【大分】「邪馬台国は別府温泉だった!」日本史最大のミステリーに新説 「距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致するのです」 [樽悶★]
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邪馬台国はどこにあったのかー? 日本史最大のミステリーにこの夏、新たな説が登場した。タイトルはずばり「邪馬台国は別府温泉だった! 火山灰に封印された卑弥呼の王宮」(小学館新書・840円税別)。
著者は、従来の学説にとらわれない柔軟な思考で古代中国の文献「三国志 魏志倭人伝」を丁寧に検証している。別府温泉の湯煙を思い浮かべつつ読めば、大分県人の夢広がる一冊だ。
著者の酒井正士さん(64)は東京都出身。東大農学部卒業後、ヤクルト本社に勤務し、脳機能改善や老化予防のための医薬品・食品開発などに力を注いだ。
邪馬台国の「謎」に興味を持ったのは約10年前。「邪馬台国の秘密」(高木彬光著・カッパノベルズ)がきっかけだった。歴史には門外漢の酒井さんだが、邪馬台国に関する文献を読みあさり、在野の研究者が集う「全国邪馬台国連絡協議会」の会員になって独自の研究を進めてきた。
着目したのは、魏志倭人伝に残された「距離と方向」に関する記述だ。多くの学説は、古代中国の使節がまず日本に上陸した「末廬国」(まつろこく)を現在の松浦地方(唐津市)としている。これは「まつろ」と「まつうら」という、地名の類似からきており、邪馬台国研究の“元祖”である、江戸時代の朱子学者・新井白石が提唱したことも大きい―と酒井さん。
同じように、使節の行程記録にある伊都国(いとこく)は糸島市とする説が多く、「九州説」「畿内説」のベースとなっている。しかし魏志倭人伝には、伊都国は末廬国の南東に位置するとの記述があり、2都市の実際の位置関係である「東」とは方向が異なる―と、酒井さんは指摘する。
「高い測量技術を持ち、古くから正しい方角を重視してきた古代中国人が書き残した魏志倭人伝は、距離や方角について正確に記載されていると思います。現代に残された“生データ”を分析し、私は末廬国を北九州市として、その他の国の場所を推定していきました。すると、現在の日向街道を別府方面に進んだ道筋が、距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致するのです」。
酒井さんは実際の地図や地形図、航空写真などの資料をインターネットなどで入手し、魏志倭人伝の記述を照らし合わせた。そして、最終的に邪馬台国は別府市街にあった―と結論しているが、その遺跡は残念なことに、貞観9年(867年)の鶴見岳・伽藍岳の大噴火によって火山灰の下に埋もれてしまったのではないか―と考察している。
「別府市街地の海岸部をのぞく一帯は奈良時代と平安時代の2回の噴火によって火山灰に埋め尽くされた―と考えます。地下には、イタリアのポンペイ遺跡のように、古代の遺跡が手つかずのままに残されているのでは―。調査したら遺物が出てくるかもしれません。
9/11(金) 11:37配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200911-00010001-mjikenbo-l44
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200911-00010001-mjikenbo-000-1-view.jpg >>874
中国人が倭人伝を読んだらこれは九州の事。って言うから九州なんだろうね。 >>870
北九州弁、関東弁は朝鮮語風アクセント
関西弁は支那語風アクセント >>883
>なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
九州邪馬台国の末裔であるかのように偽った(勘違いしていた)黒の歴史が後ろめたいから >>889
畿内派の人達は、だから何?ってスタンスなので
ヒットポイントゼロですw >>1
あら、ロマンティックにまとめましたネ
地理的条件も良し、温泉熱で煮炊きも簡単、いつも清潔、
ありえそうな気がしてきた、読んでみたくなった。
淡路島って、
地政学的には対馬と同じで、
四国の海賊、紀伊半島の豪族、出雲の勢力、
その中立的な緩衝地帯としてみれば、
長年にわたって神聖な場所として不可侵に位置づけられてきたのは
納得がいく。 >>888
まあ、皇室とかあのシステムが縄文/弥生の風土から発生したとは思えんからな。
あれほど血筋に拘るのは半島の性質のような気がする。 >>890
どの分野でも日本の中心部に近い地域が最も半島系に近いという結果が出ているのが現状
そして縄文系は南北へ追いやられたという解釈
東北と九州に酒豪が多いのは縄文系が多いからだろうと言われている >>892
そもそも何があろうとも畿内派は九州を認めないよw だから中国の史書にちゃんと邪馬台国は大和だと書いてあるんだけど
謎なんてないから >>876
出てないことは無い
出雲と吉備が同盟国で鉄が横流しされ
淡路島が近畿の鉄器工場となった
舟木遺跡、五斗長垣内遺跡を検索して見い。
あと播磨の国風土記に砂鉄で製鉄したという言い伝えが播磨風土記に載ってる。 三種の神器のうち、勾玉は縄文系の証
即位礼では使われなかったよな
つまり天皇家自身は半島系だと知ってるんだよ >>898
いつの話してんだよw
卑弥呼の時代は3世紀だぞw >>874
一般人ではなく専門家に聞いたらこうなった
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
大事なことなので2回言います
>大多数の考古学者は大和説です >>517
宮崎は神話「だけ」の国
それも広く言い出したのは昭和になってから
実が全然ない
西都原古墳群とか実態を知ればがっかりするぞ
教科書に載らないのはその価値がないからだよ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>1
大阪が邪馬台国だったに決まってるやんwww
世界の中心「大阪」以外にはありえん >>895
九州〜関東の縄文人は喜界カルデラの大噴火でほぼ絶滅
神戸大学海洋底探査センター、鬼界カルデラ地下 マグマだまり成長か
2018/2/12付日本経済新聞 朝刊
ttps://www.nikkei.com/article/DGKKZO26803550R10C18A2TJM000/ >>894
長い長い縄文時代は、合衆制だったのかなぁ
炭素年代測定でこのカゴが5500年前。
エジプト創世記の頃でも、ちゃんと編みカゴ作れてる
https://aomori-jomon.jp/essay/?p=9818 >>897
九州って書いてあるやん。嘘つくなよ、爺さんよ。 >>883
ざっと見たが>>688に出ているぞ
>>676
景行天皇の九州巡幸が豊後国風土記に書かれている 簡単に書くとこう
「魏志倭人伝」
一大卒が九州にいる
「隋書」
アメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じ
「旧唐書」
アメノタリシヒコが属国に一大卒を派遣して支配している
一大卒がいる場所=邪馬台国ではなく属国なのが確定
「新唐書」
神武天皇のときに筑紫から大和に都を移す
アメノタリシヒコは用明天皇
つまり邪馬台国は大和であると中国は認識しているのが分かる
そして九州はその属領
このことから当然、九州王朝なんてものはないのが明らかになる
九州説とかいう人の話は最初から中国の史書が全否定してる あそこで、お湯が噴き出すアトラクションを見た
ゆで玉子も食べた
いにしえの邪馬台国 近畿も九州も
観光誘致に手段を選ばなくなってきてるよな >>911
国際的史実です
■旧唐書より
※倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png
<倭国伝>
倭国(九州)は古の倭奴国なり。
※漢委倭奴国王の金印は福岡で発見された
<日本伝>
日本国(ヤマト)は倭国の別種なり。
■史書における「別種」の使用例
<高麗伝>
高麗は出自、扶余の別種なり。
<百済伝>
百済国の本も亦た、扶余の別種。
■結論
・畿内ヤマトと倭国は別の国(連合国)だった >>907
似非学者古田竹ひごのゴリ押しで九州ということになってるけど
本物の学者は皆近畿説 >>911
へ〜畿内派の人が新唐書を論拠にするとは意外だ
では教えてくれ、その筑紫ってのはどこなんだ?
そこから天皇と号して大和に移ったと書いてあるんだが
それはどういう解釈なの? 弥生時代後期においてもヤマトの影響が全く見られない城野遺跡
城野遺跡/福岡県 北九州市
中国産の水銀朱がたっぷりと敷き詰められた石棺
https://i.imgur.com/T09gWYm.png
ちなみにこの遺跡を消し去ろうとした連中が居る ■新唐書より
日本は古の倭奴なり。京師を去る万四千里。新羅の東南に直る。
海中に在りて島にして居す。東西五月行、南北三月行。(略)
其の王の姓、阿毎氏。自ら初主を号して天御中主と言う。
彦瀲に至る凡そ三十二世、皆尊を以て号と為し、筑紫城に居す。
「筑紫城に居す。」の筑紫ってどこ? >>916
畑から金印が、ってのも、
そもそも論で「なんだかなァ」だよなぁ
金印も年代測定できないん? 高千穂で、おみやげのハニワ(全高25センチ)を買いました
あの辺が邪馬台国ならかっこいい 景行天皇は九州で嫁もたくさんもらっているからな
日向御刀媛とか襲武媛とか名前も格好いい
襲武媛はそのたけひめだから熊襲が一体のものではなく
球磨と曽於に分けられることが判るね >>898
残念だがそれは間違い
淡路島の鉄工房跡からは北部九州式の返しのついたヤスが見つかっている
瀬戸内海を制していた北部九州の海人族の遺跡だよあれは
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018iron/18iron03.pdf
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
弥生時代の海の勢力図
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下 >>923
高千穂村が明治にできて
宮崎でハニワブームが起きたのが昭和か
NHKの所ジョージの番組でやってたぞ >>880
おまえに何言っても無駄だから言わんが
もっと勉強したほうが良いぞw まずはその各地の風土記を読んでから発言したまえw >>865
お、あんた、奈良に女王が居たと思ってる馬鹿なのか??
邪馬台国が奈良だと思ってる馬鹿なのか??
それから、狗奴国の王の名知らんのか?
卑彌弓呼 pimikko ピミッコ
今の発音で ヒメッコ 古風に書けば「姫つ子」
ヒメ=ヒ・メコの略=お日様の娘=誰でも女王と分かる名
ヒメつコ=女王の息子=女王から位を継いだ息子の男王
狗奴国の先代は女王だったということ。経緯は分からんが。 >>902
木花咲耶姫は愛媛県人だろ
父ちゃんは大山津見神なんだから >>893
>淡路島って、
淡路島って、卑彌呼以前からずっと、「阿波」の領分。 @阿波 >>911
新唐書で一番重要なポイント(ほかにない特有の情報)は
神武の一族は「代々筑紫城に住んでた」というところ
これで神武の一族は漢委奴国一族ということがわかる
魏志には伊都国に代々王がいたと書いてあったなあ
そして7、80年男王が続いて倭国大乱が起こったとも 九州勢はいいかげん諦めろ
豚の骨が出土した畿内に勝てるわけないんだからさ >>930
はいはい阿波人はアワ原人の末裔だからねw >>898
>淡路島が近畿の鉄器工場となった
淡路島って、卑彌呼以前からずっと、「阿波」の領分。 @阿波 >>932
豚の骨は残飯各種として出品済み
■各説による邪馬台国関連遺物の出品状況(2020年時点)
[九州説]
・三種の神器(剣・鏡・勾玉)
・卑弥呼の時代から存在するクスノキ
・鉄器各種
・絹および紡績用具
・警備厳重な吉野ヶ里集落
・漢委奴国王の金印
・魏王の鏡と同型の鉄鏡 ←大分
・複数の遺骨に囲まれた祇園山古墳
[畿内説]
・古墳建造作業員向け大型食堂
・東海・伊勢産の飯炊き土器と残飯各種
・鉄器時代である弥生時代としては珍しいレトロな木製の土木用具一式
・東日本で流行った木製仮面
・建物を囲む垣根の下から桃の種(建物建造後の物ではない)
・同じく蛙の骨 取り敢えず全県出馬しろや
何言っても勝ちだから言いたい放題できるぞ >>872
あのさあ、
邪馬台が倭国盟主という大陸向けの虚構なのに、
実際には、奈良(大倭)から邪馬台が監督されてますと
言うとでも?
大陸向けに、倭国盟主の邪馬台が奈良(大倭)を使っている
という話にしているわけだ。実際は逆だけどw >>899
>三種の神器のうち、勾玉は縄文系の証
その勾玉も、「阿波」の専売特許品だよ。 わははははは @阿波 >>925
逆だよ
畿内が九州を征服してかえしのついたやすを広めたんだ
起源は機内にあるのであって九州にはない >>931
日本書記のコピペやろ
遣唐使が説明したのか日本書記を読んだか知らんが
日本書記以降の中国側史書には価値は無い
ただの日本側の説明の引き写しだし >>929
古事記には本名は神阿多都比売と出てくる
おそらくコノハナノサクヤビメというのは美人で有名だったから名前を借りたんだろうな >>940
日本書紀のどの辺に、代々筑紫城に住んでたとあるの >>920
>「筑紫城に居す。」の筑紫ってどこ?
阿波市 @阿波 普通にやまとに東夷っぽい当て字して邪馬台ってしてたんじゃねえの 中国は日本側の記録を参考にしているが自分の記録と合わない場所は採用してない
一番肝心なアメノタリシヒコ(用明天皇)という記載は日本にない
つまり、中国は独自の資料を基に邪馬台国が大和であると断定してる
中国の記録がそもそも邪馬台国を大和と認識しているのが明らか >>913
俺は福岡人だが宇佐神宮もあるし大分でいいと思っている
それに大分は自然も素晴らしいのでもっと観光で注目されてもいい >>924
>景行天皇は九州で嫁もたくさんもらっているからな
なにをどう勘違いしたらそんな自分勝手読みができるんだい? わははははは @阿波 >>947
つまり3世紀に書かれた魏志で南に南にルートをとる邪馬壹(ヤマイ)と
5世紀に書かれた後漢書で、東に東にルートをとる邪馬台(ヤマト)とは
別種ということですね ■旧唐書より2
日本舊小国←日本国はかつて小国だった
◆倭国条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭国者,古倭奴国也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
◆日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本国者,倭国之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小国,併倭国之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。 邪馬台国は釜山だったとか、ソウルだったとか、そういう主張はまだ? なので中国の史書に邪馬台国が大和と書かれているの中国自身の記録をもとにしたものであるとわかる
最初から邪馬台国論争など存在しない >>927は、倭国(阿波)に対して、何一つ論理的な反論ができないw @阿波 >>866
その後の鉄器の広がりを考えないと。
漢代の最初、邪馬台と半島倭人(弥生人)が組んで
鉄輸入を独占、邪馬台が朝貢を握り列島に君臨。
次第に、出雲ー新羅地域、奈良ー百済地域の繋がりが
出来、独自に鉄を入手したわけだ。
鉄が無ければ、奈良が全国統一なんて出来ないわけで。
いやいや、邪馬台が東遷した??
邪馬台が倭国大乱で負けて、卑弥呼即位、その死後に
覇権復興を掛けて男王が立つも、再び破れて女王に。
この事を考えれば、一世紀ほどで邪馬台が盛り返して
東遷するのはムリ。
邪馬台は奈良に滅ぼされたと分かる。(3C末〜4C) >>840
中国や台湾の古典学者や歴史学者に魏志倭人伝を読んでもらう企画をテレビでやっていたけど
3人に聞いて3人とも邪馬台国は九州にあったのだろうとの事だった 別府温泉か!
てか、未来人は暗号だしてたけど解析したん? >>957
> 鉄が無ければ、奈良が全国統一なんて出来ないわけで。
[畿内説の見解]
「北部九州では紀元前1〜2世紀、朝鮮半島から鉄の素材が入り、加工して流通するようになった。
弥生時代、倭で最初に本格的な金属器社会に入った地域だ。
初期の国家について「鉄が権力をつくる」との説を私は支持している。
ではなぜ鉄の一大生産地だった九州に比べ出土品も少ない近畿に大和政権ができたのか。」
「北部九州は交易が盛んで、鉄も豊富にあり、経済的にも進んでいた。
空間的、階級的にも分散して社会形成が進んだ。
イメージしやすいのは、みんなで豊かになる(共和制)だ。」 ←抽象的根拠不明なこじつけ意味わからんw
松木 武彦(まつぎ・たけひこ) 大阪大文学部卒、同大学院博士課程単位取得。
専門は日本考古学。日本列島の古墳研究や考古学を通じた戦争、国家形成論などを研究。
2014年から国立歴史民俗博物館の研究部門教授。 >>954
長年邪馬台国スレに居るけど
>中国の史書に邪馬台国が大和と書かれているの中国自身の記録をもとにしたものであるとわかる
これほどぶっ飛んだこと平然と書く畿内派久々やわ、新鮮だw >>911
神武天皇て実在してないのに
めちゃくちゃやん >>941
曲解でも何でもなくて、邪馬台が大乱に負けたのは
馬鹿でも読み取れること。
卑彌呼の死後、覇権復興を目指すも、また負けた。
それも書いてある。
それで邪馬台が大倭(奈良)を「使う」と書いていて、
それがどういうことか考えれば、他の解釈が成立しないわな。
お前のアクロバット解釈を待っているぞw まずそもそもの話として
【史書は同時代の史書を比較して妥当な内容を探る】
・倭人伝だけの解釈など全く成立しえない
・同時代の史書がない場合は考古学、別時代の史書などを参考にして対応する
なので倭人伝だけの解釈で「判明した」など論外もいいところ
ちまたであふれる珍説はこの類ばかり
こんなものは一切意味をなさないと断じていい >天照の元の名が
>大日女尊(おおひるめのみこと)やからね
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」。
御祭神は大日?女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われている。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日?女命」=「天照大神」 @阿波
正一位、延喜式に記録された式内名神大社
「天石門別八倉比賣神社」:徳島県徳島市国府町西矢野 矢野神山
https://sueyasumas.exblog.jp/9415763/
http://www.genbu.net/data/awa2/yakurahime_title.htm 「イメージしやすいのは、みんなで豊かになる(共和制)だ。」
がなぜ
「祭祀統一連合国」に飛躍するのかw
ちなみに各時代ごとの葬祭の様子は史書に記されており、女王との関わりについては一切記載されていない
つまり卑弥呼女王と祭祀は無関係 >>874
おお!やっぱり今一般人に聞くとこうなるのか
自分も畿内派、九州派の双方の言い分を聞くけど九州に分があるとしか思えないな 学会では畿内説で結論がでてるけど、
民間の議論の盛り上がりの為にあえて5%ぐらいの変わり者の学者が九州説についた
盛り上がってる限りは永遠に平行線を演じ続けます >>963
神武天皇の実在非実在は関係ない
中国は日本の地理を把握しているのが記載から分かる
なので大和の場所も当然知っている
実際に隋の時に使節が往来してることも知れている
そのことからアメノタリシヒコ(用明天皇)の都は邪馬台国と同じと判断しているのが分かることになる >>969
学会とは
学問をやっている場ではない。
学問の様なもの を使って政治をやっている場w 大和(ヤマト)と読むなら、大分(ヤマケ)で良いはずだからな。 奈良が邪馬台国を滅ぼしたのではない
九州の帝国・邪馬台国が神武の代で東征し、出雲や奈良を鉄剣の圧倒的武力によって征服したのだ
卑弥呼は帝国の象徴として神話に登場し、天照大神となる >>961
>「ではなぜ鉄の一大生産地だった九州に比べ出土品も少ない近畿に大和政権ができたのか。」
ここだけコピペしておいて、なぜその答えを省略するんだ?
ほれ、松木教授の見解だ
「近畿の王は共同体の首長の力を借りて九州から東方へのルートを握り、鉄を元手に経済力や権力を一極集中させていったとみている。」 >>966
スレもそろそろ終わりやから一つ言っとく
何度も同じこと書いてるけど大宜都比売命っつう女神は
長野で一番多く祀られてるんだよ、なぜか
蚕の神だからだ そしてこの人はスサノオに殺されてるんだよ 以上 >>914
その地図だけど、最近中国人が作った歴史の動画をYou Tubeで見ても倭と日本を別物として扱っているんだよね
中国人にしたら普通にそういう認識なんだなと、妙に感心してしまったよ 裴世清は大和まで行ってると思う
大和まで行った感想がこれ
自竹斯國以東皆附庸於
へぇ、筑紫より東は倭の属国なんだね そもそも前提として中国は九州と交渉をしていたことが土台にある
奴国の金印がそれにあたる
そこから交渉相手が別の場所、つまり大和に移っているという理解のもとに記事を書いている事になる
つまり、どう転んでも中国は九州に邪馬台国があるなどと思ってないのが明確になる >>976
だからそこ以降は妄想ばかりで根拠と言える物証も何も出ていないんだよw
おまけに纏向の調査結果は>>935の通りw >>978
中国人はおかしな忖度必要ないからね
書物に書かれてる通り表現する >>975
そう。それが大和朝廷の言い分w
だが、神話をよく見ると、神武東遷以前が「神代」、
東遷以降が「人代」、と分けられている。
つまり、東の権力は滅ぼされたということ。
出雲が滅ぼされて「神々の地」とされたのと同じだ。
出雲との違いは、その権威を継承したかどうかの違い。
奈良は、邪馬台を滅ぼした後その権威を継いだので、
西の神々の地から神が奈良にやってきて天皇になった
という東遷神話をこさえたw >>978
誰が読んでもそうなるよなw
中国や台湾の知り合いも真顔で九州が日本の発祥地だと言ってたよ >>984
× つまり、東の権力は滅ぼされたということ。
○ つまり、西の権力は滅ぼされたということ。 >>943
天孫降臨以降は九州にいて神武がヤマトに来たってところ
>>947
隋書は日本書記以前のもの
日本には正史は無い時代 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。