グレーバーは社会学者なので個人の信じる価値観的合理性(経済合理性よりも広い)
も加えてブルシット性を表現してるんだろうね

グレーバー自身は明言しないが
マックス・ヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を下敷きに
そのヴェーバーが称揚する勤勉性と企業官僚主義への異なる視点のアンチテーゼを提出してる
と見えるがどうだろうか

そのためヴェーバー的にいえば経済合理性に反するブルシットと
価値観的合理性に反するブルシットが
混在してると言える

これは議論の混乱とも言えるが
ブルシット性を広く捉えて人生の意味に関連させる作業は重要だと思うね

もっともヴェーバーも同じ問題意識は当然持っていて
ドイツやスイスのカルヴァン主義者の敬虔な信念の労働から
まるで機械の様な無意味な工場労働や企業労働に転化することを危惧していたんやね