【古代】日本で出土した貴重な「三角縁神獣鏡」、その精巧さと品質に「きっと中国製に違いない!」−中国メディア ★2 [樽悶★]
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日本には中国の面影を残す文化や習慣、建築物などがたくさんあるが、その多くが唐の時代のものと言われている。しかしさらに昔の1700年以上前の中国由来と思われるものもあるそうだ。中国メディアの百家号はこのほど、日本から出土した鏡「三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)」について、中国製だとする説を紹介する記事を掲載した。
記事が紹介しているこの鏡は、鏡縁部の断面が三角形になっていて、鈕(つまみ)の周囲に神像と獣像が表現された青銅製の鏡で、日本の古墳から出土したものだ。古墳に副葬されたこうした鏡は、日本からも中国からも多く出土しているが、この三角縁神獣鏡は今のところ日本からしか発見されておらず、大変貴重なものになっている。
記事は、これが中国からはるばる海を越えて渡ってきたという説を紹介。中国には、魏(ぎ)の皇帝から邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)に銅鏡100面が贈られたという記述が残されているそうだが、出土した鏡の中にはその時代の魏の年号を記した銘文を持つものがあるからだ。当時の中国は近隣諸国と頻繁に行き来があり、貴重な品を贈り合うのは何も珍しいことではなかったため、三角縁神獣鏡が中国製だったとしてもおかしくはないとした。
日本で出土している三角縁神獣鏡は、いずれも非常に質が良いという。記事では写真も掲載しているが、非常に写りがよく現代の職人が作るものとそん色ないとその品質を称賛しつつ、その時代に「タイムスリップしたようだ」と当時の魏の国に思いをはせている。
ただ、日本で出土した三角縁神獣鏡の数は、魏の国から下賜されたという鏡の数を優に超えるほか、中国からは1面も出土していないことから、「中国製」とは断定できないようだ。記事は、中国の職人が日本へ渡って製造したとの説もあることを紹介し「いずれにしても中国製と言える」としている。とはいえ、古墳時代の銅鏡は日本製か中国製かに関わりなく、現代の私たちにロマンを与えてくれるものであることに変わりはないだろう。(編集担当:村山健二)
2020年9月11日 7時12分
https://news.livedoor.com/article/detail/18878792/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/9/a/9a9b3_620_fbe37045_28af084d.jpg
★1:2020/09/14(月) 23:08:34.82
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1600092514/ >>829
落ち着け
始元年春二月の時点で景初四年が半年使われてたなんて書いてないから
そして正始元年二月に乙丑という干支は存在しないというのは本当だからね
乙丑などの干支は60日で一周だから
一ヵ月ズレる景初四年なら乙丑という干支が存在するというのは
他の資料を統合して確かめられている >>100
曜変天目なんかも日本にあるのに
中国でなかなか見つからない 普通に考えたら中国から日本に来た人が日本で作った
これ以外だと無理が出てしまう >>830
だからなってないっての
晋書天文志の四年の記事
青龍二年 月が金星と重なったので占う → 占いの結果は「人君が死に、戦と成る」
→景初元年に公孫淵の乱、景初二年に司馬懿を派遣してこれを討伐 景初三年に明帝崩御で当たり
青龍四年 月が金星と重なったので占う → 占いの結果は青龍二年と同じ
景初元年 月が火星と重なったので占う → 占いの結果は「貴人が死ぬ」 →景初二年四月に司徒の韓?が死んだので当たり
と書かれてるんだよアホ
何かあって占う → 占いの結果 → 実際に起きた出来事
でワンセットの文章だ >>831
>そして正始元年二月に乙丑という干支は存在しないというのは本当だからね
だからそのソースを出せと言っているわけだが
お前が落ち着いてソース出せアホ たしかに日本は3流国だった時期があり
中国から来たものをパクって技術を磨いていた
多分チャイナ製だな
1700年前に高度な文明は無かった >>824
手元に晋書があるのなら読んでみればよいが、嘉平の次の太安三年は元号が略されているよね?
太興三年、咸康四年も同じく略されているように、同一説明文の中の次の年の元号は軒並み略されている
つまり、同一説明文の中で同じ年号(熟語)を使うと煩雑になるから、略しているのであって、これは現代日本でも論文や企業団体の文書等でも略すのが当たり前
青龍暦の説明の段で、青龍二年と書いてあるのだから、同一説明文の中にある四年の元号を略するのは極々当たり前
そもそも、元号別に時系列で説明しているのだから、景初暦の説明の段を『景初元年七月』からその説明を始めているのであれば、そこに蝕の説明がないのはお
かしいし、先に書いたように、四年の後に再び元年の蝕を説明しているものおかしいわな
あと、正始元年春二月乙丑は乙酉の誤りの可能性が高く、それだけをもってして景色四年だとするのは強弁に過ぎる
陳寿ともあろう人間が日付ならともかく、年号を誤るというのは誤写でもない限りまずありえないだろう
漢文を読む能力がないのか、理解する能力がそもそもないのだろうね
なら、仕方がない まさか現物前にしてなお景初四年を強弁するとは思わなんだ >>1
5年ぐらい前に三角縁神獣鏡が洛陽で発見されたよね >>834
四年が景初か青龍かはともかくとして
晋書天文志の書き方としては
青龍二年 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星と重なったので占う
景初元年 月が火星と重なる
こうだろ?
四年を青龍四年と断じるのは嘘だろ >>839
骨董屋の露店で一枚だけな 要するに出処不明や >>837
強弁でもないんだけどね
状況的には正始元年春二月乙丑は景初四年春二月乙丑とすれば干支は合う
まあそもそも魏志に明帝が景初三年1月1日に死亡して
当時皇帝の死後は1年間元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元という習慣に基づき
ただしそのままだと翌年の1月1日は正月と皇帝の一周忌が重なってしまうので
1ヵ月空けて本来の2月1日を正始元年1月1日としたという記事から
景初四年は存在しなかったとされているけれど
これが本当の事を書いてなくて景初四年は実はあった可能性が十分ある >>840
> 青龍二年 月が金星と重なったので占う
> 景初元年 公孫氏反乱
> 二年 皇帝これを討つ
> 三年 皇帝崩御
> 四年 月が金星と重なったので占う
> 景初元年 月が火星と重なる
都合よくはしょるなや
青龍二年十月乙丑 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年三月己巳 月が金星と重なったので占う
景初元年十月丁未 月が火星と重なったので占う
二年 司徒韓?死す
年号表記の法則通りに読めや >>843
都合よくはしょるなや
という言いがかりをつけるなや
一体何をそんなに必死になってるの? 魏志の記事にある明帝が景初三年1月1日に死亡というのは本当かな?
ピッタリ過ぎるし実は7月ぐらいまで生きていたのではないかな?
そうなると当時皇帝の死後1年は元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元制度によって
景初四年は7月くらいまで存在した可能性がある
色んな記事に景初四年は7月くらいまでの記載があったりする >>820
三角縁魏鏡説=邪馬台国畿内説ってやばいな >>846
何捻じ曲げた仮定を基礎に論を組み立ててんの? >>848
というか三角縁魏鏡説はもう定説でまともな学者なら誰も異論を言わないよ 中国で1枚も出てないのに中国のものにしようとする中国人w まぁ畿内から魏鏡がわんさか出てる事実だけは曲げられないわけでひっくり返しようがない >>852
>生きていたのではないかな?
このへん >>854
この記事のどこに三角縁神獣鏡が魏鏡と書いてあるか説明してくれないか? >>1
応神天皇が半島から受け入れた百済人の中に銅鏡の職工がいて三角縁神獣鏡を作ったのなら
三角縁神獣鏡は韓国製になるという記事だな >>25
孟子孔子は、支那の畜生ぶりを見て、論語なりの儒教を、説いた。
人皆禽獣に同じ、と言った。 わいが一番知りたいのは、鏡って言うからには、鏡の用途があったのかっていうこと
卑弥呼だっておたふくみたいなブサ女だったんだろう
そんなのがふとしたときに顔を映して乙女のように軽く髪を整えたりしてたのかね いや、まあ中国製じゃなかったら卑弥呼の鏡じゃなくなるから大変 >>861
多分太陽の光を反射させる祭器として使ったんだと思う >>861
卑弥呼は魏から送られた鏡で自分の顔を見たショックで引きこもりになって
引きこもった御所の外で祭りを催したときにだけ顔を出した
これが日本書紀の天照の記述につながる >>854
そんな事実あったら邪馬台国がどこにあったのかについて、もう論争の余地もないw >>870
破片が割りとよく見つかるのだったかな?
俗に言う美品は見つからない
普段使いして使い潰したのか、別の物に作り替えられたか >>872
"魏鏡"は出るがスレの話題にされとる三角縁神獣鏡は皆無や >>1
そうなのです
精巧さは昔の中国にはかないません
嫌中派といえども正倉院の宝物が日本製でかなり粗い作りであることからも昔の中国製であることは認めざるを得ません
昔の中国は立派だった
ところで今の中国共産党の幹部連中は漢民族じゃないだろ >>871
中国浙江省紹興市で三角縁車馬神人画像鏡が
6枚くらい見つかってるなあ >>875
古代史スレは息を吐くようにうそをつく九州説論者が昔から常駐してるから気をつけてw >>877
三角縁獣帯神人龍虎画像鏡も見つかっている >>879
それ一枚だけ骨董屋の露店で売られとった奴やんけ どこで出土したかとか全く不明の奴やろが >>880
いやこれは浙江省で見つかってるやつ
畑で出土したのが売られてたのは洛陽の近くで発見されたもの 当時の鏡ってどう磨いていたんだ?
ピカールかな?
でも、すぐ曇るでしょ。 >>881
結局神獣鏡やのうて画像鏡やんけ 意味ないわ てか浙江省出土て完全無欠な呉鏡やんけ どうやって魏と結び付けるんや 現状曹操の墓から出土した鏡と同型の鏡が出土した大分の方が有力だわな 魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡
この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。 @阿波 実際、三種の神器の鏡と全く同じものの現物は、佐賀県寄りの福岡西部からしか出土してない。 >>861
三国志展に行ったとき女性の
化粧パレットみたいなものも
展示していたので普通に鏡で化粧していたのだと
思う。 >>846とか見れば分かるように、畿内説ってのはウソも100回言えば真実になると信じているクズなんだよね
それを素人だけじゃなく学者を名乗る人間までやっちゃってる救いがたい状態
行動パターンが完全に朝鮮人と同じ
纒向遺跡を30年掘った結果ここは邪馬台国じゃないと結論した関川氏のように、良心のある人間は畿内説から離れていく もう近畿派も三角縁神獣鏡が魏の物だって主張は諦めたんかな
そんで新たな拠り所が画紋帯神獣鏡とかなんだろうけどその辺は呉がルーツっぽいから苦しいね ねらーがデタラメこくのはいつものことだからいいとして学者が今も畿内説唱えてんのはヤバイよな
結論ありきで正しい検証をしようとしない学者って存在価値ない >>897
画文帯神獣鏡は呉鏡で間違いないね
洛陽でもごくわずかに出土していて皆無ではないが長江流域に比べると著しく少ない
http://yamatai.cside.com/katudou/image3/366-26.gif
そもそも神獣鏡という様式自体が南方のもの
北方で好まれるのは左右対称や鈕中心の点対称に作られたものなんだよな コピー用品いっぱい作っちゃうのは
先祖が織田信長の家系図作っちゃうのと似たものを感じる >>903
最初は近畿勢だけがコピーを製造していたのが、何年もせずに東海や関東や出雲も各自工房をもってコピーしまくるようになっていたら笑う。
コピーのせいで三角縁神獣鏡の価値は暴落し、欲しがる人がいなくなった。 >>888
三角縁神獣鏡は鋸歯文があって笠松文様がある事が特徴だけれど? >>896
嘘なんて言ってないが?
魏志に明帝の死が景初三年1月1日とある事と
皇帝の死後1年は元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元という制度があった事は本当
どうしてそんなに必死になって事実を否定する?
何か都合が悪いの? 宋書礼志
三年正月,帝崩,齊王即位。是年十二月,尚書盧毓奏:「烈祖明皇帝以今年正日棄離萬國,禮,忌日不樂,甲乙之謂也。烈祖明皇帝建丑之月棄天下,臣妾之情,於此正日,有甚甲乙。今若以建丑正朝四方,會羣臣,設盛樂,不合於禮。」博士樂祥議:「正日旦受朝貢,羣臣奉贄;後五日,乃大宴會作樂。」太尉屬朱誕議:「今因宜改之際,還修舊則,元首建寅,於制為便。」大將軍屬劉肇議:「宜過正一日乃朝賀大會,明令天下,知崩亡之日不朝也。」詔曰:「省奏事,五內斷絕,奈何奈何!烈祖明皇帝以正日棄天下,[6]每與皇太后念此日至,心有剝裂。不可以此日朝羣辟,受慶賀也。月二日會,又非故也。聽當還夏正月。雖違先帝通三統之義,斯亦子孫哀慘永懷。又夏正朔得天數者,其以建寅之月為歲首。」
建寅之月為歲首とは夏正に戻すと言う意味。色々理屈をつけているが建丑の正月なんぞごめん被るから建寅に戻して大宴会やるぞとなりました。ちなみに殷正なんぞやったのは王莽だけで明帝も同類扱いです。 >>900
やっぱり畿内で出る鏡は呉の影響が強そうだな >洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
>しかも朝日新聞によれば国産の三角縁の特徴を備えているんですがwww
その洛陽近郊の畑から発見された「三角縁神獣鏡」 と 徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作である。
また、群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と、同じく徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とも、神像表現が同じであり、同じ工人作なのである。
これは取りも直さず、その同じ工人が、徳島・宮谷古墳付近に暮らし、「三角縁神獣鏡」を仿製していたことを示している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>909
その理屈だと
群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」に暮らし、「三角縁神獣鏡」を仿製していたことを示している。
とも言えるのでは? >>910
言えない。
朝鮮半島出土の同向式神獣鏡(伝楽浪大同江面) と 徳島県鳴門市萩原1号墳の画文帯神獣鏡 とは、同笵鏡である。 @阿波
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 仮に中国製だったとするなら少しは見習えよ
今の中国が >>911
なんでそんな断言できるんだかよく理解できないんだけど
バカチョンの必死なの? おんなじおんなじ〜だけじゃ、どっちも同じとしても
生産拠点は分からんよな
恐らく、あははのクニじゃなくて関東のアワのクニかもしれんなw >>913
>なんでそんな断言できるんだかよく理解できないんだけど
島根大学の岩本崇氏に聞いてごらん。 @阿波 頓珍漢の感想を吐き出したくせに、論理がおかしいと指摘すると権威にすがる
まるでどっかの空ろな人種か、或いはキッズ脳の駄々っ子みたいなもんだな 例えるな推しメン推したがるブサ面も同じか
ドルヲタやヲタ思考で騙られると、特に興味な素人や、はたから見ると薄ら気持ち悪いものだな 日ノ本をトリモロ()そうとしたモノからすると
義経バカヤロウコノヤロウと思い立った頼朝、或いは信長なんかの気持ちも
オイコラ馬鹿野郎偽日御子と同じか?w >>908
わかってないな
後漢〜三国時代は神獣鏡大流行の時代で、どこの王朝が造っても呉の地域の工房で製作されていた
魏王朝の工房では銅が少ないうえに専門の工人がいなかったためか、銅鏡を造れないに等しく、魏の
紀年銘鏡(大陸出土分)もすべて神獣鏡なので、呉域の工房にオーダーしていたことがわかるわけだ
だから魏王朝が卑弥呼のための鏡百枚をオーダーしたとしても、どこで造ったとしてもすべて神獣鏡に
なっているわけだ
ゆえに画文帯が呉王朝の鏡だとか、三角縁神獣鏡は呉王朝の影響だとかはまったくあたらない 呉の銅鏡が魏に渡る事は無い。理由は自分で書いているが魏には銅が少なかった。弩機は青銅製で正始二年造のものが有る。矢尻も三角鏃と言う青銅製の物だった。これは重量が有る方が運動エネルギーが大きいから。
青銅は軍事用の戦略物質なので簡単には敵国に渡せません。 >>922
魏には徐州という銅の産出地があった
そして三角縁神獣鏡には銅出徐州と銘が彫ってある 明帝の曹銭は質が悪くて不評だった。魏では布を税金にしていた。徐州の銅山県に銅山は無い。蜀や呉には銅の大鉱山が有った。 >>924
徐州の銅山県と自分で書いてるだろ
それは何だ? そりゃ当時のジャップなんてどんぐりうめーしてた頃だしな >>923
残念でした
徐州刺史部で銅山があったのは徐州最南端の江都や儀徴のみで三国時代は呉の領土だ
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 三国時代の、魏の領域になっている徐州に、銅を産出する地域は、ふくまれていたのか。西晋時代、東晋時代の徐州は、どの範囲をさすのか。
> すでに、1992年に、中国の考古学者、王仲殊氏は、参考文献を示し、かなりくわしく論じている。
中略
> 要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。
http://yamatai.cside.com/katudou/image3/365-17.gif
> 王仲殊氏の文章中にみえる「江都」「儀徴」などは、後漢の時代、「徐州剌史部」の監督する地域内にはいっていた。
> この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
> 三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。 三国志では曹操による徐州大虐殺がクローズアップされているので徐州全土が魏の領土だと勘違いしている人が多いが
実際には南端の長江北岸一帯は呉の領土である
徐州(じょしゅう)の領郡地図
https://three-kingdoms.net/wp-content/uploads/2019/01/190108_2.png
見ての通り、本来徐州の南端は長江に接しているが、三国時代には長江の北岸一体は全て呉の領土である
https://www.y-history.net/map/0301/china_sangoku.gif
徐州の銅を使えたのは呉か西晋であって魏ではない >>928
それなら何で魏の年号の入っている鏡に銅出徐州と書いてあるんだろうね
徐州は徐州の戦いで魏の領地になって
銅の産出する地域も魏の領地だったという他に考えようがない こんなこと書いてるサイトがあった
>三角縁神獣鏡には「銅出徐州、師出洛陽」の銘を持つのが約10枚ある。が、これ
>は一種の吉祥文字で、これをもって中国製と即断するのは危険である。中国でこの
>銘を持つ鏡は、遼寧省の魏晋墓から出土した方格規矩鏡ただ1枚で銘は単に「銅出
>徐州」となっている。しかし、三国時代の魏晋朝領域の徐州では銅は産出していな
>い。徐州が銅の産出地として知られていたのは前漢・新・後漢時代のことである。
>漢時代の徐州の地域は三国時代よりも広く、 銅の産出地は三国時代では呉王朝の
>領域で首都・建業(南京)付近の「丹陽」「江都」「儀徴」である。後の東晋時代
>(318年〜)になると、銅の産出地の「江都」「儀徴」は再び徐州に組み入れら
>れた。従って、三国時代の魏晋朝の領域の徐州からは銅は産出せず、東晋時代の徐
>州からは銅が産出したので、三角縁神獣鏡の「銅出徐州、師出洛陽」は後世のにせ
>もの=偽ブランド(具体的には東晋時代に日本に渡来した呉の鏡職人の作品)とい
>うことになる。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。