>>44
昭和13年11月のある日であった。
スペイン人民戦線軍援助の目的で、6千トンの武器、弾薬を満載し、黒海のソ連港オデッサを抜錨した
イギリス汽船スタンホール号が、にわかに航路を変更して、ビルマのラングーン港に姿を現わし、
埠頭の苦力を総動員して荷揚げを開始したのだ。

イギリス官憲の厳重な監視の下に、陸揚げされたこれらの軍需資材が、鉄道と河蒸気船で、
ラシオ経由重慶軍のもとへ運ばれたことはいうまでもない。

この日から、支那事変を尊い血で戦っていた日本にとって、援蒋ビルマ・ルートがビルマの
そして米・英の敵性を代表するものとして登場してきた。

しかし同時にこれは、ビルマ人にとっても、『悪魔の途』の序曲であった。
帝國空軍の援蒋ビルマ・ルート爆撃の噂を伝えられた当時、在留邦人がビルマ人に
『このルート爆撃のため、近傍のビルマ人に損害をあたえたらどうする』と問うたが、彼等は異口同音に
『ビルマ人は日本を怨んだりはしない。自分達は日本が空爆しなければならないようにした蒋介石とイギリスを怨むだけだ』
と答えたという。

すなわち、ビルマ人の膏血を搾って建設されたビルマ鉄道は、【国民の意志に反して】、
イギリスの勝手極まる援蒋政策に利用され、支那事変に関係のないビルマ人の鉄道は、
一般民衆の利用がほとんど禁ぜられる如き状態におかれたのである。