2020年09月13日 18時30分 公開
神戸の子どもはみんな使ってる!? 「神戸ノート」はなぜ他県で見掛けないのか、メーカーに誕生のきっかけ聞いた
誕生のきっかけは朝鮮戦争だった???
[しげる,ねとらぼ]
 
 しばらく前に神戸に引っ越してきてちょっと驚いたのが、文房具の棚である。家の近所のダイエーにある文房具コーナーでは、当たり前ながらペンや鉛筆やちょっとした刃物などが売られており、その中にはノート類も並んでいる。だがしかし、そのノートの棚で一番目立つ位置にずらりと並んでいるのは、「神戸ノート」という見慣れないノートなのだ。


https://image.itmedia.co.jp/nl/articles/2009/13/l_shigeru_200910kobenote01.jpg
とりあえず買ってきた神戸ノート各種。本当はもっと種類がある


 この神戸ノートの判型はB5。小学校で使うものらしく、国語・算数・理科・社会の4教科に対応したノートが、低・中・高学年用に区分して販売されている。さらに生活科用のノートや連絡帳、中が全部白紙の自由帳、音楽ノートや漢字の練習帳におけいこ帳と、目的ごとに細分化されたラインアップも存在。文具コーナーの棚を2つほど埋めるくらい種類がある。表紙はいずれも神戸の風景を撮影したものだが、よく見るとちょっと昔の写真のようだ。なんだこれ。初めて見るぞ……。

 中身を見ると、なるほど各教科ごとに特化した作りになっている。算数のノートは計算しやすいように横向きの罫線が並んでいるし、国語用のノートは縦書きに対応。理科のノートは5ミリ角の方眼になっていて図やグラフなどを作りやすくなっている。さらに子どもは年齢が上がるにつれて小さい字を書けるようになるからか、学年が上がるごとに罫線の幅は狭くなっている。九九の表や日本地図など、裏表紙には各教科の基礎情報が印刷されている。真面目で芸が細かいノートといった印象だ。

 神戸育ちの妻に聞いてみると、小学校では誰に言われるでもなくほとんど全員このノートを使っていたという。「先生から使用を強制されたこともなく、気がついたら手元にあった」という感じらしく、存在に疑問を持ったこともなさそうだ。神戸市民にとって神戸ノートは、どうやら水や空気と同じようなものみたいである。岐阜県出身のおれからすれば、疑問ばかりが先に立つのだけど……。





神戸ノート誕生のきっかけは、朝鮮戦争だった

 というわけで、この神戸ノートを製造している関西ノートに細かいことをいろいろと質問してみた。公式Webサイトによれば、関西ノートの創業は明治の終わりごろまで遡る。創業当初は「飯田商店」という個人の文具商店だったが、大正時代に「関西文具」と屋号を変更。さらに大正15年(1926年)に「関西ノート株式会社」となった。現在も神戸の長田区に本社を構える、実に100年以上の歴史を持つ老舗なのだ。

 そんな長い歴史の中で、神戸ノートが誕生したのは1952年のこと。きっかけとなったのは、当時激しい攻防が続いていた朝鮮戦争だった。1950年に始まったこの戦争は貧しかった戦後の日本に特需をもたらしたとされているが、その影響は子どもたちにも降りかかる。この特需で儲かった家の子どもとそうでもなかった家の子どもとの間で、学校で使う文具の質に大きな差が出たのである。

 これはおれの想像だが、港町である神戸では、朝鮮戦争に伴う物資輸送などが主に港湾関係の仕事に対して大きな利益をもたらしたはず。その利益は、日本の他のエリアとは桁違いの格差を神戸に生み出したのではないだろうか。朝鮮戦争の影響で儲かった家とそうでなかった家で、子どもの暮らしぶりも大きく違ったはずである。

 朝鮮戦争で景気の良くなった家の子どもは舶来の高級文具を使い、それ以外の子どもはわら半紙をヒモでとじたノートで勉強する……。そんな状況を憂いた神戸市の小学校校長および教職員の集まりは、「安くて高品質な文房具を規格化して提供できないか」という依頼を関西ノートに持ち込む。これに応えて誕生したのが、いわゆる神戸ノート。つまり、既に70年近い歴史があるノートということになる。ちなみに正式な商品名は「関西ノート学習帳」であり、「神戸ノート」は愛称だそうだ。

     ===== 後略 =====
全文は下記URLで

 https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2009/13/news024.html