安倍晋三首相は28日夕の記者会見で辞任を正式表明した。連続在職日数の最長記録の更新を続け、一時は「安倍1強」と呼ばれる盤石の権勢を誇った。しかし新型コロナウイルスの猛威を前に、後手批判が噴出。経済、外交、危機管理といった金看板が色あせ、首相自身の体調をもむしばんでいった。突然の辞任劇の舞台裏に迫った。

 ◆「食欲がなくなっている」

 28日午前の官邸執務室。首相は盟友の麻生太郎副総理兼財務相と向き合った。

 首相「食欲がなくなっている。持病の悪化で国政に耐えられない」

 麻生氏「通院しながら職務を続ければいいじゃないですか」

 麻生氏の目には首相の顔色は悪くないように映った。だが首相は続投の決意を示さない。代わりに語ったのは自民党総裁選の行方や悲願の憲法改正への思いだった。

 首相は午後、二階俊博幹事長らが待つ党本部を訪れた。緊急の役員会合が開かれ、政権を支えた面々が深刻な面持ちで首相の言葉を待った。「病気で正しい政治判断ができなくなる。責任を果たすのが難しくなった」。史上最長政権に事実上の幕が下りた瞬間だった。

◆異変の兆しは6月

 「国民の皆さま、8年近くにわたり、本当にありがとうございました」。首相は会見の冒頭発言をこう締めくくり、深く頭を下げた。

 首相の体調に異変の兆しが生じたのは6月だった。持病の潰瘍性大腸炎再発の兆候が見つかり、8月上旬には再発が確認された。

 首相は12日、周囲に「体重が落ちている。7年8カ月の疲労が相当きついが、1次政権の二の舞いを演じたくない」とこぼす。17日には病院入りして約7時間半滞在し、健康不安説に拍車が掛かっていった。

 「薬が効かなくなって、新しい薬を試した。よく効くが、免疫力が低下してコロナにかかりやすくなる」。19日から通常勤務に戻った首相は執務室を訪れた側近にこう漏らした。側近の「病状を説明すべきだ」との提案にも、「病気のことは言いたくない」と力なく応じた。父の故晋太郎元外相が亡くなる直前まで病気を押して職務をこなし、宰相の座に執念を燃やした姿が重なったのは間違いない。

◆「投げ出し」批判を意識

 首相は辞任表明のタイミングを探るのに当たり、同じく突然の退陣だった第1次政権時の「投げ出し」批判を意識した。7月中旬ごろから「何か会見で打ち出す中身はないのか」と周囲にハッパを掛けていた。秋以降を見据えたコロナ対策を発表し、批判を和らげる―。
 
 こうした戦略の下、政策パッケージが急ピッチでまとめられていった。2週連続の病院入りをした24日、首相は「独断」で考えて辞任の腹を固め、側近にも漏らさなかった。周囲には「できるだけ長くやりたい」と辞任を否定し、今井尚哉首相補佐官も「体調はだいぶ戻っている」と話していた。

 首相は会見で、次の首相の任命までは職務を果たす意向も強調。ただ党総裁任期を約1年残す中、コロナ禍で一国のトップが交代する異例の事態に再び異論が出るのは必至だ。

◆ポスト安倍に火ぶた

 第1次政権では事前に辞意を聞かされていた与党幹部は「3日前に電話で話をした時は『病院に定期的に通わなければいけない』と言っていたが、そんな雰囲気はなかった」と振り返る。

 首相が麻生氏と官邸で向き合い、辞任の意向を伝えていたころ、二階氏はテレビ番組の収録で「退陣は全くない」と明言。岸田文雄政調会長は講演先の新潟市に向かうため東京を離れていた。

 自民、公明両党の幹部に首相から連絡が入ったのは、午後2時ごろの報道各社による「首相辞意」の速報前後だった。自民党は急きょ役員会合を招集し、二階氏ら執行部メンバーが党本部に続々集結。公明党の山口那津男代表と首相の会談もセットされた。

 首相の辞任理由の説明を聞き、二階氏をはじめ、全員が思わず涙ぐむほどの急な展開だった。だが、自民党内は早くも次を見据え、各派閥の幹部らが会合を開くなど動き始めた。自民党ベテラン議員は語る。「政治は非情だ。ポスト安倍の戦いの火ぶたは切られたんだよ」(共同)

2020年8月29日 05時50分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/51840
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