>>80の続き

この協定によって中華民国は大清の版図を承継した事になった。
しかしこれは漢民族(中華民国)と満州族(清帝国)の取り決めであって他の民族は従う必要が無い。
盟友(>>73)であるモンゴルは「漢民族に従うなんてまっぴら御免。
(満州族)皇帝が復辟すればすぐに帝国に馳せ参じる」として去ってしまった。
当然チベットや新疆もその権利がある。

しかし一番重要な事は、中華民国政府はこの清帝退位協定をハーグ国際法廷に登録し、
諸外国に通達して国際法として遵守するとしていたのに、12年後の1924年に協定を破棄してしまったのである。
つまり中国は国際法的にも道理の面でも、チベットや新疆ウイグルの主権を主張する根拠が全くないのである。

そして1928年、協定にもあった「4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する」が
蒋介石の北伐軍によって蹂躙された(墓荒らし)。
宣統帝溥儀はこの先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。