#1 ★1にて #2 ★2にて

#3「ここへ壕を掘れ。わしの壕だけでよいぞ」臆病者の軍司令官をいましめる者はなかった


飢えより恐ろしい雨季
 トルブン隘路口に英印軍が進出したことは、単に弓兵団の補給路を危くするばかりではなかった。同時に、進出したばかりの第15軍の戦闘司令所も脅威をうけ、新しい作戦計画に影響がおよぶことでもあった。それは、第15軍の戦闘司令所が移動してきた地点が、トルブン隘路口の西北方の山中であったからだ。

 天長節の祝賀式をインパールで挙行しようとする牟田口軍司令官の夢は破れた。5月 となり、インパールに向った各師団は、惨敗し、糧食も弾薬も補給が困難になっていた。

 飢えも恐しかったが、それ以上に恐るべきものが近づいていた。雨季は5月から9月の終りまでつづくのだ。

 天長節をすぎてから、インダンジーの戦闘司令所では牟田口軍司令官の怒号が一層激しくなった。狂気のような軍司令官の激越な怒声は、徒らに幕僚、将兵を恐怖させるばかりだった。

以下本文ソースで
▽次々困難になる戦線
▽あせりたち、戦術の基本を無視する牟田口軍司令官
▽「わしの壕だけでよいぞ」小休止の時にまで壕を掘らせる
▽200メートルおきにその爆音がないか確認するほど飛行機を恐れた
▽無視されるたえがたい屈辱

https://www.google.com/amp/s/bunshun.jp/articles/amp/39659

【終戦後】
晩年は…
死去までの約4年間はインパール作戦失敗の責任を問われると戦時中と同様、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と頑なに自説を主張していた。
昭和41年8月2日
兵士たちへの謝罪は一言もなく病死で天命を全うした…


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★1の立った時間 2020-08-15 21:40