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EU、香港への輸出制限 国安法に対抗策 [ブルーベリーフラペチーノうどん★]
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0001ブルーベリーフラペチーノうどん ★
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2020/07/29(水) 08:13:45.96ID:wKz8mC2R9
 【ブリュッセル時事】欧州連合(EU)加盟国は28日、中国による「香港国家安全維持法」(国安法)制定への対抗策で合意した。抑圧や通信傍受、インターネット上での監視に用いられる恐れのある機器や技術の香港への輸出を制限する。
EUは声明で、国安法への「深刻な懸念」を表明。「『一国二制度』の原則下での香港の自治への政治的な支持と、香港市民への連帯を示す」と強調した。

https://www.jiji.com/sp/article?k=2020072900237&;g=int
0033不要不急の名無しさん
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2020/07/31(金) 17:56:34.15ID:Vl6Bjgrx0
>>32
うん
0034不要不急の名無しさん
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2020/07/31(金) 21:30:21.37ID:Vl6Bjgrx0
EU
0035不要不急の名無しさん
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2020/07/31(金) 21:42:53.52ID:Vl6Bjgrx0
遅いわ
0037不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 02:00:07.54ID:S8IxQikr0
>>31
アホかお前
0038不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 02:24:06.24ID:ZnPSSNFf0
まだ日本は特に何もしてないよな?工場移転支援くらいか
0039不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 05:00:49.52ID:lN1zfp3X0
>>38
うん
0040法律施行前の行為に対し逮捕状請求していないか。
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2020/08/01(土) 09:59:10.26ID:43AcXlCC0
香港警察、羅氏ら海外の6人を指名手配 国安法違反で初

法律施行前の行為に対し逮捕状請求していないか。
これまで合法だった行為に関して法律を変更し施行前の行為を理由に逮捕状請求していないか
もはや、中共産と一体化した香港警察は
0042不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 10:48:34.50ID:DI+Ivp6r0
輸出規制すると中共だけ困って他国は困らないモノ
ってなんかないかなあ
0043不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 12:07:37.86ID:lN1zfp3X0
>>42
中国の洪水で食料不足
0044不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 13:19:16.52ID:oavRm7FX0
香港じゃなくて中国本体の方に輸出入全面禁止にしろよ。

言論弾圧のために世界中にウイルスバラまいて70万人も虐殺したようなやつらだぞ。
0045不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 15:24:17.46ID:lN1zfp3X0
制裁開始
0046不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 20:39:57.34ID:lN1zfp3X0
EUがだんだん引いてきた
0047不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 21:28:39.07ID:lN1zfp3X0
さよなら中国
0048不要不急の名無しさん
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2020/08/01(土) 22:00:25.64ID:lN1zfp3X0
嫌われた中国
0049不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 05:13:36.79ID:WU0JKVVr0
ざまあみろ
0050不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 05:28:53.51ID:Un6mNPpk0
>>13
年表で確認する破滅への道のり。

「過ちを繰り返したら日本は終わり」
1969年 国連の海洋調査で尖閣諸島海域に大量の石油埋蔵量の可能性が指摘される。
1970年 尖閣海域で海底資源が発見される
1971年 それまで中国発行の地図には尖閣諸島は日本領と記されていたが、
この時より中国は尖閣諸島の領有権を主張する。

・・・続く
0052不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 05:36:16.53ID:Un6mNPpk0
>>50の続き

「年表で確認する破滅への道のり」
1978年、ケ小平は改革開放政策を実行し、中国は経済成長を始めた。
1989年、天安門事件発生。欧米各国が中国を非難し経済制裁。中国の経済成長がストップする。

しかし日本の経済界と親中派議員による「中国を孤立させるな」という合言葉の元、
経済制裁を解除し関係を緊密にし、 天安門事件から3年後の1992年に天皇訪中を実現させる。
こうして中国は日本の協力の元、再び経済成長を始める。

欧米各国は日本のこの動きに「日本は中国での利益を独占しようとしている」とし
中国に対する経済制裁を解除。以後、欧米も競って中国に経済進出。
これにより中国は爆発的な高度経済成長を迎える。 そして天皇訪中2年後
1994年 江沢民が愛国主義教育実施要綱を定め、日本を標的にした反日教育が始まる。
これが後の「愛国無罪」の反日暴動に繋がっていく。
こうして中国はその経済発展で得たお金で軍備を増強し、周辺諸国への脅威となり、尖閣諸島侵略への軍事力も整えた。
0053不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 06:06:11.46ID:Un6mNPpk0
>>52
>しかし日本の経済界と親中派議員による「中国を孤立させるな」という合言葉の元、

民主化を求める国民を殺しまくった中共の制裁を解除し、その中共政府のご機嫌伺いに天皇を訪中させる。
全くとんでもない事が行われたが、当時反対する人はいたのだろうか?
もちろんいた。ではその反対者をどうやって黙らせたのか?
これである。

「日本は戦前、中国を侵略し多大な迷惑をかけた。今こそ助けるべきである」

これに反対者は黙ってしまった。「侵略?そんな事はしていない」という人はそれよりもさらに少なく、
結果として>>52になってしまった。
これから中国と戦う上でこの捏造歴史を暴く事は重要なのである。
0054不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 07:24:40.21ID:Un6mNPpk0
>>53
中国と対決する時に必要なのは捏造歴史を暴くことである。
それをしないと、罪悪感や贖罪意識をもった者に足を引っ張られるし
親中派にも利用されてしまう。

>「日本は戦前、中国を侵略し多大な迷惑をかけた。今こそ助けるべきである」

さて、「世界によい影響を与える国」というのをイギリスBBCが定期的に調査をしています。
世界各国で調査するわけですが、日本は常に上位にランキングされます。
それは 「行儀が良い」 「礼儀正しい」 「忍耐強い」 「不平が少ない」などの理由によるものだそうです。
また震災など大災害が起こった時の日本人の行動、外国では略奪や暴徒(ヒャッハー)が暴れたりしますが、
日本は秩序を保って助け合いの精神で対処している姿も外国人に賞賛されていて、
その事もランキングにも影響しているのでしょう。

現在はこのような日本人も戦前はどうだったのでしょうか?血塗られた残虐な侵略者?
黄河決壊事件後の日本軍による救助活動や、その後に起こった飢饉に対して中国民衆に
食料を配った姿は現在の日本人と重なりませんか?
もしかしたら歴史の大嘘があるかもしれません。

「日本は中国に侵略した」論者の論点は二つ
1、満州国建国関連
2、盧溝橋から始まる日中戦争
今回は2から
0055不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 10:01:41.22ID:WU0JKVVr0
EUも中国に引いてきた
0056不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 10:05:34.90ID:Z8wsmw0j0
まあ国安法はちょっと酷すぎるからな。
0057不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 10:17:43.98ID:NufCHBrl0
>>54の続き
2、盧溝橋から始まる日中戦争 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
渡部昇一に靖国問題で論破された中国大使

慮溝橋で最初に発砲し、攻撃を仕掛けたのは中国側であるということ。
それが上海に飛び火して戦火が拡大していくのだが、
この上海の飛び火は中国側の正規軍が日本人居留地を攻撃したものであること。
これらを私は事実をあげて述べた。東京裁判もこれを認め、
日本のシナ事変の開戦責任を問うことはしなかった。それを問えば、
戦勝国である中国側の責任があらわになってしまうからだ、とも述べ た。
王毅大使はじっと聞いていたが、それだけだった。
これについて、なんの発言もなかったのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/wing1121.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この時の王毅駐日大使とは、現在の中国外相
0058不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 10:23:29.05ID:NufCHBrl0
>>57の続き

日本は北京議定書(中国側呼称・辛丑条約)という国際条約に従って
中国に駐兵していた。
その日本軍を攻撃するという事は例えれば
現在、日米安保条約で駐兵している米軍に自衛隊が攻撃するようなものだ。
全くとんでもない事を中国はしでかしたんだよ

しかしこんな事は普通起こりえない。
日米安保で駐兵している米軍に攻撃するくらいなら
日米安保を破棄して米軍に出ていってもらえば済む事だからだ。
では何故中国はそうしなかったのか?

そうしなかったと言うよりできなかった。
まず中国に於ける日本の権益は国際的に完全に認められていたという事
その日本の権益を治安の悪い中国政府が守る事が出来なかったから、
中国国内に日本軍がいたというわけ。(他国の軍隊もいた)
もし日本軍に出ていってもらいたかったら、
治安を回復して日本人が安全にいられるようにするか
9カ国条約締結国を招集して、条約改正の手続きを取るしかなかった。
それができなかったので
日米安保の米軍を日本(自衛隊)が攻撃するような暴挙に出た。
0059不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 10:35:11.56ID:NufCHBrl0
>>58の続き

盧溝橋事件についてはどちらが発砲したなどというのはあまり問題ではない。
(中国共産党工作云々も含めて)
その後にどちらが戦争をやる気満々だったかという事だ。
そちらが仕掛けたという事でよい。

日本側から何度も停戦協定を結んでも、ことごとくそれを破って戦線を拡大したのは中国側だ。
蒋介石「抗日全軍将兵に告ぐ」を読めば分かるし、状況的に見ても
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支那軍はすでに前年末頃から第一次上海事変停戦協定(昭和7年)に違反して、
非武装地帯の要塞化と軍隊配備を行なってきていたが、昭和12年、盧溝橋事件以後、
上海周辺への軍隊集中はいよいよ顕著となり、八月に入ると、蒋介石は中央軍を
上海方面に増派し、その兵力は十個師団にものぼった。
「大東亜戦争への道」中村粲 展転社 
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国共合作の道は出来ていた。
つまり中国共産党軍が発砲したとしても、戦争やる気満々だが、ビビっていた蒋介石の背中を押したという事だけ。
0060不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 11:02:57.97ID:NufCHBrl0
>>59の続き

日本側から停戦協定を結んでも何度も破られ、その度に日本は忍耐強い行動をしていたが
上海において民間の日本人が攻撃されるに及び、ついに堪忍袋の緒が切れ戦争が始まった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
海外メディアの報道
1937年8月30日のニューヨーク・タイムズでは一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、
数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。
ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じた。
またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89
0061不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 13:12:30.86ID:buCtQ3eY0
日本もやろうよ
0062不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 13:16:38.65ID:VQnWjs0p0
>>10
その手の人道支援をするならアフリカは
外せないんやないん?
ナイジェリアのボコハラムなんか一般家庭の
子女を平気で誘拐するし
例の誘拐事件なんか未だに200人以上消息不明やと
0063不要不急の名無しさん
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2020/08/02(日) 14:23:46.03ID:cwQ5Wswx0
>>60の続き

歴史をよく知らない人と話していると「中国に日本軍がいたこと自体が侵略」と言うわけです。
しかし前述したように国際的な枠組みの中、国際条約に従って日本軍は中国にいたわけですし、
また、日本が大陸にいる事で中国民衆の為にもなったわけです。
当時の中国民衆は各地にある軍閥の家畜のような存在でした。

たとえば日本が協力して、満州族が満州の地に満州国を建国したわけですが、
その時に何千万人という漢民族がまともな生活を求めて満州国になだれ込んできたのです。
中国の軍閥の家畜でいるよりもその方がよいからです。

黄河決壊事件を知っていますでしょうか?
中国国民党軍が起こしましたが、彼らにとって家畜以下である中国民衆はいくら殺しても問題ないわけです。
それで黄河を決壊させて100万人以上の中国民衆を殺しました。
日本軍は国民党軍とだけ戦争していたわけで、すぐに救助活動をしましたし、
当然のように飢餓から中国民衆を救ったわけです。
0064不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 14:27:49.64ID:cwQ5Wswx0
>>63
黄河決壊事件
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黄河決壊事件(こうがけっかいじけん)は、日中戦争初期の1938年6月に、
中国国民党軍が日本軍の進撃を食い止める目的で起こした黄河の氾濫である。

「河南旱魃と民衆の離反」

作家の劉震雲によれば、1942年から1943年にかけて河南省では
水旱蝗湯(すいかんこうとう)と呼ばれる水害、旱魃、イナゴの発生(蝗害)、および湯恩伯による重税により、
300万人あまりが餓死した[32](オドリック・ウーによれば死者300万人、土地を捨てた者300万人、
救援を待つ飢えた人々は1,500万人を数え、河南の西部、南部、東部の順に伝染病の被害があったことも指摘している[33])。
この状態が続けば河南省は全滅していたが[34]、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り、
軍糧を放出して多くの人々の命を救った[35](ウーによれば飢饉の数年間、日本側は各地の食糧倉庫から食糧を放出し、
飢えた人々に食糧を調達していた[33])。そのため、河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、
日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、
軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れないほどだった[36]。

1944年春、日本軍は河南省の掃討を決定した(一号作戦)[36]。
そのための兵力は約6万人であった[36]。この時、河南戦区の蒋鼎文司令官は河南省の主席とともに農民から彼らの生産手段である
耕牛さえ徴発して運送手段に充てることを強行し始めた。
これは農民に耐え難いことであった[37]。農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で自らを武装すると兵士の武器を取り上げはじめ、
最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した[38]。
推定では、河南の戦闘において数週間の内に約5万人の中国兵士が自らの同胞に武装解除させられた[38]。
すべての農村において武装暴動が起きていた[38]。日本軍に敗れた中国兵がいたるところで民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、
武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた[31]。3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、
南方への鉄道も日本軍の手に落ちた[38]。この結果、30万の中国軍は全滅した[38]。

ウィキペディア「黄河決壊事件」
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0065不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 14:29:33.83ID:L1qLYBD60
着々と進んでますな中共閉め出しに
0067不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 14:37:50.50ID:cwQ5Wswx0
>>64の続き

それでですね、「どうしても信じられない」という人がたまにいるんです。
河南省の農民が日本軍に協力して中国国民党軍をやっつけた、という事をです。
何度も言いますが、当時の中国民衆は軍閥の家畜のような存在であり、
国家・国民意識が希薄だったのです。

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■日本軍を軍閥の一つと勘違いした中国民衆の無関心

日中戦争の一つの山場、徐州会戦(1938年)当時、日本の第十三師団は
通過する村々で「熱烈歓迎」を受けた。
不思議に思った部隊が通訳を通じて訳を聞いたところ、
村人たちはみな、日本軍をこの頃評判のよかった広東軍だと思い込んでいたことがわかった。
中国の民衆は、必ずしも皆が日中戦争のことを知っていたわけではなかった。
これは笑い話でも何でもない。

日中戦争中、中国の人口を圧倒的に占める農民は、伝統的な愚民政策のもと、
当然のことながら「天下」の情勢には無知、無関心だったということだ。
戦乱の世にあっても、どの党、どの派閥の軍隊が天下をとろうと、
彼らにとっては個人の力ではどうしようもできない。
ただ受け容れるほかにないという、あたかも晴れ・曇り・雨といった天候のようなものだった。
だから、自分のその日の生活だけが唯一の関心事であり、通過する軍隊が
外国軍だろうが軍閥軍だろうが関係なかった。
日本軍と出会っても、たとえ言語が違ったところでそれが外国軍だとは必ずしもわからない。
なぜなら中国各地の言葉はみな異なり、出身地が違えば言葉も通じないのはごく普通のことだからだ。
また、多くの中国人は日本という国自体を知らなかった。
交通が未発達だったこの国では、多くの農民は自分の村から出たことすらなく、
村の山の向こうの世界がどうなっているかなど、知りもしなければ
興味すら持たなかった。
だから日本軍兵士は農民たちから、よく「どこから来たか」「日本は歩いて何日くらいの場所にあるのか」などと尋ねられた。
これは大勢の従軍経験者が語っている事実である。
つまり多くの民衆たちは、日本軍を単なるどこかの地方軍閥と見ていたのだ。

「日中戦争知られざる真実」 黄文雄 光文社
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↑このような状態で日本軍が飢えた河南省の民衆を救ったわけです、どうなりますか?
>>64になるのは分かりますよね?
0068不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 14:48:15.24ID:MY0LeRGW0
中国がやってる事は、侵略な。
侵略してる側は、侵略じゃないと言うだろうよ。
こんな法案に、賛同する人や国は洗脳されてるわ。
0069不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 15:50:18.64ID:WU0JKVVr0
日本も侵略されてる
0070不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 19:44:19.04ID:WU0JKVVr0
EU目がさめた
0071不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 20:02:44.97ID:2CZGhJyZ0
>>54の続き

「日本は中国に侵略した」論者の論点は二つ
1、満州国建国関連
2、盧溝橋から始まる日中戦争

それでは次に1の満州国建国についてですが、実はこれこそが侵略論争の主体です。
いつも貼ってるものではなく、たとえば満州国を巡って日本が国際連盟を脱退した経緯についてなども書きたいのですが、
しかし取りあえず最重要な・・・いつものを貼りましょう。
よく知らない人でもいきなりハイレベルになれるようにまとめてあります。

プロの反日左翼(歴史担当)と議論するならばもうちょっとだけ肉付けは必要ですが、しかし
これを知っていいるだけでも十分ですね。
0072不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 20:06:56.86ID:2CZGhJyZ0
>>71の続き (投稿制限で書き込めなくなるので少しずつ)

現在問題となっているチベットや新疆ウイグル問題と絡めて話を進めましょう。
−−−−−−−−−−−−
オランダがインドネシアを300年以上支配していたのはご存知の方も多いと思います。
さて、オランダによるインドネシア統治が終わる時に
「今まで支配していたのだから、今度は逆にインドネシアがオランダを支配するべきだ」
という人はいるでしょうか?
それはイギリスのビルマやインド、フランスのベトナムなどにも言えますが、
「今度は逆に支配されるべきだ」と感情的になって言ったとしても、本気で言う人はいないでしょう。

しかしもしも両者が話し合ってそのように決まったならば、
つまりインドネシアによるオランダ統治が決まったならば、どこの国も異議を唱えないでしょう。
両国は協定を結び、インドネシアによるオランダ統治が始まった(とします)
しかしここでインドネシアが協定を破棄した事により、オランダが前のように独立するとなったら?
誰もオランダを責めたりする人はいないでしょう。

では満州国について・・・
0073不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 20:12:03.15ID:2CZGhJyZ0
>>72の続き

17世紀に満州の地にあった「満州族」の国家である大清が、
「漢民族」の国家である明を破り、漢民族を支配した。
ここで大清(満州族)による帝国においての他民族や国との支配関係を見てみましょう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
しかし、清帝国支配化のアジア諸民族の地位はそれぞれ違っていた。朝鮮や越南は属国であり、
モンゴルは盟友で、チベットは教王領として、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、皇帝の国師となっていた。
新疆の回部とともに藩部と称され、外様大名であった。だから、モンゴル・チベットは朝鮮のような属国ではなかった。

清朝支配下の中国について、たとえば岡田英弘教授のように「清の植民地」とみる学者もいる。
ではなぜ清王朝の中国支配が「植民地支配」とみなされるのだろうか。
それは征服国家が植民地に対して行う取り扱いと共通項があるからだ。
たとえば、満州人は宦官にしない。漢族を絶対に官女としない。漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。
対外公文書は漢文を使わずすべて満蒙文やラテン文。漢人の夷語(外国語)学習の禁止。
夷人への漢語・漢文伝授も禁止。満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。
天朝の国家軍隊が満蒙八旗軍、漢人は地方部隊の経営。漢人はいかなる重臣といえども、
清皇帝に対し、「家奴」(家内奴隷)と自称・・・・・など。
清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。
だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、「家奴国家」であったろう。

『捏造された近現代史―日本を陥れる中国・韓国の罠』黄 文雄 (著)
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0075不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 20:16:38.09ID:2CZGhJyZ0
>>73の続き

辛亥革命というのは「自民族の王朝を倒す革命」ではなく、
「漢民族による大清帝国からの独立運動」だったのである。
アジアの植民地が欧米諸国から独立するようなものです。

三民主義を知っているだろうか?
みんなも学校で習ったと思うが、ある事が隠されていた。
反日左翼教師が教えなかった事がある。

−−−−−−−−−−−−
ウィキペディア【三民主義】
1905年、中国同盟会が創設されたときに「韃虜の駆除・中華の回復・民国の建立・地権の平均」の
「四綱」が綱領として採択され、孫文はこれを民族(韃虜の駆除・中華の回復)・民権(民国の建立)・
民生(地権の平均)の三大主義と位置づけた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B0%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9
−−−−−−−−−−−−
韃虜(だつりょ)=満州族の蔑称

「韃虜の駆除」である。それが隠されていた。
まぁなんというか「隠すほどに現るる事はなし」(隠そうとした事で却って人に知れ渡ってしまう)
この三民主義の場合、何が現れるかというと「満州国建国の正当性」である。
「満州国建国の正当性」を論じる上で漢民族と満州族をはっきりと区別し認識する事は
大事なことだ。

・・・続く
0076不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 20:22:13.74ID:gkO+5mD80
日本もAmazon筆頭に通販会社に、
中国企業の商品、またはメイドインチャイナ商品の販売禁止命令すれば
中国はあっという間に干上がる。
Amazonの中華製品ろくなのないからちょうどいい。
0077不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/02(日) 21:29:03.48ID:WU0JKVVr0
>>76
なるほど
0078不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/03(月) 05:05:02.60ID:+3G/a5Ac0
>>75の続き

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
シナでの革命が危険なものに思われはじめた時、
満洲朝廷は満洲へ隠棲する可能性を見過ごしていたわけではない。
それどころか、この問題は真剣に議論されたのであり、
シナと満洲の多数の帝国主義者は、これこそ追求すべき最も賢明な方策だと主張したのである。
ところが最終的に摂政と多くの親王が北京に残留することを決断したのは、
袁世凱が優待条件の中で彼らのために確保した条項を、彼らが、愚かにも、
そしておめでたくも、すばらしいと信じたからである。

完訳 紫禁城の黄昏(上) 祥伝社R・F・ジョンストン 中山 理(訳) 渡部昇一(監修)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この時に大清の満州族が父祖の地である満州に帰っていたら、
中華民国とは別の国、大清(国名はそのままかどうか分からない)が
満州の地で続いていた事になる。
しかし最終的に北京に留まったのは、袁世凱から提案された優待条件、
すなわち清帝退位協定を中華民国政府と結んだからである。
これは一体どういう協定か?
0079不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/03(月) 05:09:04.76ID:qlqr0oNV0
遅いわ
0080不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/03(月) 05:11:35.02ID:+3G/a5Ac0
>>78 清帝退位協定

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中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)

1 大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、
 中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。
2 大清皇帝は年金として毎年400万両(テール)を中華民国より受領する。
3 大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。
4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する。
5 先帝・徳宗景皇帝(光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉安の儀式も旧制のままとする。
6 紫禁城内の各職員は従来通り使用出来る。但し太監(宦官)は今後採用出来ない。
7 大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。
8 禁衛軍(皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下に置かれる。
http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/chuuka_minkoku1.html
−−−−−−−−−−−−

清帝退位協定付属の第二文書(皇族、他民族待遇について)

満、蒙、回、蔵各族待遇条件

第一条 満、蒙、回、蔵各人種ハ漢人ト完全ニ同等ナルベシ。
第二条 満、蒙、回、蔵各人種ノ私有財産ハ完全ニ之ヲ保護ス。
第三条 満蒙ノ王公其ノ他ノ貴族ハ従前ノ通リ其ノ称号ヲ保持スベシ。
第四条 貧困ナル王公ニハ生活費ヲ支給ス。
第五条 八旗ノ生計ニ關スル規定ハ速ニ之ヲ定メ其ノ規定ノ制定セラルルマデ八旗ノ俸給ハ従前ノ通トス。
第六条 満、蒙、回、蔵各人種ニ対スル通商及居住ニ關スル制限ハ之ヲ撤廃シ爾今各省県ノ居住ハ自由タルベシ。
第七条 満、蒙、回、蔵各人種ハ完全ナル信教ノ自由ヲ享有ス。
ブロンソン・レー著『満州国出現の合理性』(日本国際協会、昭和11年8月)、付録ノ三より。
0081不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/03(月) 05:31:14.15ID:+3G/a5Ac0
>>80の続き

この協定によって中華民国は大清の版図を承継した事になった。
しかしこれは漢民族(中華民国)と満州族(清帝国)の取り決めであって他の民族は従う必要が無い。
盟友(>>73)であるモンゴルは「漢民族に従うなんてまっぴら御免。
(満州族)皇帝が復辟すればすぐに帝国に馳せ参じる」として去ってしまった。
当然チベットや新疆もその権利がある。

しかし一番重要な事は、中華民国政府はこの清帝退位協定をハーグ国際法廷に登録し、
諸外国に通達して国際法として遵守するとしていたのに、12年後の1924年に協定を破棄してしまったのである。
つまり中国は国際法的にも道理の面でも、チベットや新疆ウイグルの主権を主張する根拠が全くないのである。

そして1928年、協定にもあった「4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する」が
蒋介石の北伐軍によって蹂躙された(墓荒らし)。
宣統帝溥儀はこの先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。
0082不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/03(月) 05:40:29.59ID:+3G/a5Ac0
>>81
>宣統帝溥儀は先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
他のことなら、たとえば侮辱でも、嘲笑でも、死の威嚇でも、財産の没収でも、
そして契約の破棄でも許す事ができよう。
しかしこの残忍極まりない、神聖冒涜のおぞましい行為だけは絶対に許すことができない。
このとき以来、シナに対する皇帝の態度が変化したのである。
もっと正確に言えば失政の責任を負うべき人々に対する皇帝の態度が変化したのである。
皇帝は生まれつき寛大で思いやりがある方なので、最も凶暴な敵に対してでさえ、
今までただの一言も怒りや不平を漏らしたことがない。だが今度ばかりは、
さすがの皇帝も到底見逃せない事件だったのである。

その時まで皇帝は、満州に勢力が結集していることは知っていたものの、
独立運動にはまったく関与していなかった。また、皇帝自身が先祖の故郷の満州へ戻るよう
誘われる可能性についても、まともに考えたこともなかった。
皇帝は、いつかシナが正気に戻り、万事がうまく運ぶだろうとという希望を抱きつづけていたのである。

だが、今やその希望も消えうせてしまった。私が次に皇帝を訪ねたときは、
目立った変貌ぶりを見せていた。あまりにも変化が著しいので、皇帝は侮辱された先祖の霊魂と霊的な
交わりを持ったのではないか、そしてそれまで自国と先祖を辱めたシナに向いていた顔を
三百年前に帝国の強固な礎を築いた国土に向け、満州を注視せよと、
先祖の霊魂にせきたてられているのではないか、と思ったほどだ。

完訳 紫禁城の黄昏 祥伝社R・F・ジョンストン 中山 理(訳) 渡部昇一(監修)
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0083不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/08/03(月) 05:41:32.11ID:1/0ECN9R0
中国に返還された時にやる事だろ、甘いねん
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