんどやで」 >>573
戦争勃発につき遠方の大国の支援を求めているわけで、制圧したから朝貢する王の名をくれといっているんじゅあないのが気になる。 >>525
逆にその一部ってやつがアイヌで残りは縄文残党でアイヌじゃない
だからアイヌ系じゃなくて縄文系な、D系統
なんでアイヌなんていう近世に成立したものを持ってきて日本人の先祖とかって意味不明なことを言い出すのか? >>592
チョッパリ全国民がウンコは日本の国民食って言ってくれんかなwww 今の神社が出来たのなんて殆どが明治以降の話だろ それまであったのを破壊した後に 俺は四国を推す
問題が起こったら間を選ぶという日本人らしい宙空的スタンスを取りたい >>602
見てきたけど
「極・め・て・少・な・く」こんな書き方してないじゃん
ソース提示したうえで捏造すんなよ 村おこし失敗?
能無し学者による公金横領で財政悪化か?w
<ソース>
読売新聞YOL(21.11.2018)
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。
■纏向遺跡の調査実績
・木製の土木用具一式
・東海産調理用土器と残飯
・3棟構成の古墳造営ドカタ専用食堂
・蛙の骨(カジリ痕有り)
・桃の種(カジリ痕無し)
■結論
纏向遺跡は大陸、九州とも疎遠だと判明した >>607
死国は無いでしょ
内海とは言え海を都合二回超えて朝貢とか >>601
魏志倭人伝もリアルタイムの記録ではなく、後の史料にも邪馬台国の名前は残っているので
この場はしのいだんじゃないかなと勝手に想像している 生口とは特になにもできないお前らみたいなのではなく機織りとか専門技術を持った者だそうだが、
進んだ魏に行ったところで「は?お前その程度のことしかできないの?」って目にあっただろう >>525
弥生人渡来人説というのがねつ造だったのは
もう明らかになってきてるぞ
縄文人も長細い顔から四角い顔までバラエティに飛んでたし
稲作も縄文時代から始まっていた
それをNHKが人骨写真をねつ造して渡来人説をでっち上げた
縄文人も弥生人も平安人も、全部同じ日本人やで >>558
日本書紀によれば天皇の先祖は日向つまり九州の宮崎あたりにいたらしい 日本列島の歴史
地理条件
列島が黒潮の流域 常に南方から人や文化が流れてくる
南北に長い 耕作適地は南方
石器時代 黒曜石の産地が発展 隠岐 此処に朝鮮半島からの海流により人が漂着し出雲文化をつくる
銅器時代 出雲が其の勢力を広げる 現在の関西弁範囲 当時は銅鐸文明 トウテイ国であり
親呉圏として国の温存を図る
鉄器時代 朝鮮半島で産出する鉄を得る必要が生じる 其の為 南方系海洋種族の天孫降臨族を
鉄の運送に使用する いち早く鉄を入手し 強力な武装船舶集団と化したアマテラス族は
出雲が支配する博多を強奪する 抵抗したのはサルタヒコ達だが敗れる 呉と対立する魏と結ぶ
伊都 博多を拠点とし九州を征服する 朝鮮半島の拠点は任那 倭国成立
紀元頃不遇を託つ神武兄弟が新天地を求め 銅鐸圏へ侵出を試みるが大阪湾で敗退し迂回し
熊野から奈良へ侵出し拠点をつくる その後呉が滅亡する280年まで奈良に逼塞し後周辺へ侵出する
しかし継体になり元の出雲の支配下となった奈良は倭国に反抗を始める
継体は倭国君磐井を暗殺するが息子カツコに敗れ奈良へ逃亡する
662年倭国が唐と戦い白村江で破れる 唐と内通していた天智は公地公民と称して
倭国の領土領民をわが物とする
天武は進駐軍唐のカクムソウと結び天智の息子二名を殺し政権を掌握し 倭国の日本旧記を
捏造し日本書紀をつくる 邪馬台国なんてそもそもなかったって説はないの?
どこにあるかもわからないってなかったって考えたほうが自然だろ >>617
>NHKが人骨写真をねつ造して渡来人説をでっち上げた
超有名な話だな >>1
そもそも九州にあったら魏志倭人伝で行ったて書かれるやろ?
行かずにあるらしいって書かれてる時点で九州から遠くにあるってことやろが! 三国志もでたらめだらけだから
魏志倭人伝も怪しすぎる >計其道里 當在會稽東治之東
その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
>所有無與?耳朱崖同
持っている物、いない物は?耳、海南島と同じである。
>倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣
倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。
ムー >>617
やたら5ちゃんで渡来人渡来人言って関西人叩いてるのも電通工作員だし、
NHKは電通の配下だしな
まあ意図は見え見えだな 最先端の学説
○卑弥呼は宇宙人だった。
○邪馬台国は北海道にあった。 「邪馬台国」って固有名詞じゃなくって「ヤマノテ」で高台にいる指導者の居住地のことだぞ >>578
そもそも魏志倭人伝に邪馬台国は九州を通り過ぎた沖縄と書いてる時点で
九州北部説は成立しない >>589
根拠のないろくでもない思惑に則った膨大な研究史なら全てゴミだよ
歴史があったら価値があるという考えが既におかしい
価値のないものがいくら積み上がろうとそれはゴミの山
虚学がいかに膨大な論文や難解な理屈を有していても虚学なことと同じ
フェミニズムみたいなのがこれから100年経とうとまともな学問になれないのと同じだよね >>618
それが邪馬台国ではなく、狗奴国だと思う
神武は狗奴国の男王だよたぶん 邪馬台国のあった四国剣山山頂は四国は勿論淡路島や近畿平野一帯を見渡せる場所
邪馬台国が海に囲まれた四国だからこそ
ヘブライ語のセム語読みの魏志倭人伝の記す邪馬台国の位置が海に囲まれた場所で物語る支配する国を見渡せた場所が四国剣山山頂だからこそ
九州平野や近畿平野ではあり得ない発想 >>14
そんな大帝国が狗奴國にてこずったとかちょっと考えにくいな >>601
同じ言語を話す者同士の争いだったろうしね。
邪馬台国と狗奴国が、どっちがどっちを滅ぼすとかいう歴史ではなく、
どちらの系統から王を出すかの争いで、下々どころか豪族は全く入れ替えがないとかかもしらん。 >>587
天皇の祖先が宮崎から出発して畿内を征服したという話も日本書紀に載ってる >>595
高千穂辺りを支配階層のルーツとしていた日本を出雲から上陸した大陸系民族が侵略して最終的に奈良に本拠を定めたと考えるとしっくりくる話やな 畿内説の見解
「北部九州では紀元前1〜2世紀、朝鮮半島から鉄の素材が入り、加工して流通するようになった。
弥生時代、倭で最初に本格的な金属器社会に入った地域だ。
初期の国家について「鉄が権力をつくる」との説を私は支持している。
ではなぜ鉄の一大生産地だった九州に比べ出土品も少ない近畿に大和政権ができたのか。」
根拠は創作中
松木 武彦 大阪大文学部卒、同大学院博士課程単位取得。
専門は日本考古学。日本列島の古墳研究や考古学を通じた戦争、国家形成論などを研究。
2014年から国立歴史民俗博物館の研究部門教授。 国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c 八幡宮の宇佐や住吉の神なんかは由来が九州
宗像大社もそうだがこの辺が九州がらみかな
九州の海人は平安時代まで天皇の食事を用意する役職だったし 日本人というのはこれ
https://i.imgur.com/9u4lyzp.jpg
アフリカを出発した人類が、様々なルートをたどってたどり着いた東の最果ての地
イーストエンドの日本でまざりあった
もう他に行く場所がないから、仲良く暮らすしかなかった
大和、和という国号がそれを体現している
これが縄文人、弥生人、平安人、江戸人、日本人である >>639
読んだが神武が大和を制服したとは書いてなかったぞ。
高千穂を出奔した兄弟が大和を目指す旅に出、苦難の果てに、ナガスネヒコをだまし討ちして、
三輪山の姫に入り婿するサクセスストーリーだった。三輪山の王は神武に下ってないという。 そもそも九州と山陰地方は当時朝鮮の支配下。遺跡の様式で丸わかりなのよ >>612
いうても時系列的には陳寿はもう生まれとった時期の話なんやけどな卑弥呼の朝貢て >>608
田舎盆地のガイジはそういう揚げ足取りしか出来んのか…
情けない
もうブブ付け喰って黙ってろ >>641
プッ、、日本の学者以外は九州って言ってるけどねwww >>649
稲作の民と大陸民族って分けて考えるのか >>641
魏志倭人伝を裏付けるものが発掘された? >>558
謎でも何でもない
近畿ヤマトは漢委奴国王一族の神武が、代々治めていた伊都國から逃亡して建てた国
A)九州で何らかの理由により統治者の漢委奴国王が居なくなったから後継者争いで倭国大乱が起きた
B)九州で何らかの理由により倭国大乱が起こり漢委奴国王が敗北して九州から逃亡した
どちらかによって空白地帯となった九州で新たに共立されたのが親魏倭王卑弥呼
その頃の漢委奴国王一族は出雲や吉備を流浪して奈良の山奥に辿りついた バカって無敵だよな
自分が物凄い恥ずかしい事叫んでるのに気が付かないで自慢げなんだから
九州説のこの間抜けな姿はいつ見ても驚く
素っ裸で往来を堂々と歩けるような珍妙な人間達だから仕方ないとしか言いようがないなw 九州は近畿の出向機関、卑弥呼はそこの一番偉い巫女
使者はそこに来て旅程とメンツの都合で「王にあってきた」って帰って嘘ついたんだろ
全て辻褄が合う まあ九州論の強みとしては日本海近くキョリ的には圧倒的に交通がしやすい点だと思うけどね
畿内たとえば京都奈良なら上陸してからさらにかなり陸路があることになるっけさ 関係ない邪馬台国が神の国の日本アピールしてるのと同じで、現代も朝鮮や中国が日本アピールしてるからな
神の真理は過去に起きたことが三度繰り返すらしいから当たってるわ。二度あることは三度あり、三度目で終わるらしいけど >>642
機内型ウイルスによる穢れに北九州の豪族は太刀打ちできなかった説
いくら製鉄技術があってもウイルスには勝てなかったのである 水行○日、陸行○日とかアホかよ
その時々の条件で違ってくるだろうが
気象とかメンバーに病人怪我人が出たとかで >>1
>考古学界では近畿説が圧倒的優位に立つ中、
>なぜ九州説の「逆襲」ともいえる状況が生まれているのか。
奇抜な説を唱えて本を売りたいからだろうに
迷惑系ユーチューバーと本質は同じ >>14
近畿から九州に至る統一勢力があったと仮定した場合、
輸送は瀬戸内海、航海技術の未熟さから沿岸を進む
沿岸の川沿いで、平野の場所が中継地として栄える
その割には山陽や松山平野の古墳群が寂しい
だから、その説はダウト この小さな日本でたかだか2000年前の都がどこかわからない
つまりその当時、中央と呼べるようなところは無かったんだろう
その後、3〜4世紀にかけて発展していった でいいだろ >>653
ん?
捏造したのお前だぞ?
しかもあたかもソースを引用したような形で
そうとう悪質なやり方だわ 神武東征とか言ってるけど、そんなたいそうな史劇ではなく、
大和盆地の警備部長の交代に読めたぞ。
ナガスネヒコからホホデミに交代。 当時鉄(素材と完成品を輸入)は核にも匹敵する戦略物資
奈良盆地の鉄は出雲よりも百年ほど遅く西日本では一番の未開の盆地
一方、公孫氏の治めた楽浪には倭人取鉄と記録あり、
早くから日本海を超えてまたは朝鮮南部から倭人なる部族が鉄の交易に来たと分かる
これは鉄器の出土から見て九州人に連なると見て間違いない
結論を言えばこの公孫氏時代、倭とは九州人のことで当時奈良盆地は只の石器時代 >>665
裴世清の日程や紀貫之の日程を参考にしたら
奈良まではたどり着かないことがわかる のちのヤマトとクマソってのは結構インネンのある間柄なわけだけど
直接関係あるかは疑問視されているね この時代の一番の問題は距離だから、九州以外はありえないんだがな >>419
全然違う、完全に逆
元は100国統治してたのが倭国大乱で分裂して、30国だけ従えてた勢力が帯方郡に使者を送ることに成功した
敵側の勢力地を深い山道の抜け道通って寒村から船を出してね 九州説のほうが韓国起源を主張するのに都合がいいからだろ。 邪馬台国が九州にあったとすると
大和朝廷とは関係ないという証明になるね。 NHKがでっち上げた弥生人渡来説
朝日がでっち上げた従軍慰安婦
歴史の教科書の嘘がどんどん暴かれる >>673
卑弥呼の時代の3世紀ぐらいは畿内の古墳からで鉄はたくさん出てるよ
畿内の古墳から見つかる鉄器の一部
○ホケノ山 畿内 3世紀中葉
鉄鏃 約60本
素環頭大刀 1口
鉄製刀剣類 10口
○椿井大塚山古墳 畿内 3世後葉
鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、
銅鏃17本、鉄製甲冑1領、鉄鎌3本、鉄斧10個、
鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上、
鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本
その他鉄製冠ではないかと疑われる鉄製品
○黒塚古墳 3世紀後半
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品 人は南から来て南から栄える
わざわざ寒い土地に行くかよ 自殺行為だね そりゃまあ小さい島国と言ったって人間の視野から見ればそんなことはないわけでさ
ヤマト クマソ エミシ 出雲という4勢力がほぼ確実にいたとされてるわけで 魏志倭人伝で参考にした報告書を書いたやつのなかに
敵国呉の建業近くに邪馬台国があるように方角、気候、風土、風習を南国ぽくして
勘違いさせた犯人がいるな たぶん張政やな 畿内は鉄がないから邪馬台国は九州と九州説は騙そうとしてくるからみんな気をつけな >>688
戦に敗れて逃亡したのだから仕方がない
大事な金印を持っていくことができないほどの大惨敗だ >>680
当時韓国なんて国無いんだから関係なくね?
新羅、百済、高麗とかと九州が交易してたってだけの話だし >>684
歴史はでっちあげることは不可能。
史料も遺跡も出るから。 倭国大乱とは
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火
181年 『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった」。
182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く。
184年 黄巾の乱
181~184年頃 『梁書』によると「霊帝光和年中(178年 - 184年)」に倭国大乱が起きた。
184年頃 『三国志』によると卑弥呼が女王になった。
黄巾の乱のスローガン「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」は
噴煙によって青い空が無くなり、空が黄色くなったことをあらわしている。 邪馬台=やまと なんだから畿内なんじゃないかね。卑弥呼=日ノ御子 で天皇のことでしょ。 決定的な証拠はないわけ?
証拠が出てくるまで論争し続けるの? 東大も九州説を捨てたというのに、
ここの爺さんたちはいつまで九州説にしがみついて、時間を無駄にするんだろうか >>600
前半はその通りでだから厳密な史料批判が重要になるけど
後者についてはどうだろうな
同じく中国史の専門家の人は古代中国をなめたらあかん
使者は現地に行ってる、皇帝の命を受けているのにそんなことできない
ということを言ってたけど >>684
邪馬台国と大和王権をこじつけるのも捏造事件の一つと言われている >>670
日本に文字が無かったから分からないだけ 八咫鏡はもともと大型内行花文鏡のサイズだったらしいね
大型内行花文鏡はほとんど九州で出土しているよね >>692
という歴史をあとから作ったのかもねー
何が本当なのかは現代人にはわらかんよ。それでいい >>697
三角縁神獣鏡とか邪馬台国は畿内にあった証拠はたくさんあって
学説でも40年は前に畿内説で決着ついてるのに九州説が絶対認めない >>694
史料や遺跡から事実を探っていくのは西洋風の歴史学。
東洋の歴史学は権力者が編纂させた史書が全て。
数百年数千年前の「事実」も現在の権力者が自由に変更できる。 >>690
それで合ってる。
邪馬台国の場所をわざと間違うと魏の連合国で呉を取り囲む形になるから。
呉の北 → 魏
呉の東 → 邪馬台国(魏の同盟国)
呉の西 → クシャーナ朝(魏の同盟国) そもそも三角縁神獣鏡はなんちゃって倭鏡と結論されオカルト畿内説でももはや一顧だにしていない
逆にそこまでして粗製乱造するほうが怪しいからである >>694
謎の史料とか所詮は仮説になるだけだけど捏造したい連中は作ってくる可能性があるからな。実際の文化や伝統から考えなあかんね。
戦国時代とか多くの仮説が歴史になってたりもするからね で、土地も人間も湿気た盆地カッペどもは九州説にヒステリックにマウント取る以外にどう有効な反論が出来たの? >>685
子ども達に畿内説のような嘘を歴史として教えるのは良くない >>695
なるほど
タウポ噴火 → 倭国大乱 → 漢委奴国王神武が敗北して逃亡
→ 統治者がいなくなって空白地帯となった九州で卑弥呼が共立される
こうかな 日本列島の成立の頃から 南方海上よりの黒潮海流は常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており
漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 此処を超えて多数が来たとは思えない
南方より漂着した人々は石器時代には黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始めた
石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める この時の日本には大阪には親呉圏の銅鐸文明が栄える 銅から鉄へ移行する時
ニンポー 台湾 琉球などから来て九州北部に鉄を持った天孫降臨族が発生し博多を拠点とし九州を支配下に治め倭国(チクシ)を支配する
チクシという呼称は既に周の時には使っていた
勿論大陸との外交は重要で周や漢や魏と交流する その間の出来事は ニニギのヨシタケタガギ(場所は福岡市西区) 金印(カンノイトコクオウ)
同じくヤマイチ国のシンギワオウ(ヒミカ)場所は福岡県春日市スクオカモト(絹の出土)
倭の五王(都督府を大宰府へ) 磐井天皇の律令制度 サチヤマ白村江の戦いでの敗戦および唐軍の大宰府進駐などがあり700年まで続いた
1年頃今の糸島市で不遇を囲っていた神武兄弟は新天地を求め大阪侵略を思い立つ
勿論神武兄弟以前にも多くの侵略者が行ったがいまだ成功は見なかった
大阪の銅鐸文化圏へ天孫降臨族の不断の圧力が今の岡山県あたりで前哨線となっていた
当然銅鐸圏の東鯷国ナガスネヒコの防御は明石や淡路島で堅かった 為に神武兄弟は鳴門をとおり大阪湾へ突入したが散々に負け神武の兄は死ぬ
その後熊野をとおり奈良へ侵入し殺戮の限りを尽くすがその後スジンまでは奈良に逼塞する
250年頃呉の滅亡で後ろ盾を失った銅鐸圏へスジンは侵略しその後ジンムの末裔を殺戮する
欠史8代とはスジンが史実を知らなかったことが理由
その後北陸へ半島より渡来した継体は応神五代の末という触れ込みで奈良政権を奪う 内紛に感けて継体の侵略を許した
奈良政権を奪った簒奪者継体は次に倭国簒奪を狙う モノノベノアラカイへ九州を与え本州は自分がとるとの密約は周知の事実
此の倭国侵略で継体の嘘が露になる 分流の奈良は称号に倭(チクシ)と名乗り倭国の末裔たる事を誇りにしていた しかし継体は半島渡来であり倭国とは何等の関係も無かった
半島の高句麗との戦いの援軍を装い磐井天皇を暗殺したが 九州の肥後の軍勢に追われ倭国奪取は出来なかった
倭国由来の血統の絶えた奈良に於いて継体以降は敵地同然の奈良の居心地は悪く 半島由来の多く住む滋賀京都を目指した
700年以後同じく半島由来の藤原一族と共に日本列島の支配者となる
この時テンムが倭国の文書(日本旧記を始めとする)を集め日本書紀に内容を剽窃した
現在の日本の歴史教科書のとおり奈良政権が日本列島を代表するようになったのは
710年から 其れ以前は九州大宰府を首都とする倭国 ■万葉集における「ヤマト」と読む当て字は多種有り
『倭』 19首(1)
『山跡』 18首
『日本』 14首
『夜麻登』 5首
『八間跡』 1首(1)
『也麻等』 1首
『夜萬等』 1首
『夜未等』 1首
なお『やまと』は都を意味し、特定の一か所では無いとのこと 卑弥呼の時代から磐井の乱までの間に遷都したんだよー
北九州は新羅と交渉してる磐井一族が支配してて百済と仲良かった大和政権の邪魔だったの >>704
それ遺跡から出土してんの日本だけの日本でこさえた銅鏡だろ 当時日本に銅山は発見されていないから銅鏡は大陸由来の銅器を鋳溶かしてこさえた物 ここの在日馬鹿チョン達は朝鮮半島朝鮮半島と言って説明してるが
百済や新羅が日本民族のヘブライ人アイヌと説明した上で邪馬台国や大和王権の説明の話をするならわかるが
現在のシベリア馬鹿チョンエベンキ部族とは全く関係ないとは絶対誤魔化し工作して言わないのが在日馬鹿チョン達
所詮在日馬鹿チョン電通や在日馬鹿チョン新聞記者の馬鹿社員が馬鹿チョン都合で朝鮮都合の誤魔化し工作
はなから誤魔化し工作してるのが見え見え 九州説なんか唱えてるのはド素人ばっかり
へそ曲がりの異端学者が数人いる程度
そもそも、畿内説と並列に並べることがおかしい >>705
西洋もつくりまくってるけどな
アメリカ大陸から突然消えた先住民とかわらう >>719
どうせバレることをでっちあげる動機がわからん。 S級神様のルーツが九州〜瀬戸内の時点で詰んでるわ、畿内は九州からやって来た
海人系倭人に武力で支配されたんやろな、開拓民の百姓渡来とか余裕やしな まだ近畿説(笑)なんて妄信している連中って
ノストラダムスの予言を未だに信じてそう >>704
三角縁神獣鏡はもっと後の時代の鏡
魏や西晋の時代の鏡は九州で出土の多い位至三公鏡とかだと中国側の専門家が言ってる
向こうは文字記録があるから年代は正確
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
> 「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳鏡(きほうきょう)・
> 盤竜鏡・双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
> 従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
> とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・至位三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
> 位至三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(365〜316)に大層流行しましたが、
> 呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
> 日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、これは魏と西晋の時代に
> 中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」 >>709
三角縁神獣鏡は蛍光分析機で調べたら魏の鏡と同じ銅が使われている事が判明
倭人伝には卑弥呼が魏に遣いを出したのは景初3年のことと書いてあって
三角縁神獣鏡にはその景初3年や正始元年と魏の年号が彫られている 科学的な思考が出来て自分の頭で考える事が出来る奴が九州説
権威に媚びるだけで科学的な思考も自分で考えることも出来ないのが畿内説
こういう認識でおk >>603
縄文人に最も近いのがアイヌで男系のD系統が7割もいるのにアイヌとD系統の縄文は関係ないとはどういう理屈だ?
日本人の祖先の主流はアイヌでも縄文系でもなく朝鮮系の渡来人。日本人(大和人)の祖先が先住民の縄文人≒アイヌ人と一部混血してるが80%は朝鮮にルーツがある。関西人(大和人)ほど朝鮮人に遺伝子が近くそこから離れるにしたがってアイヌ人と共通の遺伝子が増えていくのが日本人の遺伝子分布だ 倭国で男性王の時代が続いた(70-80年間)← 漢委奴国王一族が代々筑紫城で統治
その後に内乱があり(5-6年間) ← タウポ噴火により倭国大乱
その後で一人の女子を立てて王とした(卑弥呼の即位) ← 親魏倭王
近畿ヤマトは中華に認められた親魏倭王の権威をどうやって取り込もうか悩んだだろうな
その成果が神武東征なろう小説となったわけだ >>665
倭の商人が魏の商人に高く売りつけるために距離を偽装したと勝手に推測 >>718
中国の洛陽でも三角縁神獣鏡は出土してるよ
そしてフチが三角の鏡は斜縁神獣鏡といって中国でよく見つかる鏡
三角縁神獣鏡も斜縁神獣鏡の一種 卑弥呼時代の倭国には馬はいなかったと記録されています
■箸墓古墳で馬具出土
2001年12月
「箸墓の周濠から、馬具と布留1式土器が同時に出土した。」
奈良県桜井市箸中の箸墓古墳の周濠から、乗馬の 際に足を掛ける馬具、
木製の輪鐙(わあぶみ)が見つかり、桜丼市 教委は三十日、
「輪鐙は四世紀初めに周濠に投棄され たと推定され、国内最古の馬具
である可能性が高い」 と発表した。
■参考
・半島・日本ともにこれまで出土してきた馬具は5世紀のものが最古である。
・馬具研究史より
『樋口隆康「鐙の発生について」は、中央アジアの騎馬民族に
鐙が出てくるのは7世紀以降であるが、中国では4世紀初頭の騎人俑に
足踏みとしてのみ利用された片側だけにつけられた鐙の存在を指摘し、
中国における鐙の発生を4世紀初頭と推定した。』
■朝鮮人的歴史歪曲
数々の印象操作で創造してきた畿内説を維持しようとするがために、
奈良が中国や半島よりも先に馬を導入していたかのように歴史を歪曲? >>690
勘違いしたのは陳寿だと思う
奴は、倭国大乱で日本は分裂して、奴国の南に片割れである狗奴国が有ることは知っていた
帯方郡へやって来たのが狗奴国からの使者だったということも知っていた
邪馬台国というのは分裂前の倭国のみやこで、当時は狗奴国の支配下だったってことも知っていた
だから、邪馬台国は九州に上陸して南に進んだところにあると勘違いしてかいざんした
でも倭国は瀬戸内海を挟んで南北に分裂して争ってたわけで、邪馬台国、狗奴国の都、分裂前の倭国の都は東へ進んだところにあったんだよね 考古学会で畿内説が優位ってのがまずオカシイ
大和朝廷と邪馬台国が繋がっているとの思い込み・願望がそうさせてるんだろうね
先入観に引き摺られてる時点で学問としてダメだわ また新たな出土物が出るのが楽しみですね
時間がすべてを解決するでしょう そもそも北部九州では農具にしてた鉄器農具すら奈良盆地にはほぼ出ない
iPhoneと糸電話ぐらい文明に差がある
この未開石器盆地に使者が決死の覚悟で行くはずもなく
九州北部でヒアリングしたのが魏志倭人伝 畿内住みだがどっちでもいい
この件については学術的考察よりもこうあってほしい情報が錯綜してるように感じるね 物的証拠は九州から多く出てるから普通に考えれば九州だな 伊都国から女王国の間に30カ国余りが存在し邪馬台国連邦の最南端に「女王国」があり、「その南は全て狗奴国である」
女王国は八女だな >>729
あいにくだが、それは完全な誤りだと金属分析の専門家からとっくの昔に指摘されてるんだ
しかも平成十六年には既に指摘されていたのに平成三十年になってしれっと同じことをやってる
http://arai-hist.jp/thesis/archeaology/yamataikoku/100.pdf
> 平成十六年五月、マスコミが一斉に泉屋博古館の発表をもとにして「卑弥呼の鏡、中国鏡と成分一致、製作地論争に新展開」と報じた。
> 興味ある内容であり、さっそく関連する詳細な報告書「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」1)を入手し一読して驚いた。
> すくなくとも、金属考古学を多少でも知る者にとっては、とても容認しがたい議論が展開されていた。
> すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
中略
> たまたま、泉屋博古館の続報論文について、金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とお話する機会があったが、
> 植田氏も泉屋博古館の主張について「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、日本考古学の将来は真っ暗」
> とまで述べておられた。 壱岐から舟、脆い舟で着岸出来るとしたら、まずは九州か中国地方の日本海側。
瀬戸内海に行くには、九州に着岸したあと徒歩で、瀬戸内海に面した地域へ移動してから再度海へでしょう。
関門海峡に行ってみたらわかる。脆い舟じゃ通過できない。 逆にこの対立論があるおかげで今の知名度があると言っても過言ではない邪馬台国乃至卑弥呼 中国は三国志だし朝鮮は高句麗とかきちんと記録残っているのに
邪馬台国とか記録すら残せん部族やん
日本人は夢みすぎロマンも糞もないで実際 >>737
地図を見てごらん
「大王の墓」って近畿にしかないから。
物的証拠は近畿にしかないから >>731
もしかしてレス先の人は文化と遺伝子を混同してるのかな?
私が述べたのはあくまで遺伝子の話 >>728
三角縁神獣鏡には景初3年(239年)と魏の年号が入っている
倭人伝にも卑弥呼が魏に遣いを送ったのは景初3年と書かれている
三角縁神獣鏡は魏の鏡で
畿内の古墳からよく見つかる >>729
当時の日本に銅山は発見されていないし三角縁神獣鏡が出土した遺跡は日本にしかない
三國時代の銅器を鋳溶かして三角縁神獣鏡をこさえたとするのが最も妥当 古墳時代での近畿勢力の九州侵略の証拠ともいえる GOTO北海道。●アイヌ利権
アイヌ新法を推進した菅官房長官が、総工費200億円の国立ウポポイ訪問。
国土交通省(創価学会)が、学校に検定無しのねつ造アイヌ本を配布。
ウタリ札幌支部は創価学会
現代アイヌはチュチェ思想
ウポポイ館のイギリス人職員マーク・ウィンチェスターは、「I amしばき隊」
●「和人は出て行け!」「クソ日本人!俺の町から出て行け!」
歌や踊りも朝鮮化。今やアンティファ・アイヌまで出現 邪馬台国の卑弥呼以外にも同時代に使者を送ったのかがどうしても気になるんだな。
正史に書き残されたのが邪馬台国だけで、複数の国から使者があったと考えると、
九州や近畿から出る魏由来の出土物は邪馬台国の決定打とはならない。 >>748
西都原なんかも相当古いけど、畿内との関係が深いんだよな
諸県君の伝承もあるが 現存する某超有名神社の御神体が
焼失や消失を重ねて、そのたびに代替物とすげ替えられ
時代とともにどんどん小さくなっていった偽物(の可能性が圧倒的に圧倒的に圧倒的に高い)だなんて
ネットじゃないと書けないもんな 九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
これが、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた古代九州【倭奴国】
そして
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の子、第4皇子の神武が
魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられた奈良の邪馬台国を制圧した >>747
後漢の時代には100余国、魏の時代でも30国が朝貢していたのにな
この頃には各国内に華人のコロニーがあって朝貢をそそのかしてたと思う >>750
年号はあとからいくらでも入れられるし、畿内で見つかった鏡は国産の踏み返し鏡
鏡の仕上げ工程が出土する古墳ごとにまとまっていて国内で加工したとしか考えられないシロモノ
今どきの歴史:三角縁神獣鏡、製作地論争 画期的「国産説」の登場
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
> 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書
> 「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。
> 鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。
>
> 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。
> 鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。
> 加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。
>
> そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。
> 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。
>
> 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。
> 一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。
>
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
>
> その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が
> 各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。 邪馬台国に関する文献が全く無いのは、後の畿内政権の焚書によるものと見てるがな
天皇支配の正統性を謳うには邪魔だからね
ただ、中国の史書の卑弥呼の記述は消せないので天照大神を女性にしたのでは ID:ixrMtYLl0
こういうやつってどこから情報得てるんかな
どこの馬の骨ともわからんド素人の個人ブログがメインだろうけど
これだけデタラメ情報で判断してるんだから、そりゃ九州だと思い込むわな >>734
露店商が洛陽で出土したて言ってただけで発掘調査で発見された訳やないからそれ >>701
文字もない
モニュメントも残せない
それくらいの状態だったってことだと思うんだ
全く何も無かったとは言わないけど、そのレベルの文明(?)をことさら取り上げて
たいそう立派な国があったように言うのは違和感しかない >>743
その後間違ってなかった事が判明したそうだよ
三角縁神獣鏡に使われている銅はやっぱり中国の魏でで作られた鏡と同じだそうだ
>>751
三角縁神獣鏡は中国の洛陽でも出土してるよ
銅の成分も分析の結果中国の鏡と同じものという結果が出た
そして三角縁神獣鏡だけじゃなくて
景初3年と魏の年号が彫られている画文帯神獣鏡も見つかっている >>748
卑弥呼は大王じゃないから近畿説は消えたな >>1
九州説は、
チョンが騒いでるだけだよ。
相手にするな。 >>723
ガイジ「でも日本だけじゃないんですよ!欧米もやってるんですよ!」 こんどはでっち上げだの権力者の史書だからあてにならないだの
なんでこういうスレにいるんだ
歴史そう思ってんだったらおとなしく黙ってろよ >>747
日本人は昔から語学が苦手なんだろう
日本の昔の記録は殆ど渡来人が残したものだし
外交も渡来人がやってた >>755
御神体って石とかだろ?
像のようなのは仏寺だけなのではないのか >>743
その金属分析の専門家は朝日新聞以外から相手にされてないようだから
その金属分析の専門家が間違ってる可能性が高いけどね >>566
吉武高木遺跡の3号木棺墓って教科書に載っけるレベルの遺物だよね。
初めて知ったときは驚いたし。 九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
これが、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた古代九州【倭奴国】
そして
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の子、第4皇子の神武が
魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられた、出雲と奈良の連合国「邪馬台国」を制圧した >>766
日本から見たらアイヌのコシャマインくらいの存在だな >>767
>その後間違ってなかった事が判明したそうだよ
していません
いくら苦しいからって捏造はやめましょう
>>760のとおり畿内出土の三角縁神獣鏡は国産鏡だとはっきりしています >>775
論理的に反論できなくなるとすぐそうやってレッテル張りに逃げる
だから畿内説はウソツ畿内って呼ばれてるんですよ >>766
日本から見たらアイヌのコシャマインくらいの存在だな
文字もない
モニュメントもない 王趁意氏は中国河南省の銅鏡コレクターで、河南省洛陽市最大の骨董市へ行って、
白馬寺付近の農民から三角縁神獣鏡を譲り受けたと云う。出土状況は不明。
↑
これ >>761
なるほどな
焚書したのなら空白の150年も辻褄が合う
ますますあの一族が嫌いになってくるなぁ 邪馬台国が九州にあったとしても
滅んでしまって歴史が途絶えた大したことのない国なんだから別にいいわ >>764
>>777
洛陽の三角縁神獣鏡は発見された墓所はわかっているよ
洛陽郊外の白馬寺の近くの畑だそうだ
>>781
捏造ではないよ
むしろ世界で広く使われる蛍光分析と違う結果の出る金属考古学とやらは怪しいという認識となった
ハッキリしたのは畿内で見つかる三角縁神獣鏡と魏の鏡は同じ銅が使われていたということ だんぜん宇佐神宮が怪しい
分かってるやつにはもはや自明なのである >>787
発見()5年も誰も本物と言ってないようだがw >>759
いや、決定的な証拠はある。
奈良が大和地方といまだに呼ばれてるからな。それ以外の証拠は必要ない。 こんにちは、邪馬台国の兄です。
このたびは弟が申し訳ありませんでした。 九州に邪馬台国のような代表的な国があったなら
なぜその後のヤマト王権で九州にいた奴らを異端視していたのだろう 邪馬台国が九州だとしたら同時期に始まる強大な奈良の勢力との整合性がつかない
九州邪馬台国が存在したとしたらそれを支配するヤマトはじめとする周辺国との争いが残るはずだが中国の史書には残ってない
倭国大乱が瀬戸内中心とした九州出雲吉備越前尾張などとの争いで、和睦して卑弥呼を立て奈良に新都市を建造したと考えるのが最も妥当 無いものが有る訳ないだろwww
九州説 近畿説ってのがそもそもおかしいw
偽の王を立てて大義名分とか そんな所なんじゃね?w
一所懸命説を唱えてた人には申し訳ないが・・・ >>735
軍人である張政の使者が邪馬台国に来てるからね
その時、軍馬も連れてきたと考えられる
箸墓(卑弥呼の墓)の周辺から出土したのなら、軍馬を連れてくるのは張政の使者だろうから
箸墓が卑弥呼の墓である証拠になるね メトロノーム熊本を見てると近畿だろうな
九州は嘘つき >>791
加工跡から見て当時の特徴があってほぼ本物だろうという結論だそうだ
あと畿内からは三角縁神獣鏡だけではなくて
景初や青龍など魏の年号の入った方格規矩鏡や画文帯神獣鏡も見つかる >>794
そうだよなw
普通は、それなりの礼儀は尽くすな。
しかし、実際は「九州の蛮族」だからなw 仮に邪馬台国が一勢力に過ぎないとして
魏の金印を持ってこれが王の証拠だと喧伝して戦乱の世を渡ろうとした
という筋書きはなくもないけどね
まあ今やるとどえらい問題になるけど(笑) 人が死ぬだけでないんだし
議論させておけばええねん 中学生向けの古事記の本読んだんだけど
邪馬台国が九州なら古事記内容合わなくね? >>750
三角は呉由来
三角を持っていたのは倭国大乱前の統一奴国か、大乱後の北側の奴国
分裂後、北側奴国は呉と結び付いてた、というか、呉との交易を独占して反旗を翻した訳だけど、南側勢力は魏に密使を送ることに成功して、魏と同盟を結ぶことに成功して、呉ー北奴国 vs 魏ー南奴国という構図になった
そして結局勝ったのは魏ー南奴国連合
ちなみに呉の記述を参考にした部分には、南奴国のことは当然裏切り者として、それなりの記述をするわな
例えば「狗」とかの蔑語を付けて区別するとか >>787
>捏造ではないよ
ではソースをどうぞ
またウソツ畿内の事例が増えるだけだと思うがね >>767
当時の日本に銅山はないから国産銅器でも原料は総て大陸産
近畿のヤマト王朝が九州を攻め滅ぼし接収した銅器を片っ端から鋳溶かして鏡にして各地に権威の証として配りまくったんやないの 日本列島へは古代より多くの人類が辿りついて来た
多くは黒潮に乗った南方系
石器時代を経て銅器時代になり朝鮮半島より出雲へきた者たちが
銅鐸圏を形成し 大陸の周への貢献もしていた
其の勢力は近畿一円へ伸長していた
鉄器時代になり当然半島の鉄を求める行動が起こる
其の海洋流通を担っていたのが寧波琉球台湾あたりから来た天孫族
依頼者の出雲より早く鉄器を手に入れたアマテラス達は当時出雲の支配下にあった
博多を強奪した 抵抗したのは先住民のサルタヒコだが破れた
以後700年まで天孫族の倭国が日本列島を支配する
奈良へは紀元頃神武兄弟が侵出し250年かけて奈良盆地を制圧 その後呉の滅亡により後ろ盾を失った周囲の銅鐸圏へ崇神が侵入した その後は奈良政権樹立 倭国の支配下に入る
出雲族の末裔の行動は まず継体が奈良政権を簒奪する その勢いで倭国の君磐井を暗殺するが
反撃にあい破れ後殺される
次は天智であり倭国と唐との戦いの時唐と内通して倭国を裏切る この場合長く面従腹背だったとも言える
こうして古代の出雲の末裔が再び日本列島の支配者となり現在に至る
有名な歌人の柿本人麻呂は倭国礼賛が過ぎて晩年は島根県浜田へ左遷された
此の政権に逆らったのが倭国の末裔菅原道真だが 今は天孫族の古都大宰府に眠る >>802
なるほど骨董鏡コレクターが農民から買った日本でしか出ない中国鏡ねw >>795
宇佐神宮のあたりが邪馬台国で、この国は比較的、内陸型の国家
多分ここから奴国の博多を交易港、交易都市として従えていたに違いない 機内にあったなら皇室の歴史書である記紀に記さないはずがない、まぁアマテラス=卑弥呼と解釈するなら別だが あれこそ天皇の先祖だってウソツ畿内説w
的確な表現やなw >>775
えっ
反論の根拠が朝日新聞?
こんな知恵遅れみたいなことよく言えるわ >>796
倭国大乱の時代は不作が続いて各地で食料の取り合いが起こった
また沿岸部では津波による災害があり集落を移動させる必要があった
これが高地性集落の正体
瀬戸内で倭国大乱なんかなかった >>807
だろ?
記紀は狗奴国の神話と歴史だからね。
日向3代は後世の後付け >>807
むしろ畿内なら合わないの
大和王権と邪馬台国は全然関係ない勢力なんだか ところで邪馬台国のヤマタイコクっていう読み方は誰が決めたの?
台与はトヨなのに 分裂してた倭国のうち、呉と結び付いて旨い汁吸ってた側が、呉の敵である魏と同盟しようなんてするはずがないってことはバカでもわかるよな 邪馬台国が日本とか、白人が聖書の民と言ってるのと似てるな >>807
神武東征なろう小説に辻褄を求めてはいけない
神武のほんとの姿は寄ってたかって九州から追い出された愚王だ >>819
畿内説の支持者は常に反日組織
アカヒか毎日か・・・半島w >>803
熊襲とか呼ばれてたのは南九州の隼人地域の話 そもそも山都、山戸、山門の地名は日本中にあるんだよ
もちろん九州にもある >>819
>>782
まあ、朝日新聞は信用がないから
朝日新聞しか採用してない説は、信用してもらえなくても仕方ないね >>829
その熊襲が何故か中国で人気あるんだよなあw 近畿説なんてあんな超解釈なのに考古学会では優位だったのかよw >>824
つか、当時の読みはヤマダィ国の可能性が高いんだよな
となると可能性の高い地名は山田
山田は全国に沢山あるからなあ 韓国の壮麗な歴史が羨ましくて仕方ない倭寇が歴史をなんとか盛ろうと必死すぎてチンチャ草 しょぼい朝貢品で高価なお返しなんですよw
地名に似た当て字?は本来あるからそりゃ似てる
方向感覚と距離が出鱈目なので一目瞭然なのに・・・www >>830
大和と書いてヤマトと読むのは意外と最近の事だよなw >>779
発掘調査したよ
黒塚古墳からは難升米(卑弥呼の使者)に送られた黄旗の金具らしきものご出土したよ >>789
四回柏手を打つ神社
出雲、宇佐八幡、弥彦 >>820
100年にわたって高地性集落が推移してるのに津波の避難とか無いわ
瀬戸内はたいして高くならないし 邪馬台国は九州だろ、近畿大和で、他にもいろいろあったんじゃね >>837
考古学を先行する学生ってどんなん?
アホしかおらんやろw 狗奴国の副官は菊池彦だから、
天皇家には繋がらないと考えていい。 >>837
皇国史観からすると近畿説以外の選択肢は存在しないから
ただそれだけ >>1
まあ、いずれにしても、
北九州の地で、
細々と朝鮮半島ルートで、人や馬の背に荷物を載せて交易しても、儲けはタカが知れてる。
だからといって、当時の日本独自に巨大な富を集積できる要因は何もなかった。
ここはやはり、北陸・福井の日本海交易圏での富の蓄積しかないな。 関係ないけど昔ATGレーベルで作った卑弥呼って映画は面白かったな
監督はクソ左翼でどうしようもない映画人そのものだけど
あれだけ美人の岩下志麻を怪演させることだけは定評があった
草刈正雄もめちゃカッコいい むしろ倭人伝以降、大倭(おほやまと)の国号で定着したから未開盆地政権が真似っ子したんじゃないのかね
必死で魏志倭人伝のヤマトですって言い訳したらしいじゃん そもそも
邪馬台=ヤマト
卑弥呼=日巫女
だし、奈良県なのは明らかなのにな
神武東征は、九州に移住した半島勢力の畿内への侵略。
それ以降、大和国が奈良(ウリナラ:半島語)と名前が変わった。 >>761
そもそも正統性を誰に示す必要があるのかw
正統性にこだわるならわざわざ記紀で天孫が九州に降り立つ神話や東征神話を載っける必要もない奈良に降臨させておけばいいしw >>794
異端視してるか?
むしろヤマト王権は九州物部と越前蘇我が主力だろ 現在の荒れた世の中でもこんなスレが伸びる余裕があって良かった 神武天皇は、今の大分県から宮崎県を治めてた大名で、そこから天下統一して近畿に移住したって伝説もあるわな >>803
宇佐八幡信託事件で天皇を決めるくらい力あったんだが あれだけの航海術持っておいて南と西間違えるか?
ってことで九州派だわ >>696
福岡県には英彦山と言う山があって、そこには英彦山神宮と言う古い神社がある
ご祭神は天照大神の長男、その子が瓊瓊杵尊
祭ってるのが高千穂さん
麓の筑後には山門があり、英彦山と宗像大社とは活断層が貫いてる >>49
その朝鮮は半島の事であって、
現在の朝鮮民族では無いけどな。 瀬戸内海沿岸のどこかで埋もれちゃってるね
東西広域な各勢力をまとめるには中間的な位置が理想的 >>841
倭と書いてやまとと読む
倭が和でやまとになり
国名を2文字の漢字にする勅にて大和になった
紀国や泉国が紀伊や和泉になったのも同じ時期
津国が摂津になったのも同じ時期 理性のある人間だったらすでい九州有明で確定しているだろ
あらゆる角度から整合性がとれてきちんと証明できている やっぱ文学部とか歴史学科とかって学問界の落ちこぼれがいくところなんだよな
当然論理的思考は出来なくて、ただの妄想を如何に大声で叫ぶか、って勝負になってる 河内は安積族の拠点だから、
狗奴国には結びつかない。 >>864
というか、そもそも中国人が邪馬台国に行ってれば日月で距離を数えない >>856
奈良=なら=ならす から来てるようだな。
当時、広大な奈良盆地を「整地」して都を作ったことに由来するらしい。
日本の歴史で、「土地をならす(整地する)」ことは初めてのことだったからな。それが致命となった。 >>869
魏志倭人伝には市場の監視役として「大倭」というのが登場するぞ
大和は邪馬台国に使われてた監視役のバイトだw 九州の宇佐八幡が天皇を決めようとしたくらい力あった
2つの神託 編集
神護景雲3年(769年)5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神の習宜阿曾麻呂が「道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という内容の宇佐八幡宮の神託を奏上し、道鏡は自ら皇位に就くことを望む[2]。
称徳天皇は宇佐八幡から法均(和気広虫)の派遣を求められ、虚弱な法均に長旅は堪えられぬとして、弟である和気清麻呂を派遣した。 >>871
考古学者は有明海ルートには触れようともしないよな
都合の悪い話は一切しないバイアス民族(半島系)だからw 中華のヨタ話に何時までも付き合ってるヘボ学者もどきがええ加減にしとけよ三國志なぞただの小説より酷いんじゃないの ■ 国宝・重文の建造物数ランキング
http://grading.jpn.org/y2308a04.html
*1 京都府 292件
*2 奈良県 261件
*3 滋賀県 182件
*4 兵庫県 105件
*5 大阪府 98件
*6 長野県 86件
*7 和歌山県 78件
*8 愛知県 76件
*9 東京都 72件
10 広島県 62件
11 岡山県 55件
12 神奈川県 52件 >>841
>>869
魏志倭人伝に書かれている「大倭(倭国の支配者層)」に由来してるとしか考えられない
偶然の一致だとしたら、ありえないくらい低い確率だ 安積族は河内を拠点として大和に入っていったことがわかっている。
弥生の歴史について基礎から勉強し直してほしい。 >>872
まさにその通り
だから未だに権威が物を言うと思ってあからさまなデッチ上げやらかしてんだよw >>874
魏志倭人伝が、ただの伝聞の記述ということは、非常に可能性が高いのだよな、
というのは、
それから千年後にマルコポーロが中国に旅行した際に「東方見聞録」を書いたが、
その中の日本の記述は、丸で見て来たかのような内容だったが、すべて伝聞だからな。 この記事、続き読んだ人いる?
かいつまんでほしいw 邪馬台国韓国説もあるんだよな
当時は韓国が日本を支配してたからあり得る話 >>882
史書によれば、女王は大倭より上って事だ
邪馬台国の記事に大倭と出てくるんだから大和がイコール邪馬台国では無い事は明確だ 沖縄説最有力
親魏倭王のはんこ見つかれば確定か
誰か掘り起こせよ >>49
そういう説はここ5年10年の最新の分子生物学によって完全に否定されてる。
縄文人も弥生人も倭人。
半島は7000年前に縄文人住み着いてから5世紀までは倭人の版図で倭人文化圏。 いつもの堂々巡りツアー
どうすりゃ解決するんだろうな
そもそも邪馬台国が存在したのかさえはっきりしないし 卑弥呼はアマテラスそして249年に皆既日食で殺された(岩戸隠れ)
伊勢神宮は記念館(大和朝廷にとって)みたいなもので実際の墓は宇佐八幡(比売大神)
このことは称徳女帝が道鏡を天皇にしようとしたとき使いを宇佐八幡に送って神託したことからも明らか
つまり邪馬台国の元は宇佐周辺にあって出雲(オオクニヌシ)、奈良に東征して大和朝廷になった。
25年以上前の著書逆説の日本史古代編井沢元彦はこういう結論だったな >>794
筑紫磐井を初め反乱を起こすのはいつも九州
現代でも北九州は長頭、畿内は短頭
近畿〜東海〜南関東は短頭地域 >>890
だから「大倭」は倭国の支配者層でしょ。
今で言うなら財務大臣とかそういう役職 >>889
それなら魏志に韓国が出てくるのがおかしいだろう。同じ国ならそのように記す。 >>889
その説なら聞いたことがある。
その「韓国」は、当時の日本の皇族の一人が作った国で、
その後に、日本の天皇に韓国を献上したという話だったな。 >>889
はいはい
韓国の正史には新羅の王様は倭人だって書いてあるよ
覚えておこうね >>900
そうやって現代人感覚で考えるあたりが非論理思考なんだよ畿内説はw
当時は中国、半島、倭国どこもが戦国時代だぞバカ
狗奴国との戦争、卑弥呼死後の内乱
大倭は何やってたんだよ?w
畿内説ありきで妄想すんなカスw >>894
いや、すでに学会では近畿説で解決済み。
チョンが騒いでるだけ。 中国の王朝の歴史書は「新王朝の正統性」アピールのためだが日本の場合は「旧王朝がなかったこと」にする
「日本書紀」も、天武天皇が、天智天皇の王朝を倒したあと、自分の正統性をアピールのためにつくられるはずだった
天武天皇の死後にかなり編集方針が替わった。かつての日本が王朝の並存・交替まくりだったことは伏せられた。いわゆる大和朝廷が万世一系で続いたかのように改ざんや捏造された 河内からも、独特の銅矛が出土している。
銅矛銅戈などの分布域が安積族の進出して行った地域と重なってくる。 >>911
現代人の感覚じゃなく
魏志倭人伝に「大倭」が市場(経済)を取り仕切る支配者層であることが書かれている
覚えておこうな てか、宇佐八幡信託事件って高校日本史で習うんだが、お前ら大学行った?
大学受験した層は知っとる
九州の宇佐八幡は天皇を決めるくらい力があった 奈良盆地は単に周辺国の墓場だったというたけ
考古物証はモロにそれを示している >>916
日本書記は万世一系に無関心だよ。
関心があったら書くはずもないエピソードの連続。 九州にあった邪馬台国は、狗奴国である大和王権に滅ぼされた説が、
一番しっくりくる。 和気清麻呂は称徳天皇の命で、弓削道鏡を天皇にしてよいかどうかの神託を宇佐八幡に聞きに行ったのは、そこに天皇家の祖先がいて、宇佐八幡に祀られているヒメオオカミが実は宇佐八幡の主神でこれぞ卑弥呼、っていうところから、邪馬台国は九州にあったと井沢元彦が唱えた説に賛成 魏志倭人伝に書く邪馬「壹」國を勝手に邪馬「臺」國と書き換えて論じている連中(特に近畿説)よ、
まずここから説明しないと砂上楼閣論に終わるよ。 >>917
独特の物が出てくるってことは著作権の支配の及ばないド田舎だったってこと? >>876
ちなみに倭人伝で倭をやまとと読むのだからさ
倭=和で同じくやまとと読むのだから大倭でもやまとと読むのだよ 南と東の記載誤りはなかったが
地図イメージとして60〜70度の方向誤認があったとする説を支持する
http://washiyamataikoku.my.coocan.jp/paper/paper19.html
(上から2番目の図) なんでこんなしょーもないことで言い争ってるんだろうな。土人っすわ。 >>918
ホンマに魏志倭人伝読んだんか?w
使大倭と書いてあるだろ
大倭に監視させていたと書いてあるんだけど?w
畿内説ありきのご都合解釈ばっかやなw >>844
瀬戸内が高くならないのはまさに南海トラフ大地震の津波による影響だろなあ…… くまモンデキレースの人格障害県、熊本の嘘だろ?
「危険な東北なんか無視して、安全な熊本に来てねw」と県がほざいてた人非人地域。 長門の国。
笠山の椿公園は邪馬台国の産物。
安徳陵は卑弥呼の墓。
長州藩は実質100万石の農耕に適した土地。 支那人が適当に書いたフィクションなんてどうでもいいよ
日本の歴史と関係ない 紀元前後に先ず博多湾周辺の安積族が日本に進出していった。
ソレが所謂銅矛文化圏と言われていた地域である。
その中核の博多湾周辺の地域が奴国と呼ばれた。 まあ書記ってのはヒントでしかないからね
そのメタファーなりご都合をどう読み解くかでセンセー方のセンスが問われるわけさ >>882
任那大倭府でみまなのやまとのみこともちって読むんだから大和言葉で大倭もやまとで読みはあってると思う 馬の台て字を使ってるのがヒントだと思う
なるほど日本列島は馬の形に似ている
馬の台、すなわち人がまたがる馬の背が
邪馬台国の場所
日本海側のどこかだな
福井・京都・鳥取・島根あたりだろう >>923
それ確率高いが畿内説はガン無視しとるなw
>>927
お前レベル低すぎやでw >>929
チョンのシワザだよ。
九州説にして、日本の国家の成立に朝鮮半島が関係してるとしたいのだろう。 邪馬台国=倭国
魏の使者が倭の応接者との会話で「倭(ワ)国」と「倭(ヤマト)国」を別モノとして理解しただけ。
言うまでもなく「邪馬台国」はヤマトコクと読む。
使者が勝手に「倭国の中に邪馬台国と言う小さな王国がある」と認識してしまった、、、
誤解ですがw >>919
推古ぐらいまでと奈良時代は九州系ですな
大化の改心は天智藤原ねクーデターで
九州系列が一時期取り返してた時代が奈良時代 この感じだと邪馬台国の比定はまだまだ先のことだね。
文献的にはもう限界だし、あとは掘るだけ。掘って掘って掘りまくれ。
特にイズモ地方は発掘が進んでいない。ジャンジャン掘るべし。
卑弥呼共立がキーポイントだと思うし、魏の前の遼東公孫氏との関係も定かでない。
巻向遺跡の独特な性格もまだよくわからない。キビと密接な関係(モモの種)がありそうだが
よくわからない。
考古学の知見だけが頼りだ。ジャンジャン掘ってほしい。
注)掘るということはその地の開発と不可欠だ。今は低迷しているんだろう。 >>938
せいぜい考えられるとすれば、女王国で大倭を務めた者達が後に奈良に移り住んだんだろうと 魏志倭人伝に「僻遠の土地のことなので正直、わかりません^^」って書いてある 地名ヤマトも全国各地、呼び名ヒメミコもいっぱいいるから、困る。 そもそも卑弥呼って人おるん?その当時の役職である姫巫女のことって聞いた覚えあるぞ だから日本史なんて微塵も信じてねーんだよな。鎌倉幕府ですら怪しいわ。 神武東征で征服したのが奈良盆地であることは確実なので邪馬台国は奈良で確定してる。
卑弥呼は神武天皇以降の時代だからな。 朝鮮半島とか変わってるとか嫌だつってるガキが紛れ込んでるのが笑えるな
願望で歴史語るとかw >>956
面倒だな。
神武=卑弥呼でいいじゃん、もう。 >>724
有名になれるから
でっち上げのニュース過去にあったぞ >>956
確定という言葉は使えないんだよバカw
それ使ったか時点で無知丸出しだw 邪馬台国は九州押しだが
ヤマト王権につながったかは知らない 最も浪漫のある答え
邪馬台国は月にあった
それを伝える物語がかぐや姫だな >>956
やまとことばしかない時代に
音読みの天皇はいないだろ >>952
それって帯方郡へ行った密使が、自分は常から伊都国在住なんで本国のことはわかりませんって言った記述のこと? >>956
ちょっ待てよ卑弥呼ってアマテラス対応じゃなかったか? >>938
だから任那大倭府の大倭も魏志倭人伝の大倭に由来してるとしか考えられないが
偶然の一致とすると、ありえないくら低い確率になるで >>947
村西とおるがツイッターで「卑弥呼のケツのシワまで覚えてる」って言ってたよ >>939
その話だとそれこそ人の部分は韓半島になるよね
日本に韓国が跨がっている国が邪馬台国 近畿説は纏向遺跡がもはや邪馬台国でなかったことが決定的になり、「纒向学」に移行しつつある。
九州説は、おらが国さ、の地域おこしでやっているから、九州各地に候補地が乱立する。
東遷説は「あっちにもありました、こっちにもありました」というコウモリ。 >>958
奈良以外は、すべて「ご当地ヤマト」。
和歌に歌われた「ヤマト」は、奈良だけ。
「ヤマトは国のまほろば、ヤマトしうるはし たたなづく 青垣 山籠れる.」 (ヤマト・タケル) 神武天皇が宮崎から奈良へ東征して建国したのが邪馬台国。
後の大和朝廷である。 邪馬台国なんかより黒歯国や侏儒国の場所のほうが重要だろw 学者が頭カチカチの詐欺師だから賛同しないんだろうなw >>946
いうても佐賀の大和なんかは国府や国分寺がその辺にあったから付いた地名やけどな 邪馬台国は入墨してたし奴隷を中国に送っていた
こんな国が大和朝廷の元な訳ないだろ >>974
漢委奴国王神武が、倭国大乱で負けて、筑紫城(伊都国)から逃亡したのが東征の正体
近畿大ヤマトは漢委奴国王の末裔 >>943
いや、当朝鮮の大半は魏に占領されていて国家なんかなかったし。 邪馬台国ですと書いてあるものが出てこない限り永遠に確定はしないだろ
考古学の成果から畿内に大きな勢力があったのは確実で、それが邪馬台国とすれば畿内説
それとは別の勢力なら九州説だろう
東遷説は邪馬台国のあった時代以降には考えにくいので(東遷のあった証拠が発掘されない)東遷があったとすればもっと前の時代に小規模な東征があったのだろうね
大規模な畿内征服ではなく海賊のような勢力の畿内侵入があって畿内の片隅に定着したくらいの 佐賀の名護屋城は秀吉の挑戦征伐の時に作られたナンチャッテ名古屋だしな
卑弥呼の時代でも同様だったんだろw まあ卑弥呼なんていうキャラは商品化しやすいまでにみんな擦りに擦ったモチーフだからね
卑弥呼所有権をめぐる争いに決着がつくといいやね
卑弥呼グッズだせやと、そういうこと >>834
何を言っているかではなく誰が言っているで判断するのは馬鹿で恥ずかしいと大人に教わらなかったの? >>974なにい?宮崎から東征したのか?・・なん・・だと!?
邪馬台国は宮崎!!! それより神功皇后が実在したのかどうかの方が気になる。 また九州のチョンコが騒いでるのか
ほんま気持ち悪いなこいつら >>989
専門的な内容すぎて素人には判断しようがない
わかるのは朝日新聞以外からは相手にされてない説ということだけだ 経済で考えれば
交易が盛ん、かつ外部からの侵入を容易に防げる都市がでかくなる
ということは日本海側だろう
九州は対馬経由で責められやすいから
もう1つの対馬経由。門司海峡から本州にうつったあたり
山口かもしれないな 邪馬台国は騎馬が無かったけど
ヤマト王権は騎馬があったからね
ヤマト王権よりかなり前でしょう 何で近畿説に決まっているのに、九州説なんて言う馬鹿がいるのか
不思議だったので、九州説を唱える学者の学会での権力欲とか、そ
ういった裏話が書いてあるのかと期待したのにw
邪馬台をヤマタイと読ますのが間違いの素。
素直に、ヤマトと読めば、大和朝廷の近畿説以外有り得ないと自明
なのに。 九州の田舎者は箸墓古墳とか神殿跡とか見たことあるのか
ほんまゴミやでこのチョンコども 弥生の中心勢力は安積族なのだよ。
今まで、そういう研究が無かった事が問題だ。
博多湾周辺から安積族が日本に広まっていった歴史を紐解いていけば、
自ずと日本の歴史がわかるというものだろう。 このスレッドは1000を超えました。
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