>>859
倭国大乱で*倭国が*女王を「共立」して乱が止んだ。
表向きは倭国盟主の王を女王にして乱が収まったということ。
実態は、倭国大乱の当事者たちが、邪馬台に男王禁止
=覇権放棄の条件を科して、和議となったということ。
諸々考え合わせると、奈良が出雲を滅ぼし、万事休すの邪馬台
から覇権を奪ったことは、明白。

この状態で、大率が女王の官吏ということは有り得ない。
それは、あくまで表向きの話。魏にはそのような話にしてあるが、
奈良が朝貢の財宝や交易の利を邪馬台に渡すはずも無いw

ちなみに、漢の時代は、博多の奴国に朝貢させて、その利は
全て邪馬台が奪っていた。