【歴史】「邪馬台国はどこにあったのか」 考古学界で優位の近畿説に反論 九州説の「逆襲」相次ぐ理由は ★2 [ブギー★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する邪馬台国は、女王卑弥呼(ひみこ)の存在とともに多くの歴史ファンを魅了してきた。しかし、「邪馬台国がどこにあったのか」という最大の謎については、江戸時代以来、論争が続く。大きくは九州説と近畿(畿内)説の二つに分かれる中、近年になって相次いでいるのが九州説を唱える書籍の出版だ。考古学界では近畿説が圧倒的優位に立つ中、なぜ九州説の「逆襲」ともいえる状況が生まれているのか。【西部学芸グループ・上村里花】
https://mainichi.jp/articles/20200721/k00/00m/040/051000c
※前スレ
【歴史】「邪馬台国はどこにあったのか」 考古学界で優位の近畿説に反論 九州説の「逆襲」相次ぐ理由は [ブギー★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1595300860/ つか近畿とか後から墓作りまくっただけだろが?
あんなもん臭い玉にもあんだろがよwwwwwwwww
地名から九州だという結論は出てるんだなあ 世界 7不思議の謎の本書いてた人の
飛んでも理論が面白かったな 邪馬台国の邪とか、卑弥呼の卑は中国が蛮族に付ける漢字 そもそも考古学的には畿内が圧倒的に
不利なのに
馬鹿なの? 奇跡的に文字資料でも出てこない限りそりゃ断定は永遠に出来ない
ただ、考古学的には、当時畿内に既に九州〜四国〜東海にまで影響力を及ぼす巨大勢力があったのは確定的
それが邪馬台国かどうかってだけの話 豊橋だよ
かつての邪馬台国は、いまはヤマサでちくわ売ってる 前スレで俺の心の中にあると決まったんだが......
前スレ777をみてね 大和国それ即ち邪魔大国アル
天照大神な日巫女が統治してるネ 古代政権が育つ条件は、
台風と地震が少ないこと。
九州はないよ。 近畿邪馬台国と九州邪馬台国が合併した言う妥協案はあかんの? 尖閣か沖ノ鳥島にあった可能性もないとはいえないかもだから調査員常駐させろよ >>13
どこの世界の住人かな?
畿内説認めてないのはアマチュアだけ 箸墓古墳を調査すればなにか分かることあるのかな。
宮内庁だけは箸墓古墳の中に何があるか知ってるんだよな。 前スレ眺めてて思ったんだけど
邪馬台国と卑弥呼って邪とか卑を使ってるけど
大昔は良い意味だったのか? 皇室が知ってるが発言が無いことをみると都合が惡いらしい >>14
馬鹿の一つ覚えの庄内?
土器編年なんて外国からバカにされまく
ってるし、九州の放射年代ごまかすレベル
じゃ、学問とすら呼べない
真実は鉄も硯も神器も中国鏡もその他全部
九州出土
奈良など東北や関東より鉄がでない 【歴史】北部九州の発掘結果によると、弥生人の身体的特徴を最も雄弁に物語るのが、北部九州地方の甕棺墓等から出土する人骨です。
佐賀県の三津永田遺跡や吉野ヶ里遺跡、山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は面高で身長が高く、中国黄河流域や朝鮮で出土した人骨と同じ特徴を備えています。
一方、同時期の西北九州や東日本から出土する人骨は、そうした特長は見られず身長も縄文人同様の低身長です。
これらのことから、縄文時代晩期から弥生時代にかけて中国大陸や朝鮮半島から人々が日本列島に渡来したが、
渡来系の人々の数はそう多くなく、北部九州周辺に分布する程度であったことが窺えます。
<栄養状態が同一状態(発見時に飲食を共にする住居跡から発見されて状態)>においての遺伝子による渡来弥生人の身体的特徴を在来の縄文人と比較すると次のようになります。
縄文人 渡来人(弥生人)
顔 :彫り深い のっぺり
骨 :丸顔 上下に長い
目 :二重 一重
口 :ぶ厚い 薄い
男身長:158cm 169cm
女身長:148cm 155cm
体毛 :濃い 薄い
http://www.d-laboweb.jp/event/report/img/img_130723_02.jpg 邪馬台国の謎に決着をつける人物がいます
その名は 宮田愛萌 古事記よりも前に書かれた古文書は古墳の中にあったんかな
あんな分かりやすいかたちしてたら墓泥棒にとっくの昔に荒らされてるわな >>23
朝鮮半島含め全部邪馬台国だよ
当時は大きな国だった 邪馬台国と大和朝廷は別の国だと何度言えば分かるんだ馬鹿者 近畿説を唱えてる学者のほとんどが関西出身で笑える
全然説得力が無い >>1
天孫降臨→津島から弥生人が上陸
神武東制→弥生人による縄文人制圧
大和集権→弥生人の統治政権
この日本侵略をして原住民の縄文人ブチ殺したのが天皇一族
天皇一族が朝鮮から来たのは天皇自身が「朝鮮にゆかりがある」発言からも周知
そもそも現日本人の43/44は朝鮮人の遺伝子と同一
上記のことがあるから明治政府の一大プロジェクトとして国家予算の2/3を注ぎ込んで日韓併合した
自分の故郷だからあそこまで金注ぎ込んだのにガイジはファビョって聞く耳持たんし
国家予算の大半を使って朝鮮のインフラ整備する理由も未だにきちんと説明できない これは『日本』の話なのでアズマエビスには何の関係もない >>28
早速馬鹿が湧いてるなw
その言い方自体がすでに学問じゃないわ阿呆
学問にプロもアマもない。
あるとすれば「予算クレクレ」プロw 当時は超貧乏な土民しかいない超僻地だった
そんな限界集落に中国の使者が行くわけがない
魏志倭人伝とは九州のこと 邪馬台国は九州にあり、他の豪族の国と争ってた
そこで後ろ盾に漢に使者を送って後ろ盾に成って貰い倭の国王って位を貰った訳
“王”ってのは“皇帝”の下の位で、今で言う県知事的な位だからな
邪馬台国と争ってた豪族の1つが大和朝廷の全身の国 【歴史】えのころ飯(えのころめし)とは薩摩地方で江戸時代ごろに食されていたとされる料理。
内臓を抜いた 仔犬の腹 に米を詰めたもの。大田南畝の『一話一言補遺』に
「薩摩にて 狗 を食する事」として、以下のように紹介されている。
薩摩にては、狗の子 をとらへて 腹を裂き、(中略)、米をかしぎて腹内へ入納、
針金にて堅くくくりをして其まま竃の焚火に押入焼なり、(中略)
納置きたる米よくむして飯となり、其色黄赤なり、それをそは切料理にて、
汁をかけて食す、味甚美なりとぞ、是を方言にはゑのころ飯といふよし、
高貴の人食するのみならず、 薩摩候へも進む(後略)
九州全般において一種の薬食いとして、赤犬などの犬肉は食べられていた。また九州ではコウモリやネズミなども食べられていたとある。 朝鮮や中国との関係を考えると九州のほうがあり得るんじゃないか >>43
日本の支配下だったのは、朝鮮半島の東側だけだ (1) 古来より日本は統一国家である
(2) 古来より畿内は日本の中心である。
このファンタジーを脱却しない限り、
邪馬台国論争を含め、客観的な日本古代史の研究なんてできないよ。 邪馬台(臺)国なんてないんだよ
あったのは邪馬一(壹)国な 人は記憶型と思考型に大別できる
────────────────確定
帯方郡(平壌の南)
狗邪韓国(順天、海 7千里)
対馬国 (対馬、海 千里)
一大国 (壱岐、海 千里)
────────────────九州北部
末廬国 (海 千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東 百里)
────────────────不明
投馬国 (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)
上記の内容で海千里がどのくらいの距離かが確定できる
対馬の前後を考えればいい
60km〜80kmで1日の行程、これが海千里 邪馬台の本来の発音はヤマト それなら畿内が有力者だが、佐賀県に山門(ヤマト)という地名があった。その周りの地名がほぼ同じで位置関係で纒向遺跡の周りにある。
なんらかの理由で近畿に引越しした? 私は敢えての東北説を唱えたい。東北こそが日本の起源であり中心。東北以外の下等地域は東北にひれ伏すべき。 >>61
ほんとこれな
九州と畿内にはそれぞれ国交がほとんど無い別の国が存在したと考えるべき
そもそも大和王権は4世紀の頃にまだ九州制圧できてないのに
3世紀の卑弥呼の頃になぜ九州を従える邪馬台国が畿内にあったと思えるのかが理解できないなら >>26
三國志の魏志倭人伝には
朝鮮半島の海を渡った先に
邪馬台国があったと書いてある
だから福岡か佐賀のどっかにあったと考えるのが自然
わざわざ奈良や京都まで船で来ない >>14
その論調でいくと、九州にだって同じ事が言える
それに時代をもっと遡ると出雲はどうすんだって事になる 私は考古学には素人だが、素直に考えたらよくない?
邪馬台=ヤマト と。
なんでわざわざ「ヤマタイ」なんて読まないといけないのか?
ただ単に、日本の正式な歴史書である古事記にも日本書紀にも「ヒミコ」に相当する女帝の記述がないから
どうしても「邪馬台国」と「大和国」とを別ものと考えたいのじゃないのか?
>>34
おう、やっぱ朝鮮半島由来の兄の国からきたもんな! 魏誌倭人伝にある邪馬台国は間違いなく九州。そこはどうしたって否定出来ないし考古学的にすら近畿説の材料もない
その後すぐのプレ中央政権としての邪馬台国≠大和は近畿で間違いない
神話を神話=創作としか見てないと近畿説みたいな不合理な説が罷り通る 宇佐〜畿内の瀬戸内海ルートは新しく来た渡来系が多い
かなり早い時代に畿内まで渡来系の氏族が渡ったのだろう
また、糸島には天日槍の伝承のある神社が残っている 魏の使者「あれなに?」
日本のある国の人「山たい!」
魏の使者「おまえら邪馬台国な」
よって福岡だよ 【邪馬台国の詳細】
四方に海あり→四方が海に囲まれている
東西五千里→西から東までの距離
山に丹あり→辰砂が採れる
牛馬なし→牛や馬がいない
金印をもらった→金印(未だ未発掘)
卑弥呼の塚は計百四歩→近くに墓あり
近畿って周りに海あったっけ? 朝鮮半島に近い九州が文明の輸入に有利であったことは事実だろうけど
洪水や台風の自然災害が多い点で大集落を築くことができたのかなあと思う 倭人伝をどう読んでも九州から出ていないのに近畿の訳がない
地名すら出て来ない >>66 の続き
沿岸航行だから日が昇って沈むまでに港に入らなければならない
当時の船の時速6kmぐらい?
よって80kmぐらいがギリギリ >>61
巻向遺跡から九州の土器や朝鮮の土器が見つからなかった時点で機内説は死んだ
巻向からは出雲吉備伊勢北陸東海東北の土器しか見つかってない
朝鮮九州地方と機内中国地方には交易すらできないような軍事国境があったのは自明だわ そもそも敵対部族に獣の名前を付けて蔑称で呼ぶのが当時の日本の文化
熊襲、土蜘蛛、隼人、狗奴、邪馬と・・・
つまり大和朝廷から見た敵対部族の事 >>74
後の時代の隋書ではわざわざ「邪馬台国はヤマトですよ」と解説してる
が、「天皇陛下の子孫があんな土人なわけがない」と江戸時代にむりやりねじ曲げたからややこしいことになってる >>45
関西出身者ってどうやって調べたの?(苦笑)
あるのなら根拠となるデータを出してみ? 大体日本の東大だの京大だの全国の大学の考古学者や日本民族研究家のほとんどが在日馬鹿チョン達
馬鹿チョン達のエベンキルーツを誤魔化し工作する為に在日馬鹿チョン達都合の日本民族歴史すり替え工作
もう既に邪馬台国が四国剣山にあったことはアメリカのGHQすら知ってたわけで
戦後の日本で仁徳天皇陵と四国剣山にあった遺跡や遺物やミイラを既にアメリカ政府管轄の博物館へ収納されてる実態
邪馬台国は四国剣山にあって九州だの近畿だの全くのデマ
邪馬台国はヘブライ語でマタイの国
マタイはキリスト十二支族の人々という意味で
邪馬台国が沖縄へ渡来した南ユダ王国のユダ族の人々こそ邪馬台国の民
馬鹿チョン達が仕切りに神功 応神 継体 天智 天武の達を持ち上げて
朝鮮から日本へ渡った天皇家と繋げたがっているが
そもそも応神天皇達は朝鮮半島に居たわけでもなく百済や新羅とは何の関係もない
中国東北部に居た
中国九夷の畎夷・于夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷の9部族
メソポタミアから離れたヘブライ人達の北イスラエル王国内の9部族ら応神天皇達
中国東北部から日本へ逃げて来たルートが朝鮮半島を通っただけでしか無い
しかも彼らは漢字を使ってたわけで当たり前だが百済や新羅のハングルを使ってたわけでもない
だからこそ応神天皇達が日本へ渡った際にヘブライ語のセム語の漢字が日本へ入ってきたわけだから
応神天皇達は北イスラエル王国の部族で本来の天皇家の血筋では無い
本来はダビデの血筋の南ユダ王国のユダ族部族のセゼキア王の息子のインヌマエル王子の神武天皇こそ本来のスメラノミコトの天皇家の血筋
紀元前711年に南ユダ王国で生まれイザヤと共に船で海ルートで沖縄へ渡り紀元前660年に51歳で大和王権を建国してるわけで
応神天皇達は本来の天皇家の血筋では無く
馬鹿チョン達が主張する朝鮮つながりの天皇家には全く当たらない
海ルートで沖縄へ渡来した南ユダ王国のユダ族のダビデの血筋の神武天皇とは全く違う
在日馬鹿チョン達の日本民族歴史すり替えの誤魔化し工作はバレバレ >>61
大和朝廷は中国地方から近畿に移動したと考えるのが妥当なんだよな… 所詮19世紀までエベンキ語を話し苗字すらなく
しかも日本政府からハングルを勧められしよう
石器時代さながらの馬鹿チョン達を救ったのが日本
馬鹿チョン達は妄想の作り話で馬鹿チョン優秀列伝でホルホルして歴史事実を無視しても事実は変わらないだろ馬鹿チョン
実際の馬鹿チョン達の歴史は
1万年前〜12世紀→ウラジオストク辺りに居たシベリアエベンキわい族
946年→白頭山噴火の影響で朝鮮半島からシベリアに掛けて無人地帯に
シベリアから朝鮮半島にエベンキわい族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリアエベンキで
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない 対馬、壱岐、松浦、伊都、奴、不弥までは九州北部で確定でしょ。
そこから一気に畿内にワープはあり得ないだろう。 九州や山陰西部には倭国大乱の痕跡が山のようにあるのに近畿地方には倭国大乱の痕跡が皆無
そもそも当時の近畿地方には鉄がほとんどなかった
当時の近畿地方は倭国大乱とは無縁の地
倭国大乱とは無縁の地に邪馬台国があるはずかない >>83 の続き
末廬国までが海1万里だから水行10日になる
ちょうど合う
邪馬台国(南に水行十日、陸行一月) 大体本来はダビデの血筋の南ユダ王国のユダ族部族のセゼキア王の息子のインヌマエル王子の神武天皇こそ本来のスメラノミコトの天皇家の血筋
紀元前711年に南ユダ王国で生まれ紀元前660年の51歳で大和王権を建国
馬鹿チョン達が仕切りに神功 応神 継体 天智 天武の達を持ち上げて
朝鮮から日本へ渡った天皇家と繋げたがっているが
そもそも応神天皇達は朝鮮半島に居たわけでもなく百済や新羅とは何の関係もない
中国東北部に居た
中国九夷の畎夷・于夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷の9部族
メソポタミアから離れたヘブライ人達の北イスラエル王国内の9部族ら応神天皇達
中国東北部から日本へ逃げて来たルートが朝鮮半島を通っただけでしか無い
しかも彼らは漢字を使ってたわけで当たり前だが百済や新羅のハングルを使ってたわけでもない
だからこそ応神天皇達が日本へ渡った際にヘブライ語のセム語の漢字が日本へ入ってきたわけだから
応神天皇達は北イスラエル王国の部族で本来の天皇家の血筋では無い
本来はダビデの血筋の南ユダ王国のユダ族部族のセゼキア王の息子のインヌマエル王子の神武天皇こそ本来のスメラノミコトの天皇家の血筋
応神天皇達は本来の天皇家の血筋では無く
馬鹿チョン達が主張する朝鮮つながりの天皇家には全く当たらない
海ルートで沖縄へ渡来した南ユダ王国のユダ族のダビデの血筋の神武天皇とは全く違う
在日馬鹿チョン達の日本民族歴史すり替えの誤魔化し工作はバレバレ >>84
なのに畿内産の庄内式土器は九州各地で出ているという矛盾w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています