>>955
餌取転訛の疑点としては、穢多が形成された頃は屠者でなかったと言うのです。
つまり、前記「塵袋」では掃除人足。「師守記」では、井戸掘人足。
「師茂記」では祇園御霊会の駕輿丁(みこしをかつぐ者)。など直接屠者とは関係は少ない。
また「雍州府志」で「穢多の本」といわれた、小島・カキ揚の部落が平安朝の石原・佐比の地であった事から、
これら部落の人々は葬送・墓守に従事したであろうし、同時に屠者である事はあり得ないという説です。